車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

歩行者の当たり屋に遭遇!

2023年05月09日 23時18分15秒 | 日記
それは練習の帰り道だった。

いつもの帰り道。

幹線道路ではない細い裏道をいつも利用している。

細いけど、交通量の少なくはない道。

対向車線はあるけど歩道はなく路側帯のみがある道。

その路側帯にはところどころ電柱が立っているので「車椅子でこの道は通れないな」といつも思う道。

大きな道路からその道へ入った直後の事だった。

左前方に携帯を手に持ち通話しながら路側帯を歩く男性を確認。

対向車は無いけれど、一応中央線を越えないギリギリの車線を走行。

例え路側帯寄りを走ってもドアミラーが車線ギリギリにある電信柱に当たることもないので、それで十分だと思っていた。

がしかし、その歩行者を追い抜きざまに左側のドアミラーから「ドン!」と何かにぶつかった音がした。

「え!?」と思って停車。

するとその男性が窓から覗き込んでくる。

窓を開けると「ドアミラーが当たりましたよ」と言われた。

そんなはずはないと思ったけれど、でも何かに当たったのは事実。

「警察を呼びましょう」

と僕が言うと、「じゃぁそこ左に止めてください」と言われたので指示に従う。

すると「そこの路地を左に入って止めてください」と言われる。

その通りにすると、その男性は運転席側へ来て右手が当たったと話す。

「けがは大丈夫ですか?」

と聞くと、ほんの少しだけ手の甲を見せたうえで、手は大丈夫と答えた。

確かに傷も無ければ赤くもなってはいなかった。

がしかし、手に持っていたスマホを衝撃で落としたのだという。

で、そのスマホが車の左後方のタイヤに踏まれて壊れたという。

手に持つ携帯を見ると、確かに右上の方にタイヤに踏まれたような跡があった。

電源も入らなくて困っているという。

「とにかく警察へ連絡しましょう」というと、これから東京駅へ行かなきゃいけないからそんな時間はないのだという。

って言われても・・・と考えていると、彼は手は大丈夫だけどスマホはないと困るのだと強調。

スマホは弁償してほしいという。

そして、このスマホは今中古で5万円くらいで買えるから、今5万円ください、と言ってきた。

僕は意外な展開にちょっと驚いたけど、「今僕が現金をお渡しすることは出来ないので、保険屋さんに対応してもらうためにもここはまず警察を」と主張すると、時間がないの一点張り。

でもそういう訳にはと僕も主張を繰り返す。

「ドアミラーも曲がってしまっていて、その修理もあるので」と僕は保険屋さんでの対応を主張。

するとその男性が、ミラーは戻りますよ、と言ってくれた(笑)

操作すると動くけれど、でも曲がっているのに変わりはない。

「動きも通常とは違っているので修理が必要ですし、保険で対応するようにしましょう」

と再度提案。

すると彼は突然、分かりました、携帯は保険でなんとかするので、じゃぁ2万円だけください、と言ってきた(笑)

「いや、だから、この場で僕が現金をお渡しすることは出来ません、それは保険屋さんで対応してもらうことにしましょう」

と主張を曲げなかったら、彼は、じゃぁいいです、と言う。

え?どういうこと?と思った次の瞬間、彼は「気をつけて運転してくださいよ」と捨て台詞を吐くようにして、振り返り歩いて行った。

「はい、気をつけます」

と、どことなく小さく丸まった彼の背中に声をかけ、恐る恐る帰路についた。



良い経験をした(笑)

