車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

七転び八起

2022年02月13日 21時24分10秒 | 日記
何事もなかなか上手くいかないものだ。

出来るようになった!もう大丈夫!よし!いける!

と思っても、そうはいかずにまた振出しに戻るような挫折感を味わうことを繰り返す。

二度あることは三度あるっていうし、七度あることは八度あるということだ。

僕は見事にそれを繰り返している。

転んで転んでまた転ぶ。

七回転んでまた起き上がる。

でも逆の見方をすれば、起き上がってもまた転んでしまうということか。

じゃぁもう頑張って起き上がらなくてもいいじゃないか・・・と弱気になっちゃうこともあるかもしれないし、あっても不思議なことじゃない。

でもそこでマインドBが耳元で囁くのだ。

「え?もうきらめちゃうの?かっこ悪くない?」

と(笑)

だからまた起き上がる。

なんだかんだと理由をこじつけて、でもそれは決して言い訳ではなく、反省点と言う建設的な材料を獲得した上で、上を向いて起き上がる。

そしてまた転ぶ(笑)

それを繰り返すのだ。

「よっしゃ!もう大丈夫!」

と思っても、残念ながら絶対は無い。

自分で言うのもなんだけど、成長は出来ていると思う。

そういう評価もいただいている。

けど、試合で勝たなきゃ意味がないのだ。

最近あらためて思った。

卓球とは、11点を先に取ったほうが勝つ競技なのだ、と。

どれだけ技術があったって、上手くたって、11点を先に取らなければ勝てない。

上手いとか下手ではなく、良い体つきをしているとかファットな体系とかでもなく、スポーツマンシップにあふれているとかアスリートマインド云々とかでもない、ただ先に11点取ったほうが勝ち、なのだ。

それをしっかり認識していなければ、ここぞという時に判断を誤りかねない。

その判断を誤った結果・・・転ぶ。

あぁ、考えただけで恐ろしい。

そうしない為には、自分でどうにかするしかない。

卓球と言う競技はシングルスだと基本一人で判断し、行動しなければならない。

タイムアウトという他者に相談できる時間は1試合のうち1度の1分間のみ。

もぐもぐタイムなども無いのだ。

全ては自分次第。

その為に、常日頃から自分を磨く。

でも、磨くところ、磨き方は様々あって、どれが最も効果的で近道なのか、それも後になってみなければ分からない。

で、トライして、その選択を頑張って、そして・・・転ぶ(笑)

それが人生だ。

セ・ラ・ヴィ



なんて悲しみに明け暮れているわけではない(笑)

七転び八起。

同じことに躓くのではなく、新しい一歩を踏み出したからこそ、新しい何かに躓くのだ。

そしてそれを超えて、また新しい何かに躓く。

それを繰り返す。

繰り返していく。

そうやって前進していく。

躓いて転ぶことを繰り返しても、そうしながら確実に前に進んでいるのだ。

それはきっと上り坂なんだと思う。

険しい山道で、ところどころリスクの高い箇所もあるのかもしれない。

それでも、懸命に歯を食いしばりながら前に進み続ける。

何度も何度も躓きながら。

でもきっと、ふと気づいたときに、そこから見える景色はものすごく美しいものだったりするのだと思う。

そこまで進んできたからこそ、登ってきたからこそ、見える景色があるのだと思う。

まぁ最初からそれをあてにするのもなんだか違った気がするけれど。

良い景色なんてのは結果的なものであり、本来目指すものはそれじゃぁないのだから。

いずれにせよ、転んでも転んでも起き上がり、前に進む。

それに尽きる。



そしてその起き上がる力、それは自分の力なのか、他の誰かの力なのか?

案外そこが大切な気がする。

起き上がるのか、起き上げてもらうのか。

そもそも、前進しようとする力・エネルギーは自分のものなのか?あるいは他から来るものなのか?

そこが大切だと思う。

先述した「躓く」は、自らの足を動かし前進するからこそ躓くものなのだと思う。

両下肢完全麻痺の車椅子の僕が言うのもなんだけど(笑)

自分の力で前進しない人は、言うなれば人の敷いたレールの上を進んでいるようなもので、オートウォークやオートスロープの上を進んでいるようなもの。

その上にいる間、躓くことはない。

対して自分の力で歩く人は、様々なシーンで躓くことになる。

それも様々なもので躓くのだろうな。

いろいろ所で様々なものに躓き転びつつも、起き上がり自分の力で前進する。

それが自らの「命」を「運ぶ」ということ。

そしてオートウォークの上を進む人は、自分以外の誰かの力で自分の命を「運んでもらっている」ことになる。

「運命」をどう捉える?

僕は前者でありたい。

これは子供の頃に読んだ漫画に書いてあった言葉(笑)

「自分の力で」

自分で探そうとすれば、求める答えは案外身近にあったりもするし、棚ぼた的に簡単に見つかったりすることも少なくない。

誰かに探してもらおうとすれば、その説明に時間を割き、協力者を求めて彷徨い、その結果によって関係性に大小の波を生じさせることもあり得る。

何が正しくて何が間違いなのかは人によって異なるだろうしその時々でまた異なって然り。

でも僕は自分の有り様を貫いていきたい。

七転び八起。

それでいい。

起き上がってまた前に進んでいくのみ。

しかしなかなか思うようにはいかないものだ・・・(笑)

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