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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

183冊目:「ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件」

2021-04-09 16:00:16 | 
総評:★★★★★ 長かったがとてもタメになった!
面白い度:★★★★☆ 面白く読めた。
読みやすい度:★★★☆☆ 長いのだが読みやすい方。
ためになる度:★★★★★ これはためになった。
また読みたい度:★★★★☆ 必要なときに読み返したいと思う。


ビジネス書としてかなり評価が高く、以前から読んでみたかった本。メルカリで買って読んでみることにした。楠木建さんという方が書いている。


簡単に言うと、業績の良い企業はよいストーリーがあるよということ。そしてその理由を順序立てて分かりやすく解説してくれている本だった。

この本では例としてアマゾンやデル、スターバックス、サウスウエスト航空とかが挙げられており、これはこれでなるほどと考えられる。その他日本で言うとガリバーインターナショナル(現IDOM)、マブチモーター、アスクル、ブックオフなどがそういったストーリーが良い企業に当たるらしい。パッと聞き、そこまですごい企業のイメージは無いが、業績はすごいようだ。


最初はなんで?と思うような導入から始まり、この本を読み進めていくにつれて、なるほど!と最後にはしっかり理解できる。この本自体もストーリがしっかりしていて、長いようだが思ったよりスムーズに読み進めてしまった。

「競争戦略」というタイトルが付いているだけあって、今勉強している中小企業診断士の経営戦略の科目で学んだワードもいっぱい出てくるため、今学んでいることとの親和性もあり、それもあって自分としては読み進めやすかった。


ざっくりというと、まず、
戦略には大きく分けて、SP(Strategic Positioning)とOP(Organizational Capability)という2つがある。
SPは自社のポジショニングにフォーカスする戦略。
簡単に言うと、他社との「違い」を強みとする戦略。

OPは自社の組織力にフォーカスする戦略。
こちらは自社の社内プロセスを強みとする戦略。

SPは他社と違うことをすることで、その会社の独自性を発揮し、まだ前例がないところに早期進出をして早めにシェアを取るというような戦略となる。
例としては弱いかもしれないが、既存の携帯のキャリア3社に対して、安くサービスを展開して違いを作り出そうとしているMVNOみたいなものだろうか。
しかし、SPで独自路線を走っていても業績が上がってきたらすぐに模倣してくる企業が出てくる。そういった企業に対して、シェア争いをしなければいけないし、そのための必要経費もかなり大きくなってきてしまう。
SPを重視するのは戦略としてはいいが、その後の他者との激しい競争に巻き込まれる可能性が大いにある。

OPは組織のプロセスに着目し、他社ではまねできないプロセスを作り出すことで大きく優位性を作り出そうとするものだ。
こちらは一般的に言うトヨタ生産方式などが例としてある。
これはトヨタ生産方式が大きく業績を上げる要因になっており、外の企業はそれが業績が良い要因というのは分かるのだが、どのようにして実現しているのかわからず、すぐに真似することができないものだ。

この本では、このOPがあると持続的に企業を成長させることができると書いてある。
ストーリーの良い企業は、他の企業が真似できない「模倣困難性」というものがあるのだ。

そんなSPとOPの説明から始まり、最後の方では、スターバックスやIDOMが他の企業の追随を許さないのは、他の企業が真似しようとしても真似できない「キラーパス」と呼ばれる仕組みがあるということが書いてあった。

これは簡単に言うと、他の企業がスターバックスやIDOMがやっているビジネスモデルを真似しようとするのだが、一見して非合理的なことを行っているため、他の企業は真似する企業のビジネスを完璧に真似できず、それが結果、ビジネスの一貫性を損ねてしまう結果になり、スターバックスやIDOMに追いつけないという結果になってしまうということだった。

そのキラーパスの例としては、スターバックスは全店舗直営店として運営していることだったり、IDOMは、自社で中古車を売る売り場を持たず、すべてオークションで車を売るというものであった。
スターバックス以外の会社はスターバックスを真似しようとするが、全店舗直営店だとお金もリスクもあるため、フランチャイズでコーヒー店を展開しようとする。そうすると、スターバックスのブランドにあるような従業員の教育や店内の雰囲気等の統一が取れず、スタバに近づくことはできないということになる。

スタバもスタバで全店舗直営店で店を運営することはリスクになっているのだが、それがスタバのブランドを高める結果となり、結果、うまくビジネスができているのだ。その全店舗直営店というのがスターバックスのキラーパスということだ。


IDOMでは、購入した中古車の販売店を自ら運営することはせず、全てオークションに出して、購入した中古車を短期間で売り切るということをする。
他の中古車販売業者は、IDOMの中古車買い取りスキームを真似しようとするが、自社の販売店を持ってそこで中古者を打った方が利益率を高く売ることができる可能性があるため、オークションでも販売店でも車を売ろうとする。そうすると、車が思ったように売れない場合在庫になるため、車の回転率が悪くなり、結果効率的なビジネスができなくなる。という矛盾を抱えてしまうのだ。

なので、他の企業が真似しようとしても簡単に真似できない模倣困難性が存在するため、それがキラーパスを持つ企業が圧倒的な業界優位を築いているという、なるほどと思わせるようなストーリーがあった。

なので、SP、OPだったり、キラーパスなどといった考え方や、なぜ他の会社は真似できないのか?といった具体的な事例が書いてあったので、この本を読んで新しい考え方を身に付けることができたし、またとても分かりやすく理解できたのだった。


そんなんで概要は以上になるが、最後にためになった部分を抜粋する。
・「違いをつくて、つなげる」、一言でいうとこれが戦略の本質です。この定義の前半部分は、競合他社との違いを意味しています。競争の中で業界平均水準以上の利益をあげることができるとしたら、それは競争他者とのなんらかの「違い」があるからです。他社との違いがなければ、経済学の想定する「完全競争」となり、余剰利潤はゼロになります。だから違いをつくる。これが戦略の第一の本質です。
 ここで強調したいのは戦略のもう一つの本質、つまり「つながり」ということです。つながりとは、二つ以上の構成要素の間の因果論理を意味しています。因果論理とは、XがYをもたらす(可能にする、促進する、強化する)理由を説明するものです。個別の違いをバラバラに打ち出すだけでは戦略になりません。それらがつながり、組み合わさり、相互に作用する中で長期利益が実現されます。

