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NHKその時歴史が動いた「中国と国交を回復せよ~足利義満の日明外交~」観てみました。

2007年02月23日 | *テレビ*TV PROGRAMS*


NHKその時歴史が動いた「中国と国交を回復せよ~足利義満の日明外交~」観てみました。



HDに録ってあった、NHKその時歴史が動いた「中国と国交を回復せよ~足利義満の日明外交~」を観てみました。

室町幕府・三代将軍の
「足利義満」が500年にわたる国交断絶を乗り越えて、中国・明と国交を回復しようとした戦略、努力と「金閣寺」が果たした「迎賓館」としての役割が放送され、興味深く見ることが出来ました。

金閣寺は昨年12月に京都に行ったときに訪ねてみたんですが、そんな歴史や背景が有ったなんて知らなかったんで、ただ義満が建てた「美しい建造物」としてしか見てこなかったので、今度、訪ねる事が有ればそのあたりを「意識」して鑑賞しようと思います。







「足利義満」



番組概要

その時:応永9(1402)年9月5日
出来事:足利義満が中国・明との国交を回復する

室町幕府・三代将軍の足利義満は、500年にわたる国交断絶を乗り越えて、中国・明と国交を回復しようとした。しかしおよそ100年前の蒙古襲来で、日本は二度に渡って中国から侵略を受けた経験から中国への根深い警戒感があった。義満は幕府内の反対を押し切って明に使節を派遣する。義満は国交回復して明国と貿易を行い、銅銭を輸入しようと考えていた。当時、中国の銭が日本の通貨と して使用されていたが、明は民間貿易を禁止したため、市場に通貨が不足し、現代でいうデフレ経済の状況に陥っていたのである。しかし義満は明の皇帝から「日本の代表の資格がない」と交渉を拒絶される。さらに日本を属国として扱う態度も交渉を困難にさせた。義満は南北朝を統一し、 争乱の時代に終止符を打ち、日本国王にふさわしい地位と権力を手に入れる。さらに、明の使節をもてなす迎賓館として京の北山に金閣を造営、交渉再開の機会 を伺っていた。そして交渉開始から29年目、ついに国交回復交渉の絶好の好機が巡ってきた。国と国のプライドの衝突や、不信感という障害を乗り越え、交渉成立させた義満のしたたかな外交戦略を描く。







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