車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

経験を積むということは?

2018年07月24日 22時24分35秒 | 日記
僕が常々言われていること。

「もっと経験を積んだ方が良い」

ということ。



その言葉の意味はよく分かる。

卓球というのはただスマッシュが打てる、良いサーブを持っているとか、高い技術があるというだけでは勝てない。

対人競技であるが故の「駆け引き」みたいなものがとても重要になるし、その上手さが技術以上に勝敗を決める要素になるもの。

試合の中継を見ていても「流れ」という言葉をよく耳にするし。

それを掴む、把握することがとても重要。



でも、僕にはそれが欠けているというのが自分でもよく分かる。

「学生の卓球と社会人の卓球の違い」みたいに例えられることもあるけど、強いて言えば、僕は典型的な学生卓球なんだなと最近より深く理解できるようになってきた。

それを一皮も二皮も剥けさせる為に、「経験を積む」ことが求められているのだと思う。



じゃぁ、より多くの試合に出れば良いのか?

何試合くらい出れば十分なのか?



そこが大切。



きっと、何も考えていなければ何試合出ても同じだと思う。

逆に、より深く考えていれば、学びはそれに比例するのでより短時間で何かしらを「掴む」ことが出来るのではないかと思う。



その「何かしら」が、ようやくその片鱗が見えてきた気がする。

結局それはこれまでにも「読んで」「聞いて」いたことなのだけれど、そうやくそれを自分の体で理解することが出来始めた感がある。

あぁ、成長するとはそういうことか、と、手ごたえを感じ始めた。

ようやく、本当にようやくなのだ。



そのきっかけはインドネシア。

あの大会も「経験を積む」為に急遽エントリーを決めた大会。

そこで思っていた以上の収穫を得たのだけれど、その甲斐あって、その後の練習でも「何をどうすべきか」が今まで以上に深く、というかちょっと違った次元で考えられるようになって来たのかもしれない。

そうなってくると、練習の効果がより高まるし、広がってくる。



結果的に、試合が待ち遠しくてたまらない。



早く試合がしたい。

そんな気持ちになれる。

今までにはない感情。

僕は試合よりも練習の方が好き。

だから、練習に打ち込める。

その気持ちは変わらない。

でも、試合が今までにないくらい楽しみでしかたない。

自分の積んだ経験の高さを確認したい。



質の高い練習をし、勉強をして、試合に挑む。



僕の積み重ねた経験などは、国内のベテラン選手に比べればまだまだ圧倒的に少ない。

年数だけでも僕の4~5倍重ねている選手が多数を占めるのだから。

海外の選手もそう。

僕の数倍の経験年数を重ねている選手が多数を占める。



でも僕はそれに負けるつもりはない。

質の高さで勝てばいい。

張本選手、伊藤美誠選手、平野美宇選手など、日本人の若手選手がそれを証明してくれているし。

結果は出せる。

あとは本人の努力次第。

意識次第。



「経験を積む」ということの解決の糸口がつかめた今、さらに加速させていくことが可能になった気がする。

経験を積んだ者同士で戦う場合、そこで重要なのは「技術力」「身体能力」「持久力」そして「メンタル」となり、パラ卓球もそこで初めてよりピュアな「スポーツ」になり得るのかもしれない。



先日も卓球関係者と話をしていると「車椅子で卓球?リハビリじゃないんだ?」という声を未だ耳にすると聞いた。

健常者の輪の中に入ろうとすると、逆に身構えられるというのだ。

そりゃぁ、そういう卓球しか出来なければ、そう思われても仕方ない。

でも僕はそうじゃない卓球を心掛ける。

健常者が見て「おお!すごいね!」と思うようなプレーをする。



「車椅子卓球の健常者化」



僕のテーマだ。

パラ卓球界で勝っていく為には、経験を積むことが最重要課題。

でもそれと同時進行で、プレーの健常者化も進めていく。



大丈夫、僕には出来る。

それが出来るようになる為の環境が僕にはある。

応援してくれる方々もいる。

あとは自分次第。

意識を高く持つ。

頭を働かせ、しっかりと学ぶ。

毎日が、成長という名の坂道ダッシュなのだ。

さぁ、積み重ねてきた努力を結果で表そう!

