車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

あぶく銭は身につかない

2021年07月24日 09時00分00秒 | 日記
誰に教わったのか、どこで覚えたのかは定かではないけれど、子供の頃に覚えた言葉。

今日の練習中にふとこの言葉が頭をよぎった。

練習相手は久々の親しい練習パートナーで、僕のことを何年も前から知っている人。

卓球界にも精通しているので、オリパラを含め用具や選手の情報など様々な話を聞かせてくれる心強い頼もしい存在。

彼の練習も兼ねた良い時間を過ごしたのだけれど、僕のことを良く知る相手だからこそ、以前の自分がフラッシュバックする瞬間が度々あり、その時に頭をよぎったのがこの言葉なのだ。

あぶく銭は身につかない。

どういうことかというとそれは文字通りなのだけれど、同じ銭にも身につくものとそうでないものがあるという言わずと知れたこと。

卓球の技術もそれと同様だと思ったのだ。

あぁ身についたなとか、逆にまだダメだといった感じ。

人から聞く、本を読むなど、情報として他者から得たもの、与えられたものはあぶく銭であり、試合やトレーニングの中から自分の経験として得たものは自分で稼いだ銭だと思った。

その重みもありがたみも異なる。

与えられたものはただの情報でしかなく知識でしかない。

情報や知識として留めておくのであればそれで良い。

けれど、競技においてはそれを体現出来なければ意味がない。

出来ないことをもっともそうに語るのはめちゃくちゃかっこ悪い。

ちなみに、指導者であれば知識だけで良いという場合もあるけれど、指導する立場であればその情報を相手により分かりやすく伝えるコミュ力が必要になるので、情報を持っているだけではやはり不十分で、その立場にあるからこその高いスキルが求められる。

また、言葉というのは同じものでも「誰が言ったか」でその重みはかなり大きく異なるので、情報を発信する側はそれも理解していなければ残念なことになりかねない。

とにかく、競技者は競技者であるが故に、身につくように、いや、身につくまで、努力を重ねなければならないということなのだな。

でなければその知識や情報は「あぶく銭」。

それで終わらせるのはもったいない。



「教えてもらったことはすぐには分からない。けれど、頑張り続けていればある日突然ふと気づく瞬間がある。」

というのは僕の持論。

これは何も卓球に限ったことではなく、人生における座右の銘の一つのようなもの。

「考えても考えても分からない。けれど考え続ける。するとある日ふと分かる瞬間がある」

みたいな言葉を昔読んだ漫画の本で覚えたけれど、まさにその通りだと思っている。

出来なくても出来なくても頑張るから出来るようになる。

出来る人は最初から出来たのではなく、頑張ったから出来るようになったということ。

出来るからやるのではない、やるから出来るのだ、も座右の銘。

知識を技術として身体に覚えさせる。

まぐれではなく確実なものとして。



いま世界中から東京へ集ったアスリート達はまさにそうした頂点のレベルにあり、そのアスリート達が磨き上げたものを競い合おうとしている。

物凄いことだ。

僕もそれを見て、学ぼうと思う。

全てのアスリートがその能力を最大限発揮出来、気持ちよくプレーし、積み重ねた努力を存分に競い合える素晴らしいオリパラになることを切に願う。

と言いながら、開会式はまだ見ていない。

録画をしただけ。

テレビはほとんど「ながら」でしか見ないので、リアルタイムでは見なかった。

逆にいつも通りの時間を過ごしたかったから。

翌日も練習なのでその準備やラバーの張り替えなど、普段と変わりない時間を過ごす。

いよいよ競技も本格的にスタートとなるけど、僕はいつも通りの自分の時間(練習)を過ごす予定。

逆にこの状況下でそう出来ることが心底有難い。

さらに磨いていくし、積み重ねていく。

熱い2週間が始まった。

都内の移動は場所にもよるけど、交通規制がしかれる箇所も多数あるので、それに気をつけて動かなければならない。

その点が不安。

でもそんなのは悩みのうちには入らない。

事前にチェックも出来るから。

さぁ、明日もしっかり充実した練習を行おう。

感染対策と熱中症対策を万全にしながら。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