GlobalHeart 社長Blog

株式会社グローバルハートの社長がお送りするBlog

ひさしぶりに「怒られて・・・」

2008年05月26日 | Weblog
「こらっ、何やってんのよー」と怒られてるのはこの私、誰にって、うちの女房に決まってますが。時は日曜日のお昼前、場所は家のキッチン、私、金曜日の深酒が言葉どうりに二日酔い、がようやく収まり何だかお味噌汁が欲しいところに、そこになんと「アサリの味噌汁」がおいしそうにキッチンで湯気たって出来てました。
「おおっ、なんと気の利くいい奥さんか!」と感激し、つい「お玉」でスルスルと。そこで「こらっ、何やってんのっ」と居間から見ていた女房の怒声、で近くにいた下の娘(大学2年生、19歳)もでてきて「私、もう食べない」とお怒りのご様子。つまり、要はお玉で直接味見するもんじゃない、汚い、育ちが悪い、とあとなんだかんだと続く限りのお叱りのお言葉を頂き、「せっかく、里奈(下の子の名前ですが)がお友達と昨日潮干狩りでとってきたのに、まだ食べてないのに、そんなことするもんじゃないでしょっ、きたないでしょっ、団体生活の出来ない人ねっ」との女房からの厳しいお言葉、でカンカン怒っていました。そーいえば以前にも言われていたので見てるところではやらないようにしていたのですが、こちらもバツが悪く、「そーんな、他人じゃあるまいし、親子だし・・・」と主張しても聞く耳なし。こういうときは逆らっては逆効果と長年の知恵と経験から、ソフトバンクのワンちゃんのCM思い出し「どーもすみません」の平謝り。ひさしぶりの「こらっ」、に目も覚め人間たまには真剣に怒られるのもたまにはいいか、と変に自分を慰め反省した週末でした。育ちのいい皆さんはお玉で味噌汁味見しませんよねー?
ということは家は育ちが悪かったのでしょう、と。でも女房怒ると怖いですわ。

就職戦線

2008年05月21日 | Weblog
毎年繰り返される大学生の就職活動、皆同じ経験をしてきたのでしょうが、いざ、わが子供の番となると他人事に思えず、気になるものです。昨年末ぐらいから「エントリーシート」なるものを書く姿はそれこそ必死、夜の間パソコンに向かい朝方目を真っ赤にして書き上げたエントリーシート、最初の頃はテレビでCM出している有名企業へ皆と同じように送り返事を待つ、そこはいくら売り手市場といえどもそこはそこ、そんなに甘い話しあるわけなく、面接も受けられない企業もあり、はじめて体験する社会の現実に浮いたり沈んだりしながら自分を見つめなおしている様子は何ともかわいそうでもあり頼もしくもありました。こうやって社会人になっていくんだな、自分が何が出来るか何をしたいか、経験上そんなにしっかりした学生いるもんじゃない、でエントリーシートに書けるのはバイトの経験、ゼミのことなどほとんど一般的なことが普通でしょうに。で、大学の就職課は有名企業に何人入れたか、が入試にも影響するから出来るだけテレビでCMやってみんな知ってるような企業へ入るのを歓迎する。これで本当にいいのかな、自分で通ってきた道ですから考えますが、昔から何にも変わってない「就職より就社」という現実。それで親も喜ぶ、かどうか知りませんがこれでいいのか。日本の会社の創業率と廃業率はどうなってるのか、ここでは書けませんが欧米やアジアに比べると極端におかしくなっている。ただ、わが娘は就社でも自分のやりたい仕事に就けそうな、そんな希望を持てる会社と先輩にめぐり合えたようで、すっきりした最近の顔。決してテレビやCMでは有名ではないけど、大学の就職課には悪いけど、自分の人生、自分で開拓している様子を見れるのも親としてはありがたいものですね。

歴史的転換点

2008年05月15日 | Weblog
私のパソコンの横のメモ書きはいろんなメモが並んでいます。いつも横目にみている「六中観」のなかで今日目に付いたのは「死中有活」、死中活有りといいますが、平たく言えば「死んだ積もりでやってみてはじめて活路が見えてくる」ということ。バブル崩壊後20年近くたちながらいまだに過去を改め新しい一歩を踏み出せないでいる現在の日本は戦後の荒廃期と比較され、変革の時を願っていますが、この歴史的転換の時期に何もしない、出来ないのは何故なのか。自分の身近な周りだけなのかどうか分かりませんが、5年先10年先を考えた政策や行動を起こす人のなんと少ないことか。残念ながら私の娘の世代(就職活動世代)も「安定志向」、との事。何が怖いのか、判断基準(ものさし)がなくなったのか、どうか分かりませんが、今後10年が日本の第二の黄金期を夢見てチャレンジする人がそろそろ出てこないと、また「バブル崩壊」と同じように日本の資産が外国に移転してしまう、今は個人はそんな危ない橋を渡ろうとしています。つまり何もしないことが一番危ない時代、に入ったのに対応できないリスク、をわが日本人はいま抱えています。
昨年後半から、株安(12,800円ぐらいまで)、円高(98円程度まで)、商品市況上昇が現実となりインフレが目の前、長期金利は今後明らかに上昇、すれば、また同じ過ちを繰り返す。経済が成長せず、少子高齢化が急ピッチで進み、格差が益々広がる社会、「死中有活」で行くしかないのでは。

