車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

活動はただただ練習を繰り返すのみ・・・

2021年03月29日 21時43分55秒 | 日記
という日がもう一年続くことになる。

去年の今頃は大きな大会が中止になり、さらには緊急事態宣言発布で練習どころか外出すらしない引きこもり状態となった直後で、これからしばらくは試合なんてないだろうなと思ったし、台でボールを打つこともいつになればといった不安もあり、まさに五里霧中、でもその中で今出来ることをやるしかない、と自分を鼓舞していた。

練習は春には再開できたけど、結局のところ試合はずっとないままだ。

毎年11〜12月頃に開催される代表選考を兼ねた大会も昨年は中止となった。

3月開催予定だったジャパン・オープンも2年連続の中止。

2021年も春を迎えて地方での大会の開催もちらほらと聞こえてきたりもしたけれど、諸事情あって現時点では出場を見送っている。

そしてつい最近も試合の話が聞こえてきた。

毎年同じ時期に開催されている大会で、僕も度々出場したもの。

それが開催されるならぜひと思っていた。

がしかし、今年の参加者は近隣4県のみとするということで、それに該当しない僕は出場できないことが分かった。

残念に思う前に、なるほどその手があったか!と感心した。

その出場条件、英断だと思う。

主催者の立場で考えると、開催においてはすごく不安があるだろうし、背負う責任の大きさに押しつぶされそうな心情だとも思う。

だったら何かしらを託けてでもやらない方がいい、とリスク回避を優先する方が文字通り無難。

でも選手のことを考えると・・・というジレンマに多大なストレスもあるはず。

そこでこの折衷案となったと推測する。

そのお陰で、大会開催における感染対策としてこのような方法が先例として出来たことになる。

この動きが全国で広がれば、選手の交流範囲は狭くはなるけれど、活動においては一つの目標となり、少なくとも広く深く広がった霧の中で一つの明るい大きな火を灯すことになる。

その「点」が連なることで、やがてそれが「線」になるというもの。

個人的には重見天日の大いなる一歩だと思った。

その決断を高く評したい。



がしかし、僕自身の試合の予定は未だ無しとなった(笑)

アナウンスすら何も聞こえてはこない。

もう笑うしかない(笑)

でも、活動はしっかり行えている。

最近は健常者との練習ももうワンステップ上げる事が出来ていて、そこにも喜びとともに手応えを感じている。

新しい発見や気づきが重なっている。

良い練習はしっかりと出来ているので、試合のないことに対しての不満やストレスは全くと言って良いほど無い。

それがあるとすれば、ターゲットとするポイントが定められないこと。

スタート地点で「用意・・・」の声で構えたまま、いつくるとも知れない「ドン!」の合図を待っている状況。

過酷と言えば過酷な状態。

そんな自分を楽しんでいたりもするのだけれど(笑)



きっと、一人じゃないからそうなのだと思う。

卓球をともに学び、ともに楽しむ仲間の存在があればこそ。

様々な情報と共に、試行錯誤を健常者の卓球仲間とより高いレベルで共有することで、より充実した切磋琢磨な形を作り出せているように思う。

独りよがりかもしれないけど(笑)

でもその試行錯誤が新しいアイデアや発想を生み出すし、パラ選手ではない健常者との交流が、ある意味異種との交流となり、そこでまた新たなアイデアを得ることが出来るのだと確信している。

それは卓球という競技であるが故のチャンスだと思う。

数あるパラ競技の中でも、ハード面を含め様々な条件が求められる中、卓球であればこそ健常者と障害者が共にプレー出来る、共にプレーしやすいもので、それこそが卓球という競技の特性であり、その恩恵だと実感している。



それを活かさないのはもったいない。



逆に、活かせているからこそ、練習の繰り返しが楽しくてたまらないのだな。

アナウンスも何もない今だからこそ、いつ飛び込んでくるか分からないその時にしっかり備えていなければならないし、その時をベストの状態で迎えられるように体勢を維持していく必要がある。

