家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「いい家」のストライクゾーン

2007年07月14日 | 家について思ったことなど
「いい」という言葉は情報としてあいまいだ。
使う人によってニュアンスがまったく異なる。
「いい」と思えるもののバリエーションが多い人と、「いい」ものの姿がかっちり決まっている人がいて、両者の「いい」は同じではない。
身近な例で言えば、女性(男性)の好みについてのストライクゾーンがかなり広い男性(女性)がいる一方、ストライクゾーンがかなり限定されている男性(女性)もいる。そして両極にいる人の発する「いい女(男)」という言葉は相当に意味合いが異なっている。

「いい家」も当然そうである。いろいろなバリエーションの「いい家」があると思っている人と、「いい家」は厳密に定義付けした条件に合致するものだけと思っている人がいて、「いい家」という言葉の使われ方が違う。
「いい家」を一般論的に論評するとしたら、両者の意見は噛み合わないだろう。
どちらの姿勢が良い悪いということに言及しても意味はない。情報の受け手としては、「いい家」という情報に触れた時、それが「いい家」かどうかを判定するのは他人ではなくあくまで自分だということが重要である。

私は「いい家」にはいろいろなバリエーションがあると思っている人間である。家族ごとにそれぞれ「いい家」の形態があるとも思っているから、他人の家を見せてもらって「自分とはちょっと志向が違う」と思った場合でも「『いい家』だなあ」と思うことはよくある。
自分の家は自分のストライクゾーンの真ん中にできるだけ近づけるよう建てたつもりだが、ストライクゾーンが広いせいか、他人の家も「いい家」と思うことが少なくないということかもしれない。
ここではそんな感じで「いい家」のことを語っているので、「いい家」の姿・性能は物理的条件としては一定していないと思う。

言葉の使い方、使われ方は人によって異なる。あいまいさのある言葉ほどその差は大きい。
他人が発する「いい」という言葉の背景を知らないとミスリードされる恐れがある。そんなことを常々思っている。

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