ある意味レアな体験だったと思う。

当たったと言われた瞬間、いや、それはあなたの不注意でしょう!とも思ったけれど、当たった以上、自動車側の過失を問われることに違いはない。

ドアミラーの位置では当たった瞬間をドライブレコーダーで捉えるのは難しい。

それが出来るのは一部の機種だけじゃないかと思う。

僕の車には前後のカメラをつけているけど、それではサイドミラーは写せてはいない。

ただ、自分が車線のどの位置を走行していたのは、速度も含め確認できるし、その男性の歩行の様子も記録されている。

後方の映像から衝突後の彼の行動の事実確認も出来る。

そもそも、スマホを踏んだとしたら、経験からタイヤのその感覚を僕は感じることが出来ると思う。

もしかしたら、その衝撃で敏感なレコーダーは作動していたかもしれない。

でもその違和感は無かった。

スマホを調べれば、その瞬間の通話記録も出せるはずだから、そこで事実確認を行うことも出来る。

なんてことは思っても口にはしない。

少なくともそのタイミングでは。

そして交渉を進めた結果、このような結論となった。



ちなみに、帰宅後はその現場のを管轄する警察署へ連絡し、そうした案件があったことを報告。

恐らくは常習性のある人だと思うので、その注意喚起を願ったうえで。

そもそも、名前も連絡先も求められていない。

その時点で不自然だし。

そして、その服装はおそらくこのためを装ったものだと思った。

だって、そのスーツ姿はビジネスマンとしては違和感のあるコーディネート。

ただそこにあったスーツにシャツとタイを合わせただけといった感じ。

僕の勝手な想像だけど、そこから様々な背景を考えたりもする。

更に、金銭を目的とするのであれば保険金を狙う方が確実だと思う。

けどそれをせずに直接現金を求めるのには訳があるはず。

そう、それが出来ないからそうするしかないとも考えられる。

何故それが出来ない?

面が割れているからじゃないのか?

と考えた。

だとすると、僕の「修理が必要だから」という一言が結果的に彼へのプレッシャーになったのかな?とも思った。

警察や保険会社からは「またお前か」とリストアップされている人物なのかもしれないから。

もし仮にそうだとしたら、場所を変えて同じような手口でやってくるだろうし、被害にあう人が出てくるとも思える。

ので警察に連絡。



当たりましたよと言われた瞬間、僕は「人身事故かよ」と残念に思う自己中な考えが頭をよぎったけれど、たまたま免許証の点数も満点だったし、営業ドライバーでもないので直ぐに「警察に連絡」という判断が出来た。

もしこれがそうではない状況・立場だったら、事を荒立てない為にお金を手渡して済ませようという考えが生じることはむしろ自然なことと言えると思う。

そこにつけ入るのがそもそもの狙いであり、だからおそらくはターゲットを絞って(車種やドライバーの印象)狙いを定めていたのではないかとも思う。



いずれにしても、被害に遭わずに済んでよかった。

ドアミラーも帰宅後確認すると、言われた通り元に戻った(笑)

このことを人に話せば、「社会情勢の現れ」という人も少なくない。

確かにそうかもしれない。

国内でも今までになかったような犯罪が多発しているし。

いずれにしても、気をつける、気を引き締めておく必要があることに間違いはない。

今回被害に遭わずに済んだのはコンディショニングの点においても実によかったと思う。

メンタルが揺れてただろうから(笑)

みなさんもどうぞお気をつけください。

さぁ、トレーニングに励もう!

明日の自分の為に!

久々に更新

2023年05月01日 21時31分29秒 | 日記
しばらく書いていなかったブログを久々に更新する。

久々となった理由の前に、まず一言断っておきたいことがある。

それは、この文章の執筆に当たり、ChatGPTなどの生成系AIは一切使用していない、ということ(笑)

僕はまさに、つれづれなるままに、日暮らし、PCに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、を主旨として書いているから。

兼好法師のごとく、鴨長明の如く、現代で言えば高田純次氏の如く?(笑)、その時々の心に映ることを、心のありようを文字に変換し表すのがこのブログであり、少なくとも現時点でそれを表現するにあたり僕は生成系AIの助けを必要とはしていないし、そういった完成度を求めようとも考えてはいないので。

ですので、逆に誤字脱字についてはどうぞご容赦ください。

でも、それ自体には高い関心を持ってはいます。

TPO(?)を含めどう使いこなしていくか?は人それぞれではありますし、その使い方も多岐にわたるもので可能性が大きいからこそまだまだ未知数であるが故に賛否両論が飛び交ってはいますが、いずれにせよ生成系AIの活用等についての関心も大きく持ってはいます。

ということをまずはお断りしておきます。

一応時事ネタですので(笑)

