家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

機器の魔力?

2007年11月26日 | 家について思ったことなど
産経新聞の企画記事に「溶けゆく日本人」シリーズというのがある。連載9回目の先日(23日)の見出しは「機器の魔力 便利さが自分を見失わせる」だった↓。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/071123/sty0711230834001-n1.htm

カーナビ、携帯電話、PC、IH調理器に頼りすぎて「失敗」した事例が載っていた。
新聞記事というのはセンセーショナルに危機をあおることが多く、そのまま鵜呑みにしてはならない。
記事中で特に気になったのは以下のくだり。
「オール電化の家庭で育った小学生が、学校の理科の実験で燃焼器具のそばに不用意にノートを置き、燃やしてしまった。自宅では火の出ないIHクッキングヒーター(電磁調理器)を使っており、近くに本やノートを置いても問題はなく、火の怖さを理解していなかったのだ。ノートに火が移っても対処の仕方が分からず、友達が水をかけて火を消すのを、ぼんやりとながめていたという」

正直、IH調理器批判派の作り話ではないかと疑っている。
なぜなら、例えオール電化の家だとしても理科の実験で火を使う年齢までに、そこまで火の恐さを知りえないというのは相当にまれなケースだと思うから。
私の息子は、仏壇のろうそくの火がきれいに見えて、火に指を突っ込んで火の恐さを知った。
たしか1歳半くらいだったと思う。最近は仏壇もない家も多いけれど、誕生日などでケーキにろうそくを灯すなどの機会もある。火が危ないものであることを知る機会が皆無ということはまずなく、一回でも熱い思いをしたら火の恐さは刻み込まれる。

そんなこんなで事例に「まゆつば」感がある記事であるのだが、テーマの本質には基本的には賛同している。
記事中の
「快適さは一度手に入れたら簡単には手放せない。ものごとをよく考えることができる人でも機械がやってくれると頼ってしまう。快適な環境に置かれると、それまでの不便だった生活を忘れ、今の環境を当たり前だと受け止めてしまう」
という心療内科医の中川晶・大阪産業大学教授の指摘は、私がいつも気にしていることである。

私がIH調理器で気になるのは、「火の恐さを覚えられない」ことより、「火の使い方を覚えられない」こと。機械が何でもコントロールしてくれるので「火加減」というものを覚える必要がない。
既に「火加減」が何たるかを知っている大人ならIH調理器にしてもなんら問題はないが、最初から家庭にIH調理器しか存在しなければ、その家の子供たちは「火加減」を覚える機会がなくなる。
「火」を使える唯一の動物である人間が火を使えなくなったとしたら、それは個としてある面で退化していると思う。

IH調理器を導入するのは悪くない。ただ、その一方でもっと原始的な調理器「七輪」をも導入すればバランスがとれてよいと思う。
てんぷらなどの揚げ物は温度調節ができるIH調理器がとても便利でうまくできるが、焼き鳥や焼き魚など焼き物は炭火のほうがうまいものができる。そういう使い分けができるならそれはそれで進化といえると思う。
(ということで、最近、七輪の普及に一役かっているaiaiさんにトラックバック)



料理ではないが、「火加減」を覚えるなら薪ストーブを導入するのも効果的だ。

なお、薪ストーブを入れると「オール電化」契約をしない電力会社があるらしい。
私はIH調理器の利点を認めているが、そういう電力会社を知ればオール電化の導入はさらに後ろ向きにならざるを得ない。