・戦略をストーリーとして語るということは、「個別の要素がなぜ祖語なく連動し、全体としてなぜ事業を駆動するのか」を説明するということです。それはまた、「なぜその事業が競争の中で他社が達成できない価値を生み出すのか」「なぜ利益をもたらすのか」を説明することでもあります。個々の打ち手は「静止画」にすぎません。個別の違いが因果論理で縦横につながったとき、戦略は「動画」になります。ストーリーとしての競争戦略は、動画のレベルで他社との違いをつくろうという戦略思考です。
 サッカーにたとえるとわかりやすいでしょう。相手チームに勝つために、どこのポジションにどういう選手を配置するかという問題は戦略を構成する「点」です。しかしそこで選ばれ、配置された選手たちが繰り出すパスがどのようにつながり、ゴールへと向かっていくのかは、点を結びつける「線」の問題です。サッカーの戦略というのは、要するにそのチームに固有の「攻め方」となり、「守り方」として理解できます。戦略の実態は、個別の選手の配置や能力や一つひとつのパスそのものではなくて、個別の打ち手を連動させる「流れ」、その結果浮かび上がってくる「動き」にあるのです。

・いつの時代も「最新のベストプラクティス」が世の人々の話題になります。しかし、そのほとんどは流行にすぎません。一年か二年で忘れられてしまいます。「ベストプラクティス」が意味を持つのは、それがきちんとした因果論理で自社の戦略ストーリーに組み込まれたときだけです。しかし、皮肉なことに、ベストプラクティスというカテゴリー適応的な発想は、それ自体にストーリーの因果論理をないがしろにするという性質を持っているのです。流行のベストプラクティスに飛びつくだけでは、いつまで経っても独自のストーリーは出てきません。

・ストーリーという視点が大切になる最後の理由は、いたって単純な話です。何よりも、ストーリーという視点は、戦略をつくる仕事を面白くします。戦略をストーリーとして考え、組み立てるということは、そもそも創造的で、楽しい仕事です。難しい目標設定を与えられ、眉間にしわを寄せた渋い顔で戦略を考え(させられ)ていう人が多すぎるように思います。単純に要員を列挙したり、テンプレートしたがってひたすら分析したり、他社のベストプラクティスをベンチマークしたり自分でも半信半疑の前提に従ったシミュレーションを繰り返す。戦略づくりがこうした仕事であれば、自然に面白がって取り組める人は、よっぽどのマニア以外、ほとんどいないと思います。
 しょせんビジネスなのです。戦争でもあるまいし、戦略は「嫌々考える」ものではありません。まずは自分で心底面白いと思える。思わず周囲の人々に話したくなる。戦略とは本来そういうものであるべきです。自分で面白いと思っていないのであれば、自分以外のさまざまな人々がかかわる組織で実現できるわけがありません。ましてや会社の外にいる顧客が喜ぶわけがありません。

・企業がめざすべきゴールとは、本当のところ何なのでしょうか。勝ち負けを判定する基準として大切そうなものをとりあえず七つばかり並べてみました。
①利益
②シェア
③成長
④顧客満足
⑤従業員満足
⑥社会貢献
⑦株価(企業価値)

皆さんはこのうちどれが最も大切だと思いますか。人によっては「すべて大切だ」と答えるかもしれません。ここで挙げた七つはいずれも何らかの意味での「成功」の基準ですから、すべて大切だといってしまえばそのとおりなのですが、あえて優先順位をつけるとすれば、一番大切なのはこのうちのどれか、という質問です。
 競争戦略の考え方では、答えは①の「利益」です。もう少し詳しくいうと、「長期にわたって持続可能な利益」です。戦略論ではSSP(Sustainable Superior Profit:持続可能な利益)といったりします。長期とは具体的に何年くらいかと聞かれると困ってしまうのですが、少なくとも四半期の単位の瞬間風速的な利益ではなく、五年、一〇年と持続可能な利益を追求するというのがまっとうなゴールの置きどころです。

・日本を代表する、ある大企業での事業戦略を検討するミーティングに招かれたとき、私は興味深い経験をしました。戦略を議論するばであるにもかかわらず、多くの人々がほとんど戦略を語らず、戦略でないものの話に終始したのです。プレゼンテーションは、一人三〇分程度だったのですが、多くの事業責任者が最後の一〇分から十五分を「どの辺をめざしていくか」という目標設定の話に費やしました。すでに強調したように、事業のゴールは究極的には長期利益なのですが、これ以外にもシェアとか成長とか資本効率とかさまざまな数字が出てきます。それらの数字を達成するためには、その事業全体を構成するいくつかの製品分野や事業分野ごとにどれだけの数字を出すべきなのか、部門ごとにブレイクダウンされた目標に説明がそれに続きます。さらには、そうした数字に日付が入り、この四半期にはこれだけ、次の四半期ではここまで、といった時間軸に沿った目標も明示されます。そうした数字に加えて、もっと定性的なビジョンやミッションについても語られます。
 体系的な目標設定が不可欠なのはいうまでもありません。目標が設定されなければ、戦略もありえません。しかし、ここではっきりさせておきたいのは、目標の設定それ自体は戦略ではないということです。「二〇〇X年第2四半期までに営業利益率一〇%確保!これがわれわれの戦略だ」というのは、要するに戦略ではなく目標を言っているわけです。
 ところが、実際の仕事の局面では、目標をきちんと立てていると、あたかも戦略を立てているかのような気になってくるということがよくあります。つまり、「目標を設定する」という仕事が、「戦略を立てる」という仕事とすり替わってしまいがちなのです。その結果、戦略がはっきりしないままで終わってしまうというパターンです。今思えば、バブル期にとんでもない拡大路線を突き進んだあげく玉砕してしまった企業には、戦略を突き詰めることなく目標が独り歩きしてしまったというケースが多くありました。
 報告会でのプレゼンテーションに話を戻すと、目標の後に続くのは、決まって「どういう組織体制でいくのか」という話でした。たとえば、これまで製品別に組織されていた営業部門を顧客サービスを強化するために顧客のタイプ別に再編成する、ある製品分野を強化するため、それに対応した事業部長直属の独立したチームをつくり、そこに精鋭を集中的にとうにゅうするといった話えす。このような組織的な手立ては、戦略を実行するためには大切な要素です。しかし、戦略そのものではありません。この手の組織編制の話もまた戦略にすり替わりがちです。

