車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

アジアパラ競技大会 個人戦

2018年10月10日 16時46分41秒 | 日記
ベスト8で負けてしまいました。

予選は2位で通過。

その予選ブロック内で、相手は去年一度対戦した韓国のエース。

去年の経験もありますので、相手のプレースタイルも覚えていましたし、今年こそはと挑みましたが、予想に反する戦術の変化に、序盤はまんまとやられてしまう結果に。

でもそこでベンチコーチのアドバイスから、まだまだ僕には開けていない引き出しがあることを思い出し、その結果いいゲーム展開で競った内容になったのですが、アンラッキーが重なったのもあり(言い訳です)、結果は敗退。

次の試合は僕の苦手とするタイプの選手。

技術的に劣っているとは思えなくても、苦手意識のある選手というのはあるもので、2015年に同じ国の選手に逆転負けしたことがトラウマになっているのでしょう。
だからこそ、正直僕としては、悪い意味でものすごく力の入った、思考もネガティブに陥りそうになった試合となったのでした。

でも、これまで積み重ねてきたものが功を奏し、序盤は圧勝。
そこで逆に力んでしまいましたが、そういう自分を客観視することもでき、またベンチコーチの助けもあり、そこで流れを奪われるというか手渡すことなく勝つことができました。

これは僕にとって結果以上に大きな勝利でした。

自分に欠けていたパーツがひとつ埋まったみたいな感覚。

求めていたものをようやく掴んだ感じです。



そして決勝トーナメント。

ドローの結果、1回戦、僕はシードに。

そして準々決勝で中国の選手と対戦。

実は心の奥底で望んでいた対戦でした。

でも結果は0ー3で敗退。

さすがは中国、ここというところでの技術、点の取り方の巧さでした。

でも全く負けているわけではない。

自分で言うのもなんですが、試合前も実に落ち着いていて、メンタルにおいても相手を上回っていると思えました。

相手ベンチにはリオ・パラリンピック団体戦決勝時と同じコーチが入っていたので、そこにもまた相手の弱点の存在がある証だと思えたのでした。

勝てなかったけれど、敗因は明らかにわずかな技術の差。

でも、自分の技術で相手よりも優っていると思えるところも複数あった。

だからこそ、ほんの「1歩の差」なのだと思えたのでした。

大きな1歩?小さな1歩?

どちらでも構わない。

1歩は1歩。

それを詰めていくだけ。

その為には毎日の積み重ね。

ただ、その試合を振り返った時にふと反省したのは、「自分は日の丸を背負っている」という自覚、責任をその瞬間抱いていたか?ということ。

日の丸だけじゃない。

僕が背負っている、背負わせていただいている責任は多々あるけれど、ここ一番というところでそれを忘れていたのではないか?と反省。

試合に集中しているといえば聞こえは良い。

けれど、だからこそ、競った場面でその意識が道を大きく分けるんじゃないか?と。

目に見える、耳に聞こえる応援が、背中を押してくれた、力を与えてくれたという話はよく耳にする。

でも、応援というのはなにも直接的に届くものばかりではない。

その見えない応援が僕にはあるのだということを忘れちゃいかん!と猛省。

結局のところはその意識の大きさが、違いが、選手のスケールの違いでもあるんじゃないかと思ったのだ。

自分のことだけを考えて試合をする、活動するというのは実に簡単なこと。

責任を背負えば背負うほど、それは「プレッシャー」にもなりマイナスに働くけれど、逆にそのプレッシャーを味方につけらる人間が本当に強い選手であり、より強く大きなオーラを纏う選手になるのだと思う。

理屈はわかる。

と言うか、理屈がわかった。

あとはそれを実践できるかどうか。

そのやり方は人から教わるものじゃない。

もう100%自分自身で身に付けるもの。

それこそ「意識」でしかないのだ。

今回この大会にも、そうした意識を身につけている選手が大勢いる。

その意識の違いは結果的に目に見える。

意識を高く持っている人にはそれが分かるけど、そうじゃない人にそれは分からないのではないか。

最近そう思えるようになってきた。

日本では「意識高い系」などと皮肉る言葉もあるけれど、笑いたい人は笑えば良い。

意識を高く持つ人が僕はかっこいいと思うし、より強くなれるのだと僕は確信する。

だから自分もそれを目指す。

さぁ次は団体戦。

120%の力を発揮したい。

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