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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

48日目:アンナプルナトレッキング1日目。-ウレリの村で真の暗闇を体験する-

2014-07-09 00:30:21 | 旅行
○トレッキングの朝

6時半に起き、トレッキングの支度をし、朝食を食べた。
山の上では電気が使えず、wifiも通じておらずiPod touchも使えないので、宿にある「深夜特急」の小説を全巻借りてリュックに入れた。
ロッジではやる事が特になくヒマになるらしい。

んで7時半くらいに宿を出る。
宿のフリーボックスに、トレッキング用のポールが置いてあるとうので、それも借りて行った。
んでタクシーを捕まえ、登山口の「ナヤプル」に行くためのバスが発車する、バグルン・バスパークに向かった。
パスパークへは350ルピーで行けた。

ちなみにタクシーの運転手さんは結構気さくな人で、色々車内で話していた。
値段交渉も、行き先を告げたら最初から適正価格を言ってくれたので、とてもいい感じの印象を持った。
ちなみにネパール(ポカラ?)の人はあまり最初っからぼったくり価格を言ってこない。
やはり値段相応の価格近くを言ってくるので、あまり値引きが出来なかったりするが、それはそれでいい事なんだろうと思う。

タクシーの運ちゃんは昔はトレッキングのガイドをやっていたらしい。
結構英語がペラペラで、なぜ今はタクシーの運転手をしているのかがちょっと気になったが、自分があまり英語を話せなかったので、そこは聞けなかった。
運ちゃんからは、バスで行くよりタクシーで行く方が速いし快適だよと、タクシーで行くのをオススメされたが、値段が高いよと言って断った。ちなみにタクシーで行くと1800ルピーらしい。


○登山口に向かう

バスパークについて、コントロールセンターでチケットを購入した。
タクシーの運ちゃんや係員の方が教えてくれたので買い方がすぐ分かった。
チケットは110ルピーだった。やはりタクシーで行くより格段に安い。
そしてすぐにバスに乗る事ができ、乗ったらすぐに発車した。運ちゃんからは満員になるまで発車しないよと言われていたが、満員にならなくても発車した。すぐに出発できて結構ツイていた。

んで途中途中でちょいちょい泊まりながら、バスは登山口に向けて走っていた。
気づくとバスは街中から山道に入っていた。
ポカラから結構走っていて、その間にここで暮らす人たちの暮らしを垣間見ることできた。

ポカラの山間は結構標高の高い山が連なっていて結構険しい。
その急な斜面に棚田が作られている。
道沿いに人の住む家があり、商店がある、そして子どもが遊んでいる。
電気もあまり通っていないらしく、薪が積まれている家もよくあった。

ネパールの人々はこの山が多い自然と一緒に暮らしている。
自然を壊す事無く、自然に順応して自分たちの暮らしを営んでいる。
そしてそこの人たちの表情はどこかやさしく、彼らなりの生活をそのまま受け入れているんだろう。
子どもが道で遊び、野良犬が道路で寝ている。この風景は前からずっと変わっていないんだろうと思う。
唯一変わったのが携帯を持つ人が増えたくらいなのではないだろうか。隣に座ったおばあちゃんが携帯を持って何か話していた。

東京にいるのが幸せで、彼らが不幸せだと言うことは全く言えない。
何でもある東京で、何でも手に入る所にいても、仕事や人間関係のストレスで疲れ果てている人と、何もなく手に入るものも少ないが、自然を受け入れてのびのびと暮らしている彼らはどちらが幸せなんだろうかと思う。

昔から変わらない生活、そして自然をそのまま受け入れる生活。
自然を敬い、自然のなすがままに自分の運命を受け入れる。
ネパールの山々に囲まれた自然を見ながら、その人々の生活を考えると、何か畏敬の念が湧いてきて、なぜか涙が出そうになりました。

ネパールはネパール、インドはインドというこの人々の性格や気性は、その土地が大きく影響を与えているんだろうなと思う。
日本人の気性というのも日本の風土が作り上げたのだろう。

ちなみにバスの車内では途中からインド映画のダイジェスト的な映像が繰り返し流れていた。
インド映画はひたすら歌って踊っていた(笑)。カップルで踊っていたり、グループで踊っていたりして、おそらくストーリはあまりないのだと思うが、見ていて飽きなかった。
大自然の中で歌って踊っていたり、どこかの宮殿や店の中で歌って踊っていたりという映像ばかりだったが、映像自体はそこまで古くなく、出演している人もかっこいい人やとても美人な人ばかりで、なぜか惹き付けられてしまった。
今まで見たことない新しいジャンルの映画だったので、今度インド映画も借りて見てみようかと思う。

