GlobalHeart 社長Blog

株式会社グローバルハートの社長がお送りするBlog

また繰り返す時代の逆行政策

2012年02月28日 | Weblog
AIJ事件により当局は規制と分散投資の強化、新しいポストを新設し管理を企業年金に対して強化する、と報道されています。これが毎度おなじみの時代逆行政策、この問題の本質は基金や企業側の運用体制の不備と無責任体制、あと国の管理体制つまり5.5%で回るわけないのに放置していた責任です。退職金制度や企業年金制度は従業員のためにも会社のためにも大変重要な制度です、この制度は労使双方のために存在しているはずですが何を間違えたか企業や官僚の天下り先、金融機関特に信託、生保などの事務委託費用受け入れ先、として労使の関係ない先に食い物にされていた事実を考えると事件のたびに規制を強化し経済活動を委縮させることに憤りを感じます。このままでは企業年金制度自体をやめてしまう企業が続出することが懸念されます。厚生年金の受取年齢の先延ばし、社会保障費用の負担増、消費税のアップなどを考えると老後の生活設計に必要な制度をなくすことは考えられません。責任を転嫁し制度の改悪化を何としても阻止しなければなりません。

表面(紙)しか見なくなった社会

2012年02月27日 | Weblog
物事の本質や真実を理解できる人とそうで無い人、現代の日本は後者の人が多数を占める時代かもしれません。経済活動においても人付き合いにおいても肩書や会社の名前で判断し本質を見ようとしない社会、だから人の話を理解しようともしないし聞いたような気持ちになっているだけの人が多い、結果はおのずと出てきます。つまり正しいことが最後はわかるわけです、このたびの企業年金の問題、今後起こる企業年金の問題おのずと不自然なことや間違っていることは後から自然と浮かび上がってきます。日本の社会構図では非常に素晴らしい立てつけで色々なことが始まるのですが、途中、制度の運営でおかしくして元もこもなくしてしまう、このような事例は枚挙にいとまがありません。弊社では「企業年金資産運用これからの戦略」という小冊子を作成し、このたびのAIJのような問題にぶち当たらないよう注意を喚起し年金理事及び企業担当者へ配っていました。その中に改善策も提案していましたが、このような事件や制度の欠陥が今後日本の少子高齢化社会に必要な企業年金制度の維持にマイナス要因に働かないよう、「味噌もくそも一緒にした」無責任な政府やマスコミに雷同しないよう企業年金制度の本質を見ていただきたいと思います。

投資教育

2012年02月26日 | Weblog
投資教育と金融商品説明会を混同している人が日本ではほぼ100%に近いと推察しています。今までは仕方ないという人が多いかもしれませんがこれこそ「甘えの構造」そのものなのです。投資の教育とは将来分からないものに対して準備をし対処していくということでお金を運用することだけではないのです。企業経営がまさにそのままで投資教育がなされていなかった日本のいわゆる大企業の凋落ぶりは家電業界を見てもはっきりとわかります。また金融では日本の債務残高が1000兆円あっても個人の金融資産が約1450兆円あるから大丈夫だとそれだけで判断する浅はかな人ががなんと多いことかマスコミの発言者を見ればわかります。物事はすべて一面的ではなく多面的に見なければなりません。日本の国債の保有者は個人の資金を集め運用している金融機関です。投資信託や金融機関の運用資産として保有運用していますが、仮に運用している金融機関やファンドの株主から運用の損失に対して回避していない場合株主代表訴訟を起こされ会社と個人にその損害賠償が請求されます。したがって仮に私がファンドの運用担当者で日本の経済政策や政治情勢が今以上に悪化することがわかっていて運用損が発生することが予見される場合に何もしなければ「善管注意義務」違反で受託者責任を追求され裁判所の判断によりますが損害賠償を請求され責任を追求されることがあります。日本の組織、特に大企業つまり金融機関の担当者はまじめで優秀とされていますから事務的に危険を回避し、外人株主等から責任を追求される前に自己保身のために機械的に日本国債を売却する行動に出る可能性があるのです。ちょうど日本の行政官が税金や社会保険料滞納者に対して機械的に差押え通知を発送するようなものなのです。今の日本企業の外人持ち株比率を見てもわかりますように金融機関でも多い所は40%を超えているところもあるのです。日本人が一番気にしているお金の運用、それも安全だと思わされている国債の運用についても多面的に考え判断しなければなりません、つまりこういう金融の基礎教育さえ受けていない日本人の「赤子の手をひねる」ことは簡単なのです。AIJ投資顧問事件の根本的な原因はまさにここにあるといわざるを得ません。

