報告を兼ねて、とあるゲーム練習の動画をコーチに見てもらった。
がしかし、1セット見ただけれ「もういい」と言われる。
そして叱られる。
「練習してることが全く出来ていないし試みてもいない!そんな試合は見るまでもない、1セット見れば十分」
と閉口された。
そんなんじゃ練習する意味ないよ!と出禁の危機に陥るほどだった。
言われるまでもなく自分でも甚だ情けないのだけれど、改めてそう言われるとさすがに凹む。
けれど、縮んだバネはより高く伸びるのだ!
雨降って地固まる、冬来りなば春遠からじ、七転八倒という言葉があるけれど七転び八起きという言葉もある。
凹んでる暇はない。
もっともっと頑張らねば。
練習も、トレーニングも、その前後のストレッチも、さらには毎日の食生活や睡眠といった体調管理・コンディショニングも、あるいは日々の勉強も、自分を律して積み重ねていく必要がある訳で、その努力はやったらやっただけ、頑張ったら頑張っただけちゃんと積み重なるものだし、その努力は自分を裏切ることはなく、財産としてちゃんと蓄積される。
がしかし、その努力は必ず結果に結びつくというものではない。
シビアだけど、それが現実。
チャンピオンは一人だけ。
ゴールド・メダリストも一人だけ。
だからみんなそこを目指して努力を積み重ねていく。
そのレースで負けちゃった場合、それは積み重ねた努力が勝った人よりも足りなかったことだと思っている。
努力というのは数値化出来るものではないから、誰がどれだけとか、何がどのくらいとか、努力の量を他者と比べることはまず出来ないし、そんなことを試みても意味がなく、せいぜい気休めにしかならない。
情報が分からなければデータ化することだって難しいし、身体能力はもちろん性格などメンタル面も含め個人差だってあるから、同じことをやったとしても効率の良し悪しが人によって違ってきたりもするし、一概に言えるものでもないから、結局のところ選手もコーチも、あるいはチームや組織も、暗中模索しながら、唯一自信を持って頼れるのは己の経験のみという世界で取り組んでいくしかない。
そんな世界で努力を積み重ねていく。
日々練習をしていく。
でも、その練習の成果、トレーニングの成果は出せなければ意味がない。
毎日の練習を頑張って、トレーニングを頑張って、これまで出来なかったことがある日の練習でついに出来るようになる。
でもそれが試合で出来なければ意味がない。
それは出来ないことと一緒。
その試合で負けてしまったとしたら、それは成長していない、成長出来ていないことと同じことだと言える。
そう思われても仕方ない。
頑張っていることを認めてもらうとか、そういうことには何の意味もない。
結果が全て。
それがスポーツ、競技の世界。
じゃぁ、練習では出来ることが試合で出来ないのはなぜ?
なぜでしょう?(笑)
それもきっと人それぞれ、個人差があるのだと思う。
僕の場合は「心と頭の問題」だと考える。
自分で偉そうに言えば、自分の能力に自分で蓋をしてしまうということ。
その蓋、リミッターが心と頭だと考える。
そう痛感している。
心と頭は身体にとって、いってみれば劇薬みたいなもので、プラスに働くこともあればマイナスに働くこともあると言うことか。
それを自分でいかにコントロールしていくか、それもまたトレーニングだし、ただただ練習やフィジカルだけを積み重ねていってもそれは脳筋などと揶揄されることなのかもしれない。
現代ではメンタルトレーニングやマインドフルネスなど、心を鍛える、コントロールするテクニックもより明確になっているから、学ぶ手段は簡単に得られるし、決して難しいことではない。
けれど、いざその場に立った時、それは言う程簡単なことでもない。
でも、それをクリアするのは自分にしか出来ないことなのだな。
そのクリアのための条件もまた人によって様々だと思うから。
試行錯誤し、様々な経験を積み重ね、答えを見つけることもあれば、経験そのものが答えとなる場合もあると思う。
そこにも明確なものはない。
それこそまさに人生そのものか。
人類の歴史がこれだけ長く続いているのに、未だ恋愛の絶対的答えがないのと同じことで、それはまさに人によって異なるものなのだから、自分で見つけるしかない。
この歳になって未だこうして悩める、考える余地がある自分を逆に嬉しくも思う。
余白があると言うことは成長の余地があると言うこと。
達観には到底及ばない自分を逆に楽しみに思う。
僕が感じた悔しさは、指導してくれているコーチも、またサポートしてくれているメーカーや企業も、応援してくれている方々も同じことだし、むしろそれ以上かもしれない。
そのみなさんの為に、と言いたいところだけど、僕はそれほど出来た人間ではない。
だから、今はまず自分がしっかりと結果を出せるように、自分の為に頑張る。努力する。
結果的にそれがみなさんの為になることだと思うから。
同じ轍を踏むのかどうなのか、それもまた自分次第。
自分で考えて行動し、結果を出す。
心と頭の問題をどうクリアするか、自分にしか出来ないことだから、そんな自分に正面から向き合って取り組んでいく。
それが成長。
そこに年齢は関係ない。
まだまだいける。
凹むと言うことは、そこに伸び代があると言うこと。
と無理やりのこじつけ(笑)
それでいい。
言ったもの勝ち(笑)
緊急事態宣言、気を引き締めつつ頑張っていこう。
がしかし、1セット見ただけれ「もういい」と言われる。
そして叱られる。
「練習してることが全く出来ていないし試みてもいない!そんな試合は見るまでもない、1セット見れば十分」
と閉口された。
そんなんじゃ練習する意味ないよ!と出禁の危機に陥るほどだった。
言われるまでもなく自分でも甚だ情けないのだけれど、改めてそう言われるとさすがに凹む。
けれど、縮んだバネはより高く伸びるのだ!
