asano.net

読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

190冊目:「内臓とこころ」

2022-03-29 16:32:10 | 
総評:★★☆☆☆ あまり覚えていない。。
面白い度:★★☆☆☆ 普通にすいすい見れた。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすくはあった。
ためになる度:★★☆☆☆ 内臓と宇宙リズムの関連性が分かった。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すことはしないかなと思う。



以前読んだ179冊目の「生命とリズム」と同じ作者が書いた姉妹本のような本。


前回と同じような内容が書かれていたが、簡単に言うと内臓のリズムは宇宙とつながっているよということが主題として書かれていた。

なんか突拍子もない説だが、読み進めるとなるほどそうだなということが分かってきた。
ちょっと感想としてはあまりこれが分かった。。というのは無いが、話の中で一つ、内臓の中でも、腸が大事な所だ。というのが書いてあったと思う。。


あまり覚えていないので、興味深かった内容を抜粋して終わりとする。
・最近、朝食拒否とか登校拒否とかの問題がやかましくいわれていますね。朝めしだけというのなら、困ったことぐらいで済ませることもできましょうが、こと登校の問題になると、そう簡単にはゆきません。何か原因があるのか、いろいろせんさくします。専門家たちは、その性格形成をつねに問題にする。"朱に交われば赤くなる・・・"といった具合に、幼児からの生活環境ーたとえば、両親の性格だとか、家庭環境だとか、さらに社会環境だとか・・・いろいろ分析しますね。しかし、私は、周囲のそうした「外部環境」が大切であれば、それと同じように、本人の「内部環境」つまり肉体の問題も大切ではないかと思う。というよりものの順序からゆくと、この肉体の情況を知ることのほうが、はるかに先決です。こんなわかりきったことが、どうも学校教育の大切な場で、まるきり欠落しているようですねェ・・・~(中略)~
 以上で胃袋の感覚がどんな性格を持ったものかおわかりいただけたかと存じます。この運動によって、いわゆる"おなかがなる"つまり快適な空腹感がもたらされるわけですが、これはしかしご馳走の匂いを嗅ぐだけでいつでも起こるというものではない。「日リズム」と「年リズム」の強い影響を受けていることがわかります。それらの波の谷間には、どんなご馳走の匂いを嗅がされても知らん顔をしているが、その代わり、山の時には、すべてがご馳走に見え、なにを食べてもおいしい。
 つまり"食欲"という、ひとつの内臓感覚をとっても、遠い宇宙の彼方との共振によって、支えられていることがよくわかります。胃の内外の出来事だけで起こるものではけっしてない。いいかえれば内臓の働きには、なにか遠い彼方と結ばれた不思議な側面が見られるようです。内臓の感受性といった時、この問題を抜き考えることはできないと思います。

・このことは、もう皆さん方もご存じでしょう。植物には「独立栄養」すなわち「光合成」の能力があるので、動物のように人さまのものを横取りする必要がない。いいかえれば動物がその日その日の糧を求めて、草食・肉食の別なく、あちこちさまようように、自分のからだを移動させる必要がまったくない。このため植物のからだには「感覚・運動」にたずさわる器官が、もう最初から完全に欠如しているのです。
 植物の本来の姿は、このことを抜きに考えることができない。と申しますのは、私たち人間も動物と同じですが、この「感覚・運動」のしくみを持っているために、どれほど目先の変化に振り廻されているか・・・これまでいやというほどご経験されてきたと思います。このことを裏返しますと、植物の世界にはまったくこれがない。山火事がやってきても平然と植わっているし、柿泥棒が登ってきても知らん顔している。ではいったいなにをやっているのか・・・それはまことに明瞭です。つまり、ここで問題にしている「宇宙リズム」とのハーモニーに、まさに全身全霊を捧げ尽くしている、ということになるわけです。そのからだは、いってみれば天地を結ぶ巨大な循環路の毛細血管にたとえられる・・・。
 こうして「食と性」のリズムが、宇宙リズムと完全に一致するようにできているのが、植物の本来の姿であることがわかったのですが、私どもはこの宇宙的な生のリズムを「生の波動」と呼んでいるのです。

