母が亡くなって・数年後に父も、逝った。
後日・遺品の整理をするというので、帰省した。
衣服・衣料は、資源ゴミに・・
人型の”人形類”は、神社での”供養”に出す事で、兄に委ねた。
切手や、コインも、兄に・・・
多く所有していた「写真類」の廃棄方法が、問題となった。
「焼却ゴミ」に出す事に、兄弟たちは抵抗感を感じたのである。
私は「私の先祖たちは・・?」と言う好奇心が、あった。
其処で、私が引き受ける事と成ったのである。
それから、20年程が経過し”私の番”も近いだろう!?と、思う昨今である。
写真類の処分を引き受けた時の気持ちから、写真(映像)の処分は適切に行わなければ!と、思うのである。
そう! 単に・焼却ゴミに出すのは如何なものか?と・・
加えて、私が撮影した家族の記録や・旅の想い出などの、現物(写真やフィルム)は、残してはいけない!と、思っている。
データー化しておけば、必要が無ければ「ゴミ箱」(消去)に入れれば良い。
必要な映像があれば、残置すれば良いだろう!
そして、今日に至って・全てのフィルムや写真(プリント)のデーター化を終えた。
残すは”処分”である。
お祓いをしながら、小出しに焼却処分をしようと思うが、個人での焼却処分は、イケない事は分っている。
キャンプ等での焚火として、気長(小出し)に処分(焼却)しようと思っている。
完結までには時間を要するでしょう・・!?
今日の絵日記の絵(写真)は、処分(焼却)しようとする大量のフィルムや映像(プリントされた写真)と、父母が残した(遺留品の一部の)写真である。
曽祖父や、父親・親戚類の人達の若かりし頃を、知る事が出来る映像(写真)である。
この写真には「奉祝記念・赤穂浪士(昭和3年11月26日撮影)」との説明(記述)が文があった。
因みに、曾祖父は79歳・父は25歳と記されていた。