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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

185冊目:「<パワーポーズ>が最高の自分を創る」

2021-12-11 21:26:39 | 
総評:★★★★☆ 新しい概念を得られたことがとても大きかった。
面白い度:★★★☆☆ 面白さは普通。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすさは普通。
ためになる度:★★★★★ かなりためになった。
また読みたい度:★★★★☆ またちょいちょい読みたいと思う。


久しぶりの感想の投稿となる。


その間本を見ていなかったかというとそういう訳ではなく、本は見ているのだが、ちょっと書く状況にならなかったというか、、まあゆっくり書く時間を取れなかったり、本が手元になかったり、、といった理由で久しぶりの投稿になってしまった。


今回の本の前もちょいちょい読んでいる本はあるので、そちらの感想はまた別途書こうと思う。


前にFOOT×BRAINの番組でおススメされていた本。
購入して読んでみた。
エイミー・カディさんがTEDというプレゼンテーションのイベントで講演した内容をまとめた本。


感想としては、とても面白い考え方を学ぶことができた。
「パワーポーズ」とタイトルにあるが、簡単に言うと、パワーのみなぎるポーズを取ると、実際にパワーがみなぎってくるよということが書かれた本。

鬱病の人の鬱の回復についても、パワーポーズを取るようにした人と取っていない人を比べると、鬱の症状もパワーポーズを取る人の方が軽くなったといった実験結果があるらしく、「病は気から」ではなく「病はポーズから」といった内容が書いてあった本。

これって結構すごいなと思っていて、精神的にダウンしていても、無理やりにでもパワーポーズ(例として両腕を腰に当てて旨を張るワンダーウーマンのポーズ)を取ると、気が上向きになってくるということで、今まで考えていた「心の持ち方→振る舞いや見た目に現れる」という概念をくつがえし、「ポーズを取る→心が変わってくる」という順序で気を上向きにできるということを知り、これは今後、有効的に使っていこうと思った。


内容としては上記のようなことが色々な実験結果を例に書いてあった。

あとはエピソードとして、ボストンの街のある場所がとても治安が悪く、ギャングの抗争等でどうにもならない地区があり、そこで立ち上がった牧師が、対話や活動を通じて治安の改善を実現していく、、という内容があり、これが面白かった。

対話をすること、実際に現場に行くこと、行動を通じて自らの意思を貫き通すという活動を続け、牧師の活動が周りに広がり、ギャングの心を動かし、抗争が無くなったりしたという映画になりそうな話が面白かった。
牧師はジェフリー牧師としい、このエピソードは「ボストンの奇跡」 として有名な話となっているとのこと。


そんなエピソードも色々盛り込まれていた面白い本だったが、最後にためになった部分を抜粋する。

・ラクシュミーの報告を聞きながら、私はまったく違う感想を抱いていました。ここで挙がった自信や安心感、情熱や意気込みといった特性は、その起業家が投資に値する人物かどうかを、言葉よりも端的に説得力を持って示しているのではないかと感じたのです。これらの要素が、その人が自分のアイデアの価値や一貫性、そしてそれを実際に形にして成果を出せる力をどれだけ本当に信じているかを示していて、それがひいてはビジネスプランそのものの質を示すことになったのではないかと考えたのです。
 私たちはときに、落ち着いた、熱のこもった自信をごく自然に表に出せる場合があります。ラクシュミーの調査やほかの研究からは、これが大事な要素であることがうかがえます。どの起業家が投資家の援助を得られるか、または採用面接なら、面接官に評価されて最終面接に呼ばれ、採用に至るかを左右する要素のようです。でも、こうした特性をそこまで高く評価して大丈夫なのでしょうか?単なる表面的な好感ではないのでしょうか?先の投資や採用面接の結果を見ると、表面的な好感でないといえそうです。自信に裏打ちされた熱意は、高い確率で成功につながる指標になります。起業家を対象にした調査では、自身をともなう熱意は、やる気、熱心に取り組む意欲、みずから進んで動く力、壁にぶつかったときの粘り強さ、充実した精神活動、創造性、チャンスと目新しいアイデアを見抜く力があることを示すという結果が出ています。