いくぞ、自分!

国内ローカル大会@横浜

2018年07月15日 10時43分35秒 | 日記
国内大会2連戦。

今度こそはという意気込みで臨んだ試合でしたが、「勝たなければならない相手」に負けてしまいました。

まぁ、現時点では未だそういうレベルにしか到達できていないということだと、自分自身を客観視。

もちろん負けて悔しいけれど、手ごたえや収穫もこれまで以上に大きなものがあったので、「よし!次をしっかり頑張ろう!」というポジティブな思考はさらに加速、結果的には大きくプラスになった試合でした。



というのは、今回の試合にはコーチに帯同してもらえたことも大きくあります。

全日本等に比べれば進行等もちょっと「ゆるい」試合なので、その点時間的な余裕もより多くあり、他の試合ももっと見ることが出来る、コミュニケーションの時間もより多く取れるので、通常の練習の時間とは異なる、深く濃い勉強も出来たのでした。

もちろん自分の試合をベンチから見てもらうことで、プレーの内容プラスアルファの僕をコーチの目で確認してもらうことが出来、それがこれからの活動にタイムラグなく活かされるので、こんなにありがたいことはないです。



今回の試合で得た課題というか反省は、コーチの目にも僕自身にも明確。

大丈夫、出来ることが出来ていなかっただけ。

出来ることをやらなかっただけ。

じゃぁそれがなぜ出来なかったのか?

やらなかったのか?

問題点はそこ。

それをクリアすれば、結果は簡単に変えられる。

逆に、出来ていたことは大丈夫。

手ごたえ十分。

自信を持つことが出来た。



さぁ、磨きあげていこう、自分自身を。

石でも金属でも、あるいは木材でも、磨けば美しくなれるものなのだ。

大切なのはその磨き方。

そこを間違えない。

その選択を誤らずに、正しい方法で絶えず磨いていく。

その先に求めるものがある。

今の僕はまだ磨きが足りない。

でも、磨き方を誤ってはいない。

そこに自信が持てた。



みてろよ自分。

お前が求めているところへ、俺がつれていってやる。

だから、お前はしっかり頑張れ。

努力を怠るな。

コーチをはじめ、応援してくださる方々、期待してくださる方々を裏切るな。

大丈夫、開けない夜は無い。

眠れない夜も、二度と来ない昨日に変わる。

さぁ、しっかりいくぞ!

自分!

国内ローカル大会@福島

2018年07月10日 18時54分56秒 | 日記
先週末、インドネシアより帰国後4日目で福島での試合に行ってきました。

福島への移動ももちろんマイカーで自走。

長距離の運転も苦ではないので、200数十キロ程度のドライブは余裕のヨロレイヒ~(笑)

遠征の疲れなども全然ありませんでした。

だって心が晴れ渡っているから(笑)

それくらいにインドネシアでの経験が大きな財産になっているということでしょう。

木曜日に帰国し、その日はコーチと調整出来たけど、金土は練習出来ず、しかも金曜日は時間の合間を縫って某所へごく短時間サーブ練習しに行くも、台は使えず、さらに20分間確保出来た卓球マシンはボールがセルロイド(数年前にルール変更する前の、今とは企画の異なるボール)、持参したボールも使えない環境なので、仕方なしにセルロイドボールのマシンで20分間の気休めをする(笑)

土曜日は午後に都の育成プログラムがあり、その講義を受講してから福島へ。

今回は前泊することにしていたので、移動にも余裕が持てたのでした。



そして試合。

予選リーグは4人中2人が棄権という残念なものに。

でも偶然の手違いもあり、急遽1人加わって3人での予選。

そこは無難に1位通過することが出来たのでした。

この時も今までの自分とは異なる感覚があり、改革はまだ始まったばかりだけど「あぁそういうことか」と、そこに確かな手ごたえを感じ、確実に前進できていると自信につながった予選なのでした。



