車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

誰もが輝けるパラスポーツ ~共生社会の実現を目指して~

2021年10月07日 22時03分48秒 | 日記
江戸川区の共生社会やノーマライゼーションへの取り組みと、それに伴った障害者スポーツの普及促進活動を紹介した番組に、この僕がリポーターとして出演させていただきました。

https://www.youtube.com/watch?v=9jrg4WuXnEM

出演した僕が言うのもなんですが、これが実に面白い内容です。

凄く意味深いものです。

結論からすると、この動きが全国で行われると、日本社会は大きく変わるはずです。



ここからは超勝手な自論を述べます(笑)



この動画について、障害者スポーツの促進だとか、段差を無くすだとか、そうした目先のことだけを見ていると、その奥のもっと深い部分までは理解出来ないかもしれない。

その真意、価値はもっともっと深く大きいものなんですよ、ということ。

木を見るだけでなく森を見て、さらにはその山、あるいは地域や国をも見るともはやそれは達観となるかもしれないけど、そうあるに越したことは無いと思うし、理想はそれだと思っている。

とにかく、この動画で紹介する活動が全国規模で進めば、それは社会変革を起こすだろうと思うのだ。

なぜ?

それはまず障害者の社会進出に直結するから。

段差が無くなるなどすれば、それは社会進出の第一歩、移動の困難、そのストレスの低下となる。

そうして社会進出が進めば様々な部分でもそれは変化を生じさせる。

そしてそれは雇用へとつながる。

雇用の為に教育も変わっていく。

雇用が促進していけば、社会進出はさらに飛躍的に伸びる。

障害者の雇用における人材としての価値が大きく変化する。

結果的に、障害者の社会における立ち位置が激変することになる。

そして新しい人材、雇用は様々な分野でのイノベーションを生む。

グローバルでの日本の立ち位置にもプラスの方向へ変化が生じるかもしれない。



スポーツ活動の促進についても同様だ。

障害者スポーツの促進。

でもまず健常者のスポーツ活動や社会におけるスポーツの立ち位置が欧米に比べて後進国とも言われる日本において、スポーツそのものがそんな状況なのに障害者スポーツだけが飛躍的に伸びるなんてことは考え難い。

そもそも、今の日本国民が新しく出来たスポーツ庁が誰の為にあるのかを考えたことはあるだろうか?

大半の日本人は、それを「アスリートの為」と捉えているのではないかと思う。

そうじゃない、それは国民のスポーツ活動の為に存在している機関なのだ。

もうその時点で欧米とは違った日本におけるスポーツの立ち位置、存在感が見て取れる。

やはりまずはスポーツそのものが社会での立ち位置を獲得できなければ、障害者スポーツの理解促進には繋がっていかないと思う。

でも、障害者にとってのスポーツの存在意義が理解されていけば、それは健常者におけるスポーツも同様だという理解を促すことになるとも考えることが出来る。



いずれにせよ、スポーツが動けば何がどうなる?

まず経済が動く。

でもここで僕の言うスポーツというのは「見る」ではなく「やる」スポーツのこと。

「見るスポーツ」は既に娯楽媒体として存在している。

それは映画鑑賞や音楽鑑賞、観劇や芸術鑑賞、あるいは観光と同じような感覚。

その「娯楽」の選択肢に「やるスポーツ」という新たな媒体が加わるから経済が動くのだ。

それで市場が拡大する。

そこに障害者も加われば、さらなるビジネスと雇用の拡大、そしてイノベーションにも直結してくと思う。

これが大都市圏だけでなく全国で広がっていけば、一極集中ではなくそれこそ文化経済の地方創生の動きともなっていく。

それが既存の日本文化・観光資源に加わり、あるいはそれを後押しし、逆に後押しされ、今後のインバウンド数の増加にも繋がる要素となる。



ちなみに、この江戸川区の活動が全国で行われると、日本は間違いなくパラ大国となり、パラリンピックでのメダル獲得数は激増すると思う。



「共生社会」

東京パラをきっかけに日本でより多く耳にするようになった言葉。

小学生も授業で「共生社会」「ノーマライゼーション」などを学んでいるようだ。

「共生」

でもこれは長く島国で文化を育んできた日本人にとっては思ったよりも高いハードルなのかもしれない。

だって、異文化との交流には特に「気をつかう」気質があると思うから。

よく言えば、気をつかうからこそ相手に合わせる。それこそ自己を押し付けるのではなく逆に遠慮をする。自己主張よりもまず相手を見る、空気を読む。イニシアチブの獲得よりも全体の調和を優先する。

悪く言えば自分を見せない。だから相手からすれば、自分の意が通りやすく居心地が良いこともあるけれどそれは上辺だけのもので、本心が分からない、掴めない。だから、付き合いも上辺だけとなりがちで深い意味での「交流」にまで発展しない。
そんな上辺の付き合いでも進んでいけば無意識のうちに少しずつ深いところへと潜っていってしまう。その結果、入ってきて欲しくないテリトリーを知られ、その扉を叩かれ、それに違和感を覚え、それまでの印象や交流そのものに大きな変化を生じさせてしまうことになる。極端な場合はそこでシャットアウトが生じることだってある。