企業年金ー問題の本質

2012年02月25日 | Weblog
AIJ投資顧問企業年金運用の問題、報道から1日明け多少の情報は流れていますが新聞報道を読むと相変わらず問題の本質が理解されていないことに気づきます。虚偽記載はこれはもう犯罪以外の何物でもありませんが事ここに至った原因は日本社会の「無責任体質」と事なかれ主義的対応と言わざるを得ません。確定給付型でも確定拠出型でも制度設計や制度の移行時にきちんとした説明をしていない、または理解していないことが何と多いことか、これが現実です。基金常務理事の「金融庁の監督が悪い」という記事が出ていましたがまさにこれが象徴です、つまり責任を転嫁して自己保身を貫こうとしています。私が今までずーっと指摘し改善を訴えてまいりましたがほとんどの企業では知らん顔、向いているのは上か金融機関つまり責任転嫁対象先、今回の問題は出るべくして出た事件であり、今まで放置しておいた理事や企業責任者及び担当者の「不作為の作為」です。このたびの事件では大手一部上場企業の名前があがていますが、監査法人は何をやっていたのか、つまり常識的に考えて企業年金は金融の子会社を持っているようなものですから変動する商品を運用する場合は経験、知識などが必要であり報告書を丸呑みすることで監査法人の仕事が終了なら誰でもできる、わけです。このような事件が起こるとすぐ「規制強化」などとバカな話が出てきますが、今回も誰かさんの責任転嫁のために自由な市場が規制され改革がまた遅れる、ことになるでしょう。問題は企業年金や市場経済、人間の本質がわかる人が我が国の官僚や政治家のトップにいないことが残念です。「世代党」を創る会の立ち上がりがもう少し早ければ少しでもお役にたてたのではないか、これからでも遅くないと思いますが間違ってもこのたびの問題の本質を見誤り、規制強化へ逆戻りしないよう良識あるこのブログの読者さんが一人でも多く気づいていただければありがたいです。まさにこの件「世代党」を創る会で改善を進めていく問題でした。

「受託者責任」パート2

2012年02月24日 | Weblog
本日AIJ投資顧問2000億円消失の記事が報道されています、今までの報道だと運用損失か横領か今後の調査次第ですが、これは日本の企業年金資産運用の虚を突いた事件です。私が2月9日に指摘していたことがまさに現実に起こりました。何年も前から警鐘を鳴らし、セミナーでも指摘してきましたが現実に起こると誰が加害者で誰が被害者か、はっきり言えることは「受託者(理事及び企業の責任者)」が加害者、受給者つまり社員が被害者です。これは本日報道された確定給付型の企業年金だけではなく、確定拠出年金制度にも同じことが言えます。いわゆる事業主責任です。企業年金の担当者及び加入者は自分自身のこととしてしっかり認識し「受託者責任」を追及しなければ結局今日の報道のように自分の年金が少なくなるだけです。ですから何回もこのブログで述べているように金融機関へ丸投げの現状は間違っているのです。

企業倫理とステークホルダー

2012年02月21日 | Weblog
企業年金制度改革に取り組んで12年、様々なケースに対応してきましたが、ほとんどの企業で制度改革優先順位は下位のほうではないかと感じました。つまり会社を支えてきた人たちへの退職金の支払いの確保、これが企業経営の後回しになっている現実に不可解さを感じるのは私だけでしょうか。企業は株主、経営陣、社員で成り立ちますがまさか滅私奉公の思想が今でも敢然と残っているわけではないのに企業のこの件の担当者のレベルに違和感を感じ、またそれを放置している労働者の代表である組合幹部の倫理観と知識の欠如にあきれることがほとんどです。金融商品を販売する側に立った制度設計を黙認し、自分の代だけ逃げ切れればいいような仕組みを恥ずかしくもなく続ける今の仕組みは当然監査法人が将来リスクとしてあぶりださないといけないところ何もしない。結局は今の公的年金制度が成り立たないとわかっていても次の世代につけ回しし知らん顔している現状と同じこと。投資教育と社会保障教育がきちんとなされていればここまで倫理観の欠如した制度にはなっていないはずです、今の時代「他力本願」的被害者意識は捨て去らなければいけませんね。

グローバルハート

2012年02月17日 | Weblog
「グローバルハート」とは1990年代だと思いますが、ピーターラッセルという人が「グローバルブレイン」という著書の中で記述しており、2000年7月に会社設立のときに「頂き」ました弊社の商号です。その意味は、本をあっちこっちに貸していたらどこ行ったか分からなくなりましたので正確には表示できませんが、インターネットや航空機の発達で時間や距離が短くなると国境や民族、言語、宗教の違いが小さく少なくなり、地球が人間の脳のようになり活動する、そこで一番大切なことは「地球の心=グローバルハート」ということでした。昨日約7か月の語学スペイン留学から帰国した娘の話を成田からの帰りに聞いていると、まさにこの世代(20代前半)の人たちはフェイスブックとスカイプを駆使し世界の人とコミュニケーションをとっていることが理解できました。せっかくだからということでヨーロッパ中に広がっている日本の大学時代の友人やスペイン語学学校での友人を訪ね色々な国へ参り、色々な民族言葉に接し、この件聞いていると話が尽きませんでした。20年前からピーターラッセルが予言していたことがまさに今実現しています、20年前にフェイスブックやスカイプが出現することが予見されたのでしょうか、本当に世界にはすごい人がいるものです。そのピーターラッセルの発想の原点や哲学考え方の根本は何と「東洋哲学」とのこと、つまり私たちのご先祖様のとおってきた道なのです。私たち日本人は世界の宝人類の宝の知恵や道具を創りだすいいものを持っているという自信を持つべきですね。