・ジェフリーたちが夜ごと歩いていたのは、当時治安の悪化していたボストンでも有数の危険な地域でした。そこで出会う若者は、少なくとも外見上は、血も涙もなく怖いものなどないように見えました。普通なら直感的に、自分も負けないくらい強くタフな人間に見せよう、敵に回したら怖いぞと思わせようとするかもしれません。でも、この場合、それは賢い出かたではありません。こうした若者はつねに暴力と隣り合わせで生きてきています。力で対峙されてもひるんだりはしません。
 ジェフリーたちはまったく逆のことをしました。暴力に対して、優しさと穏やかさ、そして彼らが何を思い感じているのかを心から知りたいという気持ちで接したのです。これは衝撃的と言っていいほどでした。若者たちは予想もしていなかったはずです。それまでの概念や常識を打ち破るアプローチでした。最初は若者の目にも弱腰な人間だと映るかもしれないことはジェフリーもわかっていましたし、それで構わないと思っていました。それまで誰もやってみたことがないし、もしかしたらうまくいくかもしれないと考えたのです。~(中略)~
 私たちは初対面の人に会うと、すばやく二つの点を確認します。「この人は信頼できるか」と「この人は尊敬できるか」です。私たちの研究では、前者の基準を温かさ、後者を有能さとそれぞれ呼んでいます。
 私たちは通常、会ったばかりの人に対して「有能というよりは温かい人」か「温かいというよりは有能な人」のどちらかで評価を下します。「温かさと有能さが同じくらい」とみなすことは通常ありません。どちらかに分けたいというのが人間のもつバイアスなのです。人と知り合うとまず、どちらのタイプかに分類します。ティツィアーナ・カシャーロは組織に関する研究で、両者をそれぞれ「愛すべき愚か者」「有能な嫌われ者」と呼んでいます。
 場合によっては、冷たくて能力もない「無能な嫌われ者」や、温かくかつ有能な「有能な人気者」もいます。「有能な人気者」は周囲から信頼と尊敬の両方をえているため、何かを一緒に進めるにもやりやすく、仕事もはかどりますから、最高のカテゴリーになるわけです。
 といっても、二つの基準を同等の重さで評価しているわけではありません。私たちはまずその人の温かさ、つまり信頼できるかどうかを評価します。こちらの方が大事な基準だと考えているのです。オスカー・イバラらは、私たちが能力を示す語(クリエイティブな、技量のあるなど)よりも、温かさや人間性を示す語(親しみのある、誠実など)を先にすばやく認知し処理していると指摘しています。
 私たちが有能さより温かさを優先するのはなぜでしょう?進化論の見地からすると、自分が生き延びるためには、相手が信頼に値するかの方が重要だからです。信頼できない相手は、有能な場合は特に危険をもたらす可能性があるため、距離を置いたほうがいいのです。人は能力のある人を評価します。能力が不可欠な場面ではとくにそうです。でも有能かどうかは、相手が信頼に値するかどうかを判断したあとで注目することなのです。

・パワーは自由な思考を促す
 パワーを欠いていると認知機能のはたらきが低下しますが、パワーがあれば認知機能のはたらきは強化され、複雑な状況でも適切な選択ができる能力を高めてくれます。社会心理学者のパメラ・スミスは、パワーの有無が私たちの思考にどう影響するかを調べた研究を数多く行なっています。スミスによれば、パワーがないと感じている人と比較して、「パワーのある人は情報をより抽象的に処理しており、情報を統合して要点を抽出し、パターンと関係性を探りだしている」といいます。
 パワーがあれば、恐れず、自立していられ、外からのプレッシャーや期待に動じず、さらにはクリエイティブになれます。たとえばこんな実験があります。マーケティング会社の職に応募しているという仮定で、被験者に鎮痛剤やパスタなどの新商品の名称を考えてもらいました。製品ごとに名称の例が与えられています。たとえばパスタはどれも最後か「na」「ni」「ti」のいずれかで終わる名前、鎮痛剤は「ol」か「in」で終わる名前です。するとパワーのある状態にプライミングされたグループは、与えられた例を使うよりも独自の新しい名前を考え出したといいます。パワーを感じていると、私たちは自分の考えや感情を表すのに自意識過剰になることなく、自由に考え、力を発揮できるのです。

・個人的なパワーがない状態は、社会的なパワーを有するときと同様、危険をともないます。クレアモント大学院大学行動・組織科学研究科のタレック・アッザムらは、自分にパワーがないと感じている人ほど、外から来た「よそ者」や移民に対して不安を覚え攻撃的になる傾向があると指摘しています(この傾向は男性により顕著に出ています)。
 そこで私はこんなふうに思い描いています。個人的なパワーは無限で、どんな形であれほかの人を支配する必要がないため、もっとほしいのに足りない、と感じることはありません。個人的なパワーを確保するために人と競い合う必要はありません。どんなときでも自分のものなのです。ほかの誰かが奪うこともできません。それをわかっていれば、その力をほかの人と共有したい、同じ感覚をほかの人にも知ってほしいという気持ちになるのは難しくありません。そうすると、個人的なパワーは社会的なパワーと違い、人に伝染すると思うのです。個人的なパワーに満ちているほど、他の人もそういられるように手助けしたくなるのではないでしょうか。

