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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

182冊目:「チーズはどこへ消えた?」

2021-01-31 19:04:00 | 
総評:★★★★☆ 読みやすくためになると思う。
面白い度:★★★☆☆ 面白さとは普通。
読みやすい度:★★★★★ 読みやすすぎた。
ためになる度:★★★★☆ 常に頭の片隅にあるといいと思った。
また読みたい度:★☆☆☆☆ エッセンスだけ忘れないようにできればいいかなと思う。



結構有名なすぐに読める本。
スペンサー・ジョンソンという方が書いた本

以前ちらっと友達の家で読んでいたのだが、メルカリで買って改めて読んでみた。

変化を予測、または受け入れ、それに対応していこうという話。
変化があった時、今までのことにしがみついてもいいことは無いので、しっかり自分の考えを持って進んでいくということが重要。という風に自分としては捉えました。

重要な情報のまとめ的な所について以下に抜粋する。
・変化は起きる
 チーズはつねにもっていかれ、消える
・変化を予期せよ
 チーズが消えることに備えよ
・変化を探知せよ
 つねにチーズの匂いをかいでいれば、古くなったのに気がつく
・変化にすばやく適応せよ
 古いチーズを早くあきらめればそれだけ早く新しいチーズを楽しむことができる
・変わろう
 チーズと一緒に前進しよう
・変化を楽しもう!
 冒険を十分に味わい、新しいチーズの味を楽しもう!
・進んですばやく変わり再びそれを楽しもう
 チーズはつねにもっていかれる


そんなんで、変化があることを常に意識し、変化を楽しんで対応していこうと思いました。

今回の感想は短いが以上☆
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181冊目:「自分の中に毒を持て あなたは”常識人間”を捨てられるか」

2021-01-24 18:55:21 | 
総評:★★★☆☆ まあまあ刺激的な本。
面白い度:★★★☆☆ 面白さとしては普通。
読みやすい度:★★★★☆ 読みやすかった。
ためになる度:★★★☆☆ 岡本太郎という人が学べた。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 特に読み返すことはしないかなと思う。



前回と同じく、FOOT×BRAINで 紹介されていた本。


画家の岡本太郎さんが書いた本。
岡本太郎さんの生き方とか恋愛とか芸術とかの考え方が書かれている。

岡本太郎さんのことを簡単に書くと、1911年に生まれて1996年に亡くなっている。大阪万博の太陽の塔のモニュメントをデザインし、世界的な有名なデザイナーである。
自分は子供のころから知っていた訳ではなく、太陽の塔のデザイナーとして有名だということくらいしか知らなかった。でも日本中の人が知っているくらいの有名人だと思う。

本の感想としては簡単に言うと結構過激なことが書いてあるなと思った。
芸術家だからか、言いたいことがそのまま書いてある。まさに「芸術は爆発だ」の人だなと思った。
あと恋愛のこととかがパリ住まいをしていただけあって直接的でちょっと日本人離れした考え方と持っているなあと思った。
てかフランス人や欧米はそんなに奔放?な感じなのだろうかと思った。


そんな岡本太郎さんのことはそこまで知らなかったが、この本を読んで人となりは少しばかりではあるがつかむことができた。
岡本太郎さんは情熱?というかすごい直接的で自分むき出しの人なんだろうなと思った。またそれは岡本太郎さんが育ってきた家庭環境が大きくその大きな要因になっているようであった。

問題児?だったようで、小学校を何回も転校し、結局慶応義塾幼稚舎に入ることになったようだが、それはそれですごいなと思う。転校を繰り返しても慶応に入れるなんて、、、めちゃくちゃ頭が良かったんだなと思う。

ちなみに生家は自分の住んでいる川崎氏高津区の二子で、すごく近い。そこにはシンパシーを感じた。
この地から世界的に有名なデザイナーが生まれたんだなあと思うと、何か誇らしく思った。


そんなんで、興味深かった箇所を抜粋する。
・何をすればよいのか、それがわからない、と言うかもしれない。それが、ごく一般的なのだ。誰もが何かしなきゃいけないと思っている。ところがその”何か”とは、いったい何なのか、よく考えてみると、てんでわからない。
 こういう悩みは誰もがもっている、多くの人がそうだ。
 では、どうしたらいいのか。ひとに相談したって仕様がない。まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいがわき起こってくるんだ。情熱というものは、”何を”なんて条件つきで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。
 何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
 何を試みても、現実ではおそらく、うまくいかないことのほうが多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。
 無条件に生きれば、何かが見つかる。だが、必ず見つけようとガンバル必要もない。
 見つかってもいいし、見つからなくてもいい、と思えば目の前に何かが浮きあがってくるに違いない。
 見つからないというのは、自分がそう思っているだけなのだ。自由になれば、ほんとうはそこから何かが見つかるんだ。

