車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

関東大会

2016年08月23日 22時06分10秒 | 日記
栃木県は宇都宮で開催された障害者卓球の関東大会へ行ってきました。

各クラス午前中は団体戦、午後は個人戦という内容で、九州や西日本など遠方からの参加者も多数あった大会でした。

そして会場は今月オープンしたばかりというもので、凄く綺麗な会場でもありました。



その内容はと言うと、団体戦は2回戦敗退。

個人戦は1回戦敗退でした。



団体戦はダブルスのみの出場でしたが、自分自身が課題にしていることをまたひとつ忘れていて、だからあんなミスをするんだなとか、そういうプレーになるんだなとたくさんの反省点が見えました。

でもだからこそ「次はこうしよう」「これからはこうしよう」という気づきも得られたのは幸いです。



個人戦は対戦相手が1枚も2枚も上手でした。

僕の悪い癖でひとつに意識を置くとほかのふたつみっつを忘れてしまう。

また、吉田沙保里選手の「勝ちたいという意識そのものが邪念」という名言そのままに、その意識が焦りや力みを生む悪循環に陥ってしまって、結果的に練習してきたこと、練習で気をつけていることがすぽっと抜けてしまっていたような内容なのでした。

試合のたびにいつも思う。

でも毎回同じことを繰り返す。

本当にバカだなと思います。

技術だけを追い求めても卓球というのは対人競技であり自分一人で行うものではないので相手をちゃんと見てそれによってプレーする内容も変化していくのが当然の競技。

それを「俺はこうしてきた!」「俺はこれが出来る!」「俺はこれがやりたいんだ!」と粋がったところで、それが偶然にもかみ合えば良いかもしれないけれどそんなのは稀なもの。
しかも技術レベルが低ければその確率はもっともっと低くなる。

今の僕はまだまだその程度だなと思い知らされました。



でも得られたものもあり技術面だけでなく気づけた自分にもまた多少の成長も実感できたし、また人との出会いも含め実りの多い大会でもあったので、負けたことはすごく悔しいけど、それを糧に頑張っていきます。



これからはしっかりと練習を積んで、自他共に認める成長を成し遂げたいと思います。

トップアスリートもアマチュアも一日24時間は同じ。

違いはその24時間をどう使うかということ。

ベテランに追い付きたいなら、トップ選手に迫りたいなら尚のことさらにその使い方を考えていかねばならないということでしょう。



よし、頑張ろう!

一般の大会 団体戦

2016年08月14日 16時40分53秒 | 日記
地元で年に2回、前期と後期と行われる団体戦に出場してきました。

健常者の一般の大会で車椅子は僕だけ。

もちろん車椅子ルールも一切なし。



僕は去年度から出場させていただいているのでこれが3回目となります。



1部~7部まであり、参加者は1000人をはるかに超える人数で、もうもの凄い人の数です。

1部のチャンピオンチームにはなんとゲスト的な感じでロンドンオリンピック代表の選手も出場されていてびっくり!

もちろん本気のほの字も出さない感じでしょうけど、でも他のチームには実業団の選手もいれば学生リーグチャンピオン校出身の方も多くいたり、元インターハイチャンピオンもいたりとハイレベルなプレーも散見できる大会なのでした。



僕の所属するチームは前回の結果7部から6部に昇格していて、ちょっと今までよりもレベルは上がってるというところでした。

結果的にチームは1勝3敗。

僕個人は2勝1敗。

チーム成績はともかく個人的な結果はまあまあのところでした。

負けた試合はなによりも相手が上手かった。

ダブルスと2本出る相手チームのエースでした。

1セット奪うことは出来たしそれなりにラリーでも競ることは出来ていたと思います。

でも要所要所での配球が絶妙で、ノータッチで抜かれたサーブもいくつもありましたが、それを意識して構えるポジションを変更し、いつもよりも前に構え、レシーブ時にはぐっと前につっこみなんとかボールを返すと、3球目で逆クロスの深いところへボールを送られる。

また僕が相手を左右広角に振り回しても、飛びついて打ってくるフォアハンドが実にパワフルで、それがクロスだったりストレートだったり、またミドルへ打たれたものもありましたが、それを打たれないためにどうするかを必死に考えながらのプレーでした。

「あぁ、卓球やってる!」

まさにそう思える瞬間で、その試合に限らず今回の3試合は今まで以上に相手選手のレベルが上がっていたので緊張感もプレッシャーも、また思考回路もフル活用で、耳から白い煙が出そうな感じなのでした。