そして本戦1回戦。

残念ながらそこで敗退。

やらかしちゃった感が否めません。

いや、調子は悪くは無かった。

自分らしく出来ていたと思います。

頭も働いてたし、視界も広く持てていた。

だけどミスが多かった。

相手に点を取られるのではなく、自分が点を「与えた」結果負けてしまうといった内容。

具体的にどういうミスで点を与えたのかもしっかり見えている。

でもゲーム中にそれを修正できていなかった。

そもそも、ミスを多発したのは自分自身の驕りがそこにあったからだと思います。

調子は悪くない。

海外から帰国したばかり。

だからちょっと気持ちが大きくなって、自信過剰の状態で、だから無意識のうちにイケイケで行き過ぎちゃってたのかもしれない。

国内卓球と海外の卓球(車椅子)は違うって分かっているはずなのに、海外卓球のままで行きすぎちゃった結果の自滅。

アホです。

その後も最後まで観戦し、なるほどと勉強させていただき帰路へ。

帰宅後は今一度インドネシア大会の自分の試合動画をチェック。

あぁなるほどね、と確認。

まずミスを多くするということは、それはまだ自分自身の技術には出来ていないということなので、そこを勘違いすることなく、でも自信を持って、胸を張って活動していこうと思います。



最後に、今回も「棄権」という選手が複数ありました。

不慮の体調不良や怪我であればいたしかたないことだと思います。

でも「棄権したいから棄権する」だとしたら、僕はそれは間違った選択ではないかと思います。

「スポーツマンシップ」に反する行為だと思うのです。

「試合」というのは文字通りお互いの積み重ねてきたものを「試し合う」神聖な場所。

国技では塩をまくものもあるほどです。

日本人としての「道」はまず相手だけでなく環境を含めた全てへの感謝、敬意から始まる、そういう精神にあるはずですし。

決勝戦まで行けばそれなりの試合数になるのは当然なわけですから、それだけの試合をやってのけるだけの体力面を備えておくこともまた必要不可欠。

そうした選手が会し、全力をぶつけあい、勝敗にかかわらず互いの努力をたたえ合う。

そこにスポーツの素晴らしさが存在し、見るものにも感動を与えるのだと思います。



僕の経験で最も印象深かったのは、ある国際大会でのワンシーンです。

団体戦で日本人選手のパートナー(外国人)が、タイムテーブルを勘違いしていたらしく、試合の時間に会場にいなくて、みんなで方々探したのですが結局は棄権ということになりました。

日本人選手も棄権扱いとされ、すごく悔しがっていましたが、それ以上に悔しがり、激高していたのは対戦相手の選手でした。

彼は会場にいた日本人選手に対し、「お前がパートナーとしっかりコミュニケーションを取っていればこんなことにはならなかったはずだ!俺たちはここへ試合をしにきているんだ!それはお前も同じだろう?それなのにこれはおかしな話だろう?こんなバカげた話しは失礼極まりない!」「お前はサムライじゃない!」と非難の言葉を吐き捨てたのを僕は今でもはっきりと覚えています。

その日本人選手も気の毒ではありますが、その時「棄権する」ということがどういうことなのかを僕は学んだのでした。

ですので、棄権をするというのは相手への礼を失する行為でもあると僕は考えます。



だからこそ、怪我でも体調面でも理由は関係なく、棄権をする、あるいはしたのであれば、それに対する真摯な謝罪も必要でしょうし、そういうところまでをもひっくるめての「スポーツマンシップ」だと僕は考えます。

だからこそ、試合にエントリーするのであれば、それなりの「覚悟」が必要なわけで、覚悟があればこそ試合当日までの体調管理、コンディションの調整なども自ずと出来ていくはずです。

