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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

「お金」と「信用」について考えたこと

2019-03-03 17:48:37 | 日記
前回の続きで、お金と信用について書く。


お金は信用だということは前々から本やなんかでよく目にしていたが、
今まではそれが何のことかよく分からなかった。
でも最近お金は「信用」であるということが理解できるようになってきた。
そして、前回のお金の本質と絡めたことで、お金と信用についてさらに進めて考えることが出来た。

お金はそれ自体では価値を生み出していない。日本銀行券の1万円も原価は20円くらいしかかかっていないらしい。
ではなぜ、原価20円の1万円札が1万円分の価値を持っているか。それは日本が1万円札は1万円の価値を持っているよと
「保証」しているからだ。

よって、個人や会社が日本円を元にしてビジネスをしているのは、日本のこの「日本円の保証」後ろ盾があってこそ成り立つと言ってもいい。
よって日本あってこその日本円の価値なのである。
また日本が日本円の価値を「保証」していても、日本が「信用」されていなければ、お金はその価値として機能しない。
日本国内で日本円の価値があるのは、日本に「信用」があるからである。よってお金=その国の信用という構図が成り立つ。
そんなことを最近になって自分は理解できたのだった。


そこからさらに考えを進めた話をする。

日本は日本円の価値を保証しているが、世界のお金に対しても価値を持っている。
例えば1ドル=◯◯円や、1ユーロ=◯◯円の為替の相場が成り立つのは、日本が世界に対して「信用」を持っているからだ。
日本の世界からの「信用」が高いからこそ、世界に対してのこの相場が成り立つのだ。
そう考えると、なぜ日本はこの「信用」があるのだろうと考える。

日本は世界に対して、なんらかの価値を持っているからこそ、その信用があるのだ。
それは日本国内で生産されたモノや技術やしくみとかが、世界の役に立っているからだと思う。
日本が世界に輸出する家電や車、モノの品質や世界でインフラを作ったりする技術力で、世界の信用があるからこそ、世界に対してのこの日本円の価値があるのだろうと考えた。
もちろん日本人の人間性とかもあったりするからだと思うが。。

そうすると、日本は世界に対していかに価値を提供できるかということが、日本の信用力を持続する、または向上させる鍵なんだなと思った。
よって世界に価値を提供し、認められ、信用をあげていくことは、日本円の価値を上げていくことということになる。
そういうことを考えると、日本円が国内、海外問わずその価値を保っていくには、日本は世界に対しての価値を作り続けることをしなければいけないと思った。


そのため、日本は価値を作り上げることを止めてはいけない。
日本が豊かな国で、世界から見て国民が不自由ない暮らしをしているとは言っても、その価値を作り上げることを止めては、
日本は世界の信用を失い、日本円の価値を失ってしまうのだ。
よって、豊かだからといってその歩みを止めれば、その豊かさを維持できなくなる。

そのため、歩みを続ける=日本がビジネスをして価値を生み出すことは豊かさを維持するために必要で、ひいては日本がその価値を維持するためにはビジネスを続けることが必要なのだということが分かった。
ここで仕事とは何か?という問いにある程度答えることができるのではないかと考える。
仕事とは、日本が世界に対して価値を維持していくために必要な行為で、日本の信用力を維持または向上させるために必要な行為、そして、日本円の価値を維持、または向上させていく行為だということと結論付けられる。(あくまで自分が結論付けた内容です。)

とりあえず、今の日本あってこそのこの生活なので、日本の価値を下げないように、多くの人が何らかの形で日本の価値の維持または向上を図る行為を行っていかなければならないんだなあと思った。


ちょっとまとまらない文になってしまったが、今回はここまでで以上☆
次は折を見て、「価値とは?」または「ゲームマスター」の話を書きたいと思う。
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グリードアイランドから考えるお金の本質について

2019-02-17 17:01:26 | 日記
久しぶりに記事を投稿する。

最近ふと考えたことなのであるが、ちょっと忘れないように書き留めておこうと思ったのだった。


自分の好きな漫画「ハンターハンター」の中に、「グリードアイランド」というゲームが出てくる。
それとお金を絡めて考えてみたら、お金の本質がちょっと分かったよという内容である。

