車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

2022年へ向けて、2021年を振り返る

2021年12月30日 20時32分51秒 | 日記
気が付けばあっという間の1年間だった。

例年と違って今年はコロナ禍に始まりコロナ禍に終わる、一年ずっとコロナ禍で過ごしたから、オリパラが開催され特別感は少なからずあったものの、逆にコロナ自粛によるネガティブな意味での特別感も桁違いに強くあり、自分自身の活動と言えばただ練習に明け暮れるだけで(練習が出来るだけありがたいことなのだけれど)、試合も11月にようやく一つあっただけの本当に地味な一年だった・・・

と言いそうなところが、これまたそうじゃなかったんだなぁ(笑)

いやぁ、いろいろあった一年でした(笑)

それも11月になってから。

まず、その唯一の試合の結果がそうだし、その直後に専門誌「卓球王国」で僕が紹介されるという超奇跡的ハプニングもあれば、魅力的な新しいラケットに出会うとか、イベントでオリンピック金メダリストとご一緒するとか、いろいろありました。

卓球王国のウェブ版の記事もあるのでよかったらぜひ(笑)
「次はパラリンピックで会おう」元級友の一言でアスリートの道へ-渡邊剛

でもやっぱり試合の結果が一番かな。

自分で言うのもなんですが、それは間違いなくこれまでの積み重ねがあったからだと敢えて言い切ります(笑)

目標に向けた僅かな手掛かりを試行錯誤し五里霧中を進むという繰り返しだったのが、ようやく明確な手ごたえを得られた、確信を持てた、そんな実感があります。

でもそれはコーチや練習パートナー、そしてトレーナーの先生方あればこそ。

そこには東京パラリンピックの影響というか恩恵もありましたね。

東京で開催されたからこそ、それをコーチ陣と今まで以上に深く共有出来ましたから。

そうした指導の手ごたえをこの手にハッキリと掴めたのが2021年だったという思いです。

その試合に挑むずっと前から、今までやってきたことを早く試したい!という思いは強くありました。

それは逆にこのコロナ過で普段のトレーニングを含めた活動環境が閉鎖的にならざるを得なかったことのプラスの効果と言えるかもしれません。

いわゆる山籠もり状態。

それがついに解放され野に下った約2年ぶりになる試合、それは大きな緊張を伴いましたが、「自分を試す」という念願が叶ったものでもあり、結果はさておき、既にそれ自体が大きな喜びであったようにも思います。



そしてその試合でそれなりの手ごたえを得たことで、ようやく丘を一つ越えて目の前に新しい景色が広がり始めたと言えるかもしれない。

でもその景色はまだ「広がり始めた」というだけであって、そこにどんな景色が広がるのか明確に見えているわけではなく、いやむしろまだ見えてはいないもので、「あぁこの先に広がるのはまた違った景色なんだろうな」という思いが生じているだけであり、そこは勘違いしないように注意しているつもりです。

その思いが既に勇み足だったり勘違いと呼ばれるものかもしれないけど(笑)

とにかく、練習の手ごたえを得て、雑誌にも掲載され、天狗になっても不思議じゃないことが重なった2021年後半。

でも僕が目指すところはそこじゃない。

僕が受けたい評価はそれじゃない。

だから、見定めた目標から目を逸らさない。ブレない。磨き続ける。

コーチとの年内最後の練習も、自分の中でずっと意識していることを実に的確に指摘してもらい、それは早速年をまたぐ課題となった。

それがまた嬉しい。

次から次へと課題が湧いてくる。

と同時に嬉しい言葉もかけられる。

些細なその一言がものすごく大きな励みになるし、自信につながる。

それが今までの取り組みの評価であり、今後のモチベーションにもなる。

だから頑張っていける。

僕にはそういうサイクルが成立している。

いや、させているんだな、無理やりにでも(笑)

11月の久々の試合は本当に僕に大きな変化をもたらしてくれた。

そこで得た課題が大きな一歩を生んだ。

ずっとずっと僕の中で気にしていたこと、出来なかったこと、でも克服の仕方が分からなかったことが、ついに解決の糸口を掴めたし、そう出来たのはきっと今の自分だからであり、数年前の僕ではそうはいかなかったのかもしれないとも思えて、だから積み重ねてきたものがあればこそだし、頑張れば出来るようになるんだということをこの歳になってあらためて確信できた。