・このように、動物たちの「食と性」の周期も、これくらい"暦"がはっきりしています。あるものは太陽と地球との関係、あるものは地球と月の関係で、それぞれ厳密にきまっています。そこへもってきて最近、火星だとか土星だとか、あるいは土星の衛星だとか、かなりたくさんの順列組合せができてくる。そのいずれかの周期に沿って、それが行われるということです。
 ここまできますと、もう動物の体内にこうした宇宙リズムが、初めから宿されていると思うよりないでしょうね・・・。そして、その場が内臓であることはいうまでもない。もっと厳密にいえば、内臓のなかの消化腺と生殖腺でしょう。この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしているのです。


そんな感じでしょうか?
一旦今回はこんな感じで以上☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

189冊目:「落合博満 バッティングの理屈」

2022-03-16 15:51:06 | 
総評:★★★★☆ なかなか深い。
面白い度:★★★☆☆ 比較的面白く読めた。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすかったが、野球をやってないとちょっと難しいかも。
ためになる度:★★★★☆ 結構ためになった?
また読みたい度:★★★☆☆ また読みたいかは普通。



確か何かで名著となっていたので、読んでみた本。

三冠王に何度も輝いたプロ野球界のレジェンド、落合博満さんが自ら考えたバッティングについての理論がまとめられた本。
落合博満さんが、長い野球人生の中でたどり着いた結論だけあって、言葉の重みが違う、理論がとてもすんなり理解できる。

落合さんってこんなに理論家で頭がいい人なんだと感心した。
そもそもが「週間ベースボール」という雑誌で連載されていた内容を単行本化した本らしい。まさか雑誌の連載でこんなに内容の深いものが載っていたとはと驚きだった。


自分は小学生の頃、少年野球をしていたが、「打つ時はピッチャー返し」や「上から下にバットを振れ」と言われていたが、子供ながらに、ピッチャー返ししたらピッチャーに取られちゃうじゃん、とか、上から下にバット振ったら球を打ち上げてホームランにできないじゃんとか心ながらに思っていたが、当時はなぜ?と聞き返すこともしなかった。
そもそも野球が好きではなかった。。。

そんな長年?の疑問をこの本は解決してくれるのだった。
ピッチャー返しというのは真ん中に返す意識をすることによって、ファウルになる可能性が低くなるという答えだったり、上から下にというのは、トップの位置を高く保てば、すべてのボールに対してバットを振り下ろすことで速い球に対応できたり、、という答えだったりしたのだった。


少年野球の監督、コーチたちも、技術のコツを子共に教えたりはするが、なぜそうなのか?っていうのを説明できなかったんじゃないかと思う。
落合さんはそういった野球で一般的にいわれている技術のコツを自ら考えて答えを出しているんだろうなあと思い、自分はその思慮深さに驚いたのだった。

しかし自分はこの本を読んだ所で野球をやりたいとは改めて思わなかったが、理論の裏付けとなる考えの導き出し方を知れてなかなかためになる本だなあと思ったのだった。

てか結局落合さんはすごいなと思った。プロ野球選手になっていなくても、実業界で成功を残せた人だと思う。なんかプロとしての考え方が違うし、野球に対する姿勢も本当にすごい。プロ野球選手になるとちやほやされると思うが、そんな所とは一線を引いて自分自身や野球を冷静に俯瞰して見れている。なぜこんな人格がどうやって醸成されたのかはこの本では分からなかったが、そりゃこの人が教えれば野球チームも強くなるだろうなと思った。


