GlobalHeart 社長Blog

株式会社グローバルハートの社長がお送りするBlog

株価は正直

2006年09月30日 | Weblog
株価はやはりその企業の価値を正直に表わします。財務諸表から見る業績は前年度比そん色なくても株価の下がる会社は何かを織り込みつつあるのです。こういう一つの例があります、私の独断と偏見で申し訳ありませんが、私が毎日駅まで通う途中と犬の散歩で通るとき、駅前に大変立派な守衛さんが管理している工場ときれいなビルが道路を挟んで建っています。この会社(固有名詞は出しませんが)は今世界中でブームになっている精密機械を売りまくりものすごく業績がいいので株価もここ1年ぐらいずーと上がっています。私の独断と偏見に満ちた結論、近いうちに下げトレンドに入るでしょう、原因はあとからついてきます。理由、向かい合った大きな工場とビルの通りの歩道の植え込みのところの草、生え放題。「そんなの当たり前じゃないか、公共の施設に民間企業が手出さないだろう」という言葉が返ってきそうですが、私が感じるのは、その企業に勤めている社員、守衛の人たち、毎日通って、毎日見守っているのに雑草はそのまま、物を作って売れれば業績がよくなって株価が上がる、ただそれだけでしょうか。そこの社員や守衛の方々は大変失礼ながら「人間じゃなくて機械」なのです。私まる2年間見てきてますが、誰一人雑草やごみを拾う人を見かけたことがありません、企業は人なり、人は生身、生き物、感情があります。いくらいい学校でて、いい会社に入り、いいものを世に送り出してもその企業の構成員が人ではなく機械だったら変化に対応できませんよね。今はその商品がブームで売れてますが、ただでさえ商品の寿命は短いのに今後対応で来るわけないですよね、社員連結で1万人以上いる会社ですが必ず近いうちに株価は下がり始めるでしょう。その証拠に業績はバブル時よりもいいのに株価はバブル時をぬけない、そういう体質なのでしょうね。株価はその企業の価値を正直に表わします、だって株価はその会社を見ている人たちの評価なのですから。ですから、株式投資が出来ない人は会社の価値を見極め出来ないのと同じ事です。株式投資を勉強すると言うことは自分の全人格(経験、知識、常識、倫理観など)をぶつける、ということなのです。

若き経営者

2006年09月29日 | Weblog
久しぶりに「心意気良き若き経営者」にお会いしました。こちらが元気出てきますね、お話していると。非常に謙虚なんです、苦労しているから、分かりますよね、言動にでますから。一つのことに打ち込んで研究し、工夫し、もっといいものに出来ないか、と日々考え行動し人に会って現場で売り場に立って。30代半ば、体力気力十分、ひよっとするとこの業界で日本一になる可能性を秘めています。自分の言葉に責任を持ちすぐに行動する、いたんです、お会いできたのです、いろんな縁、やはりいい縁はいい人に会わせていただきますね。お金はあとからきちんとついてきます、本物なら。その本物、ダイヤモンドの原石にめぐり合えあたかも知れません。後は私自身の器の問題、一緒に仕事していきたい若き経営者にめぐり合えました。

今日の天気と日本の株価(経済)

2006年09月26日 | Weblog
本日ただ今東京銀座は雨、傘差してもぬれそうな雨です。窓から眺める昭和通の車道はいつものように車の途切れがなく何も変わらない様子です。一体、この「変わらなさ」は何、変わらないのは時には静けさを伴って落ち着きを感じますが、果たして今、このときに何も変わらなくていいのでしょうか。最近の株価の動きのなさ、何か躍動感を感じられないのは私だけでしょうか。経済は生き物、人間社会の鏡、だとすると私たちは一体どういう社会を創ろうとしているのでしょうか。事なかれ、ほどほど、低成長、安定、成熟社会とは一体どういう社会なののでしょうか。事が起こっているのは「我が家」だけなのでしょうか、本日朝も下の娘が定期、お財布、ハンカチ、かさ忘れバス停まで女房が猛ダッシュ、帰ってきて、お怒りの始まり、私「いってきま-す」とそそくさ、子供達の躍動感と株価の低位安定、無理やり関係づけると、将来に夢あると今が躍動的、目が輝き、気合が伝わるものなのですね。定期、お金なくバスに乗ろうとした我が娘「君は一体何考えてるの?」・・・「なんとかなるさ」ぐらい言ってくれたら「ほめてやりたい」と訳分からない締めでした。