チャンスは身構えているやつにしか掴めない、というのが僕の信念でもあるし。

イメージトレーニングや妄想といったことはいくらでも好き勝手に出来る。

だから、その類でこれから先を独りよがりにプランニングしてみたりもする。

それでいい。

それでモチベーションが高く維持できるなら安いものだ。

練習を含めそうしたルーティンワークを繰り返し、自分をしっかりと磨き上げていきたい。

でも、感染予防は気を抜かない。

しっかり気をつけて活動していく。

次の試合がいつになるか・・・

妄想しながら自分を磨く・・・

しかない(笑)

最近燃えています(笑)

2021年03月13日 12時29分05秒 | 日記
今朝は夢の中で筋トレをしていて目が覚めた(笑)

昨日と一昨日は夢の中で練習をしていた(笑)

どれもリアルな夢だった。

なんだろう?

いつにないこの高まりは・・・

試合の予定は全くないのに。

誰か特別すごい方と練習するとか、テレビの収録があるとか、そういう予定があるわけでもないのに。

でもすごく高ぶっているのが自分でもよく分る。

「あぁ早く打ちたい!」と常々思っている。

練習内容も自分でいろいろ考えるけど、最近では「あの人との練習だったらこういうのをやろう」など、自分なりにプログラムを組んだりもする。

トレーニングも同様に修正を加えて行ったりしている。

そうした意識が夢となって表れているのかもしれない。

そもそも、夢というのは脳の情報整理作業だと聞いたことがある。

だとすれば、良い傾向だ。

この調子で高めていきたい。



ところで、全国障害者スポーツ大会という、いわゆる障害者の国体の開催が今年も予定されている。

三重県だそう。

その予選大会となる東京都大会も5月に開催予定らしい。

でも、感染対策もある為今年は例年と異なる会場で行われるそうだ。

昨年の鹿児島大会は中止となり、繰越になるという話も耳にしたけど、そうはならなかったようだ。

現地、および関係者のみなさんは残念でもあり、さぞ悔しい思いをされたことと思う。



僕は今年も出場しないことにしている。

僕なりの考えがあるから。

様々な競技が開催されるだろうけど、その出場を目指している方々の練習環境が未だ厳しい状況にあるのは全国ほぼみなさん同じだと思う。

逆に、そんな状況でもなんとか工夫を凝らし頑張って出場し、その努力の成果を得たいという方々には感服する。

まさに「アスリート・マインド」だと思う。

もしかしたら、試合を求めて今年はエントリー数が多かったりするのかな?なんて考えたりもする。

いずれにしても、盛大に盛り上がることを期待したい。



練習メニューなど毎日の活動もアップデートは順調に行えていると思っている。

トレーニングも同様に行えている。

情報や知識も処理能力が増しているように思える。

それを支える日常生活においても、食事や睡眠もマイナーチェンジを加えたことなどがプラスになっている手ごたえを感じる。

全ては「連動」している。

以前、元体操選手から聞いた言葉が心に残っている。

それが「連動」。

身体の動きやトレーニング内容といったスポーツ活動だけでなく日常生活や人間関係、プライベートまでも、全ては連動していると思う。

僕はオフィス業務も部分的に行いながらだけど、それももちろん連動すると思っている。

自分をよりいい方向へ進めたいのであれば、やはり連動する自分の全てをその方向へ持っていけるように努めなければならない。

それは心の有り様というか考え方ひとつでも変わるものだともいえるだろうし、ある意味発想の転換で何とでもなるものかもしれないけど、物理的な部分はごまかしがきかないから、結局のところは自分をそちらの方向へ進めていけるだけの努力が必要になるのだと思う。

