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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

205冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 下巻」

2023-04-15 17:02:48 | 
総評:★★☆☆☆ 前回と同じ。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。


前回読んだ本の下巻。

上巻とは内容はほぼほぼ変わらず。当時の野球情勢のことなど。
タメになることはちょいちょいあったかなという感じ。

この本を読んでいる間に「野村ノート」を入手したので、そちらが今はかなり気になっています。

今回は感想はここまでにして、タメになった部分を抜粋して終わりとする。

・ところで、ひとことで大投手といってもいくつかのタイプがある。私はそれを「金田型」と「稲尾型」とに分けている。~(中略)~
金田型というのはだいたい弱いチームの出身者に多い。バックはエラーをするし、打線もアテにならない。結局、頼れるのは自分の力だけである。どうしても唯我独尊、わが道をいくというスタイルになる。
 持って生まれた性格にもよるだろうが、しょっちゅう優勝を争うようなチームになると、同じ大投手族でも一味違う。プライドの高さという点では一歩もひけをとらないのだけれど、こちらは多少なりともチーム全体を考える。一種、幅の広さのようなものを持ち合わせている。~(中略)~
 金田型は自分が二十勝することがチームの優勝につながると考え、稲尾型は優勝するためには自分が二十勝しなければならないと発想する。どちらを優先させるか微妙なところだが、この選択が両者を分ける。~(中略)~
 しかし、こと練習や体調の維持の話になると金田型はすさまじい。徹底的に自分を痛めつける。稲尾型といえどもちょっとマネができない。鈴木の練習を見ていて感心したのは、キャッチボールひとつにしても決して手を抜かないことだ。並のピッチャーなら下手から投げたり横手から投げたり、ふざけるものだが、彼は投球時と同じフォームでキチっと投げる。ランニングをするときでも漫然とは走らない。ふとももを人より高く上げたり、腰をひねる運動をとりいれたり、小さなところで工夫を重ねている。
 鈴木はまた、雨を好むそうだ。私はゲームがなくて体を休ませることができるからかと思っていたが、聞けばそうではないらしい。
 「雨だと他人は練習せんやろ。その間にこちらはなる。差をつけるチャンスなんや」というのである。なるほど「個人商店型」だけのことはある。自分の身体だけが元手という冷厳なる事実を知りつくしている。

・だいたい監督業というのは選手を叱るのとほめるのが仕事の大半を占める。その両方が綾をなして、はじめて監督の個性が浮かびあがる。
 逆に選手たちは監督の𠮟り方、ほめ方を見ながら指揮官を理解していく。なかでも𠮟責は重要だ。叱るときはつい本音が出る。ふだんをオブラートに包んである監督の野球観が怒りの助けを借りて生身をさらす。逆説めくが、これが使う物と使われる者とのあいだに信頼や理解の橋をかける。重箱のスミまでほじくって、ガミガミやるのはどうかと思うが、信念にもとづく大目玉はチームに欠かすことができない。
 王と話していて、私は彼があまり叱らない監督だと思った。もろもろを自分でのみこんでしまうタイプなのである。しかし、これは、よくない。王の精神状態のためにもだが、それよりもナインとの相互理解を阻むという点で罪が重い。スミスにしてもガツンとやられないから、これでいいのかとタカをくくり、同じことを繰り返すに違いない。嘆く前に王にはやることがある。

(以下、野村監督と森昌彦監督との対談記事)
 ほんとに自分で勉強していこうという気がなかったら、ものを覚えないですよ。そうやってものを見るか、見ないか、そこでずいぶん差がついてくる。これは人に教えれられるものじゃない。ぼくはキャッチャーによくいうんです。味方が打ってるときでも、自分が座ってたら何をするかということを考えながら野球を追ってけと。やっぱりその積み重ねが、キャッチャーとしての第六感というか、そういうものを養っていくと思うんです。ほんとに数秒の中で相手の監督の采配、その打者の長所、欠点と、自分のところのピッチャーの調子、それに対する守備位置、すべてのものを指一本出す前に考えて、指を動かしていくわけだから、これは常日ごろの鍛え方というか、自分自身のそういうものがなかったら、瞬時にして頭をよぎらない。
 野村 だから必ず名捕手はヘビースモーカーになる(笑い)
 キャッチャーの適性を見るのはむずかしい。新人がはいってきて、白紙に戻してポジションを決めていくとして、ほかの選手だったら、足が速いとかで外野とかショートとかすぐ決まるんだよ。キャッチャーの最優先は性格なんだよね。ところが、性格を見抜くというのは時間がかかるんだよ。
  それもそうですよね。やっぱり、あんたもそうだけど、ねちっこさがなきゃだめだね。
 野村 わしはそんなものはないよ(笑い)
  そんなことはないよ
 野村 あんたは、十点取られても十一点取られまいとするキャッチャー。わしは10対0、もうええわってタイプ(笑い)
 森 十点取られても、あとの一点をとにかくやらん。という考え方がキャッチャーに一番大事なことであって、勝負なんてものはどう転がるか分からない。あきらめたら、それで終わりだし、一点取られても、二点目は何とか防ぐ。二点取られたら三点目はなんとか防ごう。その一点が必ずどこかで響いてくる。百三十ゲームの中で、一つ、二つ、そういうことの努力によって拾うことができたら、それは大きな星になって変わってくるからね。それは数字では表れてこないものであって、それこそキャッチャーとしての本領でしょうね。
 野村 野球の本質をきわめるというのは、キャッチャーがいちばんなんだ。ほかの野手の性格もつかめてくるし、コーチとか監督の能力もよく見えるからね。