ナヤプルの登山口には9時半に着いた。
8時にバスが発車したので、1時間半で着いた。所要時間2時間と聞いていたので、結構速く着いた。
登山口の目の前の店で軽く朝食を食べた。
ドーナツっぽい揚げたパンとチャイを食べて60ルピーだった。
ちなみにドーナツっぽいパンは米を揚げたものらしく、あまりおいしくありませんでした(笑)


トレッキング前に休憩


○トレッキング開始、道案内をしてもらう

登山口を聞いたら、店の横の脇道から下に下りる階段があり、それだと言われた。
てっきり山に向かって行く道なのだと思っていたが、最初に下に向かって行くのでちょっと驚いた。
んで下にモディ・コーラという渓流が流れているので、それに沿って歩いて行った。





渓流沿いに歩いて行くと、鶏、カモ、馬、牛など、色々な動物がいた。
このネパール人の生活丸出しの道なりを見ていて結構面白かった。
ナヤプルから少し歩くと、ビレタンティという村に着き、そこで昨日発行したTIMSとACAPを見せる必要があった。


カモ


その後、ビレタンティからは渓流沿いに簡単な山道になり、向こうに見える棚田や集落などを見ながらどんどんと歩いて行った。
途中何回が道を間違えてしまったが、道で会う人に聞いて何とか修正することができた。
ビレタンティの村の次はヒレという村に到着する予定なのだが、これがかなり遠く、集落はいくつか通り過ぎるのだが、ヒレという名前が出てこなく、一向に着かなかった。


渓流沿いの道


橋とモディ・コーラ。しかしこの道は間違った道だった


途中馬に道を塞がれてしまった


いい天気だった


途中また道に迷ってしまい、どうしようかとちょっと考えたが、たまたま道を通りかかった荷物運びの少年がいたので、彼にお願いして道案内してもらうことにした。
彼の名前はアンビュレット君といい、英語も結構話せるいい子だった。水飲み場を教えてもらったり、色々親切にしてもらった。
彼は草?的なものを刈って自宅に帰る途中だった。ヒレを抜けてその先のティルケドゥンガという所に家があるらしい。


アンビュレット君


ヒレの村は彼と出会った所のすぐ近くだった。そして彼の案内する裏道を抜けてヒレからティルケドゥンガの方面へ抜けて行った、が、彼の行く道が結構険しい。。。
彼はひょいひょいと渡って行くのだが、自分は足場に慣れていないので、ちょっと遅れたりもしてしまった。結構段差のある道もあり、怖い所もあったが、彼は何の事なく進んで行った。
やはり山に住む人は強いな・・・と思いました。


どんどん進んで行くアンビュレット君


ちなみに登山道を進んでいるとポーターと呼ばれる荷物運びの人たちも歩いているのだが、彼らの担ぐ荷物が半端ない。
リュックサック(それもかなり大きい)3つ分とか、とても大きい荷物を額で支えて担いで歩いていた。
額で支えて担ぐなんて初めて見たが、本当に器用に担いで歩く。荷物の重さは分からないが、見るからにとても重そうである。
男性だけでなく、女性も村の物資とかを額で担いで歩いていた。本当にネパールの女性は肉体労働も厭わず良く働く。
ちなみにアンビュレット君以外の子どもも荷物運びをしていた。4歳くらいの子は皿洗いと、子どももりっぱな働き手なんだなとちょっと感心した。


ポーターの荷物。かなり重そう


荷物運びをしていた兄弟


んで14時にヒレとティルケドゥンガの間のアンビュレット君の家族が経営するレストラン兼宿に案内され、ランチを食べた。
ネパール風の焼きそばで330ルピーだった。結構物価としては高いが、山では奥に行けば行く程値段が上がって行く。
14時半にトレッキングを再会し、アンビュレット君には50ルピーのガイド料のチップを渡しておきたかったが、いなかったのでランチを作ってくれた彼のお姉ちゃんにチップを渡しておいた。


○心臓破りの石段

その後、ティルケドゥンガの村を抜けて、今回のトレッキングの最大の難関、600mを一気に登る石段に挑んだ。
地球の歩き方に書いてある日程では、1日目にティルケドゥンガの村に宿泊し、2日目にこの石段から先のルートというふうになっていたが、一応余力があったので、この石段を上りきった先の「ウレリ」という村に宿泊しようと思った。

