寓居人の独言

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東京大空襲 火の粉の嵐を逃れて 第1回

2015年07月29日 21時56分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 隣町の戦争を語り継ぐ会と言うところから
東京大空襲の体験談を話してほしいとの依頼
がありました。東京大空襲の経験は思い出し
てもゾッとすることでしたが、戦争の悲惨さ
とその膨大な無駄使いについて話して後世の
人達の参考になればと思って引き受けました。

 東京上空に初めて敵の爆撃機が飛来したの
は、昭和17年4月初めのことだったと思い
ます。これは航空母艦から発進したB25爆
撃機で双発の爆撃機でした。爆撃は主として
軍関係の施設への爆弾攻撃でした。

 ヨーロッパの都市への爆撃では爆弾が有効
だったのですが、日本の建築物は彼の地の建
物とは構造的に違い爆弾ではあまり効果がな
かったことに気がついて他の方法を研究しだ
したようです。

  B25爆撃機による我が国土への爆撃はそ
の後も続き軍施設はかなりの被害を受けたよ
うです。それよリ後になって偵察機が何回か
東京上空に侵入するようになりました。

 私が見た最初の敵機はもう定かではありま
せんが、多分昭和19年の初夏の頃だったと
思います。その日は良く晴れていました。丁
度昼頃に水天宮の斜め向かいにあった食堂で
母と雑炊を食べに行ったときのことです。食
堂へ入って注文して待っているときのことで
した。聞き慣れない爆音に驚いて上空を見上
げると太陽の光を受けてキラキラ光る飛行機
が飛んでいました。すると胴体から何か黒い
芥子粒のような物が飛び出すとゴーッという
音をたてて落下し始めました。すぐに見えな
くなりましたが、私のいた水天宮辺りから見
て南東の方角でずっしーんと言う大きな音が
して黒煙が高く舞い上がりました。大人の人
達はあれはきっと砂町のガスタンクを狙った
んだななどと話していました。この頃はまだ
外国語が使われていたんですね。