ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

あなたの特別な人

2018-03-15 11:05:21 | 雑感
しばらくこのブログをご無沙汰してしまった理由の一つに、
Facebookを始め、その利用に捕われてしまったことがある。

今まで手を出さなかったFacebookを始めた理由は、
(→「私がFacebookをやらない理由」)
カウンセラーとして開業したときの広告手段になると思ったから。
要は、下心があって始めた訳だ。

案の定、Facebookは私の心を大いにかき乱してくれた。
一言で言うと、その人の対人魅力が露骨に晒されてしまう点だ。
友達の数に始まり、いいねの数や、コメントの数。
人気者とそうでない者の差は歴然としている。

人気者には、やっぱり多くの友達がいて、タイムラインも賑やかだ。
その逆もしかり。

Facebookでの友達の数やいいねの数は、
その人が、これまでの人生で、どのような人間関係を築いてきたかを表している。
私の友達やいいねの数が少ないのは、
私が長いこと、内にこもる生活を続けてきたからだ。
Facebookは正直だ。

でも、友達の多い交友関係が理想的で、皆が皆、そのスタイルを目指すべきかというと、
そうとは言い切れないと思う。

私には、中学生のころ、お互いの家に泊まりあうほど、親密に付き合っていた友達がいた。
でも、成長するにつれ、彼女が私への関心を失い、離れていってしまった人がいる。
彼女に対して感じる劣等感は、これまでも何度か記事にしてきた。
(→「誰とでも仲良くなれる人」「ひだまり」)

そして、その彼女に友達申請をしたところ、何度か申請した後にようやく気付いて承認してもらえたのだが、
(ここのところで既に傷付く…昔は仲が良かったのに)
彼女には大勢の友達がいて、どうということのない日常的な投稿に、
100も200も「いいね!」がついていた。
コメント欄も賑わっていて、彼女がどれだけ多くの人に愛されているかがよく分かった。

私も始めは彼女の投稿に頑張って「いいね!」をつけていたのだが、
100も200もいる、彼女の友達の渦に自分が埋もれている気がして、
彼女の投稿を見るのが辛くなり、彼女をこっそりフォローから外した。

そして、私は気付いた。

私は、彼女の大勢いる友達の一人ではなくて、
彼女の特別な人になりたかったのだ。

私にとって、自分の友達が人気者かどうかは全く関係がなくて、
私にとっても、その友達にとっても、
お互いが特別な存在でいられる、
そんな関係が欲しかったのだ。

私が本当に欲しいのは、お互いがお互いを特別な存在として認め合える、
親密な関係だということに気付いた。
広く浅い交友関係ではなく、
狭くても、深い絆が欲しかったのだ。

そういう自分のあり方を、自分でもっと認められるようになりたいと思う。





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