そんなんで石段上りにチャレンジする。600mというと、東京タワー2つ分なので、結構な高低差がある。
自分はここから持って来たトレッキングポールを使い頑張っていた。
ちなみにこのトレッキングの道は、ウ○コが所々に落ちている。
多くは牛や馬のだったりするが、かなりそこら中に落ちていて、踏まないで歩くのに結構疲れたりするのだ。
中には吊り橋のど真ん中に堂々と落ちていたり、足の踏み場が無いような感じに落ちていたりもする。


石段にかかる前の吊り橋。橋の真ん中にはウ○コが落ちている


この石段に差し掛かると、さらに落ちているウン○が多くなった気がして、そこにも注意を割かなければ行けないので、かなり苦労した。
んで登っていたら後ろから馬追いのおっちゃんが馬と一緒に登ってきた。
結構ハイペースで、ゆっくり歩いていたら追いつかれるペースだった。
馬の後ろを歩いて、できたての○ンコを踏むのも嫌なので、頑張っておっちゃんと馬に追いつかれないように登って行った。
馬はおっちゃんに追い立てられ、そして自分は馬に追い立てられるという、なかなかシュールな状況が出来上がった。


馬追いのおっちゃんと馬


しかし本当にこの登り階段は辛かった。どんどん標高が上がって行くせいか、息切れも早くなってきたりした。
結経辛くなって途中に馬に追い抜かされたが、本当にポールが無ければ途中で力尽きていたと思う。
最後は一段登るのにももにかなり負担がかかり、もうほとんど歩けない状態でウレリの村に着いた。


○ウレリ到着

16時半頃にウレリの村について、今日泊まる所を探した。
一応手前の方から部屋を見せてもらい、いい感じの部屋があるロッジに泊まろうと思っていたが、3番目に見つけた「MEERA GUEST HOUSE & RESTAURANT」という所がまあまあきれいで、そして体力ももう限界だったのでそこに泊まる事にした。
あと、今回は自分一人でのシングルトレッキングだったのだが、道で会うトレッカーの方が少なく、そういったこともあって道に迷ったりしてしまっていた。また1人で登るのも切ないので、どなたか旅の仲間を見つけたいと、人がいるロッジにしようと思っていた。このゲストハウスにはトレッカーがフロントの前にいたので、宿泊者がいる!ということもあってこの宿に決めたのだった。

さらに後から荷物を置いてウレリの村を歩いてみると、さらに奥の方にいい感じのゲストハウスを発見し、こっちの方が良かったじゃんと思っていたのだが、さらに、宿に戻ると、さっきまでいたトレッカーが他の宿に移るところだった。
え!?この宿に泊まらないの?って思ってこの宿を選んだ事を後悔しました・・・
そして結局今日この宿に泊まるのは自分一人という、切なさの頂点みたいな感じになってしまうのでした。。。


○真の暗闇を体験する

その後、かろうじてぬるま湯のホットシャワーで何とかシャワーを浴び、落ち着いた後は、特にやる事も無いので借りてきた「深夜特急」を読んでいた。
んで19時くらいに夕食を食べる。チキンカレーだったが、まあまあの味だった。
んでチキンカレーを食べている間にどんどん宿の中が暗くなってきた。
なんとウレリは電気が通じておらず、明かりが付かないのだ!!
いちおう電線や電球はあったので電気は通っているとは思うのだが、今日は電気を付ける事ができなかったっぽかった。

そんなんでテーブルに電池式のカンテラを渡され、これでご飯を食べた。
その後、日が暮れて、辺りは完全に真っ暗になった。外に出ても明かりは家の中くらいしか付いていない。家も自分と同じようなカンテラを使って照らしているのだろう。
そして音がほとんど聞こえない。皆さんやることがなくてもう寝ちゃっているのだろうか、本当に静かだった。
電気を消すと本当に真っ暗闇。宿のご夫婦も別の所に行ってしまっていて、暗い中宿に自分一人きりだった。なんか狐につままれたような気分だった。

カンテラを持って自分の部屋に行き、深夜特急を読んでいたが、そこまで夢中になって読める訳でもなかったので、電気を消し、早めに寝る事にした。
本当に何も聞こえない、何も見えない暗闇で、今まで体験した事のない状況だった。でも怖くなく、なんか凄い落ち着く感じだった。本当に不思議な時間を過ごしたと思う。
そんなんで思いがけず何か変わった体験をする事ができ、また色々な出会いもあり、このトレッキングに来て良かったなと思った1日目でした。
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