ガチでやればそりゃぁ健常者の選手にかないっこありません。

でもやり方を、戦術を工夫すれば先に11点を取ることは可能だと思います。

もちろん相手選手によりますが。

それを考えながらプレーする。

相手を見ながら、自分を確認しながら、方向性を定め、時に軌道修正し、時にピンポイントを狙いつつ、先に11点を奪えるように考えながら身体を動かしていく。

テンポやピッチの速さも車椅子同士でやるのとは全然違ってくるので緊張感というかスリルみたいな感覚そのものが大きくことなります。

それが良いか悪いかの判断は人それぞれでしょうけど、少なくとも僕はそれが楽しいので続けていきたいなと思います。



でも今回は今まで以上に車椅子卓球についての質問を受けました。

ルールについてだったり、プレーのこととか、サーブのこととか、「〇〇さんに勝ったんでしょ?」とか、いろんな方から声をかけていただいて、少しずつ車椅子の僕の存在も浸透しているのかなとも思えました。

でも、輪に加わるためにはプレーを認めてもらう必要があると思います。

健常者の選手に認めてもらえるプレーが出来ないとそれはあくまでも異なる認識でしかないと思うので、同じ土俵に上げていただけるだけのプレーが出来るようにもっともっと頑張らなきゃダメだなと思いました。



さぁこれからはもう車椅子卓球にどっぷりのプランで取り組んでいこうと思います。

次のこの団体戦は年明け。

今回の試合と先日の名古屋で得たものをしっかりと消化吸収し次へつなげていこうと思います。

まずは・・・リオ・オリンピックをテレビの前で応援!ですね(笑)

卓球男女ともにメダル獲得を切に願います!

頑張れニッポン!

愛知ふれあい大会

2016年08月10日 18時12分56秒 | 日記
2日間にわたる楽しい卓球大会でした。

初日が団体戦、翌日が個人戦。



今回団体戦は車椅子の友人と共に知人の紹介で卓球仲間に加えていただいた健常者の方との3人でエントリー。

このチーム編成が表すように団体戦は健常者も障害者も区分も一切関係なく行われます。

個人戦は車椅子などそれぞれのクラスを行ったあとに、オープンクラスというこれまたフル参加のものも開催。

オープンクラスは自己申告で1部と2部に分けられます。

そして団体戦を含め全てが予選落ちの無い形で行われるので2日間でなかりの数の試合が行われます。



今回は素直に「卓球を楽しむ」こと、そして車椅子クラスで技術面など自分自身の確認を行うのを主目的として出場してきました。



楽しむことに関しては思っていた以上に楽しめました。

それは健常者の方と多くの試合を出来たからです。

車椅子同士で行うのとはまた全然違った緊張感があり、その中でプレー出来る喜び?上手く表現できませんが僕の中にはそうした感覚があるので、健常者の方にプレーヤーとして受け止めてもらい互いに全力でやりあう、そうしてもらえるのがまたたまらなく楽しいので、今回は今まで以上に楽しめました。



車椅子クラスでは結果は全然でしたけど、今回もまた良い勉強というか自分自身の確認がしっかり出来たのでこれもまた満足出来ました。

ひとつ覚えるとひとつ忘れる。

これが僕の悪い癖なのですが、今回もまた忘れまくりなのでした。

でも忘れていたことに気づけたから良かった。



そしてこの2日間を充実したものに出来たことはやはり多くの方々との交流でしょう。

関西や中部地方だけでなく東北や九州などからも複数の知人が出場されていて、今どきはSNSなどでいくらでも交流出来ますけど、でもやはり直接顔を合わせてお互いの声と声で、顔を合わせながらそうした方々とコミュニケーションを取れたことが凄く楽しくもありました。

以前一度お会いしただけの方も名前を覚えてくださっていて声をかけてくださったり、愛知在住の知人がわざわざ顔を見に来てくれたり、また同様に久々に会う友人や親族の顔もあり、試合数の多い大会で合間を縫ってバタバタと慌ただしくしながらも実に楽しい2日間を過ごせたのでした。



