家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「家(か)」の問題

2004年12月16日 | 家について思ったことなど
 建築家はメディアにおいては総じて好意的に紹介されているが、家づくりについていろいろと調べていると、「建築家」と呼ばれる人達に対して、批判的な住宅業界人がそこここにいることに気づく。
工務店の社長だったり、現場監督だったり、ハウスメーカーの営業マンだったり、大工さんだったりが、出版物やネットの端々で施主に向かって「やめとけ」と言っている。
批判する理由はそれぞれで、中には参考になる意見もあるのだが、それはこの場ではおいておく。そうした人々の言葉から、「家(か)」って末尾につくのがえらそうで気に入らないというようなムードを感じることについて考えたいことがある。
施主サイドの言説では、逆に、建築家の「家(か)」にできるだけ威厳を持たせたいという意識を感じることがよくある。
 このギャップが「建築家」という職業に対する評価のあやふやさを増幅している感がある。

世の中には「家(か)」のつく職業はいろいろあって、必ずしも「家(か)」のニュアンスは一様ではない。
例えば、
落語家(噺家)の「家(か)」には妙な権威付けはされていないように思う。
格闘家は、「格闘を見せることで客を呼べる人」くらいのイメージである。
「政治家」とか「評論家」なんて軽蔑されたりすることも多い。
 決して、芸術家の「家(か)」のような、崇高さ漂う使い方だけではない。

これまで、建築家というと、いわゆる「大御所」のような人だったり、「新進気鋭」の人だったり、芸術家っぽさを強調する感じでとりあげられてきている。
だけど、最近はそんなシーンばかりではない。芸術的建築が施される場所だけでなく、一般人の住宅をテリトリーに活躍する建築家は増えている。
そろそろ「家(か)」のニュアンスを変化させていってもいいのではないだろうか。
もともと、芸術家的な「建築家」なんて、一般人との接点はほとんどないのだし、むしろ、接点の多い住宅設計のプロフェッショナルの方を、一般人が「建築家」という言葉とともに広げてしまえばいい、なんて思う。

 私は割と気軽に「建築家」という言葉を使う。その一方、建築家を「先生」と呼んでいない。
芸術作品を作って欲しいと依頼したつもりはないし、「先生」と呼ばないと機嫌が悪くなるような芸術家肌の建築家は、最初から除外している。

 私は、建築家を設計技術に秀でた頼もしいプロフェッショナルとして尊敬しているが、落語家や格闘家の「家(か)」のようなニュアンスで「建築家」という言葉を使っているかもしれない。
建築家という言葉に、良くも悪くも思い入れが強い人(結構いるのだ、これが)と話す時は、少し気を回す必要があるな、と思ってきている。