野村 あまり見えすぎると、ついいろいろなことが言いたくなって嫌われることもあるやろ。キャッチャー出身のコーチがいるとうるさくてかなわん。森なんか、そう思われてんのとちがうか。
  嫌われたって、好かれてやろうと思っていないもの。選手に好かれるのがいいコーチなのか。その選手か一時はいやな思いをしたって、必ず将来、いわれたことがプラスになってはね返ってきたら、大きな財産になるし、チームにとってもものすごくプラスになる。だから、少々いやなことだっていわなきゃいかん。ぼくにいわせれば、選手に好かれようと思ったらコーチはやめたほうがいいと思う。それよりもまず自分の仕事が何か。チームが強くなる、勝つためには何をするかということのためには、やっぱりいやなこともいわなきゃ。だれも好きこのんで嫌われようとはしないけれど。
 野村 コーチだったら、見えないものを見るのがコーチだと思うんだ。ナイスピッチング、ナイスプレー、こんなのはお客さんでも見れるんだ。見えないところを見るのがコーチということになると、キャッチャーとして苦労した人が、いちばん適任なはすなんだよ。
  監督とピッチャーの間に入るということは、これほど辛いことはない。ぼくもずいぶん経験したけれど、何をとるかということですよね。チームの勝利を第一に考える。そういうことをすればピッチャーからいやがられる。監督から相談を受けるでしょ、そのときに、はっきり状態を報告する義務がある。あとの決定は、代えようが代えまいが、監督が持っているんだから。だけど、ピッチャーというものは、代えられたら、キャッチャーが余計なことをいったと解釈する。そういう板ばさみはものすごくあったよね。だけど、ある面では嫌われていかなきゃ、それは勝てはせんわ。同好会でやっているわけではないんだから。勝つのが目的であれば、正しい報告をするのが本当であってね・・・。
 野村 ヘッドコーチなんていうのは、監督にいいたいことをいっても嫌われてもいいと思うんだよね。いうべきことはいわないかんからね。それを生意気だというようじゃ、監督は失格だわ。

(以下、野村監督と西本幸雄監督との対談記事)
西本 成績は成績でしかたない。それよりもどういう力がついてきたかという、明確ななにかがのこせなければいけない。
 野村 結論的に、いい監督というのは、チームを去るときに何かを残したのがいい監督ということですね。
 西本 球団がコツコツ、コツコツ続いた努力をしていかないと、明確なものは残ってこない。やっぱり経営する会社の心意気が下まで通じなきゃいかん。その中で、中間管理職が若い人たちにどうやって心意気を伝達させるか、が勝負の分かれ道になるような気がするんですね。

そんな感じでしょうか?今回はこんな感じで以上☆
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204冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 上巻」

2023-04-08 18:42:58 | 
総評:★★☆☆☆ 1980年代の野球界の話。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。



2020年に亡くなられた故・野村監督の本。

以前NHKで野村監督のスペシャル番組をやっていて、「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流 」など、中々深く刺さる言葉を残しており、さらに古田さん、高津さん、新庄さんなど、後々監督となる「人」をめちゃくちゃ残していっているプロ野球界のレジェンドなので、感動して野村監督の本を読んでみようと思ったのがきっかけである。

そんなんでまずは何の本を読んだらいいかもよくわからなかったので、メルカリで安かったので買ってみた。
野村監督だが、現役引退後、自分はずっと監督業をやっていたものだと思っていたのだが、実は1980年代くらいに解説者をやっていた時期があったらしく、その期間に新聞に連載を載せていたらしく、そこでの寄稿をまとめたのが、今回読んだ本であったのだった。


なので、読んでみて分かったが、野村さんがどのような考えてどのように生きていたとか決断してきたとか、そういった野村監督の人となりを知れるような本ではなく、当時の日本球界の情勢について、どのチームはいいとか、状態はどうとか、誰はいいとか、成績がどうだとか、そういったことが主につらつらと書かれていたのだった。

そんなんで、昔の選手の名前がめちゃくちゃ出てきた。江川とか、江夏とか、原とか、自分が知っている齋藤、槇原、桑田とか、クロマティとか篠塚とか、そこら辺の巨人黄金時代よりさらにもうちょっと前の日本球界のことが書かれていたので、自分としてはあまりピンとこなかったりしたのであった。


最後に、ためになると思った箇所を抜粋する。

・私にも苦い記憶がある。南海の監督をしたいたときのことだ。ある中堅選手がクビのリストに入っていたので、再就職のアテについてそれとなく尋ねた。するとその男は、「兄のやっている飲食店を手伝うぐらいしか道はありません」
 と、しおれきっている。私はかわいそうに思って二軍のコーチにした。それを言い渡したときの彼の笑顔ったらなかった。なのにシーズンも終わろうというころ、彼は裏にまわって私の追い出し運動を進めていた。
 もう一人の男はまるで上昇志向のかたまりだった。任命したときは実に調子のいいことをいっていたが、途中からガラリと変わった。家が同じ方向にある選手たちをいつの間にか抱きこんで私の悪口をいいふらす。本来、監督のところへ報告に来るべきことでも直接、球団社長のところへいく。そこでまた、悪口をばらまく。知らないのは監督ひとりだった。上り調子のときは何も見えないが、ちょっと落ち目になると人間が実によく見える。私の人生でこのときほど勉強させてもらった時期はない。~(中略)~
 コーチについて考え出すと、いつも死んだ蔭山さん(元南海監督)のことを思い出す。蔭山さんは私たちを指導するとき、いつも「オレが責任を持つから」といった。今、そう言えるコーチがいったい何人いるか。この文句はすでに死語になってしまったのではないか。もっとも、これは何も球界だけの現象ではなく社会一般にそうであるらしい。ご同輩諸氏、いかがでしょうか。


そんな感じでしょうか?下巻も頑張って読み進めたいと思う。
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