車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

2022年が終わる

2022年12月29日 19時54分36秒 | 日記
ほんと、あっという間に一年が終わる。

始まる時は「よし!今年もがんばるぞ!」と、一年という時間をどうマネージメントするかいろいろ考えるものだけど、まさに光陰矢の如しで、気が付けば終わりを迎えている始末。

それを振り返ればこれもまさに「光陰」で、光が差すところあれば暗い闇の中を彷徨う時もあり、そうやって紆余曲折を繰り返しながら少しずつ前進していくのが人生なんだろうなとあらためて思った。

しみじみと(笑)

備忘録として書き残しているこのブログも、書き始めてかなりの時間が過ぎた。

結構なボリュームになっていると思う。

僕は何日おきとか何曜日にとか、定期的に書くようにしているのではなくその時々で徒然なるままに書いているので、不定期なアップであり、だからこそ、思いついて書く内容は思いつくままなので図らずしも長文になってしまう。

そんな自分を楽しんでいるのだけれど(笑)



振り返ると今年もいろいろあった。

良い思い出もある。

悔しい思い出も多々ある。

手ごたえを得られたり、そうでなかったり。

前をしっかり見据えて力強く前進している時もあれば、手探りで迷いながら歩みを進める時もあった。

でもそれは今年で終わりというものではなく、これから先の人生も様々なシーンにおいて生じていくことだろうから、大切なのはそんな時にどうあるか、だと気を引き締め、自分を戒め、驕らず、調子に乗ることなく、常に謙虚に、自分がどうありたいのかをしっかりと見定め、道を誤ることの無いようにしていきたいと思う。



今年は本当に重要な一年になった。

外見は変わらない。

でも中身が全然違う。

そんな一年になった。

これをこれから先の人生で大いに役立てていきたい。

活かしていきたい。

まずは丈夫な体作り。

コロナ禍は未だ継続中。

競技活動を行っていくのは身体への負荷がかなり大きなものになるので、それに耐えられる身体づくりとその維持活動という総合的なマネージメントもより重要。

そうした環境づくりをどのように行っていくのか?

誰かにやってもらうのか?

自分でやるのか?

それもまた人生のターニングポイントになると思う。

「この道を選べば正解・・・なんてないし、選んだ道を正解にしていくしかないよ・・・自分でさ」

あるTVCMの中の名言。

まさにそうだと思う。

学生の頃に読んだ漫画のセリフに似たような言葉があった。

「『道』という考え方があって、それは目の前にいくつも伸びていて、どの道がどこへ進むのか、どこに繋がっていくのか、それは誰にも分からない。」

だからどうする?

学生の頃に読んだ何かの本にはこう書いてあった。

「足を留めるとどんどん沼にはまっていく」と。

だから歩み続けなきゃならない。

分岐点はいくつもあって、その度に判断を迫られ、選んだ道を進んでいく。

立ち止まっている時間は無い。

それが人生だと。

その時に大切なのが「自分はどこへ向かいたいのか」ということ。

だから僕は「分度器の理論」を持論として抱いている。

僕が勝手に作った理論(笑)

理論なんてものじゃないけど(笑)

大切なのはまず自分が見ている視点。

それをぶらさずにいなきゃいけない。

そして歩みを進めていきたい。

視点が変わるということは目標が変わるということ。

それは全然悪いことじゃない。

あって然りのことだと思う。

今僕が見ているものは、10数年前には全く想像だにしなかったもの。

そんな世界を見て今は前に進もうとしている。

それが人生なんだな。



今年も残すところあと2日間。

今年は例年とは違った環境で大みそかまで練習の予定。

年明け早々に合宿もあるので、正月もすぐに練習をスタートさせる。

練習や活動を維持できるコンディショニングにとにかく意識を置いて、しっかりと効率の良い充実した活動を行っていきたい。

2023年も故障とかトラブルなく、良い一年を過ごしていきたい。

そうできるかどうかは自分次第。

そして、2022年もあと2日、気を抜くことなくしっかりと活動していく。

みなさんもどうぞ素敵なお正月をお迎えください。

来年は今年よりも世界がよりハッピーな一年になることを心より願います。

「道」を学び歩む

2022年12月10日 21時46分46秒 | 日記
先日、剣道6段の方とお話しする機会があった。

話は剣道だけでなく柔道や空手道、柔道も「柔道」と「JUDO」の違いに及ぶまで実に良いお話を聞かせていただいた。

印象的だったのは「『剣道』は当てればポイントになるってものではない」という話。

打つ(と表現させていただく)前後の所作も判定の対象になるという。

それはもはや「美学」の領域じゃないかと思った。

動作に入る前の美しさ、打ち込んだ後の美しさ。

簡単に言えば、そこまでが判定の対象になるということらしい。

でも見方を変えればそれは実戦的で効率的なもの。

戦場では1対1なんてケースは稀であり、打ち込んだ後の隙を狙われるなんてことも大いにあり得るだろうから、それに備えて、自分が打たれない、生き残る為には当然のことなのだと思う。

