脊髄損傷をし胸から下の感覚を失ってから16年になる。
同じような障害を持つ人から時々耳にするのが「原因不明の痛み」で、僕の場合は脊髄の損傷個所付近、身体を一周する痛みが不定期に生じている。
それは受傷後頻繁に起こっていたし、今でも少なくはない。
「痛み」?
いや、僕の場合は少し違っている。
「痛み」は確かに存在するけどさほど強いものではなく、むしろそれ以上に「かゆみ」みたいな不快感が強く襲ってくる、まさに激しい痛痒さで、それこそまさにイライラさせられるような「不快感」なのだ。
それはまさにゲリラであって神出鬼没。
デスクワーク中でも、運転中でも、リビングでくつろいでいる時でも風呂に入っている時でも、突然襲ってくる。
まず、背中辺りで「ゾワッ」とする感覚が起こり、「あ、きた!」と思うとそのゾワゾワ感が身体のその高さでゆっくり前に回ってくる感じになり、正面に来た時がピークで「あ゛―!」となってみぞおち辺りを激しく掻かずにはいられないのだ。
その原因は不明らしい。
それを何とかしてくれと医者に頼むのはお医者さんを困らせるだけになるかもしれないし、不快感ではあるけれど耐えられないものでもなければ誰に迷惑をかけるものでもないから、僕は一生付き合っていくものだと、その存在を肯定してしまっている。
ただ、その原因はなんだろうと自分で勝手に考えている。
考えたって答え合わせも出来ないし、その答えを求めてもいないけど(笑)
でもそうしてると、その不快感をプラス材料に変換出来たりもするから、人生って面白いなぁと思えるし、そんな自分を楽しめてくる。
何事も要は言葉や文章、あるいは法と同じで、解釈次第ということ。
考え方次第、見方次第。
不快感を覚えることも、視点を変えてみれば違った形になるということ。
ピラミッドやお饅頭の形と同じ。
原因不明の不快感が今なお襲ってくる。
でもそれは16年前と変わらずに神経の伝達が行われているということ。
衰えていないということだ。
自分で動かせない足もこれを書いている今だって突然前に蹴りだす「ゲリラ・トゥーキック」をしている(笑)
以前と変わらずそうした動きがあることは、面倒ではあるけど残存筋肉が活動出来ていることだし、ということは血液の循環も行えているということであり、骨も強度を維持できているとか、皮膚や筋肉も同様と考えられ、万が一の怪我のリスクもより少なくて済むと言える。
みぞおちの不快感ももしかしたら神経系の新たな伝達ルート構築の為に身体が機能しているとか、それこそ神経細胞のオートファジーの影響とかかもしれない。
物事を自分の都合のいいように考えるからポジティブ思考か(笑)
言葉を返せば楽天家(笑)
でもそれで笑顔でいられて、食事も美味しく出来て、明日への活力を得られて、周囲に余計な懸念や不安、それこそ不快感を与えずに生きていられるならその方がずっといい。
まぁいずれにしても、自分がずっと付き合ってきている不快感にプラスの概念を与えられた自身の心の余裕が嬉しい(笑)
そういう時は何かとプラスに働く、動くことが多いものだと思っている。
類は友を呼ぶとか、お金はお金のある所にとか、そういったことも似ていることかと思うけど、それって案外感じ方の問題なだけで、自分がそうだからそう思えるってことなんじゃないのと思うのだ。
だから、プラス思考に考えていればプラスの方向に進んでいく。
プラスの方を見ていればこそ、そっちに進んでいく。
バイクと同じでそういうことだと思った。
不快感に襲われたときに(笑)
そんな感じで活動していると、色々な気づきが出てきて、やってみると手ごたえを得られて、試合の直前で変更するかしないかの判断となり、そんな時こそ「いつやるの?今でしょ!」となるのは当然で、でも直ぐにはものに出来ないから頑張ってやっていかなきゃとそれに取り組みだし、結果的に試合をどう進められるか不安にもなるけど、長期的に見ればと脳筋ぶりを発揮する(笑)
プラスに考えていこう。
プラスの方向というのは、例えるなら光が差す方向。
であればそれは、地球で言うなら日が差す半球体。
二次元で言えば180度の範囲であり、180度の方向となる。
1度区切りで見ても180の方向があるということになる。
その中からどれか一つを選んで進む?
