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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

130冊目:「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」

2014-12-23 17:58:55 | 
総評:★★★☆☆ まあまあ面白かった。星3.5くらい。
面白い度:★★★☆☆ 普通。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすさは普通。
ためになる度:★★★★☆ なかなか新しい考え方を得られることができた。
また読みたい度:★★★☆☆ また機会があれば。


Facebookで何やら紹介されていたので興味を持って買ってみた本。

転職活動の間、コンサル会社もいくつか受けていたが、コンサル会社の言っていることとやっていること。そしてコンサル会社の本音と建前について、コンサルの世界の裏側について知れればいいなと思い読んでみた。
ちなみに転職先の会社はコンサル会社という訳ではないが、システムコンサル的なことができるような会社に行くことができました。

とりあえずこの本を読んで、コンサルというのは、企業それだけでは解決できない何らかの問題を解決するプロフェッショナルなんだなということが分かった。
でもコンサルを雇ったからといって、その問題がしっかり解決する訳ではなくて、あくまで社外からの客観的な評価をもらったり、これからどうして行くかという指針を与えてくれたりというのがメインで、いざ改革を実行してくれる場合もあったりはするが、それがしっかりうまく行く場合もそんなに多くはないんだなあということがわかった。

なので、コンサルを使う会社の方にしっかりコンサルを使い切れる力量があるかということが重要で、全てをコンサルに丸投げしたり、コンサルの言うこと全てを真に受けるといった会社はあまりうまい具合に改革を実行できないんじゃないかと思う。


またコンサルを雇うのはやはりお金がかかってしまい、日本でも東証一部上々の企業とか、潤沢な資金を持つ一部の企業しか雇うことができず、一番客観的なアドバイスやサポートが欲しい中小企業などはあまり雇う余裕がないというのは、それはそれで矛盾を感じたりはする。


と言ってもこの本の題名で書かれている通り、コンサルを雇って会社を潰すというか、その会社の良い所が無くなったり
会社が混乱してしまうこともやはり多くあるらしく、じゃあ会社がコンサルを雇う利点ってなんなの?とも思ったりもする。

ちなみにこの本の題名が語っていることは、筆者のアメリカ人のコンサルタント、カレン、フェランが自らのコンサルティングで会社を潰したことはなくて、コンサルティング会社が関わったことで、企業が間違った方向に行ってしまい、事業売却などをしてしまったケースは結構あるよ。ということを伝えたかったということだ。


自分はちょっと思うのが、コンサルはなんらかの方法論を考え出し、こういった取り組みを採用すると会社がうまく回りますよとか、人事や会計、会社の制度などに色々関わってきたりはするのだが、そういった無駄をなくしたり、効率を求める会社が増えていく中で、会社からその良かった文化や、人間味のある制度などが無くなっていってしまったりするのが、ちょっと悲しくなっていってしまう。

そういったコンサルを雇い、方法論や効率を追い求める企業が増えて行き、業績がアップすることもあると思うが、そういった画一的な方法や制度が増えて行く会社も増えて行くことで、会社の大事なものが無くなっていくんじゃないかとも思う。

この本を読んで分かったのが、コンサルを雇うにしろ雇わないにしろ、大事なものは結局「人」で、その人たちの間のコミュニケーションが何よりも一番問題なんだということが分かった。
人のコミュニケーションがうまくいかないから問題が顕在化し、それをどうにかするためにコンサルを雇う。という図式になっているので、まずはそのコミュニケーションがうまく回っている限り、会社もそこまで大きな問題に直面することもあまり無い。と思う、、、


と、つらつらを感想を書いていったが、いったんこのくらいにして、この本を読んで興味を持った部分を抜粋する。

・戦略策定の実行における問題は、戦略作成は、今後の経済状況や、業界の変化や、競合他者の動向や、顧客のニーズを予測できることが前提となっている点だ。
 しかし、そんなことがまともにできる人間はいない。だからこそ、金融の専門家はインデックスファンドへの投資を勧めるのだ。大多数のミューチュアルファンド・マネージャーは、大勢のリサーチャーを使って盛んに研究を行っても、打ち負かしたいと思っているインデックスファンドよりよい運用実績をあがることができない。最高の学歴を持つエキスパートが揃っていても、将来の株の動きを正確に予測することはできないのだ。
 将来を予測するのが仕事の世界的な経済学者にしても、2008年に起きたリーマンショックを予測したものは皆無に等しかった。にもかかわらず、将来を予測し、将来の事業構想にしたがって計画を実行に移すのが、ビジネスのベストプラクティスとして、企業が成功するために必要なこととされているのだ。

