車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

刺激を受ける

2021年05月11日 22時15分30秒 | 日記
「刺激」

更なる一歩を踏み出すきっかけや、あるいは新しいアイデアのヒントなど、現状からの変化、軌道修正や方向転換、それこそ人生のターニングポイントとなるその瞬間のスパイスがそれにあたると思う。

でも、「刺激」というのは強すぎると痛みにしか思えないものかもしれない。

逆に弱ければさほどの影響もなく、すぐに忘れてしまうものかもしれない。

その時々で、必要に応じた強さでなければ「良い刺激」にはなり得ないだろうし、痛みを伴うそれに耐えうる強さがどれくらいあるのかでもまたその刺激の評価は異なってくるように思える。

同じものでもその刺激が良いものであるかどうかは人それぞれだと思う。



そう考える僕だけど、先日僕なりに強い刺激を受けた。

良い刺激だった。

もちろん、痛みを伴っている。

結構な痛みだった。

でも、良い刺激として受け止めている。

新しいスイッチが入ったような感覚でもあり、強い痛みに挫けそうな、正直言えば悔しさで歯ぎしりしそうな部分もあるけれど、総合的に自分にとってプラスに出来る良い刺激だった。



「積み重ねる」をテーマに活動しているけれど、それは思いのほか出来ているのかどうか未だ確信が持てない。

いや、確信を持てる部分はある。

今のところ若干だけど。

大半は分からない部分。

言い訳はいくらでも出来る。

でも大切なのは結果。

結果として出せなければそれは積み重なりが足りていないということ。

どこか一部分に満足しても結果が出なければそれは「0」と同じ。

今の自分に満足しているとすれば、それは井の中の蛙。

それじゃぁお粗末だ。

だから、足りていない部分をまずはしっかりと分析し、それをまたしっかりと積み重ねていかなければならない。



じゃぁその足りていない部分というのはどう認識すればいい?

それは第三者を含めた自己分析だと考える。

でも、人から与えられた情報を、文字通り「鵜呑み」にしてはいけない。

それはただその「言葉」を飲み込むだけに過ぎないから。

その言葉の向こう側にある意味、真意をしっかり消化・吸収しなければならない。

でなければ、意味を間違った解釈で受け止めかねないし、場合によっては消化不良を起こすことになる。

自分で考えて分からなければ、誰かに咀嚼してもらう必要もある。

「自分で消化・吸収するということ」は、かつてのオリンピック代表だったプロコーチからも以前に教わったから、その大切さも理解しているつもり。

でもそれも最近になってようやく自分のものに出来た感がある。

消化・吸収には時間がかかると言うことなのだな。

タンパク質と同じだ(笑)

ショ糖と同じで甘い言葉はすぐに吸収できる(笑)

でも、刺激を伴うそれはそうはいかないものなのかもしれない。

もちろんこれも人によって異なるはず。

自分で言うのもなんだけど、僕はもう大人だ。

言葉の意味は大人なりに理解できるつもりでいる。

けれど、それが自分の中で誤解を招いてしまっているのだと気づく。

言葉を理解できたから、それを自分のものに出来ているかというと、必ずしもそうではないのだ。

ただ情報として記憶したにすぎない。

今までもそう思う瞬間は多々あった。

けれど、今回の刺激がそれを改めて、いや、まざまざと、気づかせてくれた。



痛みを伴う強い刺激。

決して心地いいものではない。

けれど、それが結果的に心地良い世界へとステップアップさせてくれるものなのかもしれない。

いや、そうできるかどうかは自分次第なのだろうな。

その極みがイノベーションと言える。

そこまで持っていけるかどうか、それもまた自分次第。

それには多少の運も必要なのかもしれない。

その運を類い寄せられるかどうかもまた自分次第だと僕は思う。

そもそも、刺激を得られた、与えられたこと自体が幸運なことであり、それはある意味誇らしいことだとも言える・・・と思いたい(笑)



さぁ、自分の中でイノベーションを起こしていこう。

今まさにそういうタイミングを迎えたようだ。

その過不足はさておき、積み重ねてきたものは確実に存在している。

踏み出す一歩をサポートしてくれる環境があるし、背中を押してくれる仲間たちがいる。

幸せなことだ。

でも、前進する力は自分の力。

ここから先は自分次第。

今までよりももう一つギアを上げていく。

夏が近い。

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