・”いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほどばしらせて、現在に充実することだ。
 過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。
 ところが、とかく「いずれそうします」とか「昔はこうだった」と人は言う。そして現在の生き方をごまかしている。だから、ぼくはそういう言葉を聞くたびに、怒鳴りつけてやりたくなる。
 ”いずれ”なんていうヤツに、ほんとうの将来はありっこないし、懐古趣味も無責任だ。
 つまり、現在の自分に責任をとらないから懐古的になっているわけだ。
 しかし、人間がいちばん辛い思いをしているのは、”現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために”いずれ”とか“懐古趣味”になるんだ。
 懐古趣味というのは現実逃避だ。だから、過去だってそのときは辛くって逃避したんだろうけど、現在が終わって過去になってしまうと安心だから、懐かしくなるんだ。
 だから、そんなものにこだわっていないで、もっと現実を直視し、絶対感をもって問題にぶつかって、たくましく生きるようにしていかなければいけない。

・よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるで、凡人には難しいという人がいる。そんなことはウソだ。
 やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
 もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。
 人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。
 そして非常に悪いことは、自分は本当に純粋にこういうことをしたいと思っているが、それを世の中は許してくれない、しかも、自分はさまざまな悪条件の中にあるので、もし違ったところで生活していれば、できるかもしれないが、今の状況では、というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。
 それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、他人に納得させるために盛んに障害を言いたてているにすぎない。
 ぼくの考え方はこの逆だ。ぼくはこういう制約の多いところでこそ自分のしたいことをするのが本当の行動になると思う。むしろ社会や周囲の全部が否定的であればあるほど行動を起こす。
 ただし、言っておくが、それが中途半端だといけない。中途半端だと不明朗になる。そういうケースはずいぶん多くある。止むに止まれずやったことが、途中で半分腰が砕けると、相手に対しても何か変なことになるし、自分のポジションも奇妙なことになって、”やらなきゃよかった”という悔いばかりが残ることになる。
 それをとことんまで明朗に、自分をこまかさずにやれば、案外通るものなのだ。そしてそれが嫌味ではなくて魅力になって、みんなにプラスになるから、”ああ、やってよかった”と思えるようになるのだ。
 自分の正しいと思ったことを、平気で明朗に表す。そうすれば、どんなに制約のあるところでも、みんなが明朗になって、やる気になって楽しく生きがいのある生活に巻き込まれていくだろう。


そんな岡本太郎の激しいエネルギーをぶつけられたような本でした。
こんなんで以上☆

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180冊目:「生命とリズム」

2021-01-24 17:59:37 | 
総評:★★★☆☆ 総評としては普通。
面白い度:★★★☆☆ 面白くなかった所もあり、面白かったところもあり。
読みやすい度:★★☆☆☆ 難しめの内容もそれなりにあった。
ためになる度:★★★★☆ 新しいことが結構学べた。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すことはしないかなと思う。



前にFOOT×BRAINでいろんなサッカー選手が自分が影響を受けた本についてやっていた回があり、それで取り上げられていた本。


とりあえずテレビや本などでこれが良かったと言って紹介された本は見るようにしている。

今回、本の題名から、人の生命と何らかのバイオリズムの関連性について書かれた本なのかなと思ったが、読んでみたら、著者の「三木成夫」さんが大学教授時代に講演した内容や、本や何かに寄稿した内容がまとめられた本であった。

なので、あまり内容としてはつながらないものが多く、何のことを言っているのかがよく分からない箇所もあったりした。


しかし面白かった所もいくつかあり、とても興味深かった内容は、ヒトは魚類から両生類、爬虫類、哺乳類と進化していって、その後ヒトに進化しているが、その進化の三十数億年の過程を、人間の胎児が経験して生まれているということだった。

人間の胎児は受胎してから1~2ヶ月の間に、魚類~哺乳類の今までの進化をなぞるように形を変えてヒトの赤ちゃんになるとのことだった。
実際にそれぞれの時期の胎児の顔が書かれている(本の表紙にもそれが書かれている)が、これを見ると確かに人の顔とは程遠い形をしていて、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類とそれぞれに似たような顔の形を経ているのだった。

これを見ると、人はやはり確かに、魚類から進化しているというのが分かるし、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類とやはり順番を追って進化しているというのが分かるのだった。
ヒトは他の生物と比べると頭を使ったり言葉を使ったり、全然違うので、ヒトだけ何か突然変異的な何かで生まれたんじゃないかと思っていたが、実はそうではなく、魚類から長い年月をかけて少しずつ進化していき、今のヒトがあることが分かったのだった。