言うほど簡単ではない、ことのほうが何と多いことか。

2012年02月16日 | Weblog
人間は進化したから生き残ってきた、とは世の学者がさんざん証明してきました。何回も書いていますが最近特に多い記述に「ダーウインの進化論」、強いから生き残れるのではなく変化に対応したから生き残れる、これはもう真実でしょうが生身の人間としてそんなに簡単に変化できるものでもなく同じ失敗を何回も繰り返す、痛い目に合わないとなかなかわからない、そんなに簡単に変化できないことも真実ではないでしょうか。とりあえず何が言いたいのかというと、こちらの本業年金問題、20代や30代の人に将来年金が少なくなる、とか大変だと話してもそれは40年か50年先のこと、今痛みがありません。若い人たちに選挙権をしっかり行使しないと自分たちに不利になる、と言ってもそんなに今死ぬほど苦労しているわけではないので棄権、つまり今の若い世代は切羽詰まっているわけではなくマスコミがニュースがなくなるから無理やり「大変だ大変だ」と騒いでいるのかと勘繰りたくなるくらいです。しかしかしながら我々50歳を過ぎ生きるという本能が首をもたげ「金や住むところ」がないと気が狂うほど心配になり切羽詰まります。確かに変化に対応しないと生きていけませんがでは具体的に何をどうすれば変化に対応できるのか、その答えは日常には簡単に転がっていません。やはり、自分はまだわかりませんがその答え古典の中にありだから学問、勉強しなさいと故人が昔から言ってきたのかもしれませんね。日本が変化の中にあることは皆が承知、では何をどうしたらいいのか一人一人が故人の教えから学ぶしかないかもしれません。

確定拠出企業年金(日本版401k)の法令違反

2012年02月15日 | Weblog
年金確保支援法が施行され2か月が経過しようとしています。この法令施行で最も重要な改正点は確定拠出企業年金「投資教育の継続条文」の明文化です。投資教育はいわゆる努力義務から企業責任にはっきり明文化され義務化されました。確定給付企業年金の場合は「受託者責任」が今もっとも問題あるところで、これは理事及び関係金融機関の責任問題に発展することは間違いないことと思われますが、確定拠出企業年金の場合は明らかに根拠条文が明文化され、加入者が本来もらえるべき企業年金が変更前より少ない場合は企業責任となり何らかの手当てをしなくてはなりません。こういうことを避けるために客観的中立的な「投資教育」が加入者に必要と明文化されています。企業年金の受給権を主張できるのは自分しかありません、日本版401k導入時に自己責任の説明は受けたでしょうが、結果不利益の変更は認めていないはずです。「不利益の変更は無効」という大原則があり、これは労働法上の憲法です。しっかりとした投資教育を受ける権利を主張するか受給権発生後不利益変更で損失額の返還を求めるか、加入者個々人で努力することが自己責任です。公的年金は全国民に関係する問題として今クローズアップされていますが企業年金も全く同じ問題を抱えています。無責任なマスコミ報道に付和雷同することなく、それこそ自己責任で自分の問題として取り組むことが今求められています。

調和の社会

2012年02月14日 | Weblog
タバコの葉耕作に50年携わった私の父の言葉「タバコの古い葉と新しい葉を混ぜたタバコが一番うまいんだ」を思い出します。最近特に世代間の問題を研究し自分なりに考えているとどうも昔から話していた父の言葉が浮かび上がってまいり、50を過ぎた私も中年なのか老年なのかよくわかりませんが、古いことと新しいことを対立させるのではなく調和させる工夫ができる、これが私たち日本人の一番いいところではないか、と考えます。年齢を重ねることが楽しい社会、体力は衰えても知力はますます盛ん、それで自分の足跡は消して世の中の役に立つ、これ理想です。実は私自身今、一番考え行動し理想に燃えている時期は無いように思われます。一日一か月一年が何と短いことか、それは年取ったから、とはよく言われるでしょうが最近はあっという間に一日が過ぎてしまい、あれもこれもできずに悔しい思いをします。妥協し縮むのではなく世の中と調和し昇華していく、「世代間の調和」という考え方が必要だと思われます。