受験生

2006年09月25日 | Weblog
しかし子供には色々教わります、今度は私の下の娘、ただ今お受験勉強真っ最中。自分のきた道、大学受験の重い経験を出来るなら少しでも軽くなればとの親の思いを「我関せず、自分の道を行く」という具合で推薦やめてお受験まっしぐらー。ついこの間まで渋谷ギャルやってて髪の毛は茶髪、背中丸見えのシャツ、あーあ、どないなってんのよと私天を仰いでいましたら、急に半年ぐらい前から、予備校だ世界史だ英語だ・・・となぜか勉強モード、上の子のときはこちらも免疫ないのでオロオロの私、最近は文学部行って歴史美術やって教職はとって、なんと大学院がどうのこうの・・・、どーなったのか、頭おかしくなったのか、と女房と顔合わせ、でも真剣に語る娘の顔を見ていると、幼いころのお姉ちゃんのあとついて回ってお母さんのスカートつかんでいたころの姿はもうどこにもなく、なんだか寂しくもありうれしくもあり、少々複雑な思いで受験地獄を見守っています。世界史と英語には多少自信持っていましたが、もう全然ダーメおやじ、かないません。「えっ、そんなことも知らないのー」と、コノヤローと思いつつ本当に「痴呆症、初期かも」。何故だか娘二人とも「世界史」受験選択、不思議なものですね、「おいおい、受験は落とす為の試験で、点数の配点は英語のほうが多いのだよ、普通」とアドバイスしてもなんだか見ていると、いつも「世界史」の参考書開いて英語の本がなかなか開かず、「いいの、世界史やってると面白いからー」、おっおーい、受験は趣味ではないよー、とのどまででかかった言葉をぐっと飲み込んで「そうだね、面白い勉強やるのが一番だよね」というのが精一杯。あと4ヶ月ですがこんなに一生懸命打ち込んでいる姿見るのは初めてで、出来ればずーと続け、と思いつつ、やっぱり受験生は「大変だなー」と少し余裕めの無責任でアホな男親をやってます。
今日も帰ったら歴史の問題出されるのか・・・、そういえばご存知ですか、アメリカのゴールドラッシュとマルクスの「共産党宣言」同じ1848年らしいですね、何言いたいか、つまりアメリカの歴史とヨーロッパの歴史の違い、アメさんはまだ若い、ってことですよ。

娘のバイト

2006年09月23日 | Weblog
私の上の娘、ただ今青春真っ盛り。「いいですね」とは他人の娘さんにはいえますが自分の娘にはいつも「はらはら、ドキドキ」しています。20歳になりましたのでもう社会的な扱いは大人でしょうが、うちは誰が何といおうと「まだまだ子供」との認識。ただ今家電量販店で土、日バイト、それも都心ではなくとーいとこです。
今日も帰り10時過ぎますので駅までお迎え、顔を見ると何故だか安心します。帰りに今日のバイトの成果を話してくれるのですが、今派遣でデジカメの販売要員。派遣先から「ノルマ」あるらしくお迎えの顔でどうだったかすぐ分かります。前期の大学の試験結果も分かり(まあまあ安心)今、後期に入って勉強、遊び、買い物、バイトと本当にその辺りにいなく最近行動範囲が分からず「どこ、行ってんだろうね」と私が言うと、さすがに女房は「今日はここ、明日はあそこにだれだれと」とつかんでいます。私、自慢ではありませんが、娘二人の成長過程で、オムツ1回しか取り替えたことなく、今でもそれがチクリチクリと女房から・・・です。仕方ないですよね、男は分かりませんもんね、というと3倍ぐらい返されますから「ごめん、ごめん」でいつも逃げています。最近は男性が優しいから夫婦で分担してやっているのでしょうがね。そこで、本題「娘のバイト」、一日何台売る、というのがつまりノルマが決まっていて、達成できない日がほとんどなんですが、初めての経験で、悔しがったり神妙な顔したりして悩んでいます。そこでお迎えの帰り道で「どうよ、物を売ると言うことは大変だろう」と少し優越感に浸って言うと、「・・・、」という調子でかわいそうですが確かに成長しているのがわかってこちらもうれしくなります。高校の同級生や仲間が今海外に行って語学を勉強して・・・とうらやましそうに話しています。私は頑固なのでしょうが「日本語や日本の文化も勉強しなくて何が海外よ」という古いタイプですので娘にはかわいそうですが、今のバイトの苦しみのほうがよっぽどためになる、と勝手に思っています。それにしても子供は親を勉強させ成長させてくれる生き物なのですね、子供に感謝です。