「エントリー料、旅費がもったいない」「団体戦のメンバーが足りなくなる」「チームメイトが怒る」といった理由だけを考えるのはスポーツマンじゃない。

もし、選手が障害を理由にそういうことを甘く考えているとしたら、そんな選手のパラ競技はいつまでたっても評価を得ないでしょう。

僕は少なくとも、同じ車椅子のバスケやラグビー、テニスやマラソンの選手達がそういう感覚で試合に挑んでいるとは思えませんから。



2020年を間近に迎え、日本のパラ競技、障害者スポーツも注目を集め、選手個人へもより多くのスポットが当たるようになってきています。

その時に「あぁ障害者はやっぱりそんなもんだよね」と思われたのでは、それは結果的に社会のバリアフリーの妨げにもなるはずです。

スポーツという舞台で、例え僅かでも人の目に触れるのであれば、そこはやはり「障害者代表選手」として立ち居ふるまうべきでしょう。

それが結果的に国内の競技人口を増やすだけでなく、障害者の社会進出へも繋がっていくものだと僕は考えます。



選手としての責任を全うする。

それがスポーツマンシップの根底だと思います。




ついでのつもりが長くなっちゃった(笑)




「人のふり見て我がふり直せ」は子供の頃に父から度々言われた言葉。

あらためて、またひとつ勉強をさせていただきましたが、逆に僕はそう思われることのないよう、厳しく取り組んでいこうと思いました。



さぁまたすぐに国内のローカル大会。

気を引き締めて、コンディションを崩すことなく万全の状態で挑みたいと思います。


2018年、インドネシア大会

2018年07月06日 20時58分49秒 | 日記
出場してきました。

首都のジャカルタです。

8月に健常者のアジア選手権大会、10月にはアジア・パラリンピック大会が開催されるところなので、そのプレ大会として、街というか、もう国を挙げての大盛り上がりといった雰囲気で、選手村はパラリンピックレベルの大規模なものだし、会場とを結ぶシャトルバスは常に白バイが2~3台先導し公道を最優先で走り、高速の渋滞時には路側帯を走り抜けるほどの力の入れよう。

朝夕の渋滞時に、白バイに促されて仕方なしに道を譲る車のドライバーを見て、彼らの経済活動があればこそ可能となる僕らの出場する大会。本末転倒とならないように、僕らも責任を持って行動しプレーしなきゃならないと、背筋が伸びる思いなのでした。



で、試合結果。

個人戦 3位。

団体戦 シンガポールの選手と組む。予選敗退。



個人戦はメダル獲得も、僕としては不本意な、残念な結果です。

勝ちたい相手、勝たなければならない相手に勝てなかったから。

団体戦も含め、勝った試合も余裕という内容ではなく、まさにギリギリのせめぎ合いなど、薄氷を踏むようなものも多く、ランキングで格上格下と決めつけるのではなく、ましてや見た目の技術力で相手を量らずに、一試合一試合、一球一球を集中してプレーする、その大切さをあらためて、というよりも身を持って学んだような、そんな内容なのでした。

でも、今までの僕なら負けていただろうなと思える展開や内容を、そのまま流されずに、流れを引き戻すような形が取れたことは大きな自信となりました。

大丈夫、やっていることはちゃんと身についている。

僕は成長できている。

負けたのはまだその程度の成長ではダメだったということ。

だからもっともっと頑張らなきゃならない。

結果は、決して喜んでる場合じゃないぞと思うのですが、全体を通して得た感覚は今までとは違ったもので、僕自身の「戦い方改革」の手ごたえを掴めたものでもあり、それにさらに磨きをかけていこうと、自分ならできる!と胸を張れるものでもありました。

偉そうに言っちゃうけど(笑)



プレー中にも、例えばボールを打つ瞬間に一瞬頭を過るネガティブな感情があったりもします。

それがミスを誘発する要因だと僕は思うのですが、それがあっても綺麗に打てる、良いボールを打つことが出来た瞬間がありました。

なぜそれが出来たのか?