・ふせんでコメントを貼りつけるメンバーはそれぞれ別の部署で働いており、それまで問題について話し合う機会は一度もなかった。だから本格的に問題に取りかかるまえに、まずはガス抜きが必要だった。
 ふせんを使えば、どんなに厳しい意見であろうと感情的にならずに伝えることができる。問題があるのは業務プロセスであって、人ではないのだ。
 このように関係者を一堂に集め、なぜ現行のやり方で業務を行っているのか、それによって関係者にどのような影響がでているのかを話し合い、他部門の人が抱えている問題をみんなで理解するという方法には、計り知れない価値があった。

・私はプロジェクトの目的を達成するための手段として方法論やツールを使ってきたが、方法論やツールを使用すること自体を目的だったことなど一度もなかった。方法論は新しい洞察を得るためや、型にはまった考え方から脱け出すためにりようするものだと考えていた。同僚のコンサルタントたちも私も、方法論通りに実行すれば必ずプロジェクトが成功するなんて思ってもいなかった。
 私が入社した頃のジェミニが素晴らしかったのは、方法論は人びとが連携して働くようにするための道具にすぎなかったことだ。それなのに、いつのまにか人びとが連携して働くことより、方法論のほうが重要視されるようになってしまったのだ。

・皮肉にも、元祖とも言うべき『リエンジニアリング革命』に立ち戻ってみれば、著者のふたりが、「取り組みを成功させるにはすべての関係者を巻き込む必要がある」と述べていることがわかる。しかも、「新しい業務プロセスを開発するためのお決まりの方法など存在しない」とはっきり述べている。白紙の状態から始めるのがよい、と言っているのだ。
 いまのビジネス書は、最後の章あたりで解決策を正しく実施するための手順を示すのが通例となっている。しかし、私が『リエンジニアリング革命』がとてもいいと思うのは、最後にコツや手順を示して終わりではなく、リエンジニアリングの失敗例に触れていることだ。

・あれこれと分析を行って資料や表を作成するのは、決まったことをきっちりやればビジネスの根本的な問題を明らかにできると思っているからだ。しかし、人間が原因で起こる問題を解決するには、問題を分かっている人と話し合うのが一番いい。
 たとえ問題点をわかっている人がいても、訊かなければ答えを引き出せない場合もある。
 私の経験では、ビジネスの問題ではほとんどの場合、問題の原因をわかっている人間が少なくともひとりはいる。そうでなくても、問題の原因を断片的にはわかっている人が何人かいるはずなので、みんなで集まって問題点を洗い出す必要がある。
 根本的な原因をさぐって問題を解決するためのツールは、ふだんはあまり接点のない関係者が集まった場合にこそ効果を発揮する。ツールだけでは役に立たないが、ツールや方法論やソフトウェアをうまく活用して、会議を開いたり、部門横断のチームを立ち上げたりすれば、問題解決の手段として効果を発揮するだろう。

・私の経験では、サプリチェーンの業務オペレーションの改善に成功したのは、いずれもクライアントの社内の関係者全員を集めて優先事項を決定し、妥協点を探ることができたケースだった。会社の最重要目標はコスト削減なのか、それとも顧客満足度の向上なのかを社員が理解することは、当然ながら役に立つ。方向性が示されれば、人はどうすべきかを自分たちで判断できるものだ。
 おかしなことに、意思決定から人間の判断を取り除いてしまうと、結果的に賢明とは言いがたい判断が下されることになる。業務オペレーション改善のポイントは、それぞれのオペレーションから人間の判断を取り除くことではなく、オペレーションを行う人間の判断力を向上させることにある(その判断力こそ、かなり向上させる必要にある場合が多い)。

・評価指標についてしっかりとわきまえておくべきなのは、指標は手段であって目的ではないことだ。数値目標が悲惨な結果を招いているのは、それが会社にとって本当に重要な目標に取って代わってしまうからだ。
 評価基準は管理者層が参考にすべきものであり、管理の方法になってはならない。しかし、インセンティブ制度に評価基準を絡めて懲罰的な効果を持たせると、評価指標そのものが目的になってしまうのだ。


と以上でこんな感じでした。
方法論やツールが目的になってしまうことは良くあると思うが、コンサルを雇うのが目的ではなくて、コンサルを雇ってどうするかに目的をおき、自分の力でできることはなるべく自分の力で解決することが企業には必要なんだと思う。
コンサルも方法論やツールなど、頭でっかちな視点から企業に対してコンサルをするのではなくて、人やコミュニケーションの観点から企業に関わるのが大事なんだなあと思う。