まず、グリードアイランドは、簡単に言えば、カードを集めるゲームである。
指定されたカードを全て集めればクリアができるのだが、1種類のカードにつきある上限の数しか存在しない。これをカード化限度枚数という。
仮にAというカードの上限枚数が40枚だとすると、Aカードはそのゲームをするプレイヤー全員で40枚まで持つことしかできないのだった。
もちろん指定されたカードはカード化限度枚数が比較的少ない。

グリードアイランドは100本しか製造されていないゲームであり、1本のゲームソフトで最大8名のプレイが可能であるため、プレイヤーは最大800名の計算となる。
ここで、プレイヤーが集めるカードは、カード化限度枚数とゲームプレイヤーの人数次第で価値が変わる。
カード化限度枚数が少ないカードは価値が高くなり、またそれはゲームプレイヤーが多くなるほど価値が高くなる。
逆を言うと、カード化限度枚数が多くなれば価値は低くなるし、カード化限度枚数が少なくてもゲームプレイヤーが少なければ価値が低くなるのだ。

ハンターハンターの中では、カード化限度枚数が少ないカードについて、争いが起こる。
カードを力づくで手に入れようとするプレイヤーキラーとなる人物がでてきて、それの被害に遭うプレイヤーが出てくる。
このような面は、現実社会の「お金」や「戦争」などの縮図になっているのではないか?と自分はふと考えたのだった。

ここで、プレイヤーの上限800名を取っ払った場合を考えてみる。
そうすると、プレイヤーが増えれば増えるほどカード化限度枚数が少ないカード、またはカード自体の価値が高くなり、インフレを起こす。
ゲームはプレイヤーキラーが横行するカオスになりかねない。
これではゲーム自体が成り立たない。

その場合、ゲームの管理を行うゲームマスター(作中では11人いる)は、カードのカード化限度枚数を増やすだろう。
目的はこのゲームをゲームたる状況や難易度とさせるためである。
そうやって、ゲーム内に流通するカードの調整を行うはずである。
これは現実世界でいう、お金とその中央銀行の役割に当てはまるのではないかと考えた。


現実、中央銀行はそうやって市場に流れるお金を調整しているのだ。
ちょっと細かいことは書けないが金利を調整したり、各銀行にお金を貸し付ける量を増やしたり、減らしたり、など。
そう考えた時に、「お金」とはゲームに過ぎないのではないか?と考えることになったのだった。

市場に流通するお金が増えすぎればお金の価値は下がるし、お金が減ればお金の価値は上がる。
あくまでお金というのは相対的なものである。
そして、中央銀行はお金の価値を良いバランスに保ち、かつちょっとずつインフレを起こすように調整しているのだ。
ちょっとずつインフレを起こさせるようにするのはまた別の理由があり、その理由は自分としてはそこまで考えきれてはいないのだが、おそらくこれも「ゲーム」と絡めて考えれば理解ができる。

今のスマホゲームはある程度上限値を設けている。例えばHPが500までに設定するとか、力を200までにするなど、上限値を設定し、その中でプレイヤーにゲームをさせている。
でもプレイヤーの中にはその上限値にあっという間に到達してしまう。その中でゲームの管理者はプレイヤーに楽しくゲームをさせるように敵の能力値とかを設定し、
プレイヤーにゲームを続けさせかつ課金をさせるように調整している。

でもいつかはその設定でもしばらく続くと飽きる人が出てくる。そういったガチなプレイヤーを飽きさせないために、ゲーム管理者はHPや力の最大値上限を徐々に上げたり、新たな敵を出したりして、ゲームの難易度をちょっとずつ上げていったりする。それがお金のインフレに当たるものだと自分は考えている。


話が逸れてしまったが、そんなんで、グリードアイランドと現実世界を考えてみると、グリードアイランドにおける「カード」が現実世界の「お金」になり、グリードアイランドの「カード化限度枚数」が現実世界の「流通するお金の量」、グリードアイランドの「管理者」が現実世界の「中央銀行(日本では)」に当たるということが考えられた。
このように考えられたことで、「中央銀行が市場に流れるお金とその価値を調整している」という具体的な作業がわかったのだった。
そこからさらに、「お金」、いや「経済」の本質はゲームに過ぎないのではないかということを考えたのだった。


一旦今回はここまで、ちょっと次は「お金」と「信用」について考えてみたので、また折を見て書いてみようと思う。
そんなんで以上☆
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