大切なことはこれを楽しい時間で終わらせないこと。

今回確認したことを忘れずにきちんと自分のものにしなければいけない。

そのために何をするのか、そうしたこともしっかり考えて取り組んでいかないとただの趣味レベルで終わってしまう。

誰よりも自分に優しい僕ですが、もっと厳しくしなきゃいけないなと少し反省。



帰宅すればリオの中継や結果の報道がたくさんされている。

連日日本選手の活躍が華々しい。

卓球もシングルスで男女ベスト4進出という快挙。

感動と興奮とはこのことかと言わんばかり。



そんな中で柔道男子73キロ級金メダルの大野選手には心底感動した。

報道を見ていて度々涙を流した。

「『JUDO』ではなく『柔道』で勝つ」

「柔の道」というけれど、そう言えばその言葉を久々に聞いた気がする。

技やスタイルだけでなく礼節などにおいても彼は「柔道家」を貫き通したし、日本人としてのその看板を背負って、それを守り抜いたのだと思う。

日本人の言う「道」の世界観をしっかりと体現した彼には心底感服した。



「車椅子卓球」ではなく「卓球」をやる。

やはり僕も信念を曲げてはいけない。



そして福原愛選手にも名言が。

「漆塗り」

そうなのだ、繰り返し行うことで厚みを増し美しい光沢と質感が増していくというものなんだ。



己の目標、信念をぶらすことなく、真摯な態度で、これからも恥ずかしくないように積み重ねていこうと思います。



次は一般の大会・団体戦。

今回学んだことを忘れずに、チームに貢献出来るように、少なくとも足を引っ張らないように頑張ります!

「ふれあい大会」に出場。

2016年08月08日 21時35分09秒 | 日記
名古屋で開催された障害者も障害の内容も健常者も全く関係なく同じ土俵でプレー出来るという試合に出場してきました。

今回は今までになく多くを学べたように思えています。

なのでいつも以上に長くなりそうなので数回に分けて書こうと思いますが、最初の今回は自分のことよりもまず大会に参加して時々目の当たりにする疑問に思うことを書かせていただこうかと。



今回の大会は予選落ちをしない形式で、3人で予選リーグを行い1位、2位、3位がそれぞれの決勝トーナメントに勝ちあがるという形式のもの。

その方が同じエントリー料金でより多くの試合が出来るというもので今人気のスタイルのようです。



こうした試合に限ったものではないのですが、以前から度々耳にしていたのが「わざと負けて予選を2位(3位)で上がる」というようなこと。



「2位で上がった方が決勝トーナメントの組み合わせが楽だから」

という理由であえて力を出さずにわざと負けて勝ち上がるということです。

そうして勝った本人も「相手は全然本気でやってなかった」とコメントします。

本気でプレーしていない相手に勝つ。

そこには勝者の喜びは存在しないでしょう。

むしろ屈辱感とか相手に対しての不信感などの方が勝るのではないかと思います。



そもそも選手宣誓で「我々選手一同は スポーツマンシップに則り 正々堂々・・・」と誓いますが、「わざと負ける行為」はそのスポーツマンシップに則ったことになるのかずっと疑問に思っていました。



以前、健常者の全日本選手権ランカーの方にそのことを尋ねたことがあります。

組み合わせを見てそうした「2位上がり」を選択するようなことはトップ選手でもやるのですか?と。

すると即答「ありません」と。

だっていずれはどこかで当たることになるわけだし、みんな頂点を目指してやるわけだからそんなことをしても意味がない、ということでした。

ちなみにその方は個人的に「小さいね(笑)」と笑っていました。



それに、もし自社が契約している選手がそういうことをしていたらスポンサーも企業イメージの悪化になりかねないから契約の見直しを図るだろうし、それは選手の活動に直結するからトップ選手にそういう選択肢は微塵もないでしょう。



一般のレベルであれば「その方が勝てる」「賞品がもらえる」などの個人的な欲望が勝るのも当然理解できます。

でもそれって「マナー」の問題なんじゃないかと思うんですね。

「ルール」は破るとペナルティーが生じる。

でも「マナー」は守らなくてもペナルティーはない。

だから「マナー違反であったとしてもルール違反はしていないから大丈夫でしょう」と言うのと同じだと思います。



それって前都知事の辞任問題と同じじゃないかと(笑)

確かにルール(法律)上の違反ではないかもしれない。

でもそれに民意は敏感に反応し、結局は最も重いペナルティを負う羽目になった。



民間の卓球大会を政治の世界と同様に見るのも変な話だと思いますけど、いずれにせよスポーツの世界と言うのは競技を問わずプレイヤー同士が激闘の末に「互いを称えあう」からこその感動があると思います。

今まさに僕らは画面を通してリオでのそうしたシーンを目の当たりにしていますし、それを模倣することで自分もまた目先の損得とは比べ物にならない大きなものを得られると思うんですけどね。

相手から称えてもらえるような選手とはどういうものなのか?

