GlobalHeart 社長Blog

株式会社グローバルハートの社長がお送りするBlog

失われた日本人の魂

2011年09月27日 | Weblog
表題は恰好つけてますが、久しぶりに「何とも言えない、いやな感じの」局面に出くわしました。業務上色々なところで色々な人とお話ししますが、とある会の終了後ある人がつかつかと近寄り、自分の立場をとうとうと述べ「ところで、お名前は?」と聞くと「言えません」ときました。批判、反論は甘んじて堂々とお受けしますが、自分の名前も名乗らない上に聞くところ、自分の立場を守る発言ばかり、話していやな気持になったので早々に打ち切らせてもらいましたが、この傾向はこの人だけではなく日本社会の縮図なんだろうな、と感じましたね。私のやっていること、やろうとしていることが正しいと主張しているわけではなく、自分の主張があるのに名前を名乗れない、ことがとても嘆かわしく残念でした。どんな立場にあっても自分が信じた正論を述べるときぐらい自分の名前を堂々と述べる、日本人の魂ともいえる大事なことがここでも失われていることに寂しさを感じてしまいした。ただ、帰りの電車で空いた席に「次ですからどうぞ」と声を出した若者がいて、少し気持ちが持ち直した一日の出来事でした。

農耕民族社会の変化

2011年09月09日 | Weblog
今まで私たち日本人は自分たちを「農耕民族」文化と認識し、欧米の「狩猟民族」文化と対比してとらえてきたと思います。21世紀に入り、インターネットと航空機がこれだけ発達すると国境の概念が希薄化し果たして今後もそうか、と疑問がわくのは私だけではないと思います。どーもこれからの日本の行く末は、外貨を稼ぐのはモノづくり産業で農業という産業は自然衰退となる政策に進んでいるように感じます。これからも米国や中国ともうまく付き合わないといけないし、国内の産業も守らなければならない、そんなにうまくいく政策があるでしょうか。何か一番今まで大切なことが切り捨てられていきそうな、そんな予感がします。これは農耕文化の変化なのか衰退なのかわかりませんが、とにかく進化していきたいものです。

江戸末期の落首(らくしゅ)

2011年09月08日 | Weblog
「世の中は、左様でござる ごもっとも 何とござるか しかと存ぜず」これは最近読み返した本で見つけ、なるほどそうかと思い至ったのでここに記します。
つまり、日本人は全くその通りだ。すぐ付和雷同だ、現代版に訳すと、エネルギー問題なども同様で、はやりだすと猫も杓子もまるでおうむ返しに並び立てる。「世の中は左様でござる」自然エネルギーと言ったら皆自然エネルギー主義になる。そして現代のエネルギー消費社会でどう考えても無理な概念を持ち出して「原子力はいかん、即廃止」と振り回す。これに対して批判でもすると弾圧する。そこで「ごもっとも」とすぐ参ってします。「あいつ、偉そうなことを言っておいてなんだ。もう変節改論か。訳のわからぬやつだ」と思って、「何とござるか」一体お前の本音は?と問い詰めてみると、「しかと存ぜず」答えられない、付和雷同する・・・。こういうのがどうも幕末武士の実情だったらしいです、少々比喩が今すぎますが、江戸末期も今もなんだか全く同じじゃないですか?今から14年前に初版が出た本でこのようなことが記載されていました。私たち日本人を知るいいお手本でした。

満員御礼

2011年09月07日 | Weblog
今月、当社グループのNPO法人確定拠出年金相談センターで東京、大阪、名古屋でセミナーを企画しています。これは8月4日に成立した「年金確保支援法」にて投資教育の継続教育が義務化されたことに伴うものです。お陰様で、東京会場は満席となり次回開催を企画しています。
確定拠出年金の投資教育は「寝た子をおこしに行く」覚悟と誠意が必要です。今まさに、株価が下落し、円高が定着しているこの時期にこそ加入者への適切な情報提供が必要なのです。これがあって初めて「自己責任」ということです、皆にとって苦しいこの時期にこそきちんとした教育を受け、情報を共有する、健全な投資教育が実行されることを望みます。

成長と成熟

2011年09月05日 | Weblog
過去、現在、未来と時間は流れます、ひょっとしたら現在、つまり「今」は無いのかもしれません。「無い」ものにこだわり邪念や欲が人を苦しめる・・・・、と最近読みました「般若心経」に書いてあったかなかったか、凡人の私にはまだよくわかりませんが、しかし人間は成長することに生きている意義あるわけで、肉体の成長だけではなく精神の成長はいくつになっても必要だと最近感じます。大体肉体は20代前半で成長は終わるらしいですから、あとは常に精神の成長が必要。ところが今の日本の評論家は日本が成熟国になったので成長は無い、旨の発言をよく聞き来ます。それこそ自分の精神の成長が止まったからだらろうと推測できますが、このような人がテレビやマスコミで発言し影響を及ぼすことはわれわれ日本人皆に害しかない、と思われます。そういう自分はいわゆる50肩と診断され、歳を感じていますが世の中まだ知らないことやりたいことが多すぎてとても「成熟」の領域に入れません。混迷深まるこのご時世、ドンキホーテのごとく猪突邁進しながらこれから肩のリハビリで病院へ・・・。成熟と老化は違う、と自分をいたわりながら頑張るしかありませんね。

フェイスブックと日本人の立ち位置

2011年09月04日 | Weblog
今、少しずつフェイスブックを始めています。こういうのはおじさんとおばさんではなかなか進まないので、我が娘たちも参戦してもらい、後から教えてもらうつもりですが、これまた便利で面白いものですね。昔の学友、友達の友達、海外とも簡単に連絡でき、写真も見れる、それでただ。これは日本人には結構向くのでは、と考えます。あと2,3年するともっと進化し生活の一部になりそうですが、そこは規制の好きな当局が既得権の温存を狙い邪魔しても人間の進化は止められません。そのうち政治、投票もSNSでできるのでは、いやできるようにしないといいか悪いかは別にして民意は反映されませんね。こういうのが一番困るのが今まで「権威」として守ってきや業界や人たち、新しい活力ある日本を作るには既成概念を取っ払いチャレンジを皆が黙々と一人で続けるしかありませんね。
たぶん、日本で戦後今が一番混迷していると思っている人が多いと感じます。とにかく先が見えない、もうからない、組織が変、日本の政治は財界が動かしているのか日本の食糧を守る農業政策が切り捨て、何もしないで給料もらえている人がいかに多いか、そして夢にチャレンジしていない会社や社員がいかに多いか、とにかくこの時代はどうなっているのか、とつくづく考え、過去の歴史に学ぼうと、最近以下の本を読んで、また読み返してみました。
「歴史からの発想」・「第三の敗戦」(堺屋太一)、「逝きし世の面影」・「維新の夢」(渡辺京二)、「歴史に観る日本の行く末」(小室直樹)、「人間維新」(安岡正篤)、「色即是空」の研究(山本七平)
日本に絶望することなく新しい時代を築いてきた先人から学ぶことが多いです。