それは、しっかりと身体が覚えていたからだと思いました。

さらに言えば、それだけの身体づくりが出来ていて、練習を繰り返せていたからだと思います。

これは何よりも自信につながる良い体験であり、もちろん人によると思いますが、僕の場合はそれを積み重ねていった先に求めるものがあると思うので、今回得たものをしっかりと胸に刻み、より質を高く自分磨きを行い、結果へとつなげていこうと思います。



これも一重に、僕を指導してくださるコーチのお陰です。

実は帰国当日にコーチの元へ報告を兼ねて練習に向かいました。

国内での次の試合を数日後に控えているというのもあり、主に調整をするつもりで行ったのですが、海外で得た情報を伝えると、「じゃぁやってみる?」と早速メニューに取り入れたりもして、結果的には今までにないくらいのハードな練習になりました。

そうしてもらえる環境があるということと、それをすぐに実践できるだけの高いスキルを持つコーチの存在、そして理解してもらえるだけの信頼関係、本当にありがたいなとつくづく思います。

それを自分の力に出来るかどうかは、それこそ自分次第。

人から宝の持ち腐れだと言われないように、常に前を向いて、真摯に取り組んでいこうと決意を新たにしました。



最後に、今回インドネシアで感じたことを書いておきます。

インドネシアという国はもの凄い親日国なんだということ。

「JAPAN」という国が敬意を持って接してもらえているのだと強く感じました。

だからだと思います、チームでいても個人でいても、「一緒に写真を撮ってくれ」と言われることがすごく多くて、一度撮り始めると「次は私も!」とひっきりなしに続く展開。

送迎のドライバーや警官、スタッフまでもそんな感じで、これまでになく日本人であるということに感謝の思いが強く湧きました。

日本という国は第二次世界大戦でインドネシアをはじめとするアジア各国を戦禍に巻き込んだという過去があります。

でも、意外にも日本はそうしたアジア各国から好意を持たれているという記事を読んだことがありました。

その記事に書いてあった、それがなぜかは今ここでは書かずにいましょう。

でも、そうした過去があるにもかかわらず、今こうして僕が体感したような親日国でいてくれるのは、それは間違いなく先代日本人達の努力や誠実な心、そして行為があればこそでしょう。

会場で僕らをフォローしてくれるボランティアスタッフも、そのうち複数から「おじいちゃんは日本人です」という声が聞こえてきました。

僕の勝手な想像ですが、歴史を感じる瞬間でもありました。

でも、そんな彼らが胸を張ってそう言えるのもまた、先代日本人の方々の誠意ある行動があるからこそだと思います。

そのうちの一人は、「来月おじいちゃんが来るので、この写真を見せたいんだ」と話してくれました。

僕はもの凄く心を打たれました。

愛しているんだな、愛されているんだな、と。

そういう人と人との関係がまず一番の根底にあって、その恩恵を受けて僕らはこうしているのだなと思いしらされました。

先代日本人の方々は、日本に古くから存在する「道」という独特の思想を貫き、その道を外れることなく生きた結果、その子孫となる僕らの世代がその恩恵に肖っているのだと痛感。

それを僕らの代で絶やしてはならない。

だからこそ、僕らも同じ日本人として恥ずかしくないように、胸を張っていられるように、先代のように日本人らしく、自分にも厳しくいようと思いました。

今一度日本人として「道」という思想を学ばなければならない。

今回のそういう話を目の当たりにして、歴史好きの僕の頭をよぎったのは徳川二代将軍秀忠公です。

その理由を書くとかなりの長文になっちゃうので、ここは控えておきましょう(笑)



ある意味、これが今回のインドネシア遠征の一番の収穫です。



日本人のアイデンティティを身を持って学ぶ。



今を生きる僕が歴史という過去に直面し、そこから多くを学ばせていただく。



生きていてよかったと、生を強く実感し、様々な意味で大きな感謝を覚える良い機会となりました。



さぁ、人として、日本人として成長できた気がする今、次へ向けてより強くこの地を蹴ろうと思います。



足を動かせない車椅子だけど(笑)