まぁ十人十色と言いますし人それぞれ見ているものがあるからこそなのでしょうが、でも自分の視界は自分にしか見えない、逆に人から見えるものは自分が何を行ったかといういわば外面だけなので、まずそこで批判をあびることのないように気をつけて、かつその外面がメッキレベルで終わることのないように少なくとも僕自身はしっかり取り組んでいこうと思います。



「車椅子なのにすごいね」と言われるプレー、かつプレーヤーでありたい。

こうした「ふれあい大会」だからこそそう言われる機会も多いのですが、今回共に卓球を学ぶ友人たちをギャラリーを含め僕の周囲の方々は皆声を揃えて「すごいね」と言ってくれていました。

真摯に取り組むからこそ賛美を頂戴出来る。

そういう友人たちに囲まれた僕自身も幸せです。



反省記についてはまた次回。

プロ選手の凄さ

2016年08月03日 01時31分22秒 | 日記
学生時代に部活をやっていたころは競技を問わずスポーツのプロ選手というのはとにかくみんな凄いんだ、次元の違う人たちなんだとただ漠然と「凄い人」とだけ思っていた。

でも大人になって(年齢だけ(笑))、障害の有無を問わずスポーツを初めて、社会人になったからこそあらためてプロ選手の物凄さが理解できるようになったと思う。



プロ=それを生業とするということでしょう。



スポーツを生業とする!?僕からすればとんでもないことだと思います。



スポーツの世界と言うのは結果が全て。

これだけ努力してます、頑張ってます、まじめにやっています、と言ったところで結果を伴わなければ評価はされないわけですから。

一生懸命死に物狂いで頑張ったのに結果が悪かったら次回の契約更新は無し、みたいなことも普通にあり得るわけです。

毎朝早起きして練習には遅刻していません、練習は皆勤です、練習態度はまじめです、でも試合で負けました。

プロであれば無遅刻・皆勤・まじめ、というのは特段評価の対象にはならないと思います。

だから結果が出せなければ契約も無し、となるのはごく普通のことだとも思います。



これが一般のサラリーマンだったらどうでしょう?

無遅刻・皆勤勤め・とてもまじめな従業員、でも営業先でヘマしちゃった、プレゼンで失敗しちゃった、入力ミスしちゃった、メールを誤送信しちゃった・・・としてもすぐに解雇処分にはならないでしょう。

もちろん内容にもよるでしょうが、せいぜい注意程度で、企業へのマイナスを生じさせたとしてもボーナスカットとか数カ月の減俸処分程度で、トップが記者会見で謝罪するような羽目になっても即刻解雇には至らない、左遷されても首はつながる。

懲戒解雇は犯罪を犯した時くらいで、ミスしても結果が出せなくても本人次第で生き残っていけるという場合が多い。



でもプロのスポーツ選手にはそういう感覚は無く、常にがけっぷちで戦っている、そうした危機感を持って毎日を過ごしている、それがまさに「プロ」なんだと思います。



子供のころから頑張って、頑張り続けて、天才と言われ続けてきた選手が学校を卒業してプロになった。

僕らは様々な競技でそうした選手を見ていますが、素人目で見ると「プロになる=ゴール」として見ているのではないかと思います。

でも選手の目線で見れば「プロになる=そこからスタート」ではないかと、今になってようやく気づくことが出来ました。

「プロだからすごい」のではなく「プロとしてやり続けていることがすごい」と同時に「プロとしてやる覚悟がすごい」のであり、だからこそ「プロはすごい」のだと思います。



その覚悟の有無がプロとアマチュアの差であり、アマチュアからすれば「いつも練習できるから強くて当然でしょう」みたいに思うと思いますけど、結果を出すために自分に厳しくやり続けることの大変さ、苦しさ、自分自身への投資が必ず実を結ぶという保証はどこにもないという不安と闘いながら試行錯誤、四苦八苦し続ける忍耐力、常人には到底出来ないことだと思います。

また「僕はこれだけ頑張ってます!」とは自ら口にすることもないのではないかと。

だって頑張るのは当たり前。プロはみんな頑張っているわけで、むしろライバルとの駆け引きもあるだろうから「俺はこれだけ頑張っている!」「俺はこういう努力をしている!」というのは絶対に見せないと思います。

そういうところがプロとアマの違いでしょう。



卓球選手にも多くのプロが存在しますが、そうした凄さをあらためて思うと、もう尊敬せずにはいられない、と言うよりもむしろ崇拝せずにはいられない、そんな気持ちになります。



オリンピック・パラリンピックには多くのプロ選手も出場しますが、彼らの本物のアスリートっぷりをどこかで垣間見ることが出来ればありがたいですね。



まずはオリンピック、日本選手の活躍を大いに期待します!