車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

映画を語る?恋愛を語る?それとも、思い出を語る?(笑)

2021年05月22日 21時52分13秒 | 日記
今回のブログ、表題のとおりいつもとは大きく主旨を変えた内容を綴りたい。

何故に?

うん、思い付き(笑)

いや、きっかけはもちろんある。

それはある映画を見たこと。

「華麗なるギャツビー」という映画。

1974年の作品を見た。

僕がこの映画に出会ったのは20歳になるかならないかの頃。

当時出会った女性の「あのロバート・レッドフォードが素敵なのよ!」という一言からだった。

それでロバート・レッドフォードのかっこよさを学ぶべくすぐに見たけれど、ストーリーに関しては正直ピンとこなかった。

がしかし、「あのストーリーの良さが分からない」という思いはずっと心に残っていた。

そして、大人になって「今ならあの映画を理解出来るかも」と思うようになった。

もうずいぶん長いことそう思い続けていたけれど、それをついに見たのだった。

結論。

ロバート・レッドフォードがかっこいい(笑)

いや、そのかっこよさが初めて見た当時に比べ格段に理解できた気がする。

でもそれ以上に、ストーリーが理解出来た自分を嬉しく思った。

だからこそ、その重さを感じた。

心にグッと入り込んできたのだ。

初めて見た当時とは全然違った印象だった。

あの頃に比べたら僕も様々な人生経験を重ね、それなりに世の酸いも甘いも多少は知ったつもりではいるので、だからこそ刺さるものがあるのだろうし、共感するものがあるのだと思う。

何か心にずんと重たいものが乗るような感覚で、それが鈍く付きまとう。

作者はこのストーリーで何を表現したかった?何を訴えようとしていた?

それを深掘りしたくなる。

映画自体は原作既読を前提に作られたような印象のストーリーに思えたので、原作を読みたくなるも、でもその前に2013年の同名作品も見ておこうと直後に見る。

ストーリーは同じ。

でも雰囲気は全然違う。

新しい方が分かりやすい。

けれど、主人公のダンディズムが桁違いに思えた。

もちろんそれは脚本や演出の違い。

きっと、あの時の彼女がこれを見たとしても、ロバート・レッドフォードと同じ「素敵」な印象は得なかっただろうと思う。

いや、そう思わせるのは僕が重ねた20年以上の月日なのかもしれない。

いずれにしても、華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)の「華麗(Great)」の所以が自分なりにようやく理解できた。

それが嬉しいし、当時の僕に「そのうち分かるよ」と伝えたい(笑)



いずれにしても、この映画が今の僕の心に一石を投じたことは間違いない。

そして、僕の人生に影響を与えたことを今改めて痛感する。

この映画を、そして主人公のダンディズムを、今ようやく理解できたから、だから何をしたい?昔を掘り返したい?

なんてつもりは毛頭ないし、そうすることの侘しさみたいなものもこの映画でまた学んだつもりでもいる。

捨てられない、忘れられない思い出は誰にだってたくさんあるはず。

良い思い出も嫌な思い出も。

でも、今の自分を作っているのはそうした全ての思い出たちなのだ。

だから、それらを全て肯定し、前を向いて進んでいけばいい。

嫌な思い出をいくら否定したところで、過去は変えられない。

だったら、その嫌な思い出を上塗り出来るだけの華麗なる今の自分、未来の自分を作り上げればいい。

華麗なる今の自分を築き上げたパーツの一つが嫌な思い出であるとすれば、きっとそこにも感謝出来るはず。

今の自分を否定するから過去の嫌な思い出をより強く否定するのだろうし、良い思い出に縋りつくのかもしれない。

それじゃぁ格好悪いじゃないか。

今の自分を肯定し、少しでも華麗な人生を歩んでいけるようにこの先も頑張り続ける。

過去を反省することは大切だと思う。

でも後悔はしない。

反省し、糧にして、前に進んでいく。

だから、失敗した当時の自分にも感謝出来る。

週末に思い立って見た華麗なるギャツビー。

素晴らしかった。

そういう思い出を失っていない自分にも感謝したい。

もし僕にこの映画を教えてくれた彼女がそのことを記憶から無くしていたとしたら、その思い出は僕の中だけにしか無いことになる。

そんな切なさがまた思い出を輝かせるな(笑)



普段の活動とは全く異なる心境で過ごせた週末。

まさにオフの時間。

オフの時間がオンの時間をより良いものにしてくれる。

その時間があるから、スタートした時にフィジカルもより良い動きをする。

そういう時間を過ごせることにまず感謝。

外出を自粛する期間だからこそ、有意義な過ごし方がまたあるのだと思う。

次のオフは何して過ごす?