・サッカーの例で考えましょう。監督の仕事は、いうまでもなく、チームを勝利に導く戦略を構想し、それをチームに浸透させることです。日本代表チームの監督が、選手に「どういう戦略でワールドカップに臨みますか?」と尋ねられている状況を想定してください。もし監督が「日本代表チームの戦略、それは決勝トーナメントのベスト8進出だ。以上!」と言い切ったとしたら、選手は肩透かしを食わされた気持ちになるでしょう。目標にすぎないからです。
 監督が「今度の代表メンバーはこの11人で、それぞれをこういうポジションにつける。途中で、こういうタイミングで、こういうメンバーチェンジを考えている。これが日本の戦略だ」と言ったとします。変な感じがしますね。これは戦略ではなくて組織編制の話だからです。「今度の相手は韓国だ。彼らはこうやって攻めてくるだろう。グランンドはホームだから、コンディションはこうなっていて、当日の湿度や温度はこうなっているだろう。それが日本の戦略だ」というのは、戦略ではなく、環境の分析です。「最近のサッカーの世界的な潮流はツートップだ」(ベストプラクティス)とか「代表チームはやる気満々だ。ますます気合を入れていきます!」(気合と根性)というのも、戦略というには明らかに違和感があります。
 サッカーの例で考えれば自然な話なのですがいずれも戦略ではないのです。ところが、現実のビジネスとなると、戦略を構想すると言いながら、右で挙げたような「戦略でないもの」にばかり目が向けられて、その結果、戦略がよくわからなくなってしまうことは少なくありません。

・すでにお話ししたように、「違いをつくる」ということが競争戦略の本質なのですが、そこから先は「違いの中身」や「違いのつくり方」について、二つの異なるパラダイム(基本的なものの見方)があります。茶道の世界に表千家と裏千家があるように、競争戦略論にも二つの違った「流派」があるのです。「表千家」と「裏千家」とでは、ここで観た二種類の違いのどちらを重視するかが違ってきます。
 結論を先取りすれば、この二種類の違いのうち、「種類の違い」を重視するのが表千家で、こうした考え方を「ポジショニング」と言います。一方の裏千家は、どちらかというと「程度の違い」に競争優位の源泉を求める考え方で、ここでカギとなるのが、「組織能力」という概念です。詳しくはこれからお話ししていきますが、ここで押さえておきたいポイントは、この二つの基本的な戦略論では意図する違いのタイプが異なる、ということです。
 表千家と裏千家との違いを説明するために、レストランの例を考えましょう。料理がとてもおいしいという評判で流行っているレストランがあるとします。なぜ評判が良いのでしょうか。その料理を考案したシェフのレシピが優れているのかもしれません。使っている素材や料理人たちの腕やチームワークが良いのかもしれません。シェフのレシピに注目するのがポジショニング(SP:Strategic Positioning)の戦略論です。これを、以下ではSPの戦略と呼びます。厨房の中に注目するのが組織能力(OC:Organizational Capability)に注目した戦略で、これをOCの戦略と呼びます。順位それぞれの中身を見ていきましょう。

・液晶モニターの視野確度が広い、プレインストールしてあるソフトの種類が多い、バッテリーの耐久時間が長い、耐久性が高い、薄くて軽い、といった一連の違いは、ポジショニングという考え方からすれば、戦略ではありません。なぜならば、そうした違いは、身長や年齢や体重と同じように、いずれも程度の違いにすぎないからです。SPの戦略論は、程度問題としての違いをOE(Operational  Effectiveness)と呼び、SPとは明確に区別して考えています。戦略はSPの選択にかかっており、OEの追及は戦略ではない、というのがポジショニングの考え方です。つまり、戦略とはdoing different thingsであり、doing things betterではないという発想です。
 なぜ、ポジショニングの戦略論はSPの違いを重視するのでしょうか。少なくとも三つの理由があります。第一に、OEは賞味期間が短いということです。薄くて軽くてバッテリーが長持ちするPCは確かにベターではあります。競合他社より薄く軽く長持ちするように自然と頑張るでしょう。この意味で程度問題としての違いをめぐる競争は、PC業界の業界最小最軽量競争のように「いたちごっこ」になりやすく、はっきりとした違いをつくれずに消耗するだけで終わってしまう危険性があります。
 第二に、SPがはっきりしていないと、企業はすべての要素をベターにしようと努力の方向を拡散してしまい、その結果、報われないことにお金をつかってしまうという問題です。「視野確度が他者よりも広い」ということそれ自体は、決して悪いことではありません。しかし視野確度を一度広げるには、それなりの開発コストがかかっているはずです。バッテリーの持続時間を一分増やす、インストールしてあるソフトを一本増やす、一ミリ薄くする。一グラム軽くする、こうしたことはいずれもコストを伴っています。そのコストが果たして報われるかどうか、それはSPに立ち戻ってみないと分からないのです。

・SPの戦略とは活動(activity)の選択、つまり「何をやり、何をやらないか」を決めるということです。マブチはある種類の小型モーターに特化し、それ以外のタイプのモーターには手を出していません。標準化にこだわるということは、カスタマイズした製品は手がけないということです。この例からわかるように、明確なポジショニングによる違いを構築するためには、「何をやるか」よりも、「何をやらないか」を決めることがずっと大切です。
 なぜかというと、SPの戦略論を支えているのは「トレードオフ」、つまり「あちら立てればこちらが立たぬ」という論理だからです。標準化とカスタマイゼーションを同時に推し進めることはできません。投入できる資源には限りがあるので、同時にすべてのことをやるのは不可能です。資源が分散し、利益が相反します。裏を返せば、「何をやらないか」をはっきりさせれば、他社との違いを持続させることができるという論理です。

・ここまで、表千家にあたるSPの考え方を説明してきました。これに対して、裏千家にあたるのがOC(組織能力)です。SPが「他社と違ったことをする」のに対して、OCは「他社と違ったものを持つ」という考え方です。SPがシェフのレシピだとすれば、OCは厨房の中に注目する支店です。冷蔵庫の中にある素材とか料理人の腕前に違いの源泉を求めます。
 SPの戦略論が企業を取り巻く外的な要因(その最たるものが業界の競争構造)を重視するのに対して、OCの戦略論はきぎょの内的な要因に競争優位の源泉を求めるという考え方です。SPの考え方を説明するときに松井選手の例を使いました。野球という種目を選択する、外野手という(文字通りの)ポジションを選択する、同じプロ野球でも日本ではなくアメリカのメジャーリーグを選択する、ヤンキースに所属する
といった「活動の選択」がSPだとすると、松井選手のバッティングセンス、スイングスピード、その背後にある動体視力や筋力、さらには精神的な成熟に注目するのがOCの戦略論です。

