車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

タイ大会へ行ってきました。

2015年07月20日 00時57分43秒 | 日記
移動日を含めてちょうど1週間、タイへ行ってきました。

試合の内容は・・・ボロボロでした。

負けに負けを重ねて、「今まで何をやってきたんだ?」と自問自答する瞬間も多々あれば、ご指導いただいている方々や近しい人達にすがるように祈り他力本願に陥る瞬間も度々ありました。

フルセットで9-11とか、同じくフルセットでデュースだったり、途中で逃げ出したくなるようなゲームもいくつかあり、自分が辛いこの状況は相手も同じだと思いながらも、そうした時に差を生みだすのは積み重ねてきた努力の厚み、それからくる技術力の差と、それをバックボーンとする自信、メンタルの強さだと痛感しました。

相手に対して向かっていくエネルギーというか、そういう姿勢もお国柄とか気質的な違いもあるとは思いますけど、でもそれ以前に自分自身の中でまだ覚悟が足りていない、腹をくくりきれていない、自分自身に対してそんなネガティブな印象も持ち得ました。

いずれにせよ努力が足りない。

頑張りが足りない。

世界の舞台に立てばそれで良いというのでは恥をかくだけ。

そうではなくその舞台で立派に立ちまわれるだけの技量を身につけていかなければいけない。

中途半端が一番みっともない。

そう思い知らされたタイでした。



結果的には個人戦で銅メダルをいただきました。

でもこれは自分でつかみ取ったのではなくあくまでも「いただいた」もの。

恰好悪いメダルです。

団体戦は日本人ペアで組みましたが負けて3位。

2位以上を目指していたのでこれも残念な結果です。



ただ今回は目的としていたことは十二分に達成出来たのでした。

それは何かと言うと、世界のトップレベルを知るということ。

この目でそれを見て、学び、指針を設けることが出来たのでした。

意識していた自分よりもランキングが遥かに上の選手とも全て対戦でき、その力を肌で感じることが出来たし、またその試合を先輩方に見ていただくことでより具体的なアドバイスもいただけたので今後の活動にもより磨きがかけられると実感しています。



車椅子、障害者、健常者という括りに関係なく、今回敗戦を重ねたことは単純に僕の「卓球」に対しての勉強不足だったと思い知らされています。

確かに車椅子卓球の経験知の低さはそのままプレーの幅の差として痛感しましたが、でもそれは経験しなければ身に付けられないというものではない。ただただ自分の勉強不足というだけ。練習を繰り返さなければ身に付けられないとか、そういうレベルのものではない。でもその僅かな差が試合で大きな差を生みだすのだなと、いい勉強をさせていただきました。



上位ランカーとの試合でも「技術的な差は全然ないですよ」とも言ってもらえた。

でも負けた。

なぜ負けたのか。

技術以外の差ということになる。

世界という舞台ではそれも同時に磨いていかなければ勝ち得ないということですね。



そして今回もうひとつ思い知らされたのがメンタルの重要性。

環境の変化によるメンタルへの影響も十二分に配慮しなければならないなと。

僕は結構楽観的に物事を考えがちだけど、案外外圧による影響を受けやすいのだとも学ぶことが出来ました。

1週間の滞在で、衣食住ほぼ全てが普段とは全く違うものになる。

でもこれは事前に予測できることでもあるので、十分に備えることは出来るはず。

それを言い訳にするのは選手として恰好がつかない。

それも踏まえたうえでコンディションをコントロールすることが「代表選手」ということなのでしょう。



さらに、備えを心掛けていたとしても万が一が生じた場合に周囲に対してネガティブな発言をするのもアスリートとしてはよろしくないなと学びました。

ネガティブな言葉はネガティブを連鎖させる。

それが自分だけでなく周囲のテンションやモチベーションをも下げさせかねない。

ネガティブ発言という本音を吐露する相手は選手同士であってはいけないと思う。

それこそ「足を引っ張る行為」だと考える。

そのための「コーチ」の存在なのだ。

コーチ不在の状況であればそこはぐっとこらえるくらいの「忍耐力」もアスリートとして必要だと僕は考える。

そうした周囲への配慮、他の選手への気遣いが結果的にチーム全体へのプラスとなるはずだし。

スポーツに限らずプライベートでもビジネスシーンにおいても少なくとも僕はネガティブな発言をするやつのそばにはいたくない。

前回のスペインとは環境もモチベーションもそして結果も大きく異なってしまったけど、これにも耐えうるというか環境による自身の変化を強いられないだけの強さを身につけることもまた普段のトレーニングから磨いていかなければならないことですね。



というたくさんのことを学べたタイでした。



さぁこれからまた気を引き締め直して頑張ります。

これまで蜃気楼のようにしか見えていなかった世界が現実のものとして僕の目の前に広がり、目指すべきものがイメージだけではなく実物として外殻が出来あがってきた感があります。

タイで降った雨が僕の足元を固めてくれた、今はそんな思いです。



そして今週末は地元で一般の大会。

まだまだ道のりは長く険しい。

頑張ります!

