山本藤光の文庫で読む500+α

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松村栄子『生誕』(朝日新聞社)

2018-03-12 | 書評「ま」の国内著者
松村栄子『生誕』(朝日新聞社)

生まれる前のこと覚えてる?心の中はいつも、何か重大なものを渇望している。青年は、胎内の記憶をたぐり寄せ、かけがえのない分身を捜す旅に出る。(「BOOK」データベースより)

◎松村栄子の初期作品

 松村栄子の初期作品が文庫化されるのを待っていました。しかしなかなか実現しないので、しびれを切らせて「文庫で読む500+α」の「α」として紹介することにしました。

松村栄子は、1961年生まれの作家です。デビュー作『僕はかぐや姫』(福武書店、初出1991年)で海燕文学新人賞、次作『至高聖所』(福武書店、初出1992年)で芥川賞と、足早に階段を駆け上がりました。

『僕はかぐや姫』の主人公・裕生(ひろみ)は、かぐや姫の話が好きな十七歳の女子高校生です。初潮を迎えるころから、自分のことを〈僕〉と呼ぶようになります。本書は成長を拒絶し、今のままでありたいとする主人公の、心の葛藤を描いた力作です。

――産んでと頼んだわけじゃないのに生まれてきて、生きるって決めたわけじゃないのに、人間として生きることさえ選択していないのに、女性として生きるって決めつけられて何んの選択権もないなんて、とても理不尽な話だって昔思ったんじゃないかな。(本文より)

 この台詞が、松村作品の根底にあります。今あることの不思議。過去の延長線上にある今を断ち切れないもどかしさ。松村栄子はそんな日常の中のほころびを、ひょいとつまみ出して読者に突きつけます。

『至高聖所』の主人公・沙月は、鉱物が好きな女子大生です。親元を離れて、慣れない寮生活をはじめます。沙月には一つ違いの姉がいますが、この存在が主人公に陰を落とします。またルームメイトとの確執にも悩みます。

◎胎内の記憶からはじまる

 松村栄子の文章は整っていますし、主人公の性格も常にわかりやすいものです。『生誕』(朝日新聞社)は9冊目の単行本になります。松村作品はすべて読みましたが、そのスタイルは一貫しています。

『生誕』の主人公・桑名丞(すすむ)は、二十歳。趣味はテレビを観ることと、世界に起こっていることを目に焼きつけることです。
 彼はコンピュータ専門学校を出ると、迷わず大好きなテレビがある電気店へ就職します。ところが商売そっちのけで、ぼんやりとテレビばかり観ているために、試用期間中にクビをいい渡されます。
 丞の家族は、父と母と弟の四人。母親は後妻であり、弟とは異母兄弟になります。物語は生母の胎内の記憶から動きだします。丞は自分が双子であった胎内でのことを、鮮明に記憶しています。丞たちが胎内にいたときに、両親は離婚を決めました。そして二人は、それぞれの両親に引き取られます。

――揉めに揉めていたおとなたちの諍いを調停したのはお腹の子供だった。ある日、胎児は双子だと医師が告げた。別れようとする夫婦は当然のようにこれを〈分けた〉。(本文より)

『生誕』は丞が分身を捜す、孤独な旅を丹念に描いています。松村栄子は意図的に、家族や友人を介して、孤独や絶望を表現してみせます。
 
『生誕』の主人公も、わかりやすい個性として描かれています。どことなく頼りない兄・丞としっかり者の弟・稔。記憶の中にある陰の部分の妹。
松村栄子はテレビの画面が報じるニュースを多用しながら、現在から過去への旅を描きます。
『生誕』は初期作品の、総集編のように思えます。

(山本藤光1999.06.21初稿、2018.01.24改稿)

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