・SPの戦略の中身は、何をやって何をやらないかという意思決定です。すでにお話ししたように、この考え方に立てば、OE(他社よりもベター)な戦略にはなりえません。「何をやるか」よりも、「何をやらないか」のほうに戦略的な意思決定の本質があります。なぜかというと「何をやらないか」の選択がトレードオフをつくるからです。トレードオフをつくれば、「あちら立てればこちらが立たぬ」になるので、他社に対する違いを持続することができます。
 これに対して、OCはむしろSPの持続性に懐疑的な立場をとります。いくらトレードオフをつくっても、そのSPが成功したら、他社もなんとかして同じ活動を選択してくるのではないか、という懸念です。OCは違いとして、前に使った言葉でいえば、OEを重視しているといえます。SPかOEかという分類ではOEであっても、そのOEが他者にまねできないものであればそれはOCであり、利益の源泉となりうる、という考え方です。時間をかけてでも、容易にはまねできないルーティンを構築していくことが戦略の焦点となります。
 このようにSPとOCと対比していくと、それぞれの考え方の根底にある基本思想の違いが浮かび上がってきます。SPの戦略の本質を一言でいえば、「いかに競争圧力を回避するか」という思想です。放っておくと競争圧力をもろにかぶってしまいます。だからこそ独自の位置取りが必要になります。うまい位置取りをすれば、正面からの殴り合いをせずに済みます。この意味でSPの戦略論は「競争の戦略」というよりは、本質的には「無競争の戦略」なのです。
 OCは競争を回避するのではなく、むしろ「男には戦わなければいけないときがある」(女もそうですが)という構えて、競争圧力を受け入れ、それに対抗しようとする戦略です。殴り合いはしょせん避けられない、だから受けて立とう、その分他社がまねできないような強力パンチに磨きをかけていこう、という話です。より「競争的」な競争戦略といってもよいでしょう。

・現実の戦略はSPとOCとの組合せであるのが普通です。そもそも一方が他方よりも「正しい」とか「強力な」論理だということではありません。優れた経営にとってはどちらも必要です。ただし、ここで大切なことは、それぞれが競争優位をもたらす論理が異なるということです。だからこそSPとOCという「違いの違い」について理解し、意識して戦略を組み立てることが大切になります。異なる二つのレンズを装着したメガネをかけることによって、初めてきちんと焦点が定まり、競争優位の本質が見えるのです。
 競争優位をSPとOCの組合せとして考えると、企業が強いとか弱いとかというときに、図2.4のようなマトリックスで考える必要があります。つまり、企業の強さ(もしくは弱さ)の中身には大別して四通りあるということです。いうまでもなく、右上が理想的な状況です。シェフのレシピもユニークだし、厨房の中も強いという企業です。左下は何もない企業、単純に「弱い」企業です。左上は、レシピを見ると独自で魅力的だけれども、それを実際に料理する実際の能力に欠けています。反対に右下はレシピはぱっとしないが、冷蔵庫には優れた材料が詰まっており、料理人たちの腕も悪くないという企業です。

・WTP - C = P
 これが最も根本的な利益(P)の定義です。この式にあるWTPというのは、Willingness To Pay すなわち顧客が支払いたいと思う水準を意味しています。顧客が何らかの価値を認めるから収入が発生するわけで、その大きさはWTPによって決まります。当然WTPを獲得するためには何らかのコスト(C)がかかります。煎じ詰めれば、利益は「WTPからそれにかかるコストを引いたもの」です。
 このように利益を定義すると、利益創出の最終的な理屈は、競合よりも顧客が価値を認める製品やサービスを提供できるか、あるいは競合よりも低いコストで提供できるかのいずれかとなります。つまり、ゴール直前のシュートには、大別して「WTPシュート」もしくは「コストシュート」の二つがあるということです。これを図式的に表現したのが図3.2です。左にあるのが、その業界で競争してる企業の平均的な姿です一定のWTPが発生し、それに対してコストがかかっています。この差が利益です。戦略のゴールは業界の標準以上の利益をあげることですから、日本の矢印のギャップをいかに大きくするかというのがここでの基本的な問題となります。

・ストーリーを構築する第一歩としてシュートの軸足を定めなければならないのは、①WTP、②コスト、③ニッチ特化による無競争、の三つのシュートの間にトレードオフの関係があるからです。もちろん①と②を同時に実現できればそれに越したことはないのですが、WTPシュートにつながるパスとコスト低下につながるパスとの間には、あちら立てればこちらが立たぬの関係があるのが普通です。①および②と③のシュートの間にもトレードオフがあります。「成長を実現しつつ、無競争で利益を出す」というのには無理があります。フェラーリの例にあるように、成長に対するストイックな姿勢が、無競争のニッチを維持する前提条件だからです。
 「すき間市場をねらう」というような言い方で、ニッチの戦略は多くの会社でしばしば議論に上ります。しかし、多くの場合は「ニッチに特化する」といった次の瞬間に、「年間二〇%成長をめざす」というように、筋が通らないというか、論理がねじれた話になりがちです。本当にニッチに焦点を定めて無競争による利益を追求するのであれば、成長はめざしてはいけないことだからです。成長し、ある程度の規模の市場になれば、競争相手が利益機会を求めて参入してくるはずですから、ニッチがニッチでなくなってしまいます。そうなれば、そもそもの利益創出の最終的な論理も崩れてしまいます。ストーリーの最後にくるシュートは、あくまでも「なぜ儲かるのか」という論理にこだわるものでなくてはなりません。最後のところでの利益創出の論理が甘くなると、ストーリー全体が台無しになってしまいます。