一般卓球大会初参加

2015年07月13日 00時14分01秒 | 日記
念願だった一般の卓球大会に初参加してきました。

これには地元卓球連盟の皆さま方をはじめとする様々な方々のご理解とご尽力、ご協力があったからこそです。

この場を借りて御礼申し上げます。



地元の卓球連盟に初めて問い合わせをしたのは今年の初め頃。

それから連盟内でも競技を重ねていただき、まず練習環境づくりにご理解をいただき、さらに実際に車椅子でのプレーヤーが試合に参加するための注意点等も吟味いただいたうえでの今回の参加となりました。

地元の卓球レベルは高いというのは重々承知の上ではありましたが、思っていた以上に高かったので正直引きました(笑)

「僕がこの場にいては申し訳ない」と心から思う瞬間がありました。

卓球関係者なら誰もが知っている超有名人のご家族(インターハイ優勝者?)も参加されていたし、参加されている一般の方々がまぁ見事なプレーをされている。
「学生時代からずっとやってます」的な方々ばかりでそのレベルの高さに圧倒。逆に普段の練習でお会いする「〇年前から始めました」的な方々は誰も参加されていない。その場を目の当たりにしてなるほどそういうことかと理解したのでした。

そんな大会だったからプレー内容も実に濃い。

僕は全5試合をやりました。

なんと1勝4敗。

1勝を上げることが出来たのは実に嬉しかった。

さらには逆転負けを喫するもあと1点で勝つというところまでいった試合もあり、負けてばかりの試合だったけど僕自身はもの凄く気持ちのいい、実に収穫の多い一日となったのでした。

一般卓球のルールと車椅子卓球のルールは1点だけ違いがあります。

それはサーブ。

車椅子選手は座った状態で動きが限られていることもあり、サーブのコースや条件が限定されています。
対して一般の卓球はそういった縛りは全くない。
今回の大会では一般のルールが適用。
それは僕の望んだ形。一般の大会に僕が「出させていただいている」わけだから、それを僕の都合でどうこう言うのは逆にフェアではない、と。持ちえる技術を全部出してもらう、お互いが「楽しく」プレイするためにも縛りを設けるのは良くない。もし手の届かないようなところを狙われるのであればそれはむしろ「そこを狙わないとあいつには勝てない」と思わせたということで、それは僕にとっては嬉しくもあることなのです。

案の定そうしたプレイは多々あったのでこれがまた嬉しかったのでした。

そこをピンポイントに狙えるテクニックを有する選手達の中で自分もプレイさせていただける、これは本当に光栄なことだと思います。

高い技術を持つプレーヤーの中に混ぜていただき、回転量やスピードの強弱も含め様々な球種のボールを前後左右に大きく打ち分けられる、振られるようなゲーム内容はこれまでにないすごく充実したものでした。
だからこそ反省点、課題点などが際立って明確で、またベテランの選手やコーチの方々が僕のプレーを見ていろいろ判断しアドバイスをくださるので今後の練習内容の組み立てなどにもものすごく役立って、まぁこの上なく幸せな時間を過ごせたのでありました。

今回のこの経験を糧として、これからさらなる成長を遂げるためにまた頑張っていきます。

今までよりももっと加速度を上げる自信が持てます。



これまでの車椅子選手として僕はイレギュラーなものだと思います。

でもそこに負い目は全く感じていません。

むしろ自信を持って取り組めています。

「井の中の蛙大海を知らず」という言葉があるけど、車椅子だからと障害者卓球の枠の中だけでおさまっていたのでは本当の「卓球選手」にはなれないのではなかろうかと。
健常者も障害者も関係なく「卓球」選手として同じ舞台に立ち、同じように技術を競い合わなければ「俺らは卓球やってるけどあいつらのはピンポンでしょ」と言われても仕方ない。
僕は一般の方々からも「あいつ上手いじゃん」と言われるプレーヤーになりたい。
そのためには自分の技術向上だけではなく自身のプレーを見てもらう、知ってもらう必要もあるわけで、その上で「あいつ上手いし頑張ってるから応援してやろうか」という話につながっていくんじゃないかなとも思うわけです。

自分がやっていることを理解してほしいのであれば、理解してもらうために自分がどうアクションを起こすかでしょう。

「俺はお前のことをこんなに想っているのにどうして分かってくれないんだ!?」

というのはストーカー行為です。大切なのはコミュニケーション。マスターベーションではありません。


というわけで、また熱く激しく頑張ります。

海外での勝利のために。