今のその気持ちを、やり方を、克服できたそれを、中学の僕に指導したい(笑)



2022年はもっともっと自分を磨いていく。

具体的にどう磨いていくのか、どこをどのように磨いていくのか、どんな形に磨き上げるべきなのか、それはもうしっかりと認識出来ている。

それを如何に早く、高度に行っていくか、求められるのはその精度。

だから、磨き上げるという行為そのものにより高い精度と効率が求められる。

そう欲深く考えられるのも、コーチやトレーナーと共に歩む良い環境があるからこそで、逆にそうでなければ申し訳が立たない環境に身を置いている訳だから、そうした責任とそれに伴う危機感とも常に背中合わせの状態で進んでいく。これまでと変わらず。

結果は求めたい。

でも力をつけていけば結果は自然と後からついてくる。

これは飲食時代駆け出しのころにオーナーシェフから教わった言葉。

だから、2022年もまず自分磨きをしっかりと行っていき、次から次へと生じる課題を臆することなく正面から挑み克服していこうと思う。

正月はオフとしてゆっくり過ごす予定。

過ごし方は毎年変わらない。

我が家の雑煮を出汁から仕込み、その雑煮と一緒に駅伝などテレビを見ながらのんびりと過ごす。

こののんびり時間があるからこそ、オンの時間を集中して行えると思うし、違う時間であるからこそ、新しい発想も生じるのだと思っている。

さぁ、2022年もしっかり頑張っていこう。

コロナもまだまだ落ち着かないし、世の中どう転ぶのか様々な角度で先行きは不透明。決して楽観視できる状況ではない。

けれど、そんな状況を打破するのもまた人の力だと思っている。

一人一人の小さな力の集合体が、世の中を動かす大きな力になることを僕たちは知っている。

僕のパラ卓球活動というエネルギーもまた、社会を動かす一助になり得るし、それがポジティブなベクトルとなるのか、あるいはその逆に作用するのか、それもまた自分次第だと思うから、社会人として胸を張り、目標に向かってしっかりと前進していこうと思う。

今年一年ありがとうございました。

それでは最後に、みなさんもどうぞよいお年をお迎えください。

憧れの雑誌に掲載される

2021年12月26日 09時45分56秒 | 日記
国内で卓球をする人にとって「卓球王国」という雑誌は比較しようのない特別な存在で、「卓球王国に書いてあったから」「卓球王国の人が言ってたから」と、単にメディアというだけでなくまさに絶対的な存在であり、その時々のトップ選手を「神」だとすれば、卓球王国はその傍らで執事をつかさどり神の声を市民に伝える政務長官のような存在なのだ(これは個人的な意見ですw)。



その卓球王国で僕が紹介された。

紹介していただいたのだ。

これは実に誉れ高いこと。

憧れてはいたけど、まさかそれがこんな形で実現するとは夢にも思っていなかった。

晴天の霹靂とはまさにこのこと。



最初からそういう予定ではなかった。

僕は別件で取材を受けただけだった。

正確に言うと、情報を集めたいから話を聞かせて欲しいという程度の事だった。

短い時間のその取材を受けたところ、僕自身に興味を持ってくれたのか、僕の卓球に関する半生を綴るという今回の話となった。



まぁ確かに、自分で言うのもなんだけど中々レアなドラマだと思っている(笑)

だって、人生半ばでの障害の受傷で、その後の挫折感がピークに達したまさにドンピシャのそのタイミングで中学の同級生(しかも正真正銘のクラスメイト)が同じ車椅子になっていていたことを知り、さらに彼はまさかの世界トップのパラリンピアンで、いてもたってもいられず即再会、その同級生からの誰の胸にも刺さる超カッコいい一言をもらったきっかけでパラ卓球スタートという、他にはないストーリーを現実に持っているのだから、そりゃぁネタにしたくなっても不思議はない(笑)