「人が宝」というけれど。

2006年09月22日 | Weblog
企業は「人が宝」という経営者、経営陣は多いですが実践しているところは非常に少ないと私は思います。これは何も企業の経営陣が「理想を言っている」ということではなくて立場違えば「真意」が違う、ということなのです。社員を甘やかしてお客様扱いしている企業はあり得ませんが、そんなことしたら企業はすぐつぶれます、私が言いたいのは「人が宝」ならダイアモンドの原石を磨くのは上司、管理職、役員、その全責任が社長ということです。最近の企業はダイヤモンドの原石を磨く努力をしないで「企業価値の上昇」という美名の下に「人を道具」のように使う傾向が多く見られます。今、多くの企業で新卒を中心に採用が大変だ大変だと叫んでいますが、よーく考えてもらうとお分かりのように「安くいい人材を長く」使えるはずもない人事体制でよく「採用が厳しい」と言うのは私は不思議におもいます。私が大変お世話になった某社長が社員、役員の前でよく言っていました「人(社員)は動かん、やれ、といって張り倒しても動かん」と、この言葉の真意は社員、役員が「無能」ということではなく「ひと(社員)に仕事をしてもらうのは大変なことなのだ」ということを伝えたかったのだと思います。とても人情的でいつも怒っていて私は何回「お前、もう来るな」と怒られたか知れません、人を怒る、ということは本当に大変なことです。情があるから怒るので、関心なければ「無視」、これはつらいです。人はお金や地位だけでは絶対動きません、最近の経営陣に魅力ある人が少ない、残念です。優等生ばかりでは機械を相手にしているようで無味乾燥です、そしてもう一つこの社長に教わりました「俺の言うことは契約書と同じだ」と。これは自分の言動には責任を持つということ、成し遂げようとする一つの目的をだらだらと先延ばしにして実行しない人は信用も失います。人間一番大事なのは「信用」です、それは普段の行動に現れます。

最後のバブル

2006年09月20日 | Weblog
「バブル」とはじめに言われた時代、1990年代初頭「株式、土地、人件費、最後にマスコミ」と言われていました。そしてバブルは全てはじけましたが唯一残っているのが「マスコミ」です。これは私が言っているのではなくある方が1990年に私に教えてくれました。「株式、土地、人件費」はご承知のとおり大変な思いをして再生してきましたが「マスコミ」関係バブルはどうでしょう、一口にマスコミといっても多種多様ですが「奢れる者は久しからず」のように一部のマスコミ関係はいまだに「黄金の日々を謳歌している」ご様子。今すぐにでもこの業界も地殻変動が起きて業界の再編が起きるでしょう、株式の世界で「乱に利あり」という言葉があります。どうでしょうか、最近のテレビ番組の品のないこと、笑いは人のころを豊かにしてくれますが最近の民放は「何か心得違い」をしていませんでしょうか、マスコミという社会の公器を間違って使っていませんでしょうか、ようやく心ある人たちがこの業界でも動き始めるかもしれません。最後のバブル潰しが始まりました、こういうところに日本人の良心がはたらくのでしょうね。時間はかかりますがこれが日本流、正常化が進み始めました。