とりあえず、自分が最近思った仕事についてもプライベートについても重要なキーワードは、「バランス」。
このバランスを意識し、実践して行くことが、今の現代社会に必要な要素なんだなあと思った。(今回のこの本とは関係ないかと思うが・・・(^_^;)
そんなんで、今回は以上☆
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129冊目:「ザ・プロフェッショナル」

2014-12-21 20:43:36 | 
総評:★★★★☆ プロフェッショナルはシビアだなあと思った。
面白い度:★★★☆☆ 面白さは普通。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすさも普通。
ためになる度:★★★★☆ なかなか新しい考え方を得られることができた。
また読みたい度:★★★☆☆ 必要な時に読み返せれば。


前々から読んでみたかった大前研一さんの本。

プロフェッショナルな人材とは?について書いてある。

大前さんは経営コンサルティング会社のマッキンゼーを卒業し、その後色々な分野において、経済的に、企業的にスゴい功績の残していた人なのであった。(かなりおおまかに説明)
そんな大前さんが考えるこれからのプロフェッショナルな人材について書いてある本。
何やら読んでおいた方が良い本としてどこかで紹介されているのを見たので、見てみることにした。

とりあえず、本を読む上では、その本を読む上で隠れている「前提」を把握しなければならない。
例えば、「何をしなさい」、とか、「こういう考え方をしなさい」ということが書いてある本があったとする。
その書いてあることについて、何を目的としているからこうかいてあるのだという、背景を知らなければならない。

今回の本では、「プロフェッショナルな人になるには」ということが書いてあるが、その上に前提として立っているのは、社会的に通用する人間になる。とか、何か大きなことを成し遂げる。とか、組織を動かして行きたい。とか、そういうビジネス的な観点で価値の高い人になるにはということが書いている。

とりわけ、この本では、「仕事」、「ビジネス」の観点での自己啓発に関することが書かれているが、逆に、仕事をバリバリとやりたくないという人には、あまり向かないのではないかと思われる。


自分が一つ疑問に思っている言葉に「顧客志向」という言葉がある。
これはお客様を第一に。とかお客様のことをとことん考えるというのがあるが、自分はこの概念があまり良く分からない。
自分は最終的に第一なのは「自分」だと思っている。
周りに振り回されるのは嫌だし、自分を抜きにして自分の人生を考えるのはよく分からないからだ。

この顧客志向という概念は、どういうことなのだろうか?自分よりお客様が一番ということなのだろうか?
あまり正しい例ではないのかもしれないが、仮に何らかの大災害が起きたとして、自分もお客様もかなりピンチな状況になっているとする。
仮にそこでその顧客志向の考え方を実践するなら、自分よりお客様を活かせということなのか?自分が死にそうな時にお客様のために何かをしろということなのか?

と、かなり極端な例を出したが、お客様のことを色々考えることも必要だが、それよりも第一にまずは自分ありきなのではないか?
何が腑に落ちないかというと、顧客第一主義というが、どこまでのラインでお客様のことを第一に考えたら良いのかのラインが良く分からないことだ。

極論を言うと、結局は自分や自社が生き残るのが第一である。その上でその次にお客様のことを考えるよということが次に来るのだ。
なので、自分を犠牲にしてまでお客様のことを考えるのはあり得ないと考えているし、その点で行くと、お客様第一主義とは何をどこまでお客様のことを考えるのかがよく分からないということである。

誰も赤字になるのを覚悟で案件を受注する人などいない。お客様第一主義というのは、突き詰めればタダでお客様に対して何らかのサービスを行うのが最大のお客様第一主義になるだろう。これはこれでその言葉はとても正しいと思う。
なので、お客様第一主義というのは言葉じりだけを考えるなら正しいことを言っていない気がする。
ということで、ちょっとこの言葉を言っている人に聞きたいのは、「じゃあどこまでお客様を一番に考えれば良いの?」ということなのだ。

「お客様の信頼を一番に考える」とか、「お客様の売上を向上させるのを一番に考える」とかだったら、ある程度納得はするが、「お客様は一番です」とか言っている人は、お客様の何をどういう点で一番に考えるのか?をもうちょっとはっきりして欲しい。
ただその「顧客第一」のワードだけを言っている人は自分としてはよく分からないよということだ。


