松下幸之助『夢を育てる・私の履歴書』(日経文芸文庫)
小学校を4年で中退して丁稚となった松下幸之助は、弱冠22歳でソケットの製造販売を始めた。以来、電器一筋に、「ナショナル」「パナソニック」という世界ブランドを育て上げ、「水道哲学」という独特の理念の下、積極的に社会への発言を続けた<経営の神様>の履歴書。(「BOOK」データベースより)
◎小僧時代の経験知
失敗したと思いました。松下幸之助『夢を育てる・私の履歴書』(日経文芸文庫)を知ったのは、松下幸之助『経営回想録』(プレジデント社)、『指導者の条件・人心の妙味に思う』(PHP文庫)を読んでからだったのです。松下幸之助の哲学を理解するためには、『夢を育てる・私の履歴書』を最初に読んでおくべきでした、
――私の少年時代はむしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。家運の傾いた家に育った私は幼いときの楽しい思い出は少なく、苦労の思い出だけが多い。(本文冒頭より)
こんな書き出しで、松下幸之助は自らの履歴を淡々とつづります。感情を抑圧した文章は、透明感がありスイスイと読むことができます。この体験があの哲学の源泉なのか、と何度も先に読んだ本を思い出しました。
小学校の4年の秋、松下幸之助は最初の奉公先・火鉢屋の小僧になります。その後自転車屋の小僧などを経て、17歳のときに電灯会社に入ります。20歳のある日幸之助は、勉強しなければならないと感じて、夜学に通いはじめます。その後周囲の勧めで、22歳のときに「むめ」と結婚します。
幸之助は7年間電灯会社に勤め、ソケットの会社を起業します。24歳のときでした。ところが事業は失敗に終ります。そこで幸之助は自転車屋の小僧時代の経験を活かして、自転車のランプ製造を発案します。事業は順調になりましたが、大不況に直面することになります。製造はストップしなければならず、在庫の山に囲まれます。多くの企業は、人員の削減に走ります。
ここで経営の神様といわれる松下幸之助はある閃きに着手します。工場で働く人も含めて、全員で在庫の山を営業してさばこう、と提案するのです。給料のカットをせず、人員削減もせず、大不況を乗り越えます。
私はこの発想が松下幸之助の原点である、と思っています。全従業員が一丸となって、沈没しかけた船を浮揚させたのです。不況時代を乗り越えたとき、従業員のパワーはすさまじいものになっていました。
◎ほめると叱る
松下幸之助『夢を育てる・私の履歴書』(日経文芸文庫)を読みながら、2つの信念が印象的でした。別の著作から、引用してみます。、
――どんな場合でも指導者はいうべきことをきびしくいうことが必要だと思う。いうべきことをいわず、いたずらに迎合していたのでは、一時的に人気を博することはあっても、それは人心を弛緩させ、結局は大局を誤ることになってしまう。(松下幸之助『指導者の条件』(PHP文庫P21)
――恩をもってよくなつけ、しかも法度の少しも崩れないように賞罰を行うのを本当の威というべきだろう。(中略)威と恩ということは、いいかえれば、きびしさとやさしさということであろう。(松下幸之助『指導者の条件』(PHP文庫P40)
松下幸之助は自らに厳しく、しかも従業員にも同様の厳しさを求めました。しかし厳しさは、やさしさという積み重ねがなければ機能しないと書いています。ほめると叱る。「人間力」あふれる2つのツールこそ、松下経営の神髄なのです。
晩年の松下幸之助については、みなさんご存知のことばかりです。厳しい修行のなかから、学問の大切さを悟った松下幸之助。大不況のなか在庫の山を見あげて、従業員を全員営業職に配置転換した決断。ときにはほめ、ときには厳しく接する指導者としての一貫性。経験を智恵に転換する洞察力。
本書から学ぶべきことは、たくさんあります。松下幸之助は独創的な人ではありません。むしろ広い見聞によって、足下を照らしつつ前進するタイプでした。本書の中で米国視察の模様が描かれています。学び、考えるという基本的な姿勢に驚愕しました。
◎お客様は神様です
最後にインパクトの強い経営哲学を紹介させていただきます。本書の解説で上坂徹も取り上げている箇所です。昭和31年、松下電器は5か年の目標を外部に公表します。1企業がそんなことをした例はありません。松下幸之助は、この無謀とも思える目標を絶対に実現できると確信しています。
――これは広く一般大衆の要望だからであります。すなわち、これはわれわれに課せられた大衆の要望を、それをそのまま数字に現わしたにすぎないのでありまして、私ども自体の名誉のためとか、あるいは単なる利欲のために行おうとするものではないからです。いわば社会にたいする義務の遂行です。(本文P78)
お客様は神様です。経営の神様は常に、顧客を向いているのです。今非常灯が点滅している松下電器は、伝統を忘れた電灯会社なのでしょうか。
(山本藤光:2014.12.08初稿、2018.03.02改稿)
小学校を4年で中退して丁稚となった松下幸之助は、弱冠22歳でソケットの製造販売を始めた。以来、電器一筋に、「ナショナル」「パナソニック」という世界ブランドを育て上げ、「水道哲学」という独特の理念の下、積極的に社会への発言を続けた<経営の神様>の履歴書。(「BOOK」データベースより)
◎小僧時代の経験知
失敗したと思いました。松下幸之助『夢を育てる・私の履歴書』(日経文芸文庫)を知ったのは、松下幸之助『経営回想録』(プレジデント社)、『指導者の条件・人心の妙味に思う』(PHP文庫)を読んでからだったのです。松下幸之助の哲学を理解するためには、『夢を育てる・私の履歴書』を最初に読んでおくべきでした、
――私の少年時代はむしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。家運の傾いた家に育った私は幼いときの楽しい思い出は少なく、苦労の思い出だけが多い。(本文冒頭より)
こんな書き出しで、松下幸之助は自らの履歴を淡々とつづります。感情を抑圧した文章は、透明感がありスイスイと読むことができます。この体験があの哲学の源泉なのか、と何度も先に読んだ本を思い出しました。
小学校の4年の秋、松下幸之助は最初の奉公先・火鉢屋の小僧になります。その後自転車屋の小僧などを経て、17歳のときに電灯会社に入ります。20歳のある日幸之助は、勉強しなければならないと感じて、夜学に通いはじめます。その後周囲の勧めで、22歳のときに「むめ」と結婚します。
幸之助は7年間電灯会社に勤め、ソケットの会社を起業します。24歳のときでした。ところが事業は失敗に終ります。そこで幸之助は自転車屋の小僧時代の経験を活かして、自転車のランプ製造を発案します。事業は順調になりましたが、大不況に直面することになります。製造はストップしなければならず、在庫の山に囲まれます。多くの企業は、人員の削減に走ります。
ここで経営の神様といわれる松下幸之助はある閃きに着手します。工場で働く人も含めて、全員で在庫の山を営業してさばこう、と提案するのです。給料のカットをせず、人員削減もせず、大不況を乗り越えます。
私はこの発想が松下幸之助の原点である、と思っています。全従業員が一丸となって、沈没しかけた船を浮揚させたのです。不況時代を乗り越えたとき、従業員のパワーはすさまじいものになっていました。
◎ほめると叱る
松下幸之助『夢を育てる・私の履歴書』(日経文芸文庫)を読みながら、2つの信念が印象的でした。別の著作から、引用してみます。、
――どんな場合でも指導者はいうべきことをきびしくいうことが必要だと思う。いうべきことをいわず、いたずらに迎合していたのでは、一時的に人気を博することはあっても、それは人心を弛緩させ、結局は大局を誤ることになってしまう。(松下幸之助『指導者の条件』(PHP文庫P21)
――恩をもってよくなつけ、しかも法度の少しも崩れないように賞罰を行うのを本当の威というべきだろう。(中略)威と恩ということは、いいかえれば、きびしさとやさしさということであろう。(松下幸之助『指導者の条件』(PHP文庫P40)
松下幸之助は自らに厳しく、しかも従業員にも同様の厳しさを求めました。しかし厳しさは、やさしさという積み重ねがなければ機能しないと書いています。ほめると叱る。「人間力」あふれる2つのツールこそ、松下経営の神髄なのです。
晩年の松下幸之助については、みなさんご存知のことばかりです。厳しい修行のなかから、学問の大切さを悟った松下幸之助。大不況のなか在庫の山を見あげて、従業員を全員営業職に配置転換した決断。ときにはほめ、ときには厳しく接する指導者としての一貫性。経験を智恵に転換する洞察力。
本書から学ぶべきことは、たくさんあります。松下幸之助は独創的な人ではありません。むしろ広い見聞によって、足下を照らしつつ前進するタイプでした。本書の中で米国視察の模様が描かれています。学び、考えるという基本的な姿勢に驚愕しました。
◎お客様は神様です
最後にインパクトの強い経営哲学を紹介させていただきます。本書の解説で上坂徹も取り上げている箇所です。昭和31年、松下電器は5か年の目標を外部に公表します。1企業がそんなことをした例はありません。松下幸之助は、この無謀とも思える目標を絶対に実現できると確信しています。
――これは広く一般大衆の要望だからであります。すなわち、これはわれわれに課せられた大衆の要望を、それをそのまま数字に現わしたにすぎないのでありまして、私ども自体の名誉のためとか、あるいは単なる利欲のために行おうとするものではないからです。いわば社会にたいする義務の遂行です。(本文P78)
お客様は神様です。経営の神様は常に、顧客を向いているのです。今非常灯が点滅している松下電器は、伝統を忘れた電灯会社なのでしょうか。
(山本藤光:2014.12.08初稿、2018.03.02改稿)
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