父方の叔父は、戦前は台湾で商売をしていてその後上海にわたり、
そのまま終戦を上海で迎えたらしい。
上海では現地の女性との間に子まで生し、日本には戻りたくなくて
現地の人の歩き方を真似て居残ろうとしたと聞く。
しかし、おそらくばれて強制的に帰国させられたのだろう、着のみ、着のままで帰ってきた。
わたしたちがここの長屋に移っていることなど知る由もなく、父の職場である議事堂を訪ね、
わたしたちの住む現住所を教えてもらい、ようやくたどりついたのである。
食糧難の二間きりの家に転がり込まれて、母は大変だったと思う。
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