ということは胎児は、受胎してから2ヶ月も経たない間に今まで三十数億年のの生物進化の過程を圧縮して経験しており、そういったドラマに生命の神秘を感じるのだった。


そういった今まで知らない知識を学ぶことができた本であった。

そんなんで、他に面白かった箇所について抜粋する。

・胃袋と糞袋の集まった上腹部がいつまでもパンパンに張っているのはよくない。その代わりに空腸と回腸につねに流れが保たれている。こういった状態が消化管のあり方として一番素直なあり方ではないかと思います。それは結果的にみますと上虚下実ということになるのではないかと思いますが、あくまでも、これはまったく我流の考えですから、どうかそのおつもりで・・・
 結論を申しますと、動物というものは植物と違って食物がある時、それをため込む。そのためのため込みの場所が口から肛門にいたるまで方々にある。”たまり”のあるところに必ず病気が起こる。肺といっても食道の一部が盲腸のようにふくらんだものですから、ここにもたまります。肺の中も糞づまりのようになりますから、どうしてもきれいに出さないといけない。呼気が大切なゆえんです。つまり肺もまた空気のたまり場であります。
 その次がさきに申しました胃袋の”たまり”と結腸の”たまり”ですね。ともにガンの好発生部位であります。申し忘れましたが、口の中には舌ガンと上顎ガンがあるではありませんか。
 要するに何かがたまるところにガンができるということは、植物と違って動物だけの持つ業の報いみたいなものではないかと思うのですが・・・。
 そしてこの大半が上腹部に集まっている・・・。今日の私の話の、このあたりが結論ということになります。

・カルチャー、文化というものは何か。耕す、耕すとは何か。それは、行ってみれば一年分の保存食品をつくる準備をすることです。シュンのものを食べないで、いつでも食べられるようにそれを缶詰にするとか、いわゆるインスタント食品をつくるなどその一例ですが、文化というものは、結局は自然から離れていく一つの方法であるような気がするのです。
 お釈迦様の悟りは天のリズムと人のリズムの調和ではなかったかと思う。アショカ王はこれを「人天交換」という言葉でもって表現した。そして国民にひろく教えを垂れ、これを政治の根本理念にいおたそうです。われわれが将来を配慮して、一年間の食料を蓄えるのは、人間だけが持つ一つの智能でしょう。しかしこの智能も一つ間違えると、人間の欲になります。人間の腹をたち割ると、”慾と糞の塊”といいますが、ほんとうに慾は人びとを盲目にするものですね。また将来計画といわれますけれど、それは実は「予期不安」であることが多いのです。われわれはこうした慾と不安に駆り立てられて次第次第に自然から離れて、あるいは自然を破壊していくのをお釈迦様は憂えたのではないでしょうか・・・。
 話が横道にそれてしまいましたが、呼吸のリズムもこれとまったく変わりないと思います。われわれの日常を振り返りますと、このような慾と不安に駆り立てられた時の呼吸には、まったくリズムというものがない。たいていは息を凝らし、さらには息を殺しております。これに対して、平常心の時には呼吸のリズムがあります。これこそ、古生代の昔からえんえんと続いてきたリズムです。それは、はじめにお話ししました、あの波打ち際の、ザザーっと寄せて、そしてサァーッと引いていく、あの波のリズムです。それこそ宇宙的なリズムではないでしょうか。お釈迦様の呼吸の教えはこのことではないかと思っております。

・ところで潮のリズムというものがあります。これはお月さんを基準にして地球が自転する時のリズムです。これが二十四時間と二十四・八時間という二種のリズムが出てくるかというと、月は地球のまわりをまわる。ところが太陽は逆に地球のまわる中心なんです。つまり中心になるものを基準とした一回転とおのれのまわりをまわっているものを基準として一回転で結局二十四時間プラスアルファができるわけです。
 私は最近、この夜更かしの朝寝坊というのはこの潮のリズムと何か関係があるのではないかと真剣に考えています。毎日五十分ずつずれるというリズムがいかに根強いものであるかということは、海辺で生活された方は、もう十分にご存じでしょう。毎朝起きますと必ず潮の線が下がっております。満ちてくるのが五十分ずつ遅くなり、そのうちに完全に逆転して二週間たったらまた元通りになる。ところが夜ふかしの朝寝坊の人間を見てますと、どうも多少にかかわらずこれと同じ現象が出ておるようです。~(中略)~
 例えばの話ですが、東南アジアから入ってきた海洋民族の血の濃い人たちは、この潮すなわち月のリズムの二十四・八時間が強い。これに対して玄奘法師が渡ってきたシルクロードーあのネパールからパキスタンを経てチベットを通って入ってきた山岳経由の血の濃い人たちには、太陽のリズムの方がより強く働く。どうもそのように太陽型と太陰型とが私たちのからだで人ごとに微妙なバランスを保っているような気がしてなりません。


抜粋の箇所が長くなってしまったが、こんな感じでしょうか?
人体や進化について書かれていて、なかなか新しいことを知ることができた本であった。
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