ある初秋の出来事

2006年09月17日 | Weblog
秋を感じる季節はなぜか私を詩人にします、街路樹の葉が黄色く染まりはじめ、学生時代に通った今でもある喫茶店のウインドウに見る自分の姿に30年に近い年月を・・・なーどと、少しはきざな事も似合う季節になりましたね。昨日札幌から帰り、テレビの天気予報では東京と札幌同じぐらいの気温なのに快適な9月の札幌からたった1時間15分でまーた鞄からタオル取り出して汗拭いている自分がなんだかこっけいで傑作でした。先日1年に1回の身体検診あり血液、レントゲン、心電図など、結果を少しだけびびりながら聞きにいくと、予想通りで以上でも以下でもなくてひとまず安心。まあ、これぐらいの年になるとなんともないほうがおかしくて、私などいくつか欠点欠陥が出てきてもいいお年頃、のつもりでいますから何言われても平気、という気持ちでも実際結果診断の表(なんだか分からんやつですよ例の)を医師がみて最初の一言「大きな病気はありませんね」で「まあまあ」と自分で納得、そして1時間待たされて話し3分でしたので帰ろうと席を立ったとたん、一言「肝臓の数値が何とかかんとかで、壊れてますね、他はなんともありませんが中性脂肪が何とか」・・・「ん、壊れてる・・・」なんのこっちゃ、肝臓が壊れているなら大変じゃないか、聞き違いか、少しあわてて座りなおし、で「肝臓が壊れてたら死にますよね」に「いや、お酒を少し控えめに、よく飲まれますか」との問いに「お酒は人生です。」と答えると「たまには休肝日を」といつもの模範答案。肝臓が壊れてたらえらいこっちゃないですか?ふつう。平気な顔して医師が「肝臓が壊れてる」、こいつは一体何者か、と瞬間カッときましたが、そこは少し落ち着いて「で、検査か何か、病気でしょうか、移植まで考えますか」と思いつくことをザーと浴びせると、平気な顔して無精ひげでやせ顔でひげのそりのこりが目立ってて髪の毛ボサボサで、とにかくこの人変だ、と決め付けたくて返ってくる言葉を固唾を呑んで待っていると「まあ、お酒少しだけ控えめに、検査の前日お酒飲みませんでした」と。「治療とか検査とか必要ないのですか」「ありません・・・」、こーの野郎「肝臓が壊れてる」は一体どーいう意味よ、と心の中で怒鳴って「どーも、ありがとうございました」といって席を立ち控え室で清算順番待ちながら「で、俺、どうしたらいいのか分からないので帰ったらお酒でも飲んでゆっくり考えよう」と3分で3,900円(自己負担1,300円)、ばっかみたいに高いなこの病院、あの医者日本語を勉強したほうがいいんじゃないか、などと。俺はいったいここに何しに来たのか、と考えた今週のとある一日の出来事でした。

物事の本質

2006年09月15日 | Weblog
危険な兆候だと思うことがあります。最近の特に竹中大臣の発言、頭がいいから言い負かされるテレビ解説者が多く見受けられます。色々な数字で実証しようとしていますが、特に私が危険だと思うことは、株式会社の資本金規制撤廃に伴う創業企業の数が増えているとのコメント、ほんとですか?と言いたくなりますよね。資本金10万円で株式会社になっても何の信用力があるのか、誰が取引してくれるのか。
数字合わせは社会保険庁の特許かと思いきや、数字の力は大きいですから物事の本質を見る力が私たち一人ひとりに必要とされているのでしょうね。これから札幌です、一日遅れましたが東京ばかり見ていると日本人を見失います。自分を中心に世界が回っていると勘違いしないような心がけ、増田、お前が必要なんだろう、と自問自答。

久しぶり

2006年09月14日 | Weblog
ブログちゅうのは毎日書かんとあかんやんか、と大阪弁で怒られそうですが、いやー実に最近決め事がいろいろあって、おとといは大阪日帰り明日は札幌で・・・。いいわけばかりして、というところで今日は6時から「安部さんの総理を実現する会」でもう決まりでしょうが本人が来られるとの事で「パンダ」でもあるまいし、ちょっと参加してきます。話は変わりますが、本日上場の「ミクシー」何と買い気配で大変な人気、なんで日本の投資家はいつもこうなのよ、と。NTTのときや何かそのときの雰囲気で投資を遊び感覚、これじゃいつまでたっても「投資家じゃなくて投機家」という私がおかしいのでしょうか。時間の変化のスピードは間違いなく早まっていますがもっと「地に足着いた」考え方や行動が大事です。日本の資本主義はどこ行くのか、日本の証券会社は「証券市場を育成する」という感覚がなくなり「金融会社」になってしまったのでしょうか。透明性は必要ですがあまりにも清い水には魚が住まない、の例えのようにいき過ぎには必ず反動があります。久ぶりに毒舌でしたがご容赦。