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トーマス・マン『魔の山』(上下巻、新潮文庫、高橋義孝訳)

2018-02-13 | 書評「マ行」の海外著者
トーマス・マン『魔の山』(上下巻、新潮文庫、高橋義孝訳)

第一次大戦前、ハンブルク生れの青年ハンス・カストルプはスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養生活を送る。無垢な青年が、ロシア婦人ショーシャを愛し、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタ等と知り合い自己を形成してゆく過程を描き、〈人間〉と〈人生〉の真相を追究したドイツ教養小説の大作。(文庫案内より)

◎3週間が7年間に

 むかしの日本にも、いたるところに「結核病院」(サナトリウム)がありました。ほとんどは国立病院で、現在はすべての病院名が改称されています。当時は結核に罹患したら、半数は亡くなる国民的な伝染病でした。サナトリウムにはいったら、死の運命を許容せざるを得ない状況でした。結核を題材にした小説の代表格は、堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)です。徳富蘆花『不如帰』(岩波文庫)や正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫)なども有名です。

 トマス・マン『魔の山』(上下巻、新潮文庫、高橋義孝訳)の舞台も、まさにサナトリウムです。本書のヒントは、実際に結核で療養生活をしていた妻を見舞った、実体験からえています。それはスイスのアルプスにありました。

主人公ハンス・カストルプは、23歳の大学をでたばかりの若者です。造船会社のエンジニアとして、就職が内定しています。エンジニア志望だけあって好奇心はつよく、なんでも吸収したいとの気持ちをもっています。さまざまな思想にふれ、かずかずの体験を自分の血肉にしようと真摯な姿勢で受けとめます。

ハンス・カストルプは、いとこのヨアヒム・ツィームセンを見舞うために、アルプスの山頂にある国際療養所を訪れます。そこには日常生活から切り離された、退廃的な空気によどんでいました。カストルプは、愛用の葉巻を持参してきています。のちに知ることになりますが、食事も豪華ですし、高級ワインもそろっています。「死」の匂いさえなければ、まるで楽園のようなところです。

療養所には、不可思議な空気が充満していました。退廃的で無気力な雰囲気のなかで、時間がほとんど消失しています。患者たちはひたすら、ベランダでの日光浴にいそしんでいます。これを「横臥療法」といいます。

――「横臥療法」とは、「ほとんど神秘的といってもよい心地よさ」を与える寝椅子をベランダに持ちだし、そこで毛布にくるまって、季節を問わず、また天候の如何にかかわりなく、ひたすら横たわっていることを命ずる治療である。(『世界文学101物語(高橋康也・編、新書館より)

3週間ほどの滞在のつもりで、カストルプは療養所にたどりつきます。彼は幼くして両親を失い、豊かな祖父と暮らしていました。ツィームセンは数少ない身内のひとりなのです。見舞いにいったつもりのカストルプは、やがて自分も結核に感染していることを知ります。「生」と「死」のあいだにある、「魔の山」での療養生活がはじまります。7年間の療養所生活で、若いカストルプはさまざまなことを学んでゆきます。

ここには雑多な種類の人々がいます。

 筆頭は、イタリア人で人文主義者のセテムブリーニ。彼は思想的にユダヤ人の神秘学者で、独裁主義者のナフタと対立しています。2人は顔をあわせるたびに、はげしくいい争いを展開します。そして2人は競うように、カストルプを洗脳します。死を意識している彼らにとって、自らの思想的な遺伝子を残そうと必死なのです。彼ら以外にも、ユニークな考えをもった人群れがいます。

オランダのコーヒー王は、豪華な食事つきのカード遊びパーティを主催します。あきれるほどのメニューの羅列に、私は圧倒されました。そんななかでカストルプは、魅惑的なロシア人女性・クラウディア・ショーシャ夫人に恋をします。しかし彼女にはピーター・ベーベルコルンという愛人がいます。カストルプとショーシャ夫人について、倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)はつぎのように書いています。

――ハンスがご執心のクラウディア・ショーシャをつかまえてフランス語で世にも奇妙な愛の告白をするところは、金管楽器の長い、音程の狂ったソロを聴かされるようで圧巻です。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫より)

 サナトリウムでは世界中から集まった、男女が共同生活をしています。当然だれとだれが関係した、などのうわさ話も飛び交います。恋も芽生えます。倉橋由美子が「圧巻」と書いている箇所は、カストルプの少年愛の追想と、目の前の美しいロシア人とのやりとりが重なります。10歳ほど年上のショーシャ夫人は、まるで幼子のように彼をあつかいます。しかし彼女がサナトリウムをでる前夜に、カストルプを受けいれるのです。

◎ドイツ風教養小説なのか

『魔の山』は一般的に、教養主義小説といわれています。「教養主義」というのは、日本でなじみにくい概念です。以前、重松清の『とんび』(角川文庫)の書評を読んだときに、ある評論家が「教養主義小説」と書いていました。そのときは見つけられなかったのですが、池澤夏樹の著作を読んでいて納得できました。引用させていただきます。

――(教養小説で)何を作るかというと、一人の人格を作り上げる、ということです。ある若者が、さまざまなことを学んで一人前になるまでを追いかけて、その成長の過程を書く。ドイツ文学に特有の用語です。(池澤夏樹『世界文学を読みほどく』新潮選書より)

2人の作家は「教養小説」を、ユニークなとらえ方で解説しています。紹介させていただきます。

――主人公が「魔の山」のサナトリウム「ベルクホーフ」に従兄を訪ねてきて思いがけず病気を発見され、えんえんと滞在しなければならなくなるという極めて不条理な状況の中で、次第に下界の時間感覚をなくしていく課程に対応している。最後近く主人公は時計を持たなくなるが、時間に背を向けるというのは市民社会の否定であり、そう見ていくところの小説は教養小説の新しい形式をとったアンチ教養小説とも思えるのである。(筒井康隆『本の森の狩人』岩波新書より)

――この小説はドイツ風教養小説のパロディのようでもありますし、オリュンポスの山上に住むゼウス以下の神々の世界をパロディにしたもののようでもあります。ハンス・カスットルプはこんな世界に迷いこんだ無邪気な羊飼いの少年、といったところです。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫より)

 7年間の療養所生活のなかで、カストルプはかずかずの体験をします。医師の反対を押し切って、退院したツィームセンが病気を悪化させてもどってきます。ショーシャ夫人も一度退院するのですが、愛人とともにもどってきます。秘かに部屋から運び出される入居者たちもいます。

 そんなときにカスットルプは、第1次世界大戦の勃発を知ります。長い麻痺状態から、彼はとつぜん覚醒することになります。カストルプは参戦する決心をかため、山をおりることにします。その後の彼の消息は不明のままに、小説は終ります。

『魔の山』は長い作品です。しかも上巻の半分までは、退屈な記述がつづきます。若いときはここで投げだしていました。今回ていねいに読んでみて、この作品は投げだしたあとから、がぜんおもしろくなることを知りました。豪華なリゾートホテルに数日滞在して、ベランダで寝椅子に体をのばして読んだら、最高だったろうなとも思いました。
(山本藤光:2013.02.05初稿、2018.02.13改稿)

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