・ストーリーとは、二つ以上の構成要素のつながりです。「パスのつながり」こそがストーリーとしての競争戦略の分析単位になります。個別のパスの良し悪しは、それ自体では評価できません。そのパスの有効性は、他のパスとのつながりの文脈でしか決まらないからです。静止画と動画の分かれ目がパスのつながりです。個々のパスは「静止画」にすぎません。パスが縦横につながり、シュートまで持っていけたとき、戦略は静止画から動画のストーリーになります。
 ストーリーが優れているということは、パスが縦横にきちんとした因果論理でつながっているということを意味しています。戦略ストーリーの評価基準はストーリーの一貫性(consistency)です。一貫性の次元として、次の三つが考えられます。

 ・ストーリーの強さ(robustness)
 ・ストーリーの太さ(scope)
 ・ストーリーの長さ(expandability)

 つまり、強くて太くて長い話が「良いストーリー」というわけです。それぞれについて順に説明していきましょう。

1、ストーリーの強さ
 今、話を単純にして、XとYという二つの構成要素の間のつながりを考えます。ここでつながりとは、XがYを可能にする(促進する)という因果論理を意味しています。たとえば「量産すればコストが下がる」という因果関係は、規模の経済という論理に基づいています。
 ストーリーが「強い」ということは、XがYをもたらす可能性の高さ、つまり因果関係の蓋然性が高いということです。「量産すればコストが下がる」という因果関係は、「テレビCMをやればWTPが上がる」という因果関係よりも、一般的にいって確からしく、したがって、より「強い」ストーリーだといえるでしょう。もちろん本当にそうなるかどうかは、やってみなければわからないのがビジネスの常なのですが、論理的な蓋然性でいえば、全社の方が強そうです。

2、ストーリーの太さ
 優れた戦略の二つ目の条件は、ストーリーの太さです。「太さ」とは、構成要素間のつながりの数の多さを指しています。一石で何鳥にもなるパスがあれば、ストーリーは太くなります。

3、ストーリーの長さ
 ストーリーの長さとは、時間軸でのストーリーの拡張性なり発展性が高いということを意味しています。反対に、パスの間に強いつながりがあっても、将来に向けた拡張性がなければ、それは「短い話」で終わってしまいます。
 ここでいう話の長さというのは、ある戦略を説明するときに要する物理的な時間の長さを意味しているのではありません。「くどくど説明しなければいけないような戦略は成功しない」というのはそのとおりです。論理があいまいで、説明にダラダラと時間がかかってしまうという意味での「長い話」が良くないのはいうまでもありません。論理がきちんと突き詰められていれば、話はシンプルになります。その意味での「短い話」はむしろ歓迎です。
 ここでいう短い話とは、ストーリーを構成する因果論理のステップが少ないということを意味しています。逆に、長い話とは、因果論理が前へ前へとつながっていき、ストーリーに拡張性や発展性があるということです。「それで、どうなるの?」という問いに対して、次々と答えが繰り出される、これが話しの「長さ」です。

・個別の構成要素を首尾一貫した因果論理で結びつけ、競争優位へとまとめ上げる。これが戦略ストーリーの役割です。図3.10でいえば、戦略ストーリーはSPやOCの構成要素と競争優位との間に介在するものとして位置づけられています。第1章でもお話ししたように、「違いをつくって、つなげる」という二つの戦略の本質のうち、ストーリーとしての競争戦略は後者に軸足を置いています。
 戦略はwhat、how、where、when、whyといったさまざまな問いかけに答えなくてはなりません。前章でもお話ししたように、この図では業界の競争構造をひとまず競争戦略の外部にある変数として扱っていますが、どの業界で競争するかという土俵の選択は、文字通りwhereを問題にしています。いつその業界に参集するかというタイミングの選択も重要な問題ですので、これも入れて考えれば、業界の競争構造はwhereとwhenに焦点を当てています。
 SPは「何をするか」「何をしないか」という活動の選択にかかわる打ち手ですから、ここではwhatが主要な問題となります。典型的にはSPは「自社で内製するのか外部から調達するのか」というようなトレードオフの選択ですから、whichに対する答えといってもよいでしょう。一方のOCは自社にユニークな「やり方」から生まれる違いですから、戦略のhowを問題にしています。
 これに対して、戦略ストーリーではwhyが一義的な問題となります。SPやOCの一つひとつの違いがなぜ相互につながり、全体としてなぜ競争優位と長期利益をもたらすのか。戦略ストーリーとはそうした因果関係の束にほかなりません。

・顧客を組織化して囲い込むにしても、それに先行して「誰に」と「何を」を突き詰めなければコンセプトは動画にならないのです。そこまでの価値を認める顧客は誰か、なぜ彼らを囲い込めるのか、なぜ彼らが継続的にお金を払うのか、サービスを個別化することによって顧客に提供できる独自の価値とは具体的に何か。コンセプトはこうした一連の「なぜ」に対する答えを含んでいなければなりません。「なぜ」が希薄なコンセプトでは、リアリティのあるストーリーは切り拓けないのです。
 数値目標の設定はストーリーを実際に動かすうえで必須の作業工程ではありますが、「数字」だけではコンセプトになりえません。数字それ自体は「誰に」「何を」「なぜ」に全く言及していないからです。コンセプトはあくまでも会社の外にいる顧客に提供する本質的な価値の定義です。会社の中で自分たちが達成すべき目標の設定ではありません。いうまでもなく、数値目標を設定したからといって自動的に価値を生み出せるわけではありません。独自の本質的な価値を提供できた結果として、数字が出てくるのです。前にも強調しましたが、「数字よりも筋」です。優れたコンセプトが筋の良いストーリーを駆動していけば、数字は後からついてきます。この順番が逆転してしまえば本末転倒です。数字も実現できません。