僕が思うに、それは日本独特の村社会気質の表れであり、歴史を鑑みれば、日本独特と言われる縄文文化やアニミズムに由来する気質なんじゃないかなと思うのだ。

でもそれは日本人のアイデンティティとして僕は誇るべきものでもあるとも思うし、それを否定するつもりはない。

けれど、現代社会はグローバルという言葉が象徴するように、世界の距離は加速度的に縮まっている。
異文化との交流もものすごく盛んで激しく濃いものになっている。

その交流における能力、簡単に言えばコミュ力となるかもしれないけど、その部分で既に競争は始まっていて、そこで日本人のアイデンティティが足枷になったのでは、その先で「もったいない」思いをしてしまうと思うのだ。

じゃぁ日本人が異文化との交流が苦手かというと、僕は決してそうではないと思う。

心を開いて深く交流することは出来るし、その実績も歴史から学ぶことができる。

江戸時代に長く外国との交流を禁止されていた日本人だけど、いざ交流の瞬間が訪れた際には実に上手く対応出来ていたらしい。
だから、江戸時代にも異文化との交流で歴史に名を残した人は実に多い。
ジョン万次郎がその一人。
他にも大黒屋光太夫、最上徳内、川路聖謨、高田屋嘉平、さらには江戸時代中頃に四国沖で漂流したべニョブスキー一行を受け入れた土佐の領民達など、日本人のその「気質」を歴史が証明している。
明確にはされていないけど、日本書紀以前のずっと昔から特に日本海側では古くから大陸との交流は盛んに行われていたようだし、沖縄も同様に多方面との交流を上手くやってきた歴史がある。そうした文化交流が今の日本を築いているわけで、その根底にあるのはまず日本人のコミュ力があったからこそであり、その「センス」は現代に生きる僕たちも脈々と受け継いでいるはず。

今こそそれを開花させ、新たな一歩を踏み出すべき時じゃないかと思うのだ。



その助走というか、準備というか、その為のリハーサルというスタンスでの「異文化交流」のチャンスとして、僕は「障害者との交流」がある意味もっとも手身近で有効なものだと思うし、それを「共生社会」に向けた第一歩とするのが効率的ではないかと思うのだ。

村社会的内向きな思考は障害者の存在をネガティブに捉えていたようで、だから何かしらのフォローや協力を得られずに社会進出が出来ない、為されない障害者が数多く存在したのだと思う。

でもこれからはそういう時代ではなくなっていて、玄関から一歩も出なくてもネット社会への進出は誰でも容易く出来るし、そういう空間では障害者も健常者も変わりない同じスタンスで活動、情報発信できるから、そもそも障害者という存在はこれまでのものとは既に違ってきていると思う。

障害者に出来ること、まさに可能性は格段に大きくなっていて、でもそれと同時に背負う責任も大きくなっている訳で、それが意味することはズバリ社会人として存在する、出来るということだと思う。

ということは、この社会に健常者の持つ「普通」という感覚が同じではない、ある意味通じない、「普通」という価値観の異なる社会人が存在しているということ。

でもそれはちょっと勝手が違っているというだけの、ただ知らなかったからというだけの小さな違い。

言葉も通じれば、そもそも日本人としての感覚は同じなので、話も意思もお互いに伝えやすいし分かりやすいはず。

だからこそ、障害者が異文化とまでは言わないけれど、健常者から見て自分がそれまで知らなかったことに触れて、新しい価値観を知るという成功体験を得るにはもってこいの存在だと思うのだ。



そもそも、「共生社会」というのは何も障害者とだけに限ったことではないはず。

異文化とは全方位に様々なものが存在するし、人類のこの先においてはもしかしたら地球外生命体との交流もあるかもしれないし、ガンダムの世界のように人類がアースノイドとスペースノイドという2つに分かれるようなことだってあるかもしれないから。
地球内だけで考えてみても、人間以外の生命や自然環境との「共生社会」も直近の最重要課題だと思う。
ネット環境の劇的進化で、それを使いこなす世代とそうでない世代でもまたギャップが生じるかもしれないから、そこにもまた共生が必要となる。



なんか今回はめちゃくちゃ自論を語ってしまったなぁ(笑)

江戸川区のこの動画がきっかけを与えてくれたし、もしかしたら清々しい秋の空気がそうさせたのかもしれない(笑)

僕は政治家でも自治体職員でもなんでもなく、一人のパラ卓球選手であり、一人のIT関連企業のスタッフであるだけに過ぎない。

でも、そんな僕にも背負っているものがある。

それは誰でも同じこと。

それはパラ卓球選手として、会社の従業員としてだけではなく、生まれた町の出身者として、卒業した学校のOBとして、あの人の友人として、知り合いとして、あの人の教え子として、あの人の元彼として(笑)、そして、あの人たちの子として、家族として。

それを常に意識して、品行方正を心がけ、真摯に活動していく。

言ってるほど上手に出来ているとはお世辞にも言えないけれど、それを胸に留めた上で活動していく。



来月には待ちに待った試合がいよいよ開催される。

今はそこに照準を定めてしっかり取り組んでいこう。

実は試合前1か月のこのタイミングで、先日自宅近所でダイナミックに転んだ。

今までの車椅子人生で最も派手な転倒だった(笑)

バイクで転んだ時を思い出すかのような転倒だった。

幸い大事には至らず、その直後にはいつも通りに練習をやったのだけれど、そういう点でもしっかり気をつけていなければ元も子もない。

万全の状態で試合当日を迎えられるように取り組んでいく。

ラッキーも含め、未来の自分は今の自分が導くものだと思っている。

だから、今頑張っていこう。

まずはみなさん、江戸川区の動画をご覧ください(笑)

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