まぁ生成系AIに関しては今まさに様々報道されていて、それについては僕も個人的意見は有していますが、それはまた別の話、ということで。



で、久々となった理由。

まぁいろいろありました。

心も体も慌ただしく動いていましたし、ちょっと疲れも出てたようです。

心身ともに、まさにザワついていました。

2月のはじめにあった試合以降、試合やイベント大会と予定が続き、3月にはイタリア大会、神戸での試合、更にその後も地元で試合と地味にハードなスケジュールでした。

その間に卓球関係でもそれ以外でも周囲がザワザワしていて、ちょっと足が地についていないような忙しない期間を過ごしていました。

ピークはイタリア帰国後です。

その時は月曜日の夜に帰国し、翌日は休日を取り、水曜日から活動再開。その週末には神戸での試合を控えていました。

木曜日は午前中に練習をしそのまま関西へ向けて移動、翌日は現地での練習を予定していたのですが、移動時に体調の変化を感じ検温すると今までにない高温。

もうその温度を見た瞬間に「アウト」だと思い、神戸での試合は棄権する旨を関係者に連絡。

嘘をついて出場することも出来るかもしれない。でも、そうすることで失うものの大きさを考えると、それはダメだと判断。

このタイミングでの自己中な判断はまだ思考に余裕があると肯定的に捉えたのでした(笑)

結局、熱とのどの痛みと戦う数日を過ごし、練習は控えて他に出来ることをやるという1週間の療養機関を過ごしたのでした。

その1週間が物理的にも心理的にもこれまでとは異なる時間となったので、自身が生死を彷徨ったなんてことではないのですが、自分を含め人の生や死を考える時間になったのも事実で、であればこれから先の人生をどう過ごしていく?なんてことをこれまでとは異なる視点で考えられた時間になったこともあり、思考の部分においてそれが結果的に自分自身をステップアップさせる、飛躍させる、或いは脱却させる過程となったようにも思えたのでした。

スポーツ選手のセカンドキャリア、或いはデュアルキャリアが話題に上げられる最近だけど、じゃぁ自分自身はどうなの?それを考えながら活動すべきなのか?でもそれはプレーに集中できてないんじゃないか?だけど人生をマクロで捉えるとそれは必要不可欠なことだから、その考えをそっちのけは良くない・・・だけど・・・と、堂々巡りな思考となり、簡単に答えを見いだせない、結論に至らないループに陥る。けれどそれは苦ではなく、「あぁ、自分は今まさに考えている!」という充実感を得て、「我思う、故に我あり」という言葉が頭をよぎり、そのことからちょっと哲学をググってみて、イギリス経験論や大陸合理主義というものをほんのちょっとだけ学ぶ、そんな時間ともなったのでした。

考えるということは実に素晴らしいこと。

それこそがまさに人間のアイデンティティでしょう。

考える能力があるからこそ、まだ起こっていない未来を予測することが出来る。

過去を引きずることも出来る。

未来に絶対はない。

だからこそ、1+1=3にもなりえるし、水素原子2つと酸素原子1つが合わさって炎になりことだってあるかもしれない。

多くの時間を費やして考えた、たどり着いた答えが必ずしも正解となるわけではないし、むしろ違っている確率の方が圧倒的に高いかもしれない。

人生というのは数学や化学とは違って1つの明確な答えがあるわけではなく、またその答えは見る角度によって形を変えるものなので、「これ」というものはあるようでないのが現実。

そんな中で未だ起こってもいない未来を考えてみても答えなんて見つけられようがない。

じゃぁ、考えるだけ無駄なのか?