それはまだ考えない。

目の前にはオンの課題が山積みだからそちらを優先。

いろいろやること、やるべきことがある、それが見えているということが嬉しいし、本当にありがたい。

さぁ、若い頃の宿題をようやくひとつクリアできたのだ。

また新たな気持ちで胸を張って進んでいこう。

映画の主人公が教えてくれた様々なことを糧として、今の自分にプラスして、真摯に前進していこう。

なんだろう、この心豊かな心境(笑)

今ワインを開けたら何でも美味しく飲めるんだろうな(笑)

はい、オンに戻ります(笑)

刺激を受ける

2021年05月11日 22時15分30秒 | 日記
「刺激」

更なる一歩を踏み出すきっかけや、あるいは新しいアイデアのヒントなど、現状からの変化、軌道修正や方向転換、それこそ人生のターニングポイントとなるその瞬間のスパイスがそれにあたると思う。

でも、「刺激」というのは強すぎると痛みにしか思えないものかもしれない。

逆に弱ければさほどの影響もなく、すぐに忘れてしまうものかもしれない。

その時々で、必要に応じた強さでなければ「良い刺激」にはなり得ないだろうし、痛みを伴うそれに耐えうる強さがどれくらいあるのかでもまたその刺激の評価は異なってくるように思える。

同じものでもその刺激が良いものであるかどうかは人それぞれだと思う。



そう考える僕だけど、先日僕なりに強い刺激を受けた。

良い刺激だった。

もちろん、痛みを伴っている。

結構な痛みだった。

でも、良い刺激として受け止めている。

新しいスイッチが入ったような感覚でもあり、強い痛みに挫けそうな、正直言えば悔しさで歯ぎしりしそうな部分もあるけれど、総合的に自分にとってプラスに出来る良い刺激だった。



「積み重ねる」をテーマに活動しているけれど、それは思いのほか出来ているのかどうか未だ確信が持てない。

いや、確信を持てる部分はある。

今のところ若干だけど。

大半は分からない部分。

言い訳はいくらでも出来る。

でも大切なのは結果。

結果として出せなければそれは積み重なりが足りていないということ。

どこか一部分に満足しても結果が出なければそれは「0」と同じ。

今の自分に満足しているとすれば、それは井の中の蛙。

それじゃぁお粗末だ。

だから、足りていない部分をまずはしっかりと分析し、それをまたしっかりと積み重ねていかなければならない。



じゃぁその足りていない部分というのはどう認識すればいい?

それは第三者を含めた自己分析だと考える。

でも、人から与えられた情報を、文字通り「鵜呑み」にしてはいけない。

それはただその「言葉」を飲み込むだけに過ぎないから。

その言葉の向こう側にある意味、真意をしっかり消化・吸収しなければならない。

でなければ、意味を間違った解釈で受け止めかねないし、場合によっては消化不良を起こすことになる。

自分で考えて分からなければ、誰かに咀嚼してもらう必要もある。

「自分で消化・吸収するということ」は、かつてのオリンピック代表だったプロコーチからも以前に教わったから、その大切さも理解しているつもり。

でもそれも最近になってようやく自分のものに出来た感がある。

消化・吸収には時間がかかると言うことなのだな。

タンパク質と同じだ(笑)

ショ糖と同じで甘い言葉はすぐに吸収できる(笑)

でも、刺激を伴うそれはそうはいかないものなのかもしれない。

もちろんこれも人によって異なるはず。

自分で言うのもなんだけど、僕はもう大人だ。

言葉の意味は大人なりに理解できるつもりでいる。

けれど、それが自分の中で誤解を招いてしまっているのだと気づく。

言葉を理解できたから、それを自分のものに出来ているかというと、必ずしもそうではないのだ。

ただ情報として記憶したにすぎない。

今までもそう思う瞬間は多々あった。

けれど、今回の刺激がそれを改めて、いや、まざまざと、気づかせてくれた。



痛みを伴う強い刺激。

決して心地いいものではない。

けれど、それが結果的に心地良い世界へとステップアップさせてくれるものなのかもしれない。

いや、そうできるかどうかは自分次第なのだろうな。

その極みがイノベーションと言える。

そこまで持っていけるかどうか、それもまた自分次第。

それには多少の運も必要なのかもしれない。

その運を類い寄せられるかどうかもまた自分次第だと僕は思う。

そもそも、刺激を得られた、与えられたこと自体が幸運なことであり、それはある意味誇らしいことだとも言える・・・と思いたい(笑)



さぁ、自分の中でイノベーションを起こしていこう。

今まさにそういうタイミングを迎えたようだ。

その過不足はさておき、積み重ねてきたものは確実に存在している。

踏み出す一歩をサポートしてくれる環境があるし、背中を押してくれる仲間たちがいる。

幸せなことだ。

でも、前進する力は自分の力。

ここから先は自分次第。

今までよりももう一つギアを上げていく。

夏が近い。