・権力は明らかにする―。これは納得がいきます。この章でお伝えしてきたように、個人的なパワーがあれば最高の自分に近づける一方、個人的なパワーを欠いていれば自分の姿はゆがめられ、本当の姿は見えなくなってしまうと私は思っています。
 でももし権力が、パワーが明らかにするのなら、私たちが本当の姿を知ることができるのは真に力のある人だけ、ということになります。逃げたり弁解したりせずに自分をさらす強さがあるのは、真に力がある人だけだからです。自分を他社の目にさらす勇気を自信をもっているのです。
 こう考えると、個人的なパワーを得る道のりはプレゼンスへの道のりでもあります。そうして私たちは本当の自分を見いだし、自由に発揮できるのです。

・一方、デスクトップのパソコンを使たグループでは九四パーセントもの人が自分から呼びに来たのです。結果はグラフのとおりです。大きい端末を使うほど、自分から主張する人が増える傾向があるといえそうです。さらに、大きな端末を使った人のほうがみずから動いて呼びに行くだけでなく、長く待たずに行動に移す傾向もみられます。端末が小さくなると、それを使うために必然的により身体を小さくした姿勢になり、縮こまった内向きの姿勢を長くとっているうちに自分にパワーがないように感じてくる―これが私たちの導いた結論です。
 これは何だか皮肉な話です。私たちの多くは、小型のモバイル機器を日々駆使して、生産性や能率を上げようとしているはずです。それが、こうした機器をたとえ短時間でも使うことによって、自己主張の意欲が弱くなるかもしれない、ひいては生産性や能率を下げてしまう可能性もあるというのです。

・二〇〇五年ごろ、それまでの数々の研究結果にもとづいて、経済学者と心理学者のグループがある理論を掘り下げる動きが起こりました。「人々の行動をよい方向へ変えるのに一番効果的なのは、態度や選好を大きく転換するよう求めることではなく、ほとんど気づかないくらいにささやかなやりかたで健全な方向へ誘導することではないか」という考えかたです。このアプローチにもとづく手法は劇的でも大胆でもありませんし、引き出される結果も最初は小さなものです。ですが、時間が経つにつれて変化は広がり、大きくなります。変化が変化を読んで大きなねりになり、やがて人々の行動だけでなく社会的な規範までをも変えていきます。社会規範が変われば、コミュニティを超えてきた人々の行動の変化はさらに広がり、定着します。あたらしい「現状」になるのです。~(中略)~
 たとえば、ナッジ・ユニットが試行した事例として、市民の多くが期限内に税金を納めていますよ伝えるメッセージを発信しただけで、期限内に税金を支払う人が大幅に増え、税収が二億一〇〇〇万ポンド増えた例があります。それほど費用のかからない介入法としては、なかなかの成果です。

・ごく小さなナッジを通じて少しずつ変化を起こせれば、仕事上の成功もそうですが、自信や安心感、自己効力感の向上、いい人間関係、健康、幸福感などにつながるのではないか、という発想でした。たいていの人はナッジが変化を起こせるなどと期待してはいませんから、実際に効果が現れたり変化が起きたりすると驚きます。「へぇ、本当に効果があるんだ!」と思うのです。
 私はこれを「セルフナッジ」と呼ぶことにしました。セルフナッジとは、自分のボディランゲージや心の持ちかたをほんの少し変えて、目の前の心の状態や行動をよい方向へ少しだけ変えることです。わずかな変化ですが、やがて大きな違いにつながります。もっと大胆で体系化された変化や、長期的な人生の目標、実際はそう思えていないのに形の上だけ取り入れる自己肯定などと違い、セルフナッジは私たちが自然に持っている特性にはたらきかけます。セルフナッジする場合、現実と目標の差は小さくてすみます。行動する前から気が重くなるようなゴールではないので、途中でやめてしまう可能性も低くなります。その結果起きる行動の変化は本物で、持続性があり、その後も拡大されていくのです。


その他にも色々ためになりそうな内容があったと思うが、ここまでとしておく。
小さな変化、ポーズを取ることから、自分にパワーを呼び込み、精神や気力、内面に力を得ていくことを、今後忘れずに自分も実践していこうと思いました。

そんなんで以上☆



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