今のこの状況下では、以前と同じような環境での練習は出来ていない。
場所にもよると思うけど、僕のホームである卓球場では、まず換気を常に行っているので、窓やドアなどは全て解放状態にある。
通常の卓球場では考えられないこと。
だって、競技の特性上風と光には特に注意が必要になるから。
でもそれが今のこの特別な状況を象徴していると思っている。
空調も稼働させていないし、もしそうしても効果はほぼ無いに等しいと思われるから電気代が無駄なだけ。
だから稼働しているのは扇風機だけで、これもまた通常はあり得ないこと。
そういうわけで、気温も高ければ季節柄湿度も高い。
まさに過酷な状況。
僕は一日数時間だけだけど、コーチ達は朝から晩までずっとレッスンを受け持ったりもするから、体力の消耗は桁違いなはず。
そう、体力の消耗が通常よりも大きいのだ。
でも正直、僕はそれが嬉しい。
その状況下での練習を楽しんでいる。
充実した練習をそれこそ満喫している。
なぜ?
だって、学生時代を思い出すから。
当時は学校の体育館が練習場所だったけど、もちろん空調などなかった。
風が入っちゃいけないから窓は閉めて、光が入らないようにカーテンも閉めて練習をしていた。
休憩時間になって「水飲んでいいぞ」と言われるまでは水を飲むことも無かった。
特に夏場、練習後にシャツを絞れば汗がボトボトと落ちる先輩も複数いた。
卓球場でお世話になる際に、「どんな感じで練習したい?」と聞かれた際に、僕は開口一番に「部活のような練習がしたいです」と答えた。
だから、コーチ達は厳しく指導してくださる。
だけど、空調管理された環境は快適で、それは障害者スポーツセンターも然り、僕が利用する一般の体育館も同様だった。
快適な環境下で練習が出来るのは非常にありがたいのだけれど、でも逆にどこか当時の部活のように「追い込まれている感」に欠けていたのだ。
練習が終わっても爽やかさが保てているような感じ。
身体の各所の疲労感は多々あっても、スタミナを奪われている感覚はあまり無かった。
車椅子という身体で行う卓球だからこそのものと思うけれど、僕は心の中ではずっと、全身から汗がにじみ出て、シャツを脱ぐとズシッと重たく感じるような、それくらいになるまで追い込まれる練習に憧れていたし、それを望み、また懐かしんでいた。
障害者という身体であるが故に、周囲の気遣いも大きく、怪我や体調不良を起こしてはならないという部分においては特に注意が必要なこともあるから、その結果スポーツ活動においてもある意味健常者以上に気を遣っていただいている結果というか、恩恵でもあるのだと考えるけど。
でも今はそうではない。
昭和の時代に戻った環境!(笑)
今はまさにそれを楽しめている!
満喫できているのだ!
不謹慎だと思うけど敢えて言わせていただけば、これもこのコロナの恩恵。
さらに、長く続いた外出自粛期間が僕にもたらしたプラス要素も複数ある。
今、身体を追い込みながら(いうほどのレベルでもないけど(笑))の練習を行いながら、先の2か月間で得たものを噛みしめている。
あの頃を思い出す「部活のような練習」が嬉しくて、楽しくて仕方ない。
当時よりも遥かに内容の濃い練習が出来てもいるし。
「やり遂げた感」が今まで以上に大きくある。
だから、気持ちがさらに上を向く。
モチベーションが上がる。
その結果、他の多くの部分が上を向いている気さえしてくる。
ただ、練習を再開してから気づく「あれもやっておかなきゃいけなかった!」という自粛期間中の反省。
でも逆にそれに気づけるということもまた成長の証であり、自分にとってそれが大切な要素であるということを再確認。
これもまたコロナの恩恵。
試合の予定は未だない。
海外の連中が今どうしているのか、想像したりもする。
報道で聞く限り、国や地域によってその状況は大きく異なるけれど、僕が思うに、案外みんな普通に(練習やトレーニングを)やっているのだと思う。
だってみんな現役だから。
何かしらの策を練って、あの手この手で頑張っているのだと思う。
だから、自分も気を抜いてはいられない。
こうした状況下で「コロナ過」が言われる中、スポーツの有り様にも変化が生じるかもしれないし、もしかしたら卓球競技も運営やルールに至るまで今後何かしらの変化が生じるかもしれない。
もしそうなったとしても、卓球は卓球でありスポーツはスポーツだ。
身体を駆使し、技術を生かし、頭を使って心の強さで競技するものに変わりはない。
その世界で生き抜いていける自分を今養っていく。
それは今後どのような状況下においても役立つはず。
「部活のような練習」がもたらすものは、身体という物理的なものへの影響だけでなく、僕にとってはまさに心の糧にもなっている。
学生時代の経験がまさに今の財産になっている。
あの当時の経験が無ければ、今の身体ではこの状況を受け入れがたかったかもしれない。
昔取った杵柄はしっかりと維持できているのだ。
今を楽しめているそんな自分を心底幸せに思う。
ただ気がかりなのは、コーチの体調(笑)
やればやる程コーチも追い込まれることになるから、そこは考えていかなきゃならない。
「余計なお世話だ!その前に自分のことをしっかり考えなさい!」
と怒鳴られるかもしれないけど(笑)
全身から汗をじっとり流し、ハンドリムを持つ左手は汗でつるつる滑り、ペットボトルの水はあっという間に室温に上がっている環境下での次の練習が楽しみで仕方ない(笑)
場所にもよると思うけど、僕のホームである卓球場では、まず換気を常に行っているので、窓やドアなどは全て解放状態にある。
通常の卓球場では考えられないこと。
だって、競技の特性上風と光には特に注意が必要になるから。
でもそれが今のこの特別な状況を象徴していると思っている。
空調も稼働させていないし、もしそうしても効果はほぼ無いに等しいと思われるから電気代が無駄なだけ。
だから稼働しているのは扇風機だけで、これもまた通常はあり得ないこと。
そういうわけで、気温も高ければ季節柄湿度も高い。
まさに過酷な状況。
僕は一日数時間だけだけど、コーチ達は朝から晩までずっとレッスンを受け持ったりもするから、体力の消耗は桁違いなはず。
そう、体力の消耗が通常よりも大きいのだ。
でも正直、僕はそれが嬉しい。
その状況下での練習を楽しんでいる。
充実した練習をそれこそ満喫している。
なぜ?