「スポーツ(昔はそういう概念はないだろうけど)」で完結するのではなくその先を見据えたものであり、それこそが「道」なのではと感銘を受ければ、それが現代まで受け継がれているからこそまさに日本が誇る「文化」なのだと感動、興奮を覚えた。

そういう考え方、捉え方こそが日本人のアイデンティティであり、世界に誇る日本の至宝だとも思った。



卓球でもよく「泥臭く」という表現が使われる。

でも「泥臭い」戦い方はおそらく「道」的な価値観には合致しないものだと再確認。

「ただ点を取ればいい」というのは道の美学ではない。

剣道でも柔道でも、空手道でも居合道でも弓道でも、はたまた茶道でも華道でも書道でも、そうした「道」の達人はあらゆるシーンで所作が美しい。

立ち姿から美しい。

凛々しい。

それは「泥臭くあってはならない」という自戒の念を強く持っているから?ではないかと思う。

その為に己を磨き続ける。

「横綱相撲」という言葉があるけど、それは圧倒的な強さで余裕を持って勝利を挙げるのではなく、泥臭い戦い方をせずに美しく立ち居振る舞い勝利するという意味ではないかと思った。

剣道八段の方々の試合とか、居合道の達人の動画なんかも時折見るけれど、本当に美しい。

恐らく、どれだけ速く刀を振っても、その動きに品が無ければ評価はされないし、所作に美しさが伴わなければ評価はされないのだと思う。

「サムライ」や「武士」という評価に対して、「人斬り」と名を遺した人がいるのはそういうことなのかもしれない。

恐らく、日本には長い歴史の中で培ってきたそういう価値観が存在し、それはもやはDNAレベルで刷り込まれているもののようにも思う。

食事の仕方、箸や茶碗の持ち方にも品や美しさが求められるのは、そうした「道」という考え方が日常生活にまで落とし込まれているからだと思う。

それが「文化」なのだ。



美しく、品よくプレーする。

だから日本の卓球はまず「フォーム」から学ばせる。

形が美しくあるべきと捉えるのだと思う。

競技をグローバルで見た際に、そうした指導が正しいことなのかどうか評価は分かれると思う。

でもそれで歴史を作ってきたのもまた事実。

その在り方そのものがまた世界で評価を受けていると思う。

決して泥臭くなく、常に美しく立ち居振舞う。

頭をよぎったのは継国縁壱だった(笑)

ただ打ち込む、切ることに専念しそこで完結するのではなく、綺麗に打ち込んでもすぐ次に備える。

その結果、美しい態勢でいられるのだと思うと・・・それはまさに日の呼吸ではないか!(笑)

13個目の型ではないか!(笑)

全く泥臭さを感じさせない凛とした強さ、美しさ。

日本人の潜在的美意識と言うか価値観をくすぐるキャラやストーリーなんだ。

だからあれだけヒットするんだな(笑)



鬼滅ネタはさておき(笑)、偶然ながら剣道から良いことを学べた。

剣道には「凛々しさ」を感じさせるものがあり、だからこそ剣道を学んだ方には特有の美しさを感じるけれど、それがようやく理解出来た気がする。

今回学んだことを自分の卓球にも取り入れていきたい。

というか、元々そうした意識を強く持ってはいた。

僕は日本人であり、それは覆しようのない事実であり、それを背負って生きていかなければならないもの。

でも僕はそれを嬉しく思っているし、誇りに思っている。

「卓球道」という言葉は一般的には使われない。

けれど、日本人の中には自然発生して然るべき価値観だと思う。

フォームにこだわる、形にこだわる、美しさにこだわる。

でもその美しさには裏付けされた理由があってのこと。

見た目の問題じゃぁない。

見た目だけの美しさは三日で飽きられる。

中身があるのが本物であり、それは飽きられることなく残っていく。

機能を優先した結果、それが美しい形になる。

ルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う」と同じこと。

結果も出さずに卓球でこんなことを言ってたら怒られるかもしれない。

でも、それが僕の価値観でありアイデンティティなのだ。

世の中の 人は何とも言わば言え 我がなすること 我のみぞ知る

サムライの言葉。

サムライ魂だ。

一度きりの人生、後悔しない為に、大いに楽しむために、自分が思う「道」を進んでいこうと改めて思う。

自分が着たい服を着る、食べたいものを食べる。

それと同じ。

本当に良い話を聞いた。

学ぶことが出来た。

まず、そうした出会いに感謝。