雨降って地固まる、冬来りなば春遠からじ、七転八倒という言葉があるけれど七転び八起きという言葉もある。
凹んでる暇はない。
もっともっと頑張らねば。
練習も、トレーニングも、その前後のストレッチも、さらには毎日の食生活や睡眠といった体調管理・コンディショニングも、あるいは日々の勉強も、自分を律して積み重ねていく必要がある訳で、その努力はやったらやっただけ、頑張ったら頑張っただけちゃんと積み重なるものだし、その努力は自分を裏切ることはなく、財産としてちゃんと蓄積される。
がしかし、その努力は必ず結果に結びつくというものではない。
シビアだけど、それが現実。
チャンピオンは一人だけ。
ゴールド・メダリストも一人だけ。
だからみんなそこを目指して努力を積み重ねていく。
そのレースで負けちゃった場合、それは積み重ねた努力が勝った人よりも足りなかったことだと思っている。
努力というのは数値化出来るものではないから、誰がどれだけとか、何がどのくらいとか、努力の量を他者と比べることはまず出来ないし、そんなことを試みても意味がなく、せいぜい気休めにしかならない。
情報が分からなければデータ化することだって難しいし、身体能力はもちろん性格などメンタル面も含め個人差だってあるから、同じことをやったとしても効率の良し悪しが人によって違ってきたりもするし、一概に言えるものでもないから、結局のところ選手もコーチも、あるいはチームや組織も、暗中模索しながら、唯一自信を持って頼れるのは己の経験のみという世界で取り組んでいくしかない。
そんな世界で努力を積み重ねていく。
日々練習をしていく。
でも、その練習の成果、トレーニングの成果は出せなければ意味がない。
毎日の練習を頑張って、トレーニングを頑張って、これまで出来なかったことがある日の練習でついに出来るようになる。
でもそれが試合で出来なければ意味がない。
それは出来ないことと一緒。
その試合で負けてしまったとしたら、それは成長していない、成長出来ていないことと同じことだと言える。
そう思われても仕方ない。
頑張っていることを認めてもらうとか、そういうことには何の意味もない。
結果が全て。
それがスポーツ、競技の世界。
じゃぁ、練習では出来ることが試合で出来ないのはなぜ?
なぜでしょう?(笑)
それもきっと人それぞれ、個人差があるのだと思う。
僕の場合は「心と頭の問題」だと考える。
自分で偉そうに言えば、自分の能力に自分で蓋をしてしまうということ。
その蓋、リミッターが心と頭だと考える。
そう痛感している。
心と頭は身体にとって、いってみれば劇薬みたいなもので、プラスに働くこともあればマイナスに働くこともあると言うことか。
それを自分でいかにコントロールしていくか、それもまたトレーニングだし、ただただ練習やフィジカルだけを積み重ねていってもそれは脳筋などと揶揄されることなのかもしれない。
現代ではメンタルトレーニングやマインドフルネスなど、心を鍛える、コントロールするテクニックもより明確になっているから、学ぶ手段は簡単に得られるし、決して難しいことではない。
けれど、いざその場に立った時、それは言う程簡単なことでもない。
でも、それをクリアするのは自分にしか出来ないことなのだな。
そのクリアのための条件もまた人によって様々だと思うから。
試行錯誤し、様々な経験を積み重ね、答えを見つけることもあれば、経験そのものが答えとなる場合もあると思う。
そこにも明確なものはない。
それこそまさに人生そのものか。
人類の歴史がこれだけ長く続いているのに、未だ恋愛の絶対的答えがないのと同じことで、それはまさに人によって異なるものなのだから、自分で見つけるしかない。
この歳になって未だこうして悩める、考える余地がある自分を逆に嬉しくも思う。
余白があると言うことは成長の余地があると言うこと。
達観には到底及ばない自分を逆に楽しみに思う。
僕が感じた悔しさは、指導してくれているコーチも、またサポートしてくれているメーカーや企業も、応援してくれている方々も同じことだし、むしろそれ以上かもしれない。
そのみなさんの為に、と言いたいところだけど、僕はそれほど出来た人間ではない。
だから、今はまず自分がしっかりと結果を出せるように、自分の為に頑張る。努力する。
結果的にそれがみなさんの為になることだと思うから。
同じ轍を踏むのかどうなのか、それもまた自分次第。
自分で考えて行動し、結果を出す。
心と頭の問題をどうクリアするか、自分にしか出来ないことだから、そんな自分に正面から向き合って取り組んでいく。
それが成長。
そこに年齢は関係ない。
まだまだいける。
凹むと言うことは、そこに伸び代があると言うこと。
と無理やりのこじつけ(笑)
それでいい。
言ったもの勝ち(笑)
緊急事態宣言、気を引き締めつつ頑張っていこう。