年賀状を辞める事が流行の様な風潮があって、私も「(年賀状を出すことを)辞めよう!」と思った。
年賀状を出さない!と言う思いは、25日(元日・配達の期日)となっても、変わらなかった。
しかし、26日に至って”心騒ぐ”のである。
「今年は・・!」と、年賀状を求め、郵便局に・・・
そして、翌日に投函出来た。
考えてみれば就職して以来、欠かしたことのない(父母の忌中以外)”行事”である。
身に着いた習慣に、変化をもたらすことの難しいことか・・・!?
そして、ある馬の話し(落語)を思い出した。
散歩がてらの調教で、水場で給水させる事が常であった。
ある時、緊急を要する事件が起きた。
乗馬し、事件の場所に急行しようとする。
勢いよく駆け出したものの、水場に至り”休息”してしまって、鞭を当てても動こうとしなかった。
と、言う話である。
此の馬にとって、永年に亘る身に着いた習性なのでしょう。
此れから、一年を掛けて2021年の年賀状を如何するか!を、考えてみます。
当に!世は通信・多様性の世である。
既に、電報・葉書の世ではない。
年賀状を出さない!と言う思いは、25日(元日・配達の期日)となっても、変わらなかった。
しかし、26日に至って”心騒ぐ”のである。
「今年は・・!」と、年賀状を求め、郵便局に・・・
そして、翌日に投函出来た。
考えてみれば就職して以来、欠かしたことのない(父母の忌中以外)”行事”である。
身に着いた習慣に、変化をもたらすことの難しいことか・・・!?
そして、ある馬の話し(落語)を思い出した。
散歩がてらの調教で、水場で給水させる事が常であった。
ある時、緊急を要する事件が起きた。
乗馬し、事件の場所に急行しようとする。
勢いよく駆け出したものの、水場に至り”休息”してしまって、鞭を当てても動こうとしなかった。
と、言う話である。
此の馬にとって、永年に亘る身に着いた習性なのでしょう。
此れから、一年を掛けて2021年の年賀状を如何するか!を、考えてみます。
当に!世は通信・多様性の世である。
既に、電報・葉書の世ではない。