そもそも、その同級生の彼とも笑って話したのだけれど、同じクラスから事故で(しかも同じバイクの事故で)二人も脊髄損傷のチェアウォーカーが出るなんて、多分世界中で僕たちだけだと思う。

余談ですが、バイクの事故で脊髄損傷というのは死亡事故よりも確率は低そうです。

その二人が共にパラスポーツ活動を行い、世界を舞台に活躍なんていうと、国内だけでなく海外メディアまで食いつくんじゃないかっていうドラマだ(笑)

・・・自分でそこまで言うか?と我に返る(笑)



彼はすでにパラリンピックへは3大会連続で出場しているようなトップアスリートで、日本記録もつい最近までずっと維持していたものすごい選手なのだ。

対して僕はまだまだ道半ば。

彼に追いつくためにはもっともっと頑張っていかなきゃならない。

世間からすれば、その年齢で大丈夫なの?と思われるのが当然な世代だけど、僕自身はそんなこと全く気にしていない。

それはきっと同級生の彼も同じ。

だって全ては自分次第だと思っているから。

骨格は変えられない。

けれど、筋肉は増やせる。

ケアはより必要。それは自分自身をより深く理解することでレベルを高め効率良くしていける。

だから、身体は年齢に関係なく作っていける。

それに、パラ競技はもちろん種目にもよるけど、選手生命が一般の競技に比べて長い場合も少なくはない。

それは競技の特性によるところもあれば、正直、パラであるが故に選手層の少なさもあると思う。

だからそれは裏返せばそれだけチャンスがあるということ。

競技人口が少なければ山はそれだけ低いのだから、頂上へは登りやすくなる。

それに甘えるかどうかはまた別の話になるけど、とりあえず上まで登ることはその程度の話ってことになる。

問題はその先。

どこを見据えているか、それが本当の意味での「パラアスリート」なのかそうでないのかを分けるポイントだと思っている。

例えるなら、障害者スポーツを「障害者のスポーツ」と捉えるのか、あるいは純粋に「スポーツ」と捉えるのか、その違いだと思う(僕はそれを「厚労省的」「文科省(スポーツ庁)的」とも表現する)。

僕が最初にそうした考えを得たのは、同級生に再会したまさにその時。

僕の活動の最初の時点でそれはあった。

だから、その線で僕は進んでいく考えだったし、むしろそれが「普通」だと思っていたから、障害者スポーツの山が小さいという認識も全く持っていなかった。

だから「パラリンピックを目指すなんてそんな簡単なことじゃない!」と思ったけれど、それでもやってみようと思えたのは、僕にはその明確なお手本がすぐ目の前にあったから。

まさに、彼のようになりたいと強く思ったからなのだ。

簡単に登れそうな低い山の頂点に立って満足するのではなく、「スポーツ」をする人間として真っ当な評価を得たい、そう思ったからであり、それは今も変わらない。

飲食時代で例えるなら、狭い範囲の地元のコミュニティでそれなりの立ち位置を得て満足するのではなく、どこに出ても恥ずかしくないだけの技術や知識、経験を持って胸を張っていたいと思ったし、だから上京して勉強しいずれはフランスへもと考えていたわけで、そういう思いを持てたのは両親や祖父母の背中から学んだところもあれば、最初に僕を指導してくださった大分のシェフのお陰でもあると思う。

そうした思いが実を結び、今もずっとお世話になっているコーチ達に出会い、指導いただき、それが更に輪をかけて広がっていき、シスコに出会い、トレーナーの先生方にも出会い、僕を成長させてくれている。



結局のところ、僕は本当に人に恵まれているし、そうした方々に育ててもらっているだけなのだ。

自分一人だとこんな風には全く成長できていない。



実にありがたいことだけど、人に恵まれている自分であるのはまず両親や祖父母あればこそ。

だから、今回の卓球王国も真っ先に実家へ送る手配をした(笑)