だって、学生時代を思い出すから。
当時は学校の体育館が練習場所だったけど、もちろん空調などなかった。
風が入っちゃいけないから窓は閉めて、光が入らないようにカーテンも閉めて練習をしていた。
休憩時間になって「水飲んでいいぞ」と言われるまでは水を飲むことも無かった。
特に夏場、練習後にシャツを絞れば汗がボトボトと落ちる先輩も複数いた。
卓球場でお世話になる際に、「どんな感じで練習したい?」と聞かれた際に、僕は開口一番に「部活のような練習がしたいです」と答えた。
だから、コーチ達は厳しく指導してくださる。
だけど、空調管理された環境は快適で、それは障害者スポーツセンターも然り、僕が利用する一般の体育館も同様だった。
快適な環境下で練習が出来るのは非常にありがたいのだけれど、でも逆にどこか当時の部活のように「追い込まれている感」に欠けていたのだ。
練習が終わっても爽やかさが保てているような感じ。
身体の各所の疲労感は多々あっても、スタミナを奪われている感覚はあまり無かった。
車椅子という身体で行う卓球だからこそのものと思うけれど、僕は心の中ではずっと、全身から汗がにじみ出て、シャツを脱ぐとズシッと重たく感じるような、それくらいになるまで追い込まれる練習に憧れていたし、それを望み、また懐かしんでいた。
障害者という身体であるが故に、周囲の気遣いも大きく、怪我や体調不良を起こしてはならないという部分においては特に注意が必要なこともあるから、その結果スポーツ活動においてもある意味健常者以上に気を遣っていただいている結果というか、恩恵でもあるのだと考えるけど。
でも今はそうではない。
昭和の時代に戻った環境!(笑)
今はまさにそれを楽しめている!
満喫できているのだ!
不謹慎だと思うけど敢えて言わせていただけば、これもこのコロナの恩恵。
さらに、長く続いた外出自粛期間が僕にもたらしたプラス要素も複数ある。
今、身体を追い込みながら(いうほどのレベルでもないけど(笑))の練習を行いながら、先の2か月間で得たものを噛みしめている。
あの頃を思い出す「部活のような練習」が嬉しくて、楽しくて仕方ない。
当時よりも遥かに内容の濃い練習が出来てもいるし。
「やり遂げた感」が今まで以上に大きくある。
だから、気持ちがさらに上を向く。
モチベーションが上がる。
その結果、他の多くの部分が上を向いている気さえしてくる。
ただ、練習を再開してから気づく「あれもやっておかなきゃいけなかった!」という自粛期間中の反省。
でも逆にそれに気づけるということもまた成長の証であり、自分にとってそれが大切な要素であるということを再確認。
これもまたコロナの恩恵。
試合の予定は未だない。
海外の連中が今どうしているのか、想像したりもする。
報道で聞く限り、国や地域によってその状況は大きく異なるけれど、僕が思うに、案外みんな普通に(練習やトレーニングを)やっているのだと思う。
だってみんな現役だから。
何かしらの策を練って、あの手この手で頑張っているのだと思う。
だから、自分も気を抜いてはいられない。
こうした状況下で「コロナ過」が言われる中、スポーツの有り様にも変化が生じるかもしれないし、もしかしたら卓球競技も運営やルールに至るまで今後何かしらの変化が生じるかもしれない。
もしそうなったとしても、卓球は卓球でありスポーツはスポーツだ。
身体を駆使し、技術を生かし、頭を使って心の強さで競技するものに変わりはない。
その世界で生き抜いていける自分を今養っていく。
それは今後どのような状況下においても役立つはず。
「部活のような練習」がもたらすものは、身体という物理的なものへの影響だけでなく、僕にとってはまさに心の糧にもなっている。
学生時代の経験がまさに今の財産になっている。
あの当時の経験が無ければ、今の身体ではこの状況を受け入れがたかったかもしれない。
昔取った杵柄はしっかりと維持できているのだ。
今を楽しめているそんな自分を心底幸せに思う。
ただ気がかりなのは、コーチの体調(笑)
やればやる程コーチも追い込まれることになるから、そこは考えていかなきゃならない。
「余計なお世話だ!その前に自分のことをしっかり考えなさい!」
と怒鳴られるかもしれないけど(笑)
全身から汗をじっとり流し、ハンドリムを持つ左手は汗でつるつる滑り、ペットボトルの水はあっという間に室温に上がっている環境下での次の練習が楽しみで仕方ない(笑)
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