車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

プロ選手の凄さ

2016年08月03日 01時31分22秒 | 日記
学生時代に部活をやっていたころは競技を問わずスポーツのプロ選手というのはとにかくみんな凄いんだ、次元の違う人たちなんだとただ漠然と「凄い人」とだけ思っていた。

でも大人になって(年齢だけ(笑))、障害の有無を問わずスポーツを初めて、社会人になったからこそあらためてプロ選手の物凄さが理解できるようになったと思う。



プロ=それを生業とするということでしょう。



スポーツを生業とする!?僕からすればとんでもないことだと思います。



スポーツの世界と言うのは結果が全て。

これだけ努力してます、頑張ってます、まじめにやっています、と言ったところで結果を伴わなければ評価はされないわけですから。

一生懸命死に物狂いで頑張ったのに結果が悪かったら次回の契約更新は無し、みたいなことも普通にあり得るわけです。

毎朝早起きして練習には遅刻していません、練習は皆勤です、練習態度はまじめです、でも試合で負けました。

プロであれば無遅刻・皆勤・まじめ、というのは特段評価の対象にはならないと思います。

だから結果が出せなければ契約も無し、となるのはごく普通のことだとも思います。



これが一般のサラリーマンだったらどうでしょう?

無遅刻・皆勤勤め・とてもまじめな従業員、でも営業先でヘマしちゃった、プレゼンで失敗しちゃった、入力ミスしちゃった、メールを誤送信しちゃった・・・としてもすぐに解雇処分にはならないでしょう。

もちろん内容にもよるでしょうが、せいぜい注意程度で、企業へのマイナスを生じさせたとしてもボーナスカットとか数カ月の減俸処分程度で、トップが記者会見で謝罪するような羽目になっても即刻解雇には至らない、左遷されても首はつながる。

懲戒解雇は犯罪を犯した時くらいで、ミスしても結果が出せなくても本人次第で生き残っていけるという場合が多い。



でもプロのスポーツ選手にはそういう感覚は無く、常にがけっぷちで戦っている、そうした危機感を持って毎日を過ごしている、それがまさに「プロ」なんだと思います。



子供のころから頑張って、頑張り続けて、天才と言われ続けてきた選手が学校を卒業してプロになった。

僕らは様々な競技でそうした選手を見ていますが、素人目で見ると「プロになる=ゴール」として見ているのではないかと思います。

でも選手の目線で見れば「プロになる=そこからスタート」ではないかと、今になってようやく気づくことが出来ました。

「プロだからすごい」のではなく「プロとしてやり続けていることがすごい」と同時に「プロとしてやる覚悟がすごい」のであり、だからこそ「プロはすごい」のだと思います。



その覚悟の有無がプロとアマチュアの差であり、アマチュアからすれば「いつも練習できるから強くて当然でしょう」みたいに思うと思いますけど、結果を出すために自分に厳しくやり続けることの大変さ、苦しさ、自分自身への投資が必ず実を結ぶという保証はどこにもないという不安と闘いながら試行錯誤、四苦八苦し続ける忍耐力、常人には到底出来ないことだと思います。

また「僕はこれだけ頑張ってます!」とは自ら口にすることもないのではないかと。

だって頑張るのは当たり前。プロはみんな頑張っているわけで、むしろライバルとの駆け引きもあるだろうから「俺はこれだけ頑張っている!」「俺はこういう努力をしている!」というのは絶対に見せないと思います。

そういうところがプロとアマの違いでしょう。



卓球選手にも多くのプロが存在しますが、そうした凄さをあらためて思うと、もう尊敬せずにはいられない、と言うよりもむしろ崇拝せずにはいられない、そんな気持ちになります。



オリンピック・パラリンピックには多くのプロ選手も出場しますが、彼らの本物のアスリートっぷりをどこかで垣間見ることが出来ればありがたいですね。



まずはオリンピック、日本選手の活躍を大いに期待します!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