これを僕自身のきっかけの一つとして、さらに成長していきたい。

年が明ければ試合の予定も複数ある。

もう既にそこへ向けたレースは始まっているし、その先のまだ明確には見えていない目標へ向けても走り続けていなきゃならない。

同級生の彼に追いつきたいし、少しでもその差を縮められるよう頑張っていく。

そして、苦楽を共にした飲食時代の仲間たちにも認めてもらえるよう頑張っていく。



最近は卓球熱がさらに上がったように思う。

でも、熱は上がってもそれを技術や身体の動きで表現出来なければ意味がない。

何が足りていなくて何が必要なのか、どこをどう磨いていくべきなのか、それを考えることそのものが楽しい反面、それを行動に移せない時間がストレスに思える。

「練習をしたい」という気持ちが、以前とは異なるものになっている。

つくづく、若いと思う(笑)

言っちゃった(笑)

バイク乗りであれば分かる「十代のキラメキ」ってやつを未だ失ってはいないのだろうな。

それは言い換えれば「バカに付ける薬はない」ということかもしれない(笑)

反省はするけど後悔はしない。

過去の自分を肯定して、それを財産として、これからも前進していく。

絶望から絶望へ、私の名は希望、希望という名の車椅子乗り(大好きな漫画のセリフのパクリw)。



ちなみに、今回の号には先月の大阪での試合結果も掲載されています。

そして掲載されている僕の記事のフルバージョンが近々ウェブでアップされるそうです。

そちらもお見逃しなく(笑)

継続は力なり

2021年12月20日 23時18分14秒 | 日記
PDCAサイクルって考え方があったけど(最近ではもう既に前世代の理論になりつつあるらしい)、その「サイクル」という考え方に僕は強く共感する。

繰り返しの作業が他にはない大きな価値、財産を生み出すことは例え無意識でも誰もが認識していることだと思うし、それは歴史からも確認できることだと言えるから。

反復。

子供の頃に九九を覚えるのはみんなそうしたはず。

文字の練習だってそう。

暗記はみんな書いたり読んだりを繰り返すことでクリアしてきたと思う。

繰り返し繰り返し行うから身につく。

日常生活の中でそれを行えるのであれば自然と体が覚えるのだろうけど、生活習慣以外の行為や知識であれば反復活動、その為のいわば「学習の時間」を設けないと身につかない。

となると、その時間を設けるマネージメントが必要になるし、その時間を効率的かつ有意義に過ごすための集中力や持久力も欠かせない。

そもそもになるけど、その差が成長の差になるように思う。

それが「努力」なのだと思う。

その時にどれだけ集中して行っているか、意識して行っているか、どれだけ意識高い系でいるかどうかで、同じことをしても得られるものには差が生じるのだと思う。

それが「質」の違い。

それに気づかないままでいるとただ「何時間頑張ってる」という時間の長さだけで評価してしまって、さらにそのままでい続けると、そうでない人との差はどんどん開いてしまい、気が付いたときにはもうどうしようもないことになっているだろうし、そこに残るのは後悔だけ、なんてことにもなりかねない。



なんて偉そうに(笑)



質は高いに越したことは無いけど、まずはきちんと繰り返し行うこと、それが大切なんだとあらためて思う。

継続は力なりって言葉があれば、石の上にも三年って言葉もある。

ある意味効率よりもあえて直向きに継続することに美意識を持つのが日本人のアイデンティティなのかもしれないし、それこそが日本的「道」の精神の根幹にあるのかもしれない。

まずは続ける。

そうすることで、質を高めていけるはず。

すると質をより高めていくことの必要性に気づけるし、自分で改善点を見いだせるようになる。

「慣れ」は成長の証だと僕は考える。

だからこそ、慣れた時点でさらにアップデートをしていくのだな。

そうやってさらに成長していくものだと思っている。



逆に良くないと思うのは、ころころと取り換えること。いろいろ変えてしまうこと。

実は卓球あるあるなのだけれど、使う用具をあれこれと取り換えることが実に多い。

「とっかえひっかえ」は個人的にどうかと思うし、「目移り」という言葉が良い意味で使われることは無い。

隣の芝生がより美しく見えるその気持ちは実によく分るけど、その感情に流されるのはまた別の話だと思うし、個人的に合う合わないは別として、一つの用具を腹落ちするまでずっと使い続けることに僕はすごく大きな意味があると思っている。

