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グリードアイランドから考えるお金の本質について

2019-02-17 17:01:26 | 日記
久しぶりに記事を投稿する。

最近ふと考えたことなのであるが、ちょっと忘れないように書き留めておこうと思ったのだった。


自分の好きな漫画「ハンターハンター」の中に、「グリードアイランド」というゲームが出てくる。
それとお金を絡めて考えてみたら、お金の本質がちょっと分かったよという内容である。

まず、グリードアイランドは、簡単に言えば、カードを集めるゲームである。
指定されたカードを全て集めればクリアができるのだが、1種類のカードにつきある上限の数しか存在しない。これをカード化限度枚数という。
仮にAというカードの上限枚数が40枚だとすると、Aカードはそのゲームをするプレイヤー全員で40枚まで持つことしかできないのだった。
もちろん指定されたカードはカード化限度枚数が比較的少ない。

グリードアイランドは100本しか製造されていないゲームであり、1本のゲームソフトで最大8名のプレイが可能であるため、プレイヤーは最大800名の計算となる。
ここで、プレイヤーが集めるカードは、カード化限度枚数とゲームプレイヤーの人数次第で価値が変わる。
カード化限度枚数が少ないカードは価値が高くなり、またそれはゲームプレイヤーが多くなるほど価値が高くなる。
逆を言うと、カード化限度枚数が多くなれば価値は低くなるし、カード化限度枚数が少なくてもゲームプレイヤーが少なければ価値が低くなるのだ。

ハンターハンターの中では、カード化限度枚数が少ないカードについて、争いが起こる。
カードを力づくで手に入れようとするプレイヤーキラーとなる人物がでてきて、それの被害に遭うプレイヤーが出てくる。
このような面は、現実社会の「お金」や「戦争」などの縮図になっているのではないか?と自分はふと考えたのだった。

ここで、プレイヤーの上限800名を取っ払った場合を考えてみる。
そうすると、プレイヤーが増えれば増えるほどカード化限度枚数が少ないカード、またはカード自体の価値が高くなり、インフレを起こす。
ゲームはプレイヤーキラーが横行するカオスになりかねない。
これではゲーム自体が成り立たない。

その場合、ゲームの管理を行うゲームマスター(作中では11人いる)は、カードのカード化限度枚数を増やすだろう。
目的はこのゲームをゲームたる状況や難易度とさせるためである。
そうやって、ゲーム内に流通するカードの調整を行うはずである。
これは現実世界でいう、お金とその中央銀行の役割に当てはまるのではないかと考えた。


現実、中央銀行はそうやって市場に流れるお金を調整しているのだ。
ちょっと細かいことは書けないが金利を調整したり、各銀行にお金を貸し付ける量を増やしたり、減らしたり、など。
そう考えた時に、「お金」とはゲームに過ぎないのではないか?と考えることになったのだった。

市場に流通するお金が増えすぎればお金の価値は下がるし、お金が減ればお金の価値は上がる。
あくまでお金というのは相対的なものである。
そして、中央銀行はお金の価値を良いバランスに保ち、かつちょっとずつインフレを起こすように調整しているのだ。
ちょっとずつインフレを起こさせるようにするのはまた別の理由があり、その理由は自分としてはそこまで考えきれてはいないのだが、おそらくこれも「ゲーム」と絡めて考えれば理解ができる。

今のスマホゲームはある程度上限値を設けている。例えばHPが500までに設定するとか、力を200までにするなど、上限値を設定し、その中でプレイヤーにゲームをさせている。
でもプレイヤーの中にはその上限値にあっという間に到達してしまう。その中でゲームの管理者はプレイヤーに楽しくゲームをさせるように敵の能力値とかを設定し、
プレイヤーにゲームを続けさせかつ課金をさせるように調整している。

でもいつかはその設定でもしばらく続くと飽きる人が出てくる。そういったガチなプレイヤーを飽きさせないために、ゲーム管理者はHPや力の最大値上限を徐々に上げたり、新たな敵を出したりして、ゲームの難易度をちょっとずつ上げていったりする。それがお金のインフレに当たるものだと自分は考えている。


話が逸れてしまったが、そんなんで、グリードアイランドと現実世界を考えてみると、グリードアイランドにおける「カード」が現実世界の「お金」になり、グリードアイランドの「カード化限度枚数」が現実世界の「流通するお金の量」、グリードアイランドの「管理者」が現実世界の「中央銀行(日本では)」に当たるということが考えられた。
このように考えられたことで、「中央銀行が市場に流れるお金とその価値を調整している」という具体的な作業がわかったのだった。
そこからさらに、「お金」、いや「経済」の本質はゲームに過ぎないのではないかということを考えたのだった。


一旦今回はここまで、ちょっと次は「お金」と「信用」について考えてみたので、また折を見て書いてみようと思う。
そんなんで以上☆
コメント
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