車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

東京2020パラリンピック開幕!

2021年08月25日 00時01分20秒 | 日記
その聖火ランナーを埼玉県にて務めてきました。

その舞台を目指していたけれどそれが叶わなかった僕にとっての聖火ランナーというのは、正直複雑な思いもありました。

けれど、東京2020パラリンピックにこういう形で直接的に関われることへの喜びも感じていますし、それがこの先のモチベーションにもなりました。

この貴重な経験を与えていただき、本当にありがたい限りです。



パラ開催を直前に控えたタイミングで感染状況は日増しに悪化していくので、埼玉県では当初一人公道約200mのランを早々に中止すると発表されました。

ですので聖火はステージ上でのトーチキスのみというイベントに。

でも、当日現地へ行きオリエンテーションに参加すると、なんと会場である陸上競技場をリレーすることに!

これはちょっと嬉しいサプライズ。

だって、走る練習をしたりもしていたから(笑)

というのは、今回の聖火リレーにおいて、僕はテーマを決めていたのでした。

それは、「トーチを手に持ち、もう一方の手で車椅子をこいで走る」ということ。

車椅子の方だと、アジャスタを車椅子に取り付けて、それにトーチを固定し自身で車椅子を操作して走るか、あるいは手に持って介助の方に押してもらうか、という方法になります。

でも僕は、やはりこの手で持ちたい、その姿勢で走りたい、車椅子の僕がそうするからこその意味がある、そう考えました。

ですので、右手でトーチを持ち左手でタイヤを漕ぐ。

それでいこう。

今の自分なら出来る、そう決断しました。

まぁ実際のところ、練習の合間に右手に持つラケットでボールをポンポンと落とさないように弾きながら、左手だけで車椅子を動かして卓球台を一周するなどはやっていたので、いけると自信を持っていました。

ただし、僕のも含め普通の車椅子では片手だけだとスムーズに真っ直ぐは進みません。横を向いてしまいます。だから、左手分に対し足りない右手分だけまっすぐ進むようにサポートしてもらって真っ直ぐに走ろうと考えました。

そこで、サポートには国内外の遠征にも帯同してもらったことのある卓球仲間に、僕の車椅子の右側を押して真っ直ぐ進むようにサポートを依頼しました。

口で言うのは簡単だけど、実際はバランスを取りながらのサポートって大変だと思うし、息を合わせる必要もあれば、前後左右の傾斜はもちろん路面コンディションによっても変化するので、確認も含め卓球の練習後に聖火ランナー練習を行ったりもしました(笑)

なので、本番で実際の走行が出来たというのは僕にとって嬉しいプレゼントになりました。

でも現場で初めて手にしたトーチ、それは思っていたよりも重さを感じました。

そして一番に不安を招いたのはトーチを持つ腕のポジション。

想定していた「楽な高さ」ではなく、それを手に持つシルエットの美しさや安全面の考慮もあるのでしょう、思っていたよりも高く持たなければならないということ。
こっそり裏話をすれば、握る箇所には小さな突起がありました。そこに人差し指の先端が触れるように握ると、大会ロゴの向きもドンピシャになるというもので、さらにその突起が自身のアゴよりも下にならないように握ってくださいというレクチャーを受けました。

その高さ維持が意外と負荷がある(笑)

さらに、右手でそれを維持しながら左手はタイヤを漕ぐというのは、思っていた以上のアクション(笑)、まず姿勢維持が出来るかどうか不安になりました。

というのも、僕は胸椎を損傷しているので胸から下の感覚が無く、腹筋背筋が機能しないので座位バランスが保てない、背もたれが無いと安定して座ってられません。
片方の手を動かすと同時に反対の手でバランスを取る、身体を支える、というのがセオリーです。
だから、ついでを話せば意外と出来ないのがナイフフォークでの食事。姿勢を保てません。ですので、その際は一方の肘をテーブルに当てて身体を支えるなどの工夫をします。
見た目がスマートではありませんが・・・

