総評:★★★☆☆ まあまあ刺激的な本。
面白い度:★★★☆☆ 面白さとしては普通。
読みやすい度:★★★★☆ 読みやすかった。
ためになる度:★★★☆☆ 岡本太郎という人が学べた。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 特に読み返すことはしないかなと思う。
前回と同じく、FOOT×BRAINで 紹介されていた本。
画家の岡本太郎さんが書いた本。
岡本太郎さんの生き方とか恋愛とか芸術とかの考え方が書かれている。
岡本太郎さんのことを簡単に書くと、1911年に生まれて1996年に亡くなっている。大阪万博の太陽の塔のモニュメントをデザインし、世界的な有名なデザイナーである。
自分は子供のころから知っていた訳ではなく、太陽の塔のデザイナーとして有名だということくらいしか知らなかった。でも日本中の人が知っているくらいの有名人だと思う。
本の感想としては簡単に言うと結構過激なことが書いてあるなと思った。
芸術家だからか、言いたいことがそのまま書いてある。まさに「芸術は爆発だ」の人だなと思った。
あと恋愛のこととかがパリ住まいをしていただけあって直接的でちょっと日本人離れした考え方と持っているなあと思った。
てかフランス人や欧米はそんなに奔放?な感じなのだろうかと思った。
そんな岡本太郎さんのことはそこまで知らなかったが、この本を読んで人となりは少しばかりではあるがつかむことができた。
岡本太郎さんは情熱?というかすごい直接的で自分むき出しの人なんだろうなと思った。またそれは岡本太郎さんが育ってきた家庭環境が大きくその大きな要因になっているようであった。
問題児?だったようで、小学校を何回も転校し、結局慶応義塾幼稚舎に入ることになったようだが、それはそれですごいなと思う。転校を繰り返しても慶応に入れるなんて、、、めちゃくちゃ頭が良かったんだなと思う。
ちなみに生家は自分の住んでいる川崎氏高津区の二子で、すごく近い。そこにはシンパシーを感じた。
この地から世界的に有名なデザイナーが生まれたんだなあと思うと、何か誇らしく思った。
そんなんで、興味深かった箇所を抜粋する。
・何をすればよいのか、それがわからない、と言うかもしれない。それが、ごく一般的なのだ。誰もが何かしなきゃいけないと思っている。ところがその”何か”とは、いったい何なのか、よく考えてみると、てんでわからない。
こういう悩みは誰もがもっている、多くの人がそうだ。
では、どうしたらいいのか。ひとに相談したって仕様がない。まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいがわき起こってくるんだ。情熱というものは、”何を”なんて条件つきで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。
何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
何を試みても、現実ではおそらく、うまくいかないことのほうが多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。
無条件に生きれば、何かが見つかる。だが、必ず見つけようとガンバル必要もない。
見つかってもいいし、見つからなくてもいい、と思えば目の前に何かが浮きあがってくるに違いない。
見つからないというのは、自分がそう思っているだけなのだ。自由になれば、ほんとうはそこから何かが見つかるんだ。
・”いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほどばしらせて、現在に充実することだ。
過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。
ところが、とかく「いずれそうします」とか「昔はこうだった」と人は言う。そして現在の生き方をごまかしている。だから、ぼくはそういう言葉を聞くたびに、怒鳴りつけてやりたくなる。
”いずれ”なんていうヤツに、ほんとうの将来はありっこないし、懐古趣味も無責任だ。
つまり、現在の自分に責任をとらないから懐古的になっているわけだ。
しかし、人間がいちばん辛い思いをしているのは、”現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために”いずれ”とか“懐古趣味”になるんだ。
懐古趣味というのは現実逃避だ。だから、過去だってそのときは辛くって逃避したんだろうけど、現在が終わって過去になってしまうと安心だから、懐かしくなるんだ。
だから、そんなものにこだわっていないで、もっと現実を直視し、絶対感をもって問題にぶつかって、たくましく生きるようにしていかなければいけない。
・よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるで、凡人には難しいという人がいる。そんなことはウソだ。
やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。
人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。
そして非常に悪いことは、自分は本当に純粋にこういうことをしたいと思っているが、それを世の中は許してくれない、しかも、自分はさまざまな悪条件の中にあるので、もし違ったところで生活していれば、できるかもしれないが、今の状況では、というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。
それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、他人に納得させるために盛んに障害を言いたてているにすぎない。
ぼくの考え方はこの逆だ。ぼくはこういう制約の多いところでこそ自分のしたいことをするのが本当の行動になると思う。むしろ社会や周囲の全部が否定的であればあるほど行動を起こす。
ただし、言っておくが、それが中途半端だといけない。中途半端だと不明朗になる。そういうケースはずいぶん多くある。止むに止まれずやったことが、途中で半分腰が砕けると、相手に対しても何か変なことになるし、自分のポジションも奇妙なことになって、”やらなきゃよかった”という悔いばかりが残ることになる。
それをとことんまで明朗に、自分をこまかさずにやれば、案外通るものなのだ。そしてそれが嫌味ではなくて魅力になって、みんなにプラスになるから、”ああ、やってよかった”と思えるようになるのだ。
自分の正しいと思ったことを、平気で明朗に表す。そうすれば、どんなに制約のあるところでも、みんなが明朗になって、やる気になって楽しく生きがいのある生活に巻き込まれていくだろう。
そんな岡本太郎の激しいエネルギーをぶつけられたような本でした。
こんなんで以上☆