それが「継続は力なり」とか「石の上にも三年」ということになるのだと思う。

継続するからこそ積み重なっていくものがあるわけで、ベースとなる自分のスタイルが確立できてもいないうちからあれこれと目移りしてちゃいかんと思うな。



なぜこんな話をしたかというと、1年前にラケットを変更して、今また新しいラケットを試しちゃってる自分への戒め(笑)

だって、六角形ラケットがあまりに魅力的だったから(笑)

これを持っているだけで話題になるので、これはきっと友達を増やせるラケットだと思う(笑)

トレーナーって、神(笑)

2021年12月09日 22時17分01秒 | 日記
「餅は餅屋」という言葉が好きだ。

何事に関してもうんちくを語れる人は世の中少なくはないと思うし、僕もそう思われているところは多々あると思う。

でも、僕を含めその辺の人が語るうんちくと、その道の専門家の言葉では、その重みがもう桁違いの更に規格違いなほどに異なってくる。

中途半端な話に乗ってから、いややっぱりと途中で鞍替えするよりも、僕は多少困難であったとしても最初から真っ当な、王道を進みたいと考えるたちだ。

だから、「餅は餅屋」という言葉が好き。

専門家に勝る知識や情報、理論はないと思うから。

料理の世界もそう。

「シェフ」と言えば料理のプロと誰もが思う。

もちろんそれは間違っていない。

でも、専門的な見方をすれば(そういうレベルで見れば)、同じ「シェフ」でも「肉料理が上手い」「魚料理が上手い」「野菜の扱いが」「スパイスの扱いが」「キノコのスペシャリスト」「火入れが絶妙」「ソースがすごい」「調理よりも盛り付けのセンスが」などなど、得手不得手を含む専門性が、それぞれに様々な「腕」が存在する。

シェフという存在にもそれぞれ専門性や得意分野があるのだ。

もっと範囲を広げてレストランという舞台で考えれば、料理だけでなくサービスや空間のプロデュース、マネージメントもとても重要なので、だから、エスコフィエとリッツといった関係性が今も語られるのだ。

それと同じく卓球関係者だったら何でも知っているかというとそうではなく、スポーツの世界においてもレベルが高くなればなるほどその専門性(または得意分野?)は分岐していくので卓球関係者は技術部門のトレーナーとなり、だからそれ以外は競技を超えてフィジカルトレーナーやメンタルトレーナー、栄養士やフードアドバイザー、用具に関する専門家もそうだし、更には睡眠トレーナーなどなど、様々な専門家が存在し、またそれらの専門家にもこの競技だったら・・・といった得手不得手があっても不思議ではない(不得手ではなくノーマルとハイレベルの違いといった感じか)。

とにかく、レベルを上げていけば自ずと「餅は餅屋」という発想になっていくと思う。



で、今回僕が「やっぱりトレーナーの先生は凄い!」

と思った、いや、思わされたことがあった。あらためて。

ホント、餅は餅屋だと痛感。

練習をしていて、ちょっとモヤモヤが発生し、自分なりに考えるけどどうも腑に落ちず、トレーナーの先生に聞いてみると、ほぼ即答で明確な答えが返ってくる。

それは考えれば自分でも簡単に理解できること。

でも今回自分ではその発想に微塵も至らなかった。

「ストン」と腹落ちした音が聞こえたと言いたいところだけど、今回は全くそんな感じじゃない。

「スコーン!」と心にあったモヤモヤがあっちの方角はるか彼方へ飛ばされた、そんな印象だった。



専門家の凄さというのはそうした知識や情報量の多さだけではないと思う。

その答えを速やかに提示し、さらにそれを明確に言語化出来る能力に真髄があると思う。

言語化することに不得手な専門家は、例えればデータはたくさん持っているけど重たいPCで開くのに時間がかかる、みないな感じだと思う。

そのデータを活かすためには言語化が不可欠であり、それを具えているのが優れた専門家だと思うのだ。



優れた選手が優れた指導者になれるわけではない、というのはよく聞く話。

その違いはどこにあるのか?