そんな僕が右手を上げ続けながら左手でタイヤを漕いで走る。

チャレンジでした(笑)

筋力にはそれなりに自信はあります。

問題は姿勢維持です。

頭がブレるのは格好悪い。

肩がすくむのも同様。

表情に余裕が無くなるのはさらにダサい(笑)

そしてもう一つの大きな不安。

それは足。

僕は自分で足を動かすことは出来ません。

が、勝手に動きます(笑)

ケイセイと呼ばれる、無意識の突発的な力が発生します。

これは逆に筋肉が働いていて血行を促すこととも捉えているのでその存在を僕はプラスに考えているのですが、でも突発的なので、もし走行中に起こったら・・・を考えると、上半身よりもそちらの方が不安でした。

だから、力が入らないようにする為に、これまでの経験則から待機中は足を延ばすなどの工夫をしていました。

ちなみに、今までそのケイセイはいろいろなエピソードを作ってくれています。

前職の際には社長と専務と3人でのミーティング中に突然テーブルを下から膝蹴り(笑)「わざとじゃないです」と言い逃れしたことがあります(笑)
また、テーブルでもそうでないところでも、向かい合って話している相手にいきなりトゥーキック(笑)そこでも「わざとじゃないです」と誤ったこと多数。今では事前に「ゲリラトゥーキックがあるかも」と断りを入れるようにしています(笑)
卓球のプレー中にも同様のことは起こります。力が入って伸びてる足を曲げるのは、それはそれで力がいるしちょっとの時間も要します。

そんな足との付き合いが今回の聖火ランナーではある意味最大のポイントになりました。

そしていよいよ本番。

無事に走りきることが出来ました。

トラックをリレーする為、すぐ側のテントで待機でした。

その間はほぼずっと右足を延ばした状態。

右足が伸びる「気配」をみせていたから(笑)

前走者と共にノリのポージングをし、聖火を受け取ると、それから100mの片手ランのスタート。

トーチの重さが想像以上の負荷でした。

今回の走り方を思いついた際、真っ先に気づいた問題点は自分のことではなく、サポートしてくれるパートナーのこと。

「聖火で髪の毛を燃やさないか?」ということです。

練習時もその話をしてはいたのですが、実際にトーチを手にし、その重さに対しての腕の高さの維持もあり、他の方々よりも気持ち前方へ出す持ち方を心がけての走行。それもまた予想以上の負荷となったポイントだと思います。

ペースはご存じのとおりゆっくりな感じですので、その分手に持つ時間は長くなります。

半分を過ぎたあたりで右の胸筋に「乳酸が溜まってきた」なんて感覚を覚えました。

左手の動きには全く疲労感はありませんが、ラインをトレースするように、またほかのランナーとのペースを保とうという思いからか、想像以上の負荷が体幹部分にあったようで、背中の感覚のある部分と無い部分の境目あたりにものすごい疲労を感じました。

走り終えた時にはアドレナリンが出ているのか(笑)、感じたのは右胸筋のみ。

でも帰宅したころには胸筋はなんともなく、逆に背中がやばいやばい(笑)

ここまでの疲労感は本当に久しぶりで、寝る際には左右一枚ずつのシップを貼ったほどです。

総じて、すごく貴重な楽しい経験、充実した時間となりました。



そんな聖火リレーを経験し、パラリンピックへの思いは益々強くなりました。

だからか、今週の練習ではコーチ陣から「かなり調子いいね!」と大絶賛(笑)

ゲーム練習でもいつも以上に良い感じです。

でも、それには自分自身客観的にその要因を分析できています。

フィジカルな要因がそこには明確にあります。

それをこの先も積み重ねていきたい。

そして、次回のパラリンピックの舞台で大暴れしたい。

その為には踏むべきステップが多々あるし、それをしっかり見定めて突き進んでいこうと思っています。

今この東京に来ている選手たちと対戦したい、心からそう思っています。

以前にも対戦したことのある選手が多数来ています。

あいつらに今の自分を見せてやりたい。

残念ながらそれは次の舞台。

その為に、見て楽しむ、応援するパラリンピックを、僕はちょっと違う視点で楽しもうと思います。

まずは、このパラリンピックの成功と、全ての選手の活躍、それに無事の帰国を、心から願っています。

頑張れみんな!!

話し上手は聞き上手

2021年08月17日 22時00分40秒 | 日記
僕が確か大学生の頃か卒業直後に、当時お世話になっていたレストランのオーナーシェフから教わった言葉。

その方は昭和の時代に、修行でフランスをはじめイギリス、ドイツ、さらにはカナダ(ケベック)までを6年間渡り歩いた方で、イギリスでは王室御用達のホテルの厨房に立ち、なんと女王陛下の魚料理にも携わったということだった。

若い頃から料理だけでなく政治の世界にも通じていた方なので、言葉を通じたインプット・アウトプットの能力も優れていて、当時の僕には「これが大人なんだ」と感銘を受けた記憶がある。

だからこそ、指導を受けたその当時の情景を思い起こせるほどにその方から教わった言葉は今でも強く印象に残っている。

その筆頭にあるのがこの言葉なのだな。



パラ卓球活動においても(それ以前の職業においても)、「話し上手は聞き上手」というのが僕の人生のキーワードであることに変わりないのだけれど、最近は特にその大切さをしみじみと実感することが少なくない。

話し上手は聞き上手。

聞くことが上手な人は話すのも上手いという単純な話ではない、と僕は思っている。

歳を重ねるごとにその考え方、言葉の捉え方はより深くなっていってるから。

誰が言った言葉なのかは分からない。

でも、それを最初に言った人にはこの言葉の奥に真意が存在していたはず。

確かめようはないけれど、それを考えるとこの言葉の意味はもっともっと奥深い。



で、この言葉をパラ卓球、というよりもスポーツのジャンルに当てはめた時、話す側は指導者であり、指導者は情報を発信する側となるのが一般的。

そこで、指導者こそ「聞き上手」でなければならないと思うのだ。

情報を一方的に発信するだけならそれはごく簡単なこと。

何も考えずに思ったことをSNSに書き込むことと変わらない。

でも指導する現場であれば、それは目の前に指導を受ける人がいる空間になる。

そこには少なからず聞き手のニーズが存在しているはず。

それを少しも理解せずに、あるいはまったく無視して、自分が言いたいことだけを一方的に押し付けるのでは、それは指導ではなくもはやハラスメントに近い状態かもしれない。

そんなところに信頼関係などが構築できようか。

会話の中でその瞬間の相手のニーズを瞬時に察すること、それが「聞き上手」であり、だからこそ「話し上手」となるのだと考える。

質問をしやすい雰囲気づくり、意見を述べやすい雰囲気づくり、それもまた聞き上手だと思う。

そもそも、指導するポジションにある人は立場的に「上」に立つ場合が大半だ。

先輩後輩の立場だったり、あるいはもっともっと上下の関係だったりすることも多いので、逆らえないどころか意見すら言えない、言いにくい空気が漂っていたりもする。

ただそれは上下の立場であるからこそ自然なものなのかもしれない。「先生」という文字が示す通り、目上の人は敬って然りであり、それは儒教や朱子学?により僕たちのご先祖様も当然のことと学んだこと。「指導してもらう」ということから謙遜し、あるいは遠慮してしまうのは敬意の表れでありまさに日本人のアイデンティティとも言えるだろうから、それを一概に否定するつもりもなく、むしろそういった姿勢に日本人の美意識が存在するとも言えるように思う。

であるからこそ、逆に指導する側の人間が質問や意見を言いやすい空気感を生む、そんな相手を「気遣う」必要があると思うのだ。

それこそが「聞き上手」だと思っている。

それは何もスポーツに限ったことではなく、接客業はもちろんの事、ビジネスシーンにおいてもすごく重要なことだと思う。

でも、それが案外難しいようで、出来ていない痛々しい現場を目の当たりにすることも少なくない。

逆に、それが上手い指導者やプレゼンターを見た時、話の内容を超えてその人自体に関心を抱くし、多分話を聞いているその時の僕の目は輝きを増していると思う(笑)



「相手が気を遣わないように自分が気を遣うこと」

は母から教わった言葉。

そして自分が気を遣ったことに対してのバックを求めないこと。

それが例え無意識のものだとしても、それを求めてしまうからそこでギャップが生じてしまう。

教えたことをその人がすぐに出来るようになるとは限らない。

それには個人差があるもの。

それも踏まえて当然。

すぐに出来ないから分かってないではなく、出来るようになるまでには個人差があるわけだから、大切なことは教えられたそれをその人が「出来るようになるまで頑張り続ける」ことが出来るかどうかであり、それは教えたその言葉が「心に深く残ったか」どうかだと思う。

どれだけ時間がたっても、教えられたそれを頑張り続け、出来るようになったその時、その人は教えてもらえたことを深く感謝するはず。その感謝の気持ちは教えてくれた人に向くだけでなく、その人の後輩たちへも向けられて、そうやって次の世代へと繋がっていくものなのだ。

心に深く言葉を残せる人、それこそがまさに「話し上手」であり、その為の条件として「聞き上手」であることが求められるように思う。



幸い僕は人に恵まれているので、僕の身近な人、コーチをはじめ出会う卓球仲間にはそうした方々が多い。

だからこそ、気持ちよく活動が出来ているのだろう。

でも、どれだけ良い人と巡り合い、どれだけいい言葉をいただき、どれだけ良い指導を受けたとしても、最後は自分の頑張りでしかないから、そこは間違えないようにしないといけない。

実績のあるハイレベルな指導者についただけで、自分もハイレベルになったと勘違いしてしまう。

僕は以前フランス料理店で働いた経験があるけれど、そうしたお店で働くスタッフはハイクラスなお客様と常に接しているから、自分もハイクラスな人間になったと勘違いしがちだ、なんて言葉を聞いたことがある。

それはパラ卓球活動をしている今も同じことが言える。

身を引き締めて、気を引き締めて、取り組んでいかなければならない。

自分自身話し上手である前に聞き上手であるかどうか、まだまだ道半ばで恩師の足元にも及ばない。

日々精進、まさにその一言に尽きる。

今一度自分自身を見直し、頑張っていこうと思う。



オリンピックの中継を見た友人たちは「卓球めちゃくちゃ面白かった!興奮した!」と声を上げていた。

同じ興奮をパラの僕らでも感じさせたいと思った。

さぁ、いよいよ東京パラ2020が始まる。

海外の友人達も既に来日している。

彼らが東京の舞台で大いに躍動できることを祈りたいし、陰ながら支えていたい。

パラリンピックの為、選手たちの為、いや、日本社会の為、そして人類の為に、目立たずとも陰ながら、支える。

それは感染拡大を抑える努力だと思っている。

僕一人の努力は選挙の一票と同じで実に小さなもの。たかが1票のその存在感は恐ろしく小さい。

でも、それは間違いなくそこに存在している1票。

塵一粒は目に見えないし触れてみてもきっと存在を感じないもの。

でも確実にそこに存在しているもの。

そんな小さなものも、積もれば山となる。

口で言うだけなら簡単なので、それを行動で示さなければならない。

まずは選手の活躍だけでなく、パラリンピックの成功を祈り、それと同時に、その為に自分が今何をすべきかを考え、判断し、行動を取る。

だからみんなには存分に頑張ってほしい。

そして、この困難が少しでも早く終息することを切に願う。

オリンピックから何を学ぶ?

