僕が常々言われていること。
「もっと経験を積んだ方が良い」
ということ。
その言葉の意味はよく分かる。
卓球というのはただスマッシュが打てる、良いサーブを持っているとか、高い技術があるというだけでは勝てない。
対人競技であるが故の「駆け引き」みたいなものがとても重要になるし、その上手さが技術以上に勝敗を決める要素になるもの。
試合の中継を見ていても「流れ」という言葉をよく耳にするし。
それを掴む、把握することがとても重要。
でも、僕にはそれが欠けているというのが自分でもよく分かる。
「学生の卓球と社会人の卓球の違い」みたいに例えられることもあるけど、強いて言えば、僕は典型的な学生卓球なんだなと最近より深く理解できるようになってきた。
それを一皮も二皮も剥けさせる為に、「経験を積む」ことが求められているのだと思う。
じゃぁ、より多くの試合に出れば良いのか?
何試合くらい出れば十分なのか?
そこが大切。
きっと、何も考えていなければ何試合出ても同じだと思う。
逆に、より深く考えていれば、学びはそれに比例するのでより短時間で何かしらを「掴む」ことが出来るのではないかと思う。
その「何かしら」が、ようやくその片鱗が見えてきた気がする。
結局それはこれまでにも「読んで」「聞いて」いたことなのだけれど、そうやくそれを自分の体で理解することが出来始めた感がある。
あぁ、成長するとはそういうことか、と、手ごたえを感じ始めた。
ようやく、本当にようやくなのだ。
そのきっかけはインドネシア。
あの大会も「経験を積む」為に急遽エントリーを決めた大会。
そこで思っていた以上の収穫を得たのだけれど、その甲斐あって、その後の練習でも「何をどうすべきか」が今まで以上に深く、というかちょっと違った次元で考えられるようになって来たのかもしれない。
そうなってくると、練習の効果がより高まるし、広がってくる。
結果的に、試合が待ち遠しくてたまらない。
早く試合がしたい。
そんな気持ちになれる。
今までにはない感情。
僕は試合よりも練習の方が好き。
だから、練習に打ち込める。
その気持ちは変わらない。
でも、試合が今までにないくらい楽しみでしかたない。
自分の積んだ経験の高さを確認したい。
質の高い練習をし、勉強をして、試合に挑む。
僕の積み重ねた経験などは、国内のベテラン選手に比べればまだまだ圧倒的に少ない。
年数だけでも僕の4~5倍重ねている選手が多数を占めるのだから。
海外の選手もそう。
僕の数倍の経験年数を重ねている選手が多数を占める。
でも僕はそれに負けるつもりはない。
質の高さで勝てばいい。
張本選手、伊藤美誠選手、平野美宇選手など、日本人の若手選手がそれを証明してくれているし。
結果は出せる。
あとは本人の努力次第。
意識次第。
「経験を積む」ということの解決の糸口がつかめた今、さらに加速させていくことが可能になった気がする。
経験を積んだ者同士で戦う場合、そこで重要なのは「技術力」「身体能力」「持久力」そして「メンタル」となり、パラ卓球もそこで初めてよりピュアな「スポーツ」になり得るのかもしれない。
先日も卓球関係者と話をしていると「車椅子で卓球?リハビリじゃないんだ?」という声を未だ耳にすると聞いた。
健常者の輪の中に入ろうとすると、逆に身構えられるというのだ。
そりゃぁ、そういう卓球しか出来なければ、そう思われても仕方ない。
でも僕はそうじゃない卓球を心掛ける。
健常者が見て「おお!すごいね!」と思うようなプレーをする。
「車椅子卓球の健常者化」
僕のテーマだ。
パラ卓球界で勝っていく為には、経験を積むことが最重要課題。
でもそれと同時進行で、プレーの健常者化も進めていく。
大丈夫、僕には出来る。
それが出来るようになる為の環境が僕にはある。
応援してくれる方々もいる。
あとは自分次第。
意識を高く持つ。
頭を働かせ、しっかりと学ぶ。
毎日が、成長という名の坂道ダッシュなのだ。
さぁ、積み重ねてきた努力を結果で表そう!