自分のゴールデンウィーク

2008年05月03日 | Weblog
本日世の中4連休の初日、東京銀座は雨、今は(午後5時)はあがったみたいですね。ニュース見てると行楽地や交通機関は人でいっぱい、そーいえば自分もそんな時期あったな、と懐かしくもあり今は独り静かに会社にこもっています(少し暗いですが)。人ごみや渋滞が特に苦手な私(繊細なのでしょうか)はGWにやりたい仕事、考えたいこと、をまとめるいい機会です(ナルシストかも)。実は要領が悪いだけなのですが、昔地下鉄通勤に閉所恐怖症になりかけ、JR通勤できるところに引越ししたぐらいですから、田舎育ちなんでしょうね。通勤電車の車窓から見える四季折々の花はちょっとした楽しみです、最近半分地下の通勤となり楽しみが少し減りました。などと、ほんわかな気持ちも直ぐ終わり、切り替えると、そこはやはりこれからの日本経済はどーなるのか、と急にそっけないことを考え、で今年後半どーなるのか、どーいう手を打つか、なんて分からないことを考えています。特に今みたいな変化の時は「昔の知恵」に従うのみ、悪い頭で考えてもいいこと無し、で10年前に書いたノートの言葉や恩師の言葉を思い出し、徒然なるままに羅列すると・天の時は地の利にしかず。地の利は人の和にしかず(やっぱり人の和が一番大切ということでしょうね)・欲深き人の心と降る雪は、積もるに連れて道を失う(欲は突っ張るもんじゃないよ、ということですかね)・気は長く 勤めは堅く 色薄く 食細うして 心広かれ(読んで字のごとく、出来たらいいですね)・忍耐は希望を持つ技術である(あっ、そーですか。女房を怒らせない技術のことかな)・富むと言うことは苦労がなくなるということではなくて、苦労の種類が変わることに過ぎない(そーいうことらしいです、富んだこと無いから分かりません)・人類の歴史は螺旋階段を上る人を、真上からみて、そして真横からみるとよく分かる(ちょっと表現が難しいのですが、分かりますか、すみません)。
子供達が相手にしてくれなくなったGWの私達夫婦、明日は高尾山へのハイキング、なんと夏には富士山にチャレンジするとの事。なんで女性はだんだん元気になるのでしょうか、ついていく、これも技術か。

魅力ある投資先

2008年05月02日 | Weblog
本日株価は14,000円を回復、何故上がっているのか本当に説明できる人が日本に何人いるでしょうか。物事には原因があって結果があります、株価も同じ。株式市場を競輪競馬と同じにしか見られないカワイそうな方々には何を言っても無理ですが、今世界で一番魅力ある株式市場はわが国日本です。このブログでも何回も日本株の買いを書いてきましたが、実行できた人はごく一部でした。新聞やテレビが報道し始めるとその気になる、一番いけないやり方ですね。今の日本経済や社会保障制度はよくない、と日本人誰もが分かっています。人は自分の物差し(価値観)をもって物事を判断します。マスコミが日本の政治家や官僚をバッシングして、悪い悪いと連呼すればするほど日本人は自国を信じられなくなり、総悲観論の慰めあい。末期的症状を作り出しているのがマスコミ、一体マスコミの正体は何なのか、大衆の象徴なのか、誰かが言ってましたが「子供にベンツを運転させるようなもの」。株式投資は経済をみること、経済は私達の日常、ガソリンスタンドで値段が下がった上がったと騒ぐスタンスでは日本が外資に買い取られるのは必定。
悲観論(何もしない人)が好きな人たちは「できない理由、やらない理由」を何事に付けても先に考えるタイプ、同じ言葉が「慎重に」「熟慮して」など何もしません、という言葉と同義語か?連休明け後どうなるか、特に中国の上海指数は歴史的な買場に来ているかもしれませんね。

歓迎すべき貪欲さ

2008年05月01日 | Weblog
私達日本人に今一番欠けているのは「貪欲さ」ではないのかな、と思う経験を最近よくします。先日(仕事で?)大宮のスナック(上海スナック)へ参りました、そこは当然中国を中心に外国人のホステスさんがご接客。月曜日というのに8時過ぎでも満員に近い盛況、お世辞にも高級とはいえないカラオケスナック。こちらあんまり騒がしいところは好きでは無いため歌も歌わずただ仲間と乾き物つまみながらお酒を飲んでましたが、何故かしらお客がひっきりなしにドアを開けて空いてるか確認に入ってくる。見たところゆっくり座れるスペース無いな、と思いきや「どーぞ、どーぞこちらへ」とおなじみ風のお客に何やら物申して詰めさせる、「お客さん、空きましたよ」との事。それが一度や二度ではなく何回も行われ不思議と座る場所ができ、客が回転していく。ナーるほど、と変に感心しながらこちらは自然と酔っ払い気分になり「たいした貪欲さ」だなあと。お客も誰一人文句言わないでお金払って帰っていく(当たり前ですが)、場所柄、お店柄、色々あるのでしょうが、少しでも可能性のあるお客を首根っこ抑えても、表現は悪いですが、お店に引っ張ってきて、気持ちよく帰らせる、これは芸当ではなく、執念に近い貪欲さか、と下らんことを考えながら時間がきたので独り帰路へ、そんでお店のママさんが「ありがとねー」と社交辞令、見送ってくれて、で30メートルぐらい過ぎて雑踏の中から振り向くとお辞儀して見送っていた、のをみるとあの貪欲さがいじらしくも感じられ、ほのかにいい気分で40分の電車が少しいい気持ちで帰れました。
これは一つの体験ですが、今の我々日本人は与えられることになれて自分から取りに行く、事をしなくなったような、口あけて待ってるような、そんな感じを受けるのは私だけでしょうかね。自分もそうなのかな、と、こんなこと考える方がおかしいのかな、と、大きな組織や社会の中で順応していた方がイイのかな、と。どーなんでしょうかね、ようわかりませんわ。