そんなんで、興味深かった内容についていかに抜粋する。

・これはプロ野球に限らず、一般社会でも同じだと思うのだが、どんな仕事でも大きな成果を上げたいと思えば、いかにシンプルにやり切るかを追求するだろう。そして、シンプルに仕事を進めるためには、準備の段階でとことん考え抜き、何の不安もなく仕事に打ち込む態勢を整えなければならない。営業でプレゼンテーションを任されたら、上司や先輩に相談しながら進め方を決め、リハーサルを何度かこなして本番に臨むはずだ。ところが、バッティングで言えば、そのような準備が疎かにされており、本番である試合において考え込んだり、悩んだりしてしまう。だから難しくなってくる。

・私たちの頃のように、野球を体で覚える時代は終わりを告げたと感じている。現在は、体を頭で野球を覚えていく時代だろう。その際に大切なのは、技術的にいいものと悪いものを見極める目だ。そしていいものを貪欲に採り入れる姿勢は大切にしながら、悪いもの、つまり"禁じ手"を見極めて、それをまねしないようにする反面教師的な目も持ち合わせることが必要だ。ほかの選手のスイングを見て、「ここがいい、ここはよくない」と的確に指摘できること、それが"いいバッティング評論家"になることなのである。

・ただ、その"見る目"で観察したことを的確に選手に伝えているかどうかがポイントだ。他人に物事を伝えたり教えたりする際には、相手によって接し方や言葉の使い方を変えなければならない。自分の教え方ではなく、相手に合わせた伝え方が必要なのだ。そうした指導をするためには、選手の技術面だけでなく、人間的な部分や性格などもしっかりと把握していなければならない。つまり、あらゆる面での"見る目"が必要なのである。

・調子のよくない選手を見つけると、指導者のよく「基本に戻りなさい」とアドバイスする。この"基本"とは何か。多くの選手や指導者は、打つ、投げる、走るといった技術に関することだと認識しているだろう。だが、それは違う。本当に基本に戻るならば、人間としての生活の"基本"、すなわち食事と睡眠から考えなければいけない。もちろん、暴飲暴食や寝不足は論外だが、スランプになったら、まずは食事と睡眠を練習と同じレベルで考え、体力を戻していくことから取り組むべきなのだ。食事と睡眠の重要性は、誰でも理解しているはず。こうしてあらためて書いておけば、つい忘れがちになる人も再認識してくれるだろう。

・すでに、理想的なスイングをするためには、捕手寄りの腕は体の内側でたたむべきだと指摘したが、これはヒジの抜けを良くするための最大のポイントだ。ヒジの抜けが悪いとどうなるのか。強い打球が打てないのはもちろんだが、なんとかヒジを抜こうとするあまり、どうしても体を開いてしまうのである。これは、精度の高いバッティングをするためには大きなマイナスだろう。
 また、投手寄りの腕をトップの位置に入れる際、肩を一緒に動かしてはならないことも書いた。自分の視界が変わり、ストライクゾーンのジャッジメントに狂いが生じるからだが、同時にこの悪癖も捕手寄りの腕のヒジの抜けを悪くする。つまり、捕手寄りの腕のヒジをスムーズに抜くためには、この2つのことに注意しなければならない。そして、日本人の打者が最も不得意なのがこのポイントだ。