それこそまさに言語化の能力、アウトプットの伝える能力の差だと思う。

競技において、技術的なことは大半が努力を積み重ねて感覚で身につけるものが多い。

文字を読んで、あるいは人から聞いて、というだけすぐに上手く出来るようであれば、誰も苦労しない。

自分で頑張ってきたからこそ獲得できた「感覚」があるわけで、それは選手にとって大いなる財産になる。

けれどその「感覚」を言語化することは意外と難しい。

「スパっと」「ブワっと」「すっと」「ふわっと」「キュって感じで」などなど、一見すると分かりやすい表現にも見えるけど、そもそもその感覚は人それぞれだから、それらの表現はまさに感覚であり、人によってその捉え方は違う。

例えるなら、時速80キロでの走行を速いと感じるかどうかは人によって異なるのと同じ。

僕の経験では、ワインの味わいや香りの表現がまさにそれだった。

数人でテイスティングしていて、誰かが「フランボワーズの香り」と言えば「あぁこれはフランボワーズなんだ」と覚えられるけど、自分の感覚ではフランボワーズと一致しない印象だったりすることもしばしある。



とにかく、自分の感覚を他者に理解してもらえるように話すことが言語化。

自分が言いたい事を言うだけなのとは全然違う。

ここにはまず明確なデータが必要。それは細かければより細かいに越したことは無い。科学的根拠、エビデンスが明確であれば説得力は格段に増す。

でもそれを延々と羅列しただけでは聞き手が納得出来ないかもしれないし理解出来ないかもしれない。だから、そこには聞き手の理解力に合わせた情報の発信力、即ち表現力が不可欠なので、その為にはまず自分自身がそのことをしっかり理解していないとダメで(受け売りとの違い)、さらには表現するための多様なボキャブラリーも必要であり、相手の理解力を瞬時に察して言葉や表現を判断する必要があるから、洞察力とでもいうのかな?そうした能力も必要になる。



知識だけでなくそうしたスキルも学術的レベルで有していて、アウトプットに長けている、いわゆるコミュ力のあるのが僕の思う理想の専門家なのだけれど、同じ言葉(アドバイス)でもそういう方からのものだと説得力が格段に増してくる。知識に裏打ちされたコミュ力だから。

そして、その言葉そのものが活力を生む。より深く心に刺さるから。

そういう言葉を発信出来る専門家はまさに「神」だと思う(笑)

そうした専門家の方々からの指導・協力を得て、僕はこうして活動出来ている。

コーチ達との練習は楽しいばかりじゃない。

ハードなものもあれば、地味なものもある。

でもそれは専門的な目で見ているからこそ、今の僕に必要なものを提供してくれている訳であり、トレーナーの先生方も同様、僕を成長させたいからこそ率直なアドバイスをしてくれるのだな。

自分が「楽しい」ことを追い求めるのは、それはただ単に「楽」な道を進もうとしているだけかもしれない。

的確なルートには険しく困難な箇所もあれば、時には小川のせせらぎと共に陽光を浴びながら歩く道もあるかもしれない。

今僕に何が必要か、どの道を進むべきか、その選択に主観はもちろん大切だけど、忖度の無い客観的意見もまた必要不可欠。

それを与えてくれるのがその道の専門家。

そういうコミュニティを築けると、人生はより豊かになるし、より大きく育って行ける。

それを受容できるかどうかは自分次第だろうから、真摯に、直向きに、謙虚に、前を見て、竈門炭治郎のように頑張っていかなければならない。

いや、これは真面目に言っている(笑)

まだまだコロナ禍は継続中で、この先どう変化していくか予断を許さない状況は続いているけれど、幸い試合の予定も明確になってきていて、自身のスイッチは久しぶりに切り替わった実感を得ている。

すると、時間の流れ方が一変する。

地球の自転の速度が増したんじゃないかと思うほど(笑)

焦りも芽生える。

そんな自分に安心する面もある。

スイッチを入れられたから。

忘れていなかったから。

でも、前の自分とはまた違う。

この先ももっともっと日々成長していきたい。

竈門炭治郎のように。

いや、真面目に言っている(笑)

でも僕は嘴平伊之助が好きだ(笑)