一昨年、友人が株分けした観音竹を車で届けてくれた。
下がそのときの写真である。
あっという間に二年が過ぎた。友人は老いてもうここまでの運転は危うくなったが
観音竹は下の写真のごとくすくすく育った。
友人の好きなことばに「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」というのがある。
観音竹に花は咲かないが、葉を茂らせたこの緑を
友人はおそらくもうここまで見に来ないだろう。
歳々年々人同じからず、である。
一昨年、友人が株分けした観音竹を車で届けてくれた。
下がそのときの写真である。
あっという間に二年が過ぎた。友人は老いてもうここまでの運転は危うくなったが
観音竹は下の写真のごとくすくすく育った。
友人の好きなことばに「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」というのがある。
観音竹に花は咲かないが、葉を茂らせたこの緑を
友人はおそらくもうここまで見に来ないだろう。
歳々年々人同じからず、である。
一人旅、ひとり焼き肉、ひとりランチ、など女性がひとりですることを言うらしい。
男がひとりで旅をしたからと言って、ことさらには言われない。
風子は半世紀前から、一人旅もひとりラーメンも平気だった。
いやあ~ん、ひとりでお店に入れな~い ……という女性の気が知れなかった。
お腹がすけば、ラーメン屋でも定食屋でもすいっとひとりで入った。
気を使わない、相手を探す必要がない、などいいことだらけである。
しかし、昨今はちと事情が違ってきた。
バアサンがひとりでラーメン屋でラーメンをすする図を想像すると
あまりいただけない。旅も不測の事態発生を考えると二の足を踏む。
あああ、おひとりサマを気取っていられるのも若いうち、どうぞ若い女性、元気で羽ばたいてください。
一か月前に行ったばかりの能古島、桜が終わり新緑の季節です。
前回は友人と、今回はひとりぶらっと。
かしわのおにぎりを食べて、甘夏を買って帰りました。
能古の甘夏は、海風を受けた樹で熟させるので特産品です。
美味しいよ~~。
長い連休が終わった。
例年、大潮と連休が重なり、街中でありながら我が家近くの海岸は
この時季、ごらんのような賑わいになる。
微笑ましい場景であるが、住人にとっては困惑することもある。
まず違法な駐車である。パトカーが来て取り締まってくれるが、
うっかりしていると、訪ねてきた友人知人までがこの対象になる。
中には、ドアをノックしてトイレ貸してください、という猛者もいる。
ちなみに、能古島の潮干狩りは有料だったが今年は全面禁止だそうである。
今回のことで、いかにスマホに頼りきって生活しているか、思い知った。
スマホがあれば誰とでも簡単に連絡がとれ、現金がなくてもコンビニで買い物も出来る。
電話番号簿も、メモ帳も、わたしのすべてを預けてあるようなものである。
まさに万能の機器である。しかし、人間何があるか分からない。
いずれ何事かに直面したとき、みんなが使えなくなったら
どうなるのだろう。思えば怖いことである。
家人が慌てて戻ってくれて、一件落着。
時季外れの庭のすみれ ↓ とても丈夫です。
上がりんしゃい、いちんちおってよかさ。
ありがたいけど、家人は事態を知らないのだから深夜まで帰らない。
電話を借りても家人の電話番号も身内の電話番号も覚えていない。
知恵を絞ったあげく、義姉のいる老人ホームの電話番号を104で訊くことにした。
大きな施設だから、住所もおおまかですぐに判った。
しかし、義姉は耳が遠いので電話で話が通じない。
顔見知りの職員にわけを話して、ま、ともかくやっと家人の電話番号に辿りつきました。
皆さんは、家族の電話番号を覚えていますか。ためしてみてね。
キラン草(別名医者いらず) ↓ 煎じて飲むと万病に効くとか。
お隣は若いママでふだんは挨拶程度である。
しかし、スマホなし、財布なしで家から閉め出されてはやむを得ない.
ともかく電話をかりて家人に連絡をとるしかない。
しかしこちらもあいにく留守だった。
お向かいの家とは昔は親しかったけど、
それぞれに事情があって昨今は多少距離のある付き合いになっていた。
しかし、緊急時に助けてくれないこともなかろうと、
思いきってピンポンを押した。
話かわって……。下の写真は、幼稚園の園庭で見かけた山羊。
薔薇の葉っぱをバリバリ食べている。棘は痛くないのだろうか。
うかつにも鍵を持たずに家から閉め出された。
鍵なし、携帯なし、財布なし。
処置なしである.
だぶだぶの庭履きをつっかけて
まだ出かけられる身支度ではない。
扉ひとつ向こうの携帯にさえ手が届けば、
助けてくれる友人知人は何人でもいるがその携帯に手が届かない。
まずは一番親しい徒歩5分の友人を訪ねることにした。
小雨が降っているが、傘もない。
サンダルを引きずり、濡れながら友の家へ行くと、
なんと留守。誰もいない。
玄関の外の置きっぱなしにしてあるビニール傘を拝借して
ひとまず自宅へ戻る。
入れないと分かっていても、そこしか戻る場所はない。
朝、花の水やりに玄関からひょいと出た。
続いて外出する家人が、私が外に居ることに気づかずに鍵を閉めて出かけた。
家に入ろうとして、締め出されていることに気づいた。
我が家は二人暮らしである。家の中には誰もいない。ありゃりゃ、である。
電話……と連絡をとろうにも、携帯は家の中。着換えもすまぬ起きぬけで、
つっかけを穿いたままの身一つである。
庭に回るがあいにく窓も施錠されている。
家人は深夜まで帰らない。
ご近所で電話を借りるにしても、家人の電話番号も覚えていない。
家人どころか、スマホだのみの今日、誰の番号も記憶していない。
ああ、むかしはこうでなかった!
親しく電話する誰彼の10や20の電話番号はソラで覚えていて
なんどきでもスラ~っと出てきたものである。
パソコン、スマホ頼みの暮らしは、ひとたびこれを失えばどれだけ無力か思いしらされた。
続きはまた書きます。
昨日久しぶりに更新してみると、
休載している間も閲覧して下さっている方の数字が思いのほかで
驚きました。
どこのどなたか分かりませんが、ありがとうございます。
おばあさんは、10連休をちょっともてあましています。
こんな混雑期に出かけることもないしと、気になっている終活でもと
押入れに首をつっこみ、どこから手をつけていいか思案のあげく
ため息ついて結局投げ出しました。
以上、風子ばあさんの近況です。