・ここまで説明してきたことをまとめておく。
 ①打球を90度の扇形の中に打ち返すのなら、バットもこの90度のエリアの中でさばくという意識が大切である。ゆえに、フォロースルーではバットのヘッドが投手に向かうのがいい。つまり、バットを振り抜く理想的な方向はセンターである。
 ②トップの位置はできるだけ深く入れるべき。より深くという感覚は、投手寄りのヒジがしっかりと伸びること、と言い換えることができる。また、投手寄りの方を動かさず、両腕でトップの位置に入れなければならない。投手寄りの方が動く選手の多くは、トップの位置に入れる際に捕手寄りに方が入りすぎるのだが、これでは顔も引きずられて動いてしまうため、構えた時と視界が変わってしまうという欠点が生まれる。また、この時は捕手寄りの腕のヒジの抜けも悪くなる。
 ③トップの位置の高さは、『ストライクゾーンの上限より高く』が理想ではないか。なぜなら、ストライクゾーンの上限よりも高い位置にトップがあれば、すべての高さの投球に対してバットを振り下ろす感覚で対応できる。さらにトップの位置が低いと、高めのボールに対してグリップを寝かせて振り出さなければならない。すると、腕を上に振り上げることでバットのヘッドは下がり、スピードのあるボールへの対応には苦労する。また、投手寄りのワキが開いてしまうため、スイングが波を打つという悪癖も身に付いてしまう。
 ④トップの位置から振り出す際、捕手寄りの腕は体の内側でたたむべきだが、これはヒジの抜けをよくするための最大のポイントである。ヒジの抜けが悪いと、強い打球が打てないのはもちろんだが、なんとかヒジを抜こうとするあまり、どうしても体を開いてしまう。また、この注意点は②と深い関係性がある。
 ⑤トップの位置からミートポイントへ一直線に振り出すスイングは、両肩を動かさず、投手寄りの腕のヒジを開かないようにしてグリップをミートポイントにぶつけていくという感覚で身に付けられる。その際、ポイントを見据えている目の前をバットが通過していけば、スイングは無駄なく正しい軌道を描いているといえる。

・また、プロ野球界を見てもそうなのだが、最近の選手は走る量が少ない。入るという動作は、投手にしても野手にしても基本となるものであり、私論だが体の強さは走り込んだ距離で決まると感じている。何事も基本をおろそかにしてはいけないが、これは体作りについてもいえる。まず"走る"ということを第一として考えたい。


他にも見ていけばいっぱい興味深い内容はあったが、ちょっときりがないのでここまでとする。なんか野球だけの論理にとどまらず、人生においても重要な考え方とかが書いてあったなあと色々考えさせられた本でした。

そんなんで以上☆


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

188冊目:「PythonによるAIプログラミング入門 ディープラーニングを始める前に身につけておくべき15の基礎技術」

2022-03-15 15:17:41 | 
総評:★★☆☆☆ 難しすぎた。。
面白い度:★★☆☆☆ 色々なAIの技術が使われていた。
読みやすい度:★☆☆☆☆ 訳が分からな過ぎた。
ためになる度:★★☆☆☆ ためにはなるのかなあ?
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み直すことはないかなと思う。


PythonはAIの開発や機械学習に強いと言われている言語で、なんでそんなに強いのだろうかを前から気になっていたのと、Pythonとはどんな言語やと思っていたので図書館で見つけて借りてみることにした。オライリー・ジャパンの本。

実際にソフトをインストールして、サンプルプログラムを動かしてくださいという本だったが、そんなコーディングしている時間はないので、どういうことができるんじゃ?という感覚でざっと見ていった。

そしたら、AIの種類にも色々あるんだというのが分かった。教師あり学習、教師なし学習、アンサンブル学習、推薦エンジン、ヒューリスティック検索、自然言語処理、音声認識、物体検出、人口ニューラルネットワーク、強化学習など。
本書は15の章に渡ってそれぞれ違うAIを使ったプログラムが紹介されていた。

でもこのプログラム、かなり難しい統計的な手法や数学的な知識を使っていて、自分はまったくなぜそんなプログラムをするのか?といった所はちんぷんかんぷんだった。
ディープラーニングが界隈で現在ホットな話題になっているが、その分野でちゃんと理解して案件を回したり仕事をしていけるのって一握りの頭いい人しかいないんだろうなと思った。


また、Pythonだが、なぜAIの開発に使われているかというと、やはりライブラリが豊富だからなんだなと思った。上記で紹介した色々な分析をするためのライブラリがPythonには用意されており、本書はそれを色々組合せたりしていた。またグラフでの図示など、一からプログラムしたんじゃまったく時間がかかってしょうがないものもライブラリがあるから簡単にAIを作れるんだなと思った。

とりあえず最初から最後まで本当によくわからない内容や知識の連続だったが、まあAIも色々なものがあるんだなあと学べたのが一応の収穫だった。


そんなんで、訳が分からな過ぎて特に心に刺さったことは特にないので、今回の感想はこんなんで以上☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする