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アンデルセン『マッチ売りの少女』(新潮文庫、矢崎源九郎訳)

2018-02-23 | 書評「ア行」の海外著者
アンデルセン『マッチ売りの少女』(新潮文庫、矢崎源九郎訳)

雪の降る大晦日の晩、一本も売れないマッチを抱えた少女。あまりの寒さに、一本、もう一本とマッチを点していくと……。全15編。(文庫案内より)

◎まず『アンデルセン自伝』から

幼いころにアンデルセン『マッチ売りの少女』を読んで、なんと残酷な話なのだろうとショックを受けました。大人になってから、新潮文庫でアンデルセン『絵のない絵本』『人魚姫』『おやゆび姫』『マッチ売りの少女』の4冊を読みました。やはり幼いころの印象と同じでした。

世界的な童話作家アンデルセンって、どんな人なのだろうか。著者の生涯を、さぐってみたくなりました。『アンデルセン自伝』(岩波文庫、大畑末吉・訳)と『アンデルセン自伝・ぼくのものがたり』(講談社、高橋健二・訳、いわさきちひろ・絵)という作品がありました。それぞれの冒頭を引いておきたいと思います・

――私の生涯は波瀾に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しい物語(メルヘン)である。貧しい少年だった私がただ一人世のなかへ乗り出した当時、運命を支配する女神があらわれて、「さあ、お前のすすみたいと思う道と志とを選びなさい。そうしたら、お前の魂のそだつにつれて、この世の道理にかなうように、お前を守って導いてあげよう。」といわれたとて、私の運命はこれほどまで幸福に、賢明に、そしてたくみに導かれはしなかったろう。(『アンデルセン自伝』岩波文庫、大畑末吉・訳より)

――わたしの一生は美しい童話です。/たいそうゆたかで幸福な童話です。まずしい少年のわたしが、ひとりぽっちでひろい世間にでたとき、人の運命をうごかす女の魔法使いが、わたしにむかって、/「じぶんのすすむ道と目当てを、じぶんでえらびなさい。そうしたら、おまえの心がのびていくにつれ、この世の道理にかなうように、わたしがおまえを守ってみちびいてあげるよ!」/といったとしても、わたしの運命を、わたしのこれまでの一生を、もっと幸福に、もっとじょうずに、もっとりこうにみちびくことはできなかったでしょう。(『アンデルセン自伝・ぼくのものがたり』講談社、高橋健二・訳、いわさきちひろ・絵より)

私はいわさきちひろの絵が好きなので、講談社版で読みました。なんと110点もの絵が収録されており、アンデルセンの文章にやさしさをそえてくれています。

『アンデルセン自伝』は童話を読む前に、ぜひ読んでおいていただきたいと思います。アンデルセン自身の生い立ちや童話を生みだす話などが披露されています。

純粋無垢な人が描いた童話として、アンデルセン作品を読むのか。アンデルセンの生い立ちのなかから、孤独の影を見出して読むのか。これだけで作品は、まったく異なった味わいとなります。

◎アンデルセンの孤独とエゴイズム

花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫、山本藤光推薦作)のなかに、トルストイがゴーリキーに「あなたはアンデルセンのお伽噺が好きですか」とたずねる逸話が紹介されています。トルストイは「アンデルセンは非常に孤独であった」と感じています。花田清輝の文章を紹介します。

――あれほどたくさんの人びとから愛されていた筈のアンデルセンを、断固として孤独だったと主張する。このトルストイの観察は、かれがアンデルセンの生活を知らなかったために犯した誤りにすぎないであろうか。私はそうは考えない。このばあい、トルストイの観察は、あくまでも正しい。彼は適確にアンデルセンの芸術の秘密をつかんでいるのだ。(花田清輝『復興期の精神』講談社文芸文庫P153より)

花田清輝はトルストイに同意した理由を、つぎの作品で証明してみせます。

――第一作の『火打箱』(補:新潮文庫『おやゆび姫』収載)からうかがわれるものは、当時、かれが孤独である上に、貧乏でもあり、なんとかしてこの窮地を打開したいと思いつめていたにちがいないということだ。お金が欲しい、そのためには、魔女の一人や二人くらい、殺したところで構わないと考えている。(花田清輝『復興期の精神』講談社文芸文庫P155より)

――第二作『小クラウスと大クラウス』(補:新潮文庫『おやゆび姫』収載)は、もっと猛烈だ。お金を儲けるためなら、この二人の主人公は、どんなことでもする。魔女ならまだ弁解の余地もあるであろうが、自分のお婆さんを殺して、その死体をかついで、町に売りにいったりするのだ。(花田清輝『復興期の精神』講談社文芸文庫P156より)

私が幼いころに感じていた残酷さの背景には、アンデルセンの孤独と貧乏があったようです。

池内紀も著作のなかで、同じような見解を示しています。

――アンデルセン童話は、そのひそかな捏造において、痛烈な風刺である。そこには人間的な、あまりにも人間的な冷酷さや偽り、利己主義、偽善ぶり、権力欲といったものが、あますところなく描かれている。(池内紀『読書見本帖』丸善ライブラリーP137より)

私があえて、『マッチ売りの少女』(新潮文庫)を推薦作として選びました。本書には表題作のほかに、私の好きな「はだかの王さま」や「雪の女王」が収載されています。

「雪の女王」はディズニー映画(アナと雪の女王)となって、大ブレイクしています。「はだかの王さま」は、芥川賞を受賞した開高健『裸の王様』(新潮文庫)の書評を書いています。誰もが知っている童話ですが、あえて紹介させていただきます。

◎マッチ売りの少女

「マッチ売りの少女」は残酷な話です。寒いおおみそかの晩に、少女はマッチを売りに出ています。はだしの足に、母親の大きなスリッパをはいています。しかしスリッパも失ってしまいました。マッチはまったく売れません。そのまま家へ帰ると、父親に殴られてしまいます。

寒さに耐えられずに、少女は1本のマッチでわずかな暖をとろうとします。雪が降っています。少女はマッチの炎のなかに、温かい部屋やおいしそうな料理を見ます。クリスマスツリーも見ます。そしてやさしかった、死んだおばあさんの姿を見ます。

佐野洋子の著作に『嘘ばっか・新釈世界おとぎ話』(講談社文庫)があります。そのなかに「マッチ売りの少女」が収載されています。佐野洋子はマッチの炎について、こんなふうに書いています。

――いったい、あの子は炎の中に、なにを見てたのでしょう。この世とひきかえにしても、なおかつ見たかった炎とは、いったいなんだったのでしょう。(本文P82より)

少女は炎のなかに「見たかったもの」があったのでしょうか。寒さに耐えかねて、暖をとるためにマッチをすったら、たまたま炎のなかにさまざまなものがあらわれた。私はそう読んでいます。

松本侑子の著作も紹介させていただきます。こんなふうに書いています。

――(補:イソップ同様に)アンデルセン童話においても、女性への歪んだ意識が感じられる。たとえばマッチ売りの少女は子どもという半人前、人魚姫は半人半魚という半人前だ。そんな大人の女性よりもさらに弱い存在を、アンデルセンは、これでもかというほど痛めつけてから死なせる。アンデルセンは生涯独身だったが、彼の複雑な女性観がうかがえるところだ。(松本侑子『グリム、アンデルセンの積み深い姫の物語』角川文庫P202より)

◎雪の女王

カイという男の子が、雪の女王にさらわれます。女の子のゲルダは、たったひとりでカイをさがす旅にでます。そしてさまざまな試練をのりこえます。

『アンデルセン自伝・ぼくのものがたり』のなかに、こんなことが書かれています。

――台所からはしごをのぼると、屋根裏部屋にあがれました。となりの家のほうにつづいている樋(とい)の中に、土をもった大きな箱がおいてありました。それに野菜が植えてありました。母の庭といえば、それだけでした。この庭は、「雪の女王さま」というわたしの童話の中で、花をさかせつづけています。(『アンデルセン自伝・ぼくのものがたり』講談社、高橋健二・訳、いわさきちひろ・絵P13より)

この部分には、小川洋子も着目しています。著作のなかから引用させていただきます。

――つましい生活の足しにしようとしてお母さんが植えた、箱の中の細ネギとパセリ。この記憶が、カイとゲルダの家の間に咲いていたバラのイメージを生みだしたのかもしれません。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文芸文庫P201より)

小川洋子の文章を、もうすこし引用させていただきます。

――カイとゲルダの家の間に咲いているバラの花が、本書では大切な役割を担っています。ゲルダにとって、バラがカイを象徴するものでした。ゲルダが涙をこぼした、ちょうどそこからバラの木が生え、それにキスをすると同時にカイの面影が胸に浮かぶ、という印象的な場面が出てきます。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文芸文庫P200-201より)

この場面は私も、ぜひ映像で見たいと思います。映画のコマーシャルを、何度かTVで見ました。

◎はだかの王さま

有名な場面をおさらいしておきましょう。ある日王さまのところへ、ふたりのうそつきがやってきます。

――(前略)「その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかもの(補:「ばかもの」に傍点)には、この着物はみえないのでございます」と、言いふらしました。(本文P49より)

◎最後に

最後に『アンデルセン自伝』の読みどころを、紹介させていただきます。

――『アンデルセン自伝』を冷静に読んでみると、彼の言う「精神の王国においては低い位置にある人」たちによる「非難」のかなりの部分は、アンデルセン自身の被害妄想的な性格から来ているのではないかと思えるところがある。なんの証拠もないのに天才だと思い込むその「根拠なき確信」が、周囲を顰蹙させたのだ。(鹿島茂『悪の引用句辞典』中公新書P169より)

ともあれ『アンデルセン自伝』は、ぜひ読んでください。できれば、いわさきちひろ・絵を楽しんでもらいたいと思います。
(山本藤光:2013.09.09初稿、2018.02.23改稿)


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