・筋のよりストーリーに独自のコンセプトは欠かせません。戦略ストーリーにおけるコンセプトの重要性はいくら強調してもし過ぎることがありません。どうしたら優れたコンセプトを構想できるのでしょうか。これにしても法則や必勝法、飛び道具のようなものはもとよりないのですが、コンセプトを考えるときに大切にしておいたほうがよい論理であれば、いくつかお話しすることができます。以下では、コンセプトづくりにとって大切なことを三つに集約して指摘したいと思います。
 第一は、これまでの話と重なりますが、すべてはコンセプトから始まる、ということです。幸いにして、コンセプトづくりにはたいして投資は必要ありません。使うのは自分の頭だけです。サンクコスト(埋没費用)もほとんどありません。思いついたアイディアがうまく転がっていなくても、また考え直せばいいだけです。
 反対に、コンセプトをないがしろにしたままストーリーづくりに取りかかってしまうと、失敗は高くつきます。勝ち目のない事業に進出したり、誰も欲しくないような製品を開発したり、工場や従業員などの固定投資をドブに捨てるといった、取り返しのつかないことになりかねません。コンセプトの構想はある意味で「安上がり」な仕事ですが、逆にいえば、どんなに投資をしても、アタマを使わなければ筋の良いコンセプトは生まれません。急ぐ必要はありません。コンセプトの構想にじっくりと時間をかけるべきです。本質的な顧客価値を捉えていると確信できるコンセプトが固まるまでは、ストーリーの細部を考えても意味がありません。コンセプトがしっかりしていないストーリーはしょせん砂上の楼閣です。
 裏を返せば、「これだ!」というコンセプトが固まれば、ストーリーづくりの半分は終わったも同然だということです。夏目漱石の『夢十夜』に運慶の話が出てきます。運慶が無遠慮に鑿を振るって仁王を彫っているのを見て、主人公は「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と不思議に思います。しかし運慶はいちいち眉や鼻を鑿でつくっているのではなく、そのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを鑿と槌の力で掘り出しているのでした。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから間違うはずもないわけです。
 優れたコンセプトは仁王が初めから埋まっている木材のようなものです。コンセプトが本質的な顧客価値を捉えていれば、ストーリーの主要な構成要素がそこから自然と姿を現すはずです。

・コンセプトは、顧客の喜ぶ姿が映画のシーンのように浮かび上がってくるような言葉でなくてはなりません。そのためには、そもそも誰を喜ばせるか、価値を提供するターゲットをはっきりさせる必要があります。前述したアスクル、サウスウエスト、スターバックスといった企業のコンセプトは、いずれもターゲット顧客を明確に定義したからこそ出てきたものです。ここまでなら、戦略やマーケティングの教科書で繰り返し指摘されていることです。しかし、ストーリの起爆剤となるようなユニークなコンセプトを構想するためには、もう一方踏み込むことが大切です。
 「誰に嫌われるか」をはっきりさせる、これがコンセプトの構想にとって大切なことの二つ目です。ターゲットを明確にするということは、同時にターゲットでない顧客をはっきりさせるということでもあります。ターゲット顧客から徹頭徹尾喜ばれるということは、ターゲットから外れる顧客にはっきりと嫌われるということです。人間でも同じです。誰かに非常に愛されている人は、誰かから嫌われているものです。誰からも好かれている人というのは、本当のところは誰からも好かれていないのかもしれません。誰に嫌われるかを意図する。これが筋の良いコンセプトを描くための最も効果的な入口であるというのが私の考えです。

・筋の良いコンセプトを構想するために大切なことの三つ目、多分これが最も大切なことだと思うのですが、それは「コンセプトは人間の本性を捉えるものでなくてはならない」ということです。なんとなくよく耳ざわりの良い「良いこと」を羅列するだけでは、ユニークなコンセプトにはなりません。人間の本性とは、要するに、人はなぜ喜び、楽しみ、面白がり、嫌がり、悲しみ、怒るのか、何を欲し、何を避け、何を必要とし、何を必要としないのか、ということです。

・「スーパーマリオブラザーズ」など、任天堂の数々のゲームソフトのヒット作の開発をリードした宮本茂さんは、ゲームのコンセプトをつくるときにユーザやユーザに近いところにいる営業部門からのフィードバックを聞いてはいけないと言っています。

 面白いとはどういいうことか、そのゲームはなぜ面白いのか、ここをきちんと詰めたコンセプトがなければゲーム開発は始まらない。その答えは結局われわれの頭の中しかない。納得のいくコンセプトなり「お題」が決まればあとはそれを粛々と形にするだけ・・・(中略)・・・コンセプトを考えるときには、営業部隊やユーザーの声は聴かない。営業はライバルとの競争の前線にいるので、他社のゲームソフトに負けたくないという気持ちが強い。どこかでヒット作が出てきて、それがたまたま長くて凝ったムービー(ロールプレインゲームのオープニングやエンディングなどで使われる映画のような画面)を使っているとなると、「うちももっと長くてすごいムービーをつけるべきだ」という話ばかり出てくる。・・・(中略)・・・ユーザーの声も真に受けてはいけない。ユーザーは「もっと高品質で動きにストレスのない画面にしてほしい」というようなことしか求めてこない。あれも必要だ、これも大切だ、ということになって、収拾がつかなくなり、結局コンセプトがぼやけてしまう。・・・(中略)・・・開発の途中でさまざまなユーザー層から選んだモニターに試作品で遊んでもらうことはあるが、そのときも「このゲームのコンセプトはこういうもので、こういうところが面白くて・・・」というようにこちらからの説明は絶対にしない。いきなり遊ばせて、その姿を映像にとって、それを何度も見る。どの辺で楽しんでいるのか、つまらなそうにしていないか、途中でゲームを中断してコントローラーを置いてしまうとしたらどの辺か、自分たちが作品に込めた面白さの意図が伝わっているか、ひたすら「姿を見る」ことでコンセプトの効きをチェックする。こうした作業の積み重ねがその次のコンセプトづくりの肥やしになる。

・スターバックスの戦略ストーリーの全体像をすでに読み取っている皆さんにしてみれば、直営方式の合理性はもはや明らかです。お話ししたとおり、フランチャイズ方式にしてしまえば、周囲のパスをどんなに繰り出しても、意図するコンセプトの実現はままなりません。
 しかし、ここがポイントなのですが、直営方式の合理性は、ストーリー全体の中に置いてみなければ、絶対に理解できません。ストーリーの筋の流れの中に位置づけて初めて、これまでお話ししてきたような直営方式の必要性と重要性が見えてくるのです。つまり、「それだけでは一見して非合理だけれども、ストーリー全体の文脈に位置づけると強力な合理性を持っている」という二面性、ここにこそクリティカル・コアの本質があります。
 なぜ「一見して非合理」が重要になるのでしょうか。その理由は競争優位の持続性に深くかかわっています。違いをつくっても、それがすぐに他社に模倣されてしまうようなものであれば、一時的に競争優位を獲得できても、すぐに違いがなくなり、元の完全競争に戻ってしまいます。そうなると利益は期待できませんから、簡単にはまねできないような違いをつくるということが戦略の重要な挑戦課題です。これが競争優位の持続性という問題です。