心と身体を共に同じベクトルとしていなければならないし、そのギャップが隙を生むことにもなりかねない。

でも、自分で決めたその道(方向)が正しいのか、正解は誰にも分からない。

進んだ先にしか答えはない。

それでも進んでいくしかない。

みんなそうして頑張っているのだと思う。



今のこの高まりに水をかけるようなこともあれば、それを挫くような事案が生じるかもしれない。

でも、決めた道を進んでいてこの高まりなのだから、多少のことで下を向くようなことはしたくない。

いや、それ以前に、そういうことが生じないよう自分自身が細心の注意を払って行動していなければならない。

ケガや病気がまさにそれだし、コロナの感染も同様のこと。

そうなって練習出来ないなんていうのは絶対に避けたい。

身体を動かせない状況を作りたくない。

去年の自粛期間を経て、存分に練習が出来ることをどれだけ嬉しく思えたか、有難く思えたか。

その気持ちを忘れずに、高ぶる想いを抱きつつ、日々大切に活動していきたい。



試合がどうなるか、未だ不明。

今年のオリパラの状況次第なのかもしれない。

いずれにしても、自分磨きを中断することはない。

コーチに褒められた!(笑)

2021年03月09日 23時09分14秒 | 日記
何を?

それは内緒(笑)

まぁ感覚的には褒めてもらったようなものか。

でもそんな風に明言されたことは初めてだったので、コーチとしてはなんでもない一言だったのだろうけど、僕はそれを聞き逃さなかったし、何よりもその言葉が僕には超気持ちよかったのもあり、心に深く突き刺さったのでした。

確かにコーチは厳しい。

というよりも、甘くはないといった感じか。

だからといって別段卑下されるとか否定されてばかりとかそんなことは全くない。

「ぶきっちょだよね~(笑)」

と笑われたことは度々のさらに度々ある(笑)

けれど、そんな僕を厳しく指導してくれていて、といってもその時間指導したからそれで終わりというものではなく、僕の成長をもっと広角に、俯瞰で捉えてくれているので、アドバイスは多岐にわたるし決して甘いものばかりでもなく、障害者だからという遠慮ももちろんない。

そうしたところはプロの指導者であることはもちろんだけど、そのレベルを超えて率直に人柄の表れなのだとも思っている。



逆に、いただくアドバイスをどのように受け止めるか、それをどう活かしていくのか、それは指導される側の「責任」だと思っている。

アドバイスをもらっても何もしなければ聞きもしない、あるいは「分かりました」と口では言うけれど、聞き流しているようなやつもいる。

口でどう言ったところで、それを行動に示さなければ伝わらないだろうし、そもそも相手は指導のプロ、その生徒がどれだけ真面目に、懸命に取り組んでいるのかは一目で分かるだろうし、見抜けるものだと思う。

暖簾に腕押し的な生徒には指導する気持ちが高まりはしないだろうし、積極的なアドバイスもなく、むしろ言われればするかな?という程度の無難なラインで、これくらい言っておけばいいかという「とりあえず」の最低限度レベルということになるように思える。

そりゃそうだ。だって、自分が築き上げてきた知識や技術といった貴重な「財産」を、そう易々と人には渡したくないはずだし、渡す相手はしっかり選びたいというのがごく普通の心情だから。



より良い指導を受けたいならば、まず自分がより良い受け手にならなければならない。

相互にそうした気持ちというか志が、お互いがどのレベルで向き合っているかで信頼関係は構築されるものだと思う。

試合でもベンチコーチという存在にはまず信頼関係が無ければ意味がない。

むしろマイナスになるだけかもしれない。

言葉というツールを用いたコミュニケーションでも、人にはその向こう側を言葉以外の情報から少なからず「察する」能力を有している以上、それを踏まえた上でのコミュニケーションを行わなければ信頼関係は得られないはず。

でなければ、ただの損得勘定の付き合いに過ぎないのだから。



じゃぁ僕はそう出来ているのか?

いや、コーチの心がより大きいからその恩恵を受けているだけ(笑)

でも、指導を受け始めてもうずいぶん経つ。

その時間が作り上げたものは確かに存在すると思う。

だからこそ、相互に意見を「ぶつけ合える」のだろうし、そこから新しい何かを見いだせれば、それが後の財産となっていくのだと思う。



最近はコロナ禍の一年間の活動が成果を生んでいるように思えてきている。

それが様々な部分で実感できる瞬間がある。

だからこそ、可能性をも実感している。

良い方向に向かっている。

でもそこで気を大きくして、それこそ気を緩めてはいけない。

まずは感染対策。

季節も変わってきて体調にも変化が起こりやすいはずだから、より気を引き締めなければならない。

でも、出来ることは出来る限りやっていきたい。

挑んでいきたい。

やり過ぎることのないようはやる気持ちを多少抑えつつも、粛々と、取り組んでいく。

気分一新の春!

