国家のリーダーの行動と国民の民意と相違があっていいものでしょうか?ポピュリズムを大衆迎合主義と訳するならそうではないかもしれませんが、少なくても国民の民意を代表し、国民の幸福追求に動いてくれるのが国家のリーダーだと普通に考えれば今の国会議員の方々は民意をどう受け止めて政治活動を税金で行っていただいているのか、見えません。国の真実の姿がどうなのか、本当の借金はいくらなのか、投資家保護とか国民本位とか言いながら規制がどんどん厳しくなり物事が進まなくなっています。金融だけかと思いきや、学校まで監督官庁に縛られているふりをしながら現場は何もしないことが自然のことのようになっている現実がようやく表に出だしている、正常化は進んでいますが、これだけ文明の利器が発達した世の中でもう少し日常的に民意をくみ取る仕組みができてもよさそうです。前にも書きましたが、文部省とか厚生労働省の「省」という漢字は「余計なことを省く」からきている言語です。一般大衆はほっとくと欲望のままに行動する、だから為政者や行政官僚は「余計ことを省く」ことが必要になる、とのことです。これは2500年前の孔子が述べている言葉ですが、まさに現代に通じます。私たちは税金から民意を代表する組織にお金を支払っています、ところがどうでしょう、民意を代表する方を本当に選んでいるでしょうか。ネットという文明の利器が発達しているのに活用しないのは時代の進歩に逆流しているようなものです。民意を表明するためには正しい情報と知識が必要です、結局民主主義とは厳しいものなのです。しかしながら開闢以来成しえなかった本当の「民主主義社会」がこの日本で始まる、歴史的な立場に我々日本人は今いるのかもしれません。