いくぞ、自分!
「もっと経験を積んだ方が良い」
ということ。
その言葉の意味はよく分かる。
卓球というのはただスマッシュが打てる、良いサーブを持っているとか、高い技術があるというだけでは勝てない。
対人競技であるが故の「駆け引き」みたいなものがとても重要になるし、その上手さが技術以上に勝敗を決める要素になるもの。
試合の中継を見ていても「流れ」という言葉をよく耳にするし。
それを掴む、把握することがとても重要。
でも、僕にはそれが欠けているというのが自分でもよく分かる。
「学生の卓球と社会人の卓球の違い」みたいに例えられることもあるけど、強いて言えば、僕は典型的な学生卓球なんだなと最近より深く理解できるようになってきた。
それを一皮も二皮も剥けさせる為に、「経験を積む」ことが求められているのだと思う。
じゃぁ、より多くの試合に出れば良いのか?
何試合くらい出れば十分なのか?
そこが大切。
きっと、何も考えていなければ何試合出ても同じだと思う。
逆に、より深く考えていれば、学びはそれに比例するのでより短時間で何かしらを「掴む」ことが出来るのではないかと思う。
その「何かしら」が、ようやくその片鱗が見えてきた気がする。
結局それはこれまでにも「読んで」「聞いて」いたことなのだけれど、そうやくそれを自分の体で理解することが出来始めた感がある。
あぁ、成長するとはそういうことか、と、手ごたえを感じ始めた。
ようやく、本当にようやくなのだ。
そのきっかけはインドネシア。
あの大会も「経験を積む」為に急遽エントリーを決めた大会。
そこで思っていた以上の収穫を得たのだけれど、その甲斐あって、その後の練習でも「何をどうすべきか」が今まで以上に深く、というかちょっと違った次元で考えられるようになって来たのかもしれない。
そうなってくると、練習の効果がより高まるし、広がってくる。
結果的に、試合が待ち遠しくてたまらない。
早く試合がしたい。
そんな気持ちになれる。
今までにはない感情。
僕は試合よりも練習の方が好き。
だから、練習に打ち込める。
その気持ちは変わらない。
でも、試合が今までにないくらい楽しみでしかたない。
自分の積んだ経験の高さを確認したい。
質の高い練習をし、勉強をして、試合に挑む。
僕の積み重ねた経験などは、国内のベテラン選手に比べればまだまだ圧倒的に少ない。
年数だけでも僕の4~5倍重ねている選手が多数を占めるのだから。
海外の選手もそう。
僕の数倍の経験年数を重ねている選手が多数を占める。
でも僕はそれに負けるつもりはない。
質の高さで勝てばいい。
張本選手、伊藤美誠選手、平野美宇選手など、日本人の若手選手がそれを証明してくれているし。
結果は出せる。
あとは本人の努力次第。
意識次第。
「経験を積む」ということの解決の糸口がつかめた今、さらに加速させていくことが可能になった気がする。
経験を積んだ者同士で戦う場合、そこで重要なのは「技術力」「身体能力」「持久力」そして「メンタル」となり、パラ卓球もそこで初めてよりピュアな「スポーツ」になり得るのかもしれない。
先日も卓球関係者と話をしていると「車椅子で卓球?リハビリじゃないんだ?」という声を未だ耳にすると聞いた。
健常者の輪の中に入ろうとすると、逆に身構えられるというのだ。
そりゃぁ、そういう卓球しか出来なければ、そう思われても仕方ない。
でも僕はそうじゃない卓球を心掛ける。
健常者が見て「おお!すごいね!」と思うようなプレーをする。
「車椅子卓球の健常者化」
僕のテーマだ。
パラ卓球界で勝っていく為には、経験を積むことが最重要課題。
でもそれと同時進行で、プレーの健常者化も進めていく。
大丈夫、僕には出来る。
それが出来るようになる為の環境が僕にはある。
応援してくれる方々もいる。
あとは自分次第。
意識を高く持つ。
頭を働かせ、しっかりと学ぶ。
毎日が、成長という名の坂道ダッシュなのだ。
さぁ、積み重ねてきた努力を結果で表そう!
いくぞ、自分!