と、色々自分の言いたいことをつらつら書いてしまったが、この本でも大前さんが顧客第一主義を色々言っていたのだが、別に揚げ足を取る訳ではないが、何の点でどうお客さんを一番に考えるのか分からないな~と思いながら本を読んでいたのであった。(笑)



とりあえず、この本ではかなり色々ビジネス上の考え方とか視点とかが書かれていたのだが、あまり細かく説明するのもアレなので、面白いと思った所について内容を抜粋する。

・たしかに出世競争を勝ち抜き、サラリーマンとしては「あがり」までたどり着いた成功者でもあるのですが、こういう老害を撒き散らす御仁に、およそビジネス・プロフェッショナルはいません。また、人恋しさに地域のコミュニティ活動やボランティア活動に参加しても、いきなり名刺を差し出して、だれも尋ねていないのに、「私、以前は○×社で取締役をやっておりまして」などと切り出してしまう。ちなみに、こういう野暮な輩はビジネスマンよりも公務員に多いそうですが。
 一方、ビジネス・プロフェッショナルと評するに値する人たちに定年という概念はありません。なぜなら、本人が好むと好まざるとにかかわらず、その人の力を借りたいと申し出てくる人や組織が後を断たないため、世に言われる「定年後の余生」はきわめてエキサイティングで、のんびりしようにも世間が許してくれないのです。

・いくら教育制度を充実させても、また報酬や福利厚生を厚くしても、プロフェッショナルを大量生産することはできないのです。そうではなく、規律―あるいは価値観といってもよいかもしれません―が、プロフェッショナルを育てるのです。

・たとえば、日本式経営の特徴として、年功序列、終身雇用、ボトムアップ、根回しが言われています。しかし、年功序列や終身雇用は一部のエクセレント・カンパニーだけが行ったことであって、日本の経営の本質ではありません。戦前も戦後も、日本企業にそのような文化が根づいていたわけではなく、高度成長を経て安定期に入り、秩序が生まれて一時的に現れた現象に過ぎないのです。また、企業というものは洋の東西を問わずトップダウンとボトムアップが両立してこそ存在するのであって、日本企業がボトムアップ、欧米企業がトップダウンというのは完全な誤解です。世界に進出した日本企業には、必ず強力なトップがいます。両者の違いは、むしろ経営のスタイルにあると指摘すべきでしょう。

・変化と失敗を愉しむ資質、あるいは余裕、好奇心、気概があれば、みずから「ルール・ブレーカー」となって変化を生み出すことが十分可能です。ルール・ブレーカーであることは、ルール・メーカーたる条件にもなります。なぜなら、何かを破壊することで創造が生まれるからです。

・たとえ対立しようとも、忌憚なく意見を交わすことから生まれる議論が問題解決のしき礎石となることを、日本人の多くが頭では理解しているはずです。論と論を闘わせるところに創造の神が宿るのです。議論を避けること、議論に不慣れであることは、世界を相手に戦うビジネス・プロフェッショナルにとって致命的なハンディキャプとなります。これを端的に示しているのが、連戦連敗中の日本の外交でしょう。
 言葉を尽くさずとも理解してもらえるという甘え、わかった振りを装う弱さ、厳しい意見には耳をふさぐ事なかれ主義、公になった過ちを繰り返す愚は、同質化社会が生み出した弊害です。あつらえの知識を疑うことなく丸暗記させる日本式教育は、同質性を維持するという意味では絶大なる成果を上げてきましたが、同時に異質を排除し、多様性を是としない文化を助長させてしまいました。

・大ざっぱにいえば、現在のコア事業に三分の一、基礎的なR&Dに三分の一、残る三分の一を新大陸のルールで発想できるニュー・タイプの人材、言い換えれば、過去の成功体験や現状を「過去形」で語ることができる、とらわれのない才能に投資すべきだと私は考えています。

・マッキンゼーの議論では、いつも"What's new?"(何が新しいのか)、"So what?"(それがどうした)というフレーズが飛び交います。この新大陸をどのように攻略しようかと考えている時に、旧大陸の成功法則や論理を振りかざそうものなら、すぐさまこのような問いが投げかけられます。答えを知らないことを恐れるのではなく、知らないところから
スタートして、自分には何が見えて何が見えないか、何がわかって何がわからないかを分けて考えられるかどうかが重要なのです。

・自分の思い込みや思考のクセを排除し、ファクト・ベースで考え、議論する。その結果、変わらなくてはいけないのは自分であり、自社である。という発想ができるかどうかがいま問われているのです。このような客観的な態度で、時には徹底的に討論したり、いま一度本質を問うような書生論を交わしたりするなかでこそ深い議論が実現し、おのずと構想力は鍛えられていきます。