2021年03月02日 22時13分44秒 | 日記
この一年間、練習はホームのみで行ってきて、他所で車椅子同士で練習したのは秋頃のごく僅かな時間だけだった。

その間に自分の積み重ねてきたものがどうなのか、その成果を確認したいし、確認するまでは逆に不安が付き纏うし、それは精神衛生上良くはなく、集中力やモチベーションにも悪影響を与える。逆に不安がなければそれは単なる井の中の蛙で大海に出て打ちのめされるだけかもしれないし、大海を悠々泳ぎ切るだけの蛙にになることはそう簡単なことではない。

だから外部との交流、言わば武者修行が不可欠だと思っている。

がしかし、それを強く拒むのが今のこのパンデミック。

でもその隙間を掻い潜って外に出るのは決して難しいことではないので、やろうと思えば簡単に出来たりもするけれど、その行動が社会的にどうなのか?不要不急ではないのか?その線引きも人によって異なるし、足枷となるのはむしろその部分と、ウィルスへの恐怖そのもの。

だから、結果的にこの一年間の練習は「引きこもり」だった。

でもそろそろ、という気持ちがより強くなってくる。

確認したくなる。

だから、選手としてもう少し「遠慮せずに」動き出す決意をする。

その判断と行動もまた自分磨きの一つにもなるから。

自身のレベルアップ、ステップアップの為にこのコロナ禍のおける行動もステップアップを試みていく。

もちろん感染対策の気を緩めることのないように取り組まなければならないし、その判断を誤らないように心がけた上で。



暦の上でも体感的にも、季節は「春」になった。

だからこそ、気の緩みのないように気をつけなければならないけれど、ギアチェンジをするには良いタイミングだと直感的に思えたし、行動はまだまだ制限される部分はあるけれど、気持ちはもっともっと前を、上を向いて、物理的にも自分をそちら側へ運んでいけるようにありたいと思う。



コンディションはすこぶる良い。

手応えは十二分にある。

STIGA JAPANの協力もあり、最近は色々と新たなことにもチャレンジ出来、視野も情報も広がっている。

今月からホームの卓球台もメーカーの協力でなんと、2019年チーム・ワールドカップ東京大会センターコートの台となった。

卓球台も塗料やそのコーティングなど、毎年進化を遂げているけれど、これは現時点でまさにトップクオリティのもの。現状ではナショナルトレーニングセンターにある2020東京大会の台「MOTIF」と同じ天板らしい。

連日その台で練習させていただいているけれど、ワクワク感がとまらない(笑)

気分はまさに春、なのだな。



でもつい先日コーチから新たな課題も指摘されたし、自分でもそれを痛感しているので、その課題をどう克服していくかのトレーニングもより具体的に行っていきたい。

人間は幾つになっても、どういう状況下にあっても、成長していけるものだと確信している。

それがある意味僕の信念でもある。

その為に必要なことは、まず自身の決意。

それに尽きる。

情報、協力、環境云々は二の次。

それはあるに越したことはないけれど、自分の気持ちを上回る条件にはならない。

ハードルが生じたり、向かい風が吹いたり、壁が立ちそびえたり、或いは足元を泥濘に取られたりすることもしばしあるけれど、気持ちの強さ、大きさがそれを超える力に直結するし、それを回避するにしても、その判断の速さや行動の素早さにもそれが直結するはずだと考える。

よし、頑張っていこう。

負けられないぜ。

挑んでいくのだ。

この春が全ての人にとって心地よい素晴らしい季節隣、心地よい風が吹くことを願っている。

花粉が混じっていることは承知の上で(笑)