風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

長屋

2018-07-04 10:54:26 | 昭和つれづれ

 

      台風一過を待っていたように今年はじめて咲いた朝顔

                   

 ハローの帽子も、チューインガムも、戦後風景としてよく語られるが、

私にはジープを追った覚えはない。

焼け野原の都心部には帰る家がなく、戦災を免れた地域に帰京したからで

あの辺りまでは進駐軍は来なかったのであろうか。

地名は江戸川区東小松川だったと思う。新小岩の駅まで少し離れていた。

 小学二年生で大杉小学校に編入した。

 大通りから外れた路地に並ぶ古い四軒長屋に両親と長女の私と妹弟の五人。

家の中に便所はあったが、水は裏の共同水道で汲んだ。

大通りの角には外食券食堂というのがあり、

男ばかりが入って行くので、はじめ何をするところか知らずにいた。

子どもたちが、ガイショッケンショクドー、と呼びかわしていた文字が「外食券食堂」というもので

戦後の食糧難時代に特定された食堂とは後で知った。

車の通る大きな道路をはさんでコンクリートの建物があった。

子どもの私の目には学校のように大きく見えた。たしか同潤会と呼ばれていた。

同潤会と呼ばれていたのかたしかである。私の記憶はこのあたりからはじまる。

後年同潤会アパートというのは、関東大震災後の復興集合住宅として日本のコンクリート住宅、

集合住宅のはしりだったと聞く。

ただし、我が家の近くのそれは一棟だけだったから、いわゆる同潤会アパートとは違ったのではないか。

同じ同潤会でも普通住宅というのもあったらしいから、ひょっとしたらあれは管理棟かなにかだったか。

 

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