いや、その選択はめちゃくちゃ難しい。
それを求めるのはちょっと無理がある。
それを求めるから、決められなくて、結果その場に立ちすくむことになる。
そうじゃない。
そこで発想の転換。
光のさす方へ進むということは、暗い方へ進まないということ。
「暗い方へ行かない」
と決断することが肝心なんだ。
暗い方向も180とおりあるけれど、とにかくそっち側へ進まないようにするためにまずは逆の180の方向へ進んでいればそれでいい、とも言える。
その中からどの方向を選択するか?
それはその時決めればいい。
なるべく暗くはないところで0度や180度の方向は避けて90度に近い方向へ進むとか、最初はそういう判断で良いと思う。
多分、進んでいくうちに色々見えてくるだろうし、その時々で進みたい方向も変わってくるはずだから。
そして目が肥えてきて感覚が研ぎ澄まされてくると、180の方向が小数点以下にまで細分化されていくだろうし、そうして一生懸命に頑張って進んでいると、それまでの自分やその時に自分を褒められる、自分に胸を張れるようになると思う。
そういうものに、私はなりたい(笑)
今なおゲリラ・トゥーキックは続いている(笑)
その度に姿勢が崩れるし、足を手で直したりしなきゃならないので面倒だ。
でも、動いてくれることに感謝だし、その動きをありがたくも思う。
暑くなってコンディショニングもより気を付けなきゃならないし、コロナの再拡大もあって活動もまた慎重さを増してきている。
次の遠征も差し迫っているので、しっかりと注意しつつ準備を進めていきたい。
課題は山積みの上にさらにどんどん積み重なっている。
そんな自分を楽しんでいたい。
課題があるということは、それだけ伸びしろがあるということ。
可能性があるから課題となるのだから。
自分勝手な言い訳(笑)
この調子で熱さに負けずに頑張っていきたい。
同じような障害を持つ人から時々耳にするのが「原因不明の痛み」で、僕の場合は脊髄の損傷個所付近、身体を一周する痛みが不定期に生じている。
それは受傷後頻繁に起こっていたし、今でも少なくはない。
「痛み」?
いや、僕の場合は少し違っている。
「痛み」は確かに存在するけどさほど強いものではなく、むしろそれ以上に「かゆみ」みたいな不快感が強く襲ってくる、まさに激しい痛痒さで、それこそまさにイライラさせられるような「不快感」なのだ。
それはまさにゲリラであって神出鬼没。
デスクワーク中でも、運転中でも、リビングでくつろいでいる時でも風呂に入っている時でも、突然襲ってくる。
まず、背中辺りで「ゾワッ」とする感覚が起こり、「あ、きた!」と思うとそのゾワゾワ感が身体のその高さでゆっくり前に回ってくる感じになり、正面に来た時がピークで「あ゛―!」となってみぞおち辺りを激しく掻かずにはいられないのだ。
その原因は不明らしい。
それを何とかしてくれと医者に頼むのはお医者さんを困らせるだけになるかもしれないし、不快感ではあるけれど耐えられないものでもなければ誰に迷惑をかけるものでもないから、僕は一生付き合っていくものだと、その存在を肯定してしまっている。
ただ、その原因はなんだろうと自分で勝手に考えている。
考えたって答え合わせも出来ないし、その答えを求めてもいないけど(笑)
でもそうしてると、その不快感をプラス材料に変換出来たりもするから、人生って面白いなぁと思えるし、そんな自分を楽しめてくる。
何事も要は言葉や文章、あるいは法と同じで、解釈次第ということ。
考え方次第、見方次第。
不快感を覚えることも、視点を変えてみれば違った形になるということ。
ピラミッドやお饅頭の形と同じ。
原因不明の不快感が今なお襲ってくる。
でもそれは16年前と変わらずに神経の伝達が行われているということ。
衰えていないということだ。
自分で動かせない足もこれを書いている今だって突然前に蹴りだす「ゲリラ・トゥーキック」をしている(笑)