いや、そんなことは無い。

答えが正解だったから考えた甲斐があったとか、間違っていたから考えたことが無駄になったとか、そんなことは無いと思う。

例え結論がどうあったとしても、考えたことはその人にとって間違いなく経験となった訳だし、それこそが努力という財産になっていると思う。

それを結果でどう捉えるかは評価が異なるだけで、物理的にそれは間違いなく存在しているものなのだ。

トレーニングもまさに同じことが言えると思う。

結果がどうであれ、積み重ねているものはそこに存在している。

求められるものは結果なので、それが出せなければ意味がないし、自己満足で済ませて良い世界ではないのが現実ではあるけれど(笑)

とにかく、無駄に終わったと思えたものであっても、手元足元には経験という宝物が残っていて、それだけでなく何かしらの光り輝くものが残っている、転がっていると思う。

それは「モノ」ではなく「希望」や「可能性」という形の無いものかもしれない。

「考える」からこそそういうものに気づける。

考えなければ、目に見えるものにしか気づけない。

考えないから、目先のものだけで判断してしまう。

考えても考えても正しい答えにはたどり着けないかもしれない。

けれど、考えるからこそ得られるものがあり、たどり着ける場所がある。

考え、トライし、例えそれがエラーであったとしても、また考え、行動していく。

歩幅も速度も人それぞれだから、到達するまでの時間もまた人それぞれ。

大切なことはまず考えること、そして、前進をやめないこと。

あらためて、そう思えたし、そういった考えを巡らせることが出来た時間だった。

ありがとう、体調不良(笑)

そういう観点から今までの振るわない試合の結果、練習の成果を発揮できない自分、思うように出来ない自分の「なぜ?」を振り返ると、微笑みながら、いや、あざ笑うかの如く、「坊やだからさ」と自分にツッコミを入れるのでした(笑)

そう、試合の結果は良くありませんでした。

代表選考会では負けて3位。2つのイベント大会はどちらも決勝で負けて準優勝。イタリアではシングルスは予選敗退、ダブルスは各上に勝って予選を上がるも1回戦敗退。体調不良明けの江戸川区春季卓球大会パラクラスは少ない参加者の中で1位でした。

良い部分もあります。手ごたえを得られた点も多々あります。今までとは違う結果を出せたところもあります。

でも、目標とするところには至りませんでした。

出来ること、出来るようになったことがある。

でも、出来ることなのに出来なかったこともあれば、出来なくて悔しい思いをすることもある。

課題山積。

だからこそ、「なぜ?」を考える。

明確な答えが出る訳ではないし、誰かにそれを求めても想定外の答えに戸惑ったりギャップを感じたりして腑に落ちないことだって多々ある訳です。

だからまずは自分で考える。

活動を制限することでそうした時間が得られる。

そんな時間を過ごしたことで、自分磨きの方向性、それはまさに可能性だと思うのだけれど、その視野が広がり、新しいことにチャレンジしたいという意欲も芽生えてきました。



ちなみに自宅でぐったりしていた時、一応体を起こして、でも動くのはちょっとしんどいなと思うような状態の時、思考もアクティブになれず活字を読むことはもちろん、テレビや動画の耳からの情報すらも頭に入ってこない時、そんな時にまるで心に染み渡るように渇きをいやしてくれたのが録画していた「ポツンと一軒家」だったのでした(笑)

そんな時間を過ごし、結果的に有意義なものとすることが出来たので、思考は晴れ渡りフィジカルも申し分なく動いてくれる・・・つもりが、トレーナーに確認してもらうと、意外とそうでもなく、少なからずのダメージというか悪影響はあったようだ。

それでも、思考が他に向くことで視野は広がる。

すると、思考の範囲、世界も広がる。

それがモチベーションとなり、原動力となる。

そして、動く時にフィジカルが動く状態にしておくこと、その維持管理とアップデートの徹底、そしてそのエネルギーもしっかり管理する。

その繰り返しは決して楽なことではないけれど、まずはそれを頑張っていこうというモチベーションが重要であり、それがあるから努力を繰り返せるわけで、それがまたモチベーションを生むという連鎖になるのだと思う。

自分自身も、環境面も、アップデートを重ねていかなければならない。

その次の「攻め」を見据えずに現状維持という守りに入るのは、ある意味「逃げ」に値する行為だと思うけど、そういう選択はしたくないので、これからも自分磨きをきちんと行っていきたい。

自分磨きのその中には、生成系AIについて学ぶとか、新しい資格やスキルを身につけるとか、そういうことも含まれてくる。

人は見ている方向へ進んでいくことを、バイク乗り走っている。

というのは僕の座右の銘の一つ(笑)

さぁ、頑張っていこう。