2021年08月09日 10時32分55秒 | 日記
賛否が問われた東京2020オリンピックが終わった。

蓋を開けてみると、やっぱり素晴らしいものだった。

その舞台で全力を尽くす選手たちの姿が、結果がどうであれ他に例えようのない感動を与えてくれるし、大きなパワーを与えてくれる。

開催に不安はあったけど、いざ始まってみると興奮したし感動したし楽しかった、と思う人も少なくないと思う。



閉会のその日、某新聞社が行った世論調査によると、「最も印象に残った競技は?」の答え1位は17%で卓球だったらしい。

ちなみに2位は16%で柔道、3位は12%で野球だったそうだ。

卓球の場合、特に女性の回答が多かったようで、数字的には男性の倍近い割合だったらしい。

スポーツにおける卓球の立ち位置、存在感が一昔前とは大きく異なっているのだと思う。

これもまた今回に限らずこれまでのオリンピックという舞台で活躍してきた多くの方々の成果だし、それを表裏で支えてきた多くの方々の努力の賜物だとも思う。

逆にそうなった以上は、それに関わる自分はそれを背負っているという自負も今まで以上に持たなければならない。

報道を見て、あらためて身が引き締まる思いを持つ。

なんて僕が言うのはおこがましいけど(笑)



その今回のオリンピック、僕はあらためて多くを学ばせてもらった。

もちろん卓球の話。

画面を見ていても色々な情報を得られるのだけれど、同じ映像を見ていても得られるものは人によって異なるはず。

そこはその人に合ったものを学ぶことが出来ればそれで良いのだと思う。

試合を見る度に何を見るのか、どこに注目するのか、どこに目が向くのか、そういうところで自分自身も評価するけれど、今回は今まで以上に良い学びを得られたし、自分の成長を実感することが出来た。

大人の階段をまた一歩進めたようだ(笑)

でもそれも自分一人での成長というものではなく、コーチをはじめ僕を支えてくれる仲間や関係者がいてくれるからに違いない。

だから、いまのこの困難な状況下でも僕はほぼ変わらず活動を維持できている。

今まで緊急事態宣言下では都内の体育館やスポーツ施設はほぼ全て閉館されていたけれど、今回のそれではどこも閉館されずに利用することが出来る。

これもおそらくはオリンピック・パラリンピック開催の恩恵。

有難く賜りつつ、活動を維持する。



そして、オリンピックの熱い流れはパラリンピックへと続く。

既に海外の選手団は来日を果たしている状況。

開催決定の報道を耳にしていないままだと思うのは僕だけなのかなと思うけれど、世間は既に開催に向けて動いているようで、それはそれでほっとすることではあるのだけれど、観客の有無も未だ明確ではないし、国内のこの状況もどういった影響を与えるか不安はまだまだ続く。

でも、いずれにしてもオリンピック同様に世界のトップアスリートが活躍する晴れの舞台がまたやってくることに違いはないと思う。

そこを目指していた僕にとって、その場に立てない悔しさはもちろんある。

その舞台をこの目で見たいという思いがある反面、悔しくて見たくないという思いも正直ある。

けれど、データ収集はしたいという思いももちろんある。

一人の心の中でもこれだけの感情をぐるぐると複雑に回すのもまたパラリンピックの力。

それを制する能力が今自分に試されていることで、その判断が明日の自分を違うものにするはず。

そうやって無理やりにでも自分自身に伸びしろを設ける(笑)

でも伸びしろがあるということは実に幸せなこと。

その存在がモチベーションとなる。



今回のオリンピックで僕が学んだこと、得たことはすごく多かったし大きかった。

またさらに素晴らしい糧を得られた。

さぁ、気を引き締めて頑張っていこう。

自分磨きも、感染症対策も、コンディショニングも、仕事も勉強も。



最後に、オリンピックで頑張られた全ての選手、また関係者のみなさんに感謝申し上げたい。

ありがとうございました。

そして、お疲れさまでした。