・「それだけを見ると一見して非合理なのだけれども、ストーリー全体の文脈では強力な合理性を持つ」というクリティカル・コアは、部分の合理性と全体の合理性が別ものであるということに着目しています。戦略全体の合理性は、部分の合理性の単純合計ではありません。逆にいえば、誰にとっても合理的な要素だけでできているストーリーは面白みに欠けるということです。
 クリティカル・コアが非合理に見えるのは、競争相手にミスや勘違いではなくて、それが非合理であるという合理的な理由(ちょっとややこしい表現ですが)があるからです。部分的な非合理を他の要素とつなげたり、組み合わせることによって、ストーリー全体で強力な全体合理性を獲得する。これがストーリーの戦略論の面白いところです。
 ストーリーの本質は「部分の非合理を全体の合理性に転化する」ということにあります。昔から「損して得取れ」とか「負けるが勝ち」とか「肉を切らせて骨を断つ」(これはちょっと違うかな?)というような言い回しがありますが、こうした言葉はクリティカル・コアと共通の論理を示唆していると言えそうです。いずれにせよ、この意味で、クリティカル・コアはストーリーにひねりを加える「転」であり、シュートの決定的チャンスをつくり出す「キラーパス」なのです。

・単に競争優位を獲得するにとどまらず、どうやってそれを持続的なものにしていけるのか。これまでも多くの戦略論がこの問いに答えようとしてきました。この章のクリティカル・コアの話をこれまでの話と重ね合わせると、図5.4にあるような競争優位の階層を描くことができます。競争優位のあり方には五つの異なるレベルがあり、持続性が低いものから高いものへと階層をなしています。
 レベル0は単に「景気がいいから儲かっている」というもので、利益の源泉が丸ごと外部の一時的な環境要因に依存しています。景気が悪くなれば利益が出ない状態に逆戻りしてしまうわけで、競争優位以前の段階です。レベル0では定義からして持続的な競争優位は期待できません。
 一つ上のレベル1は、業界の競争構造に利益の源泉を求めるというスタンスです。第2章でお話ししたように、世の中には利益が出やすい構造にある業界もあれば、もともと出にくい構造に置かれている業界もあります。業界の競争構造をよく理解すれば、参入すべき業界を慎重に選択することによって、利益を増大させることができます。
 GEのジャック・ウェルチさんは1980年代に「参入障壁が低くて多数乱戦になる事業はやらない」「市場や技術の変化の激しい事業はやらない」というように、手掛ける事業領域を大幅に絞り込みました。これは、業界の競争構造を重視する戦略の典型です。他社に先駆けて魅力的な業界に参入し、そこで強力な先行者優位を確保できれば、レベル1の競争優位は長期利益を可能にします。
 ただし第2章でもお話ししたように、利益性の高い魅力的な業界は誰にとっても魅力的ですから、他社もそうした業界にはぜひとも参入したいと考えるはずです。一時的に魅力的な競争構造にある業界でも、他社が次々に参入してしまえば荒らされてしまいます。それこそよっぽどの「先見の明」がなければ、業界の競争構造だけに依拠して持続的な競争優位を確立するのは難しそうです。
 このようにレベル0とレベル1は、企業の戦略構造というよりも、その企業を取り巻く外部要因注目した論理にとどまっています。レベル2以降が競争戦略の出番となります。
 レベル2は個別の構成要素に競争優位を求める経営です。第2章で詳しくお話ししたように、競争戦略の構成要素には、ポジショニング(SP)と組織能力(OC)という二種類があります。いずれもそれなりに競争優位を持続させる論理を含んでいます。
 SPに基づく差別化はトレードオフ上での論理に依拠しています。イヌであり、同時にネコでもあるということはできません。トレードオフ上ではっきりとした活動の選択をすれば、単に「他社よりも高品質」というような程度問題の違いと比べて、より持続的な違いをつくれます。
 これに対してOCを基盤とした差別化は、能力の暗黙性や経路依存性、時間とともに進化するというダイナミックな性格に持続的な競争優位を求めます。第2章で例として使ったセブンイレブン・ジャパンの仮説検証型発注や、日本の自動車メーカーの製品開発におけるフロントローディングによるリードタイムの短縮はその典型です。こうした企業のOCが競争優位の基盤にあるということは誰もがわかっているのですが、その正体は小さなルーティンに積み重ねなので、成果との因果関係が他者にはよくわかりません。「どこの誰かはしらないけれど、誰もがみんな知っている」(それにしてもこれ、うまいフレーズですね)というわけで、月光仮面のような強みです。しかも、時間をかけて練り上げられたものなので、一足飛びには同じ能力を手にすることはできません。
 個別の要素を超えて、ストーリー全体に持続的な競争優位を求めるのがレベル3です。要素を個別にまねすることはできても、それが複雑に絡み合った全体をまねするのはずっと難しくなるという考え方です。第3章で協調したように、このレベルでの競争優位の源泉は、個別の要素の中にあるのではなく、ストーリーの一貫性が生み出す相互効果にあります。構成要素の間には相互依存や因果関係が張りめぐらされているので、いくつかの要素をまねしても、全体がきちんとかみ合って交互効果を起こさなければ、同水準の競争優位は達成できません。
 最上位にあるレベル4の戦略は、構成要素の交互効果をもたらすようなストーリーを構築するにとどまらず、「一見して非合理」なキラーパスにそのストーリーの一貫性の基盤を求めます。ここでの持続性の源泉は、そもそも競合がまねしようという意図をそもそも持たないという「動機の不在」と「意図的な模倣の忌避」でした。こうして比較すると、階層の上位に行くほど、競争優位の持続性の背後にある論理が協力になっているということがおわかりいただけると思います。
 競争優位の階層にある五つのレベルは、どれか一つを選ぶというものではなく、積み重なる関係にあります。利益ポテンシャルが高い業界で、明確なSPと協力なOCを持ち、それが一貫したストーリーを構成し、キラーパスが効いていて、おまけに景気が良いとくれば、五つのすべてが満たされており、最強です。