以前と変わらずそうした動きがあることは、面倒ではあるけど残存筋肉が活動出来ていることだし、ということは血液の循環も行えているということであり、骨も強度を維持できているとか、皮膚や筋肉も同様と考えられ、万が一の怪我のリスクもより少なくて済むと言える。
みぞおちの不快感ももしかしたら神経系の新たな伝達ルート構築の為に身体が機能しているとか、それこそ神経細胞のオートファジーの影響とかかもしれない。
物事を自分の都合のいいように考えるからポジティブ思考か(笑)
言葉を返せば楽天家(笑)
でもそれで笑顔でいられて、食事も美味しく出来て、明日への活力を得られて、周囲に余計な懸念や不安、それこそ不快感を与えずに生きていられるならその方がずっといい。
まぁいずれにしても、自分がずっと付き合ってきている不快感にプラスの概念を与えられた自身の心の余裕が嬉しい(笑)
そういう時は何かとプラスに働く、動くことが多いものだと思っている。
類は友を呼ぶとか、お金はお金のある所にとか、そういったことも似ていることかと思うけど、それって案外感じ方の問題なだけで、自分がそうだからそう思えるってことなんじゃないのと思うのだ。
だから、プラス思考に考えていればプラスの方向に進んでいく。
プラスの方を見ていればこそ、そっちに進んでいく。
バイクと同じでそういうことだと思った。
不快感に襲われたときに(笑)
そんな感じで活動していると、色々な気づきが出てきて、やってみると手ごたえを得られて、試合の直前で変更するかしないかの判断となり、そんな時こそ「いつやるの?今でしょ!」となるのは当然で、でも直ぐにはものに出来ないから頑張ってやっていかなきゃとそれに取り組みだし、結果的に試合をどう進められるか不安にもなるけど、長期的に見ればと脳筋ぶりを発揮する(笑)
プラスに考えていこう。
プラスの方向というのは、例えるなら光が差す方向。
であればそれは、地球で言うなら日が差す半球体。
二次元で言えば180度の範囲であり、180度の方向となる。
1度区切りで見ても180の方向があるということになる。
その中からどれか一つを選んで進む?
いや、その選択はめちゃくちゃ難しい。
それを求めるのはちょっと無理がある。
それを求めるから、決められなくて、結果その場に立ちすくむことになる。
そうじゃない。
そこで発想の転換。
光のさす方へ進むということは、暗い方へ進まないということ。
「暗い方へ行かない」
と決断することが肝心なんだ。
暗い方向も180とおりあるけれど、とにかくそっち側へ進まないようにするためにまずは逆の180の方向へ進んでいればそれでいい、とも言える。
その中からどの方向を選択するか?
それはその時決めればいい。
なるべく暗くはないところで0度や180度の方向は避けて90度に近い方向へ進むとか、最初はそういう判断で良いと思う。
多分、進んでいくうちに色々見えてくるだろうし、その時々で進みたい方向も変わってくるはずだから。
そして目が肥えてきて感覚が研ぎ澄まされてくると、180の方向が小数点以下にまで細分化されていくだろうし、そうして一生懸命に頑張って進んでいると、それまでの自分やその時に自分を褒められる、自分に胸を張れるようになると思う。
そういうものに、私はなりたい(笑)
今なおゲリラ・トゥーキックは続いている(笑)
その度に姿勢が崩れるし、足を手で直したりしなきゃならないので面倒だ。
でも、動いてくれることに感謝だし、その動きをありがたくも思う。
暑くなってコンディショニングもより気を付けなきゃならないし、コロナの再拡大もあって活動もまた慎重さを増してきている。
次の遠征も差し迫っているので、しっかりと注意しつつ準備を進めていきたい。
課題は山積みの上にさらにどんどん積み重なっている。
そんな自分を楽しんでいたい。
課題があるということは、それだけ伸びしろがあるということ。
可能性があるから課題となるのだから。
自分勝手な言い訳(笑)
この調子で熱さに負けずに頑張っていきたい。
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