・ウェルチは、真実を知るには「質問攻めにすることだ。座り込んで一万八〇〇〇もの質問をし、それでも腰を上げずに粘ったものだ」と述懐しています。また、「自分には大して創造性はないが、それを見抜く能力が強みである」と自己分析しています。だからこそ、真剣に耳を傾け質問を発するのです。そして、みずから厳格さを示すことで、相手にも厳格さを求めました。末端の社員たちと向き合う時も、このような姿勢をけっして崩さず、「どんなことについても、社員が納得できる説明を用意する必要がある」と語っているように、体よくかわしたり、逃げたりしませんでした。

・人々の意見が見事に一致する時こそ、議論を振り出しに戻して証拠と論旨を見直すクセをつけければなりません。こういう時こそ、「現代のソフィスト」に毒されている可能性が高いからです。学術的権威、有名な科学者、社内のオーソリティなど、「何々氏が言うには」といった枕詞がついた意見には、たいてい何らかのバイアスが潜んでいます。これを鵜呑みにしていまうと、自分の頭で考えず、議論する力は育ちません。

・「地獄に行くか、天国に行くか」を決断したら、反対するものを排除します。もし、その決断が誤っていたら謝るしかありません。その時は、反対していた人が社長をやるべきだとまで松井社長は言います。こうした局面があることを認識したうえで、ツルの一声までの議論を尽くすことの重要性をここでは指摘しておきます。

・どんなに難しい問題であっても、解に達する道は必ず存在します。ただし、それは一つとは限りません。複数の解を組み合わせてベストを判断することが重要です。経営における「解」というものは、ほとんどの場合、意思決定者の主観に基づいていて、これが誤った判断である場合ダメージを大きくするので、よくよくこれを肝に銘じておかなければなりません。さらに、企画、生産、マーケティング、販売など、ビジネスのあらゆる場面にはジレンマがつきまといます。一刻も早くこれを解決しようとして、「Aにすべきか、Bにすべきか」と二者択一の選択をしてしまいます。
 とはいうものの、スピートが求められるビジネスの世界で完璧を期すことは現実的ではありません。また、全ての解に対処策を講じては非効率で、ある程度の見切り発車も必要でしょう。肝心なのは、唯一最善解を求めるのではなく、「仮説→検証→結論→対策の実行」のプロセスにおいて、物事の実態に即した合理的分析結果を多面的にとらえるクセを身につけて、問題に対処することです。

・いかに高邁なビジョンを掲げる企業であっても、収益性が悪化してキャッシュフローが枯渇すれば倒産します。したがって、経営者の責務とは、数字で裏づけられた経済合理性にかなった判断を下すことです。一方で、社員のモチベーションやロイヤルティ、創造性といった経済合理性の尺度だけでは測り切れない部分を管理し、それを成果につなげる手腕も求められます。前者をマネジメント、後者をリーダーシップと言い換えてもよいでしょう。経営には、この二つが表裏一体となって存在します。優れた経営者は、収益を追求する術と組織を牽引する術を兼ね備えなければならないのです。
 (中略)経営者にとって難しいのは、タクトの振り方、すなわちメッセージの伝え方です。業績が順調な時、積極的に攻めに転じる時、あるいは背水の陣を敷く時などの局面に応じて、または組織の規模、社員の心理状態などによってその手法は異なるでしょう。正しいタクトの振り方とはニュアンスの問題であり、経営者のセンスや人間性に関わるものです。問題解決手法をもってしても見つけることはできません。

・戦後、日本の経済復興を牽引した経営者はみな、「必ず自分はできる」というメンタリティで古い秩序を破壊し、果敢に事業にチャレンジしていきました。本田宗一郎氏は「やらまいか」と言い、松下幸之助氏は「立ったら歩きなはれ」と言い、あるいはサントリーの創業者である鳥井新治郎氏は「やってみなはれ」と言って、みずからと部下たちが事業に立ち向かう気概を奮い立たせてきました。彼ら三人の言葉に共通する意思を英語でいえば、ナイキのフィル・ナイトのモットーである"Just Do It"です。この言葉に込められた事業家魂、異端者精神は、新たな事業機会を創出するうえで非常に重みがあるものです。


・・・ととても長かったが、こんな感じでした。
なかなかアツい言葉多数。しかし顧客第一主義についてはまだあまり理解できないまま。といった本でした。
そんなんで、書き上げるのにとても時間がかかったが、今回はこんなんで以上です☆
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