・どうしたら「一見して非合理」なことをあえてするという決断に踏み切れるのでしょうか。キラーパスを繰り出すのに勇気がひつようだとしたら、その勇気はどこから生まれるのでしょうか。それは自らの戦略ストーリーに対する「論理的な確信」にしかない、というのが私の意見です。戦略ストーリーを構想する経営者は、自らのストーリーに論理的な確信を持てるまで、「なぜ」を突き詰めるべきです。これが第三の教訓です。
 これまでもお話ししてきたように、戦略ストーリーは構成要素の因果論理でできています。因果論理とは、なぜある打ち手が他の打ち手を可能にし、なぜその連鎖の先に長期利益が見込めるのか、「ストーリーの筋」を意味しています。一つひとつの打ち手がしっかりとした因果論理でつながったときに、ストーリーは動きだします。

・戦略の目的は、長期利益の実現です。紙芝居でいえば、最後に出てくる一枚は「・・・というわけで、長期利益がでましたとさ。めでたし、めでたし・・・」でなくてはなりません。まず取りかからなければならない仕事は、この直前のエンディングのありようを固めるということです。
 エンディングを固めるためには、実現するべき「競争優位」と「コンセプト」の二つをはっきりとイメージしなくてはなりません。実際に実現される順番でいえば、エンディングは文字通り最後にくるのですが、思考の順番としては、エンディングから逆回しでストーリーを構想するべきです。さまざまな打ち手をあれこれ考えるのは後回しです。
 なぜかといえば、戦略ストーリーの優劣の基準が「一貫性」にあるからです。一貫性こそが戦略ストーリーがもたらす持続的な競争優位の源泉です。先に競争優位とコンセプトを固め、一つひとつの構成要素が強い因果論理でエンディングにつながるようにしてあげれば、自然とストーリーがシンプルで骨太になり、一貫性が確保されます。
 実現すべき競争優位はわりと単純な話です。WTP(Willingness To Pay:顧客が支払いたいと思う水準)を上げるか、コストを下げるか、無競争状態に持ち込む(通常はニッチへの特化)か、選択肢は三つしかありません。しかし、競争優位を決めるだけではエンディングとしては不十分です。競争優位はこちらが設ける理屈にすぎません。なぜ儲かるのか。それは顧客に何らかの価値を提供するからです。

・小説を書いている人が調子に乗ってくると、あれこれと思い悩まなくても、登場人物が勝手に動いてストーリーを展開してくれるということがあるそうです。そうなればしめたものです。コンセプトが本質的な顧客価値を捉えていれば、登場人物が自然と動き、ストーリーがどんどん広がり、具体的になってくるはずです。
 登場人物の動きが見える、登場人物が自然と動きだすようなコンセプトから語り起こす。これが戦略ストーリーの必須条件です。戦略ストーリーが動画である以上、その起点にあるコンセプトも動画でなければなりません。多くの戦略の失敗の原因は、そもそも静止画的なコンセプトからストーリーが語り起こされていることにあります。
 ストーリーの中で登場人物を自然と動かすためには、本当のところ「何を」提供するのか、それを「誰が」「なぜ」喜ぶのかを突き詰めなければなりません。コンセプトが「誰に」「何を」「なぜ」の三つにこだわったものになっていることが大切です。第4章でもお話ししたように、「誰に」「何を」「なぜ」が抜け落ちて、「どのように」という方法ばかりが先行したコンセプトからは優れた戦略ストーリーは生まれません。

・「川に飛び込め」の精神が大切だ。迷わず飛び込んで向こう岸をめざす。もし川が思ったよりも浅ければそのまま走って渡ればよい。深かったら泳げばよい。泳いでみれば流れは案外緩いかもしれない。もし流れが急で泳ぎ切れなかったらどうするか。これが怖いからなかなか飛び込めない。だから経営が「はい、ここまで」という撤退のラインを決めておく必要がある。店舗を新たに出すとき、まず考えなければいけないのは立地でも家賃でもない。閉店のルールだ。一定のルールを満たしていない店は月に一回の「閉店会議」で問答無用で閉店する。うちでは閉店資金が毎月積み立ててある。いつでも店を閉められる。ある意味で失敗を認めている。失敗がルール化されていれば、思い切って川に飛び込める。

・かつて学部の学生(大学の一年生から四年生)に教えていた頃の話です。いろいろな事例を使って競争戦略を講義していたのですが、ある学生が手を挙げて、「先生、もっと抽象的に説明してもらわないとわかりません」と言いました。学部の学生には実務経験はありません。こちらとしては具体的な例を使って説明したほうがわかりやすいだろうと思って講義をしていたのですが、実務経験がない学生にビジネスの具体的なことを話しても、いまひとつリアリティがない。抽象レベルで理解すれば、ビジネスの実際を肌で知らなくとも本質がつかめるはずだ、だからもっと抽象的に説明して欲しい、というのがこの学生のリクエストでした。
 この学生の発言はなかなか筋が通っています。もちろん抽象論理だけでは戦略ストーリーはつくれません。現実のストーリーはもちろん具体的なアクションのレベルに落ちていなければなりません。しかし、具体的な事象はあくまでも特定の文脈の中でのみ意味を持ちます。他社の成功要因を自分のストーリーに水平的に応用しようとしても、異なった文脈をまたぐことになるので、そのままでは無理があります。具体的事象の背後にある論理をくみ取って、抽象化することが大切なのです。具体的事象をいったん抽象化することによって、初めて汎用的な知識ベースとなります。汎用的な論理であれば、それを自分の文脈で具体化することによって、ストーリーに応用することができます。
 このように抽象化と具体化を往復することで、物事の本質が見えてきます。ここで大切なことは、思考の推進力はあくまでも抽象化のほうにあるということです。具体的な事象についての情報であれば、漫然としていても日常生活の中でどんどん入ってきます。しかし、意識的に抽象化をしなければ本質はつかめません。三枝匡さんはこのプロセスを、具体的な事象を「冷凍」(抽象化)して、ひとまず「冷蔵庫」(知識ベース)に入れておき、必要なときに自分の文脈で「解凍」(具体化)して応用する、というメタファーで説明しています。具体的な事象は「生もの」なので、一度冷凍しないと、文脈を超えて持ち運ぶことができないというわけです。


抜粋は以上。書くのに4時間くらいかかった・・・疲れた。。
でもタメになる内容は多分に含まれていたと思う。
見返してエッセンスを忘れないように、自分の知識に定着できるようにしたいと思う。

本当に疲れたので今回はこんなんで以上☆

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