子育てからようやく手が離れたとき、ふっと、老後のことを考えた。
晩年の父は、ほとんど目が見えない状態だったから、強度近視の自分も多分そうなるだろうと思った。
読書も出来なくなった父は、ときどき思いだしたように、ブ~カブ~カとハーモニカを吹いていた。
音楽なら、目が見えないでも、楽しめるかもしれない。
それで風子ばあさんは、中年になってから、ギターをはじめた。
父の齢に近づいて、やっぱり視力が極端に衰えた。
このときになってはじめて、目が見えなければ楽譜が読めず、ギターを弾くにも不自由であることに気がついた。誤算である。
もうひとつ誤算があった。老後ひとりで爪弾くのに良いと思って始めたが、実際に齢をとってみると、そうではなかった。
ギターを弾く姿勢は、とても腰に負担がかかり、老人にはなかなかしんどいのであった。
なってみないとわからないものである。
楽譜を拡大コピーして、目をしょぼつかせ、腰をさすりながら、それでもまだやめないのは、老後の暇つぶしではなく、ひとり爪弾くためでもなく、仲間と一緒の合奏がこの上なく楽しいからなのである。これは思いがけずに嬉しい誤算であった。
晩年の父は、ほとんど目が見えない状態だったから、強度近視の自分も多分そうなるだろうと思った。
読書も出来なくなった父は、ときどき思いだしたように、ブ~カブ~カとハーモニカを吹いていた。
音楽なら、目が見えないでも、楽しめるかもしれない。
それで風子ばあさんは、中年になってから、ギターをはじめた。
父の齢に近づいて、やっぱり視力が極端に衰えた。
このときになってはじめて、目が見えなければ楽譜が読めず、ギターを弾くにも不自由であることに気がついた。誤算である。
もうひとつ誤算があった。老後ひとりで爪弾くのに良いと思って始めたが、実際に齢をとってみると、そうではなかった。
ギターを弾く姿勢は、とても腰に負担がかかり、老人にはなかなかしんどいのであった。
なってみないとわからないものである。
楽譜を拡大コピーして、目をしょぼつかせ、腰をさすりながら、それでもまだやめないのは、老後の暇つぶしではなく、ひとり爪弾くためでもなく、仲間と一緒の合奏がこの上なく楽しいからなのである。これは思いがけずに嬉しい誤算であった。
やらないものにはわかりませんが、
ギターって腰に負担がかかるものなんですね。