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赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)

2018-02-13 | 書評「あ」の国内著者
赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)

辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない―。「新解さん」とは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。(「BOOK」データベースより)

◎追悼・笑わせてくれた赤瀬川原平氏

 赤瀬川原平氏が亡くなりました。77歳でした。したがって尾辻克彦も、世を去ってしまったことになります。尾辻克彦名義で発表している『父が消えた』(河出文庫)は、「日本近代文学125+α」で紹介する予定です。

今回はあわてて、赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)を、とりあげることにしました。じつは夏石鈴子『新解さんリターンズ』(角川文庫)が、未読のままなのです。それを読み終わってから、夏石鈴子『新解さんの読み方』(角川文庫)とあわせて書きあげようと思っていました。急いで読みました。少し雑な読み方になったかもしれません。

「新解さん」は、いまでは有名な三省堂『新明解国語辞典』(現在第7版)のことです。私はマネージャ研修で、かならずこの辞書は購入するように、と薦めています。もちろんそのユニークさを説明したうえでのことです。『新明解国語辞典』については、あっちこっちから絶賛の声があがっていました。
それを単行本の形で最初に発信したのが、赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、初出1996年)でした。夏石鈴子『新解さんの読み方』は、それから2年ほど遅れて出版されています。このあたりのことについては、のちほど披露させていただきます。

本名・赤瀬川克彦は、前衛美術家(赤瀬川原平)と純文学作家(尾辻克彦)という、2つの顔をもつマルチ人間でした。赤瀬川原平名義では、『ぱくぱく辞典』(中公文庫)や『全日本貧乏物語』(福武文庫、赤瀬川原平選、日本ペンクラブ編)などで笑わせてもらっていました。
また尾辻克彦名義では、初小説『肌ざわり』(中央公論社、中央公論新人賞)『父が消えた』(河出文庫、芥川賞)と順調に文壇を進んでいました。本書の文庫解説は、「新解さん」コンビの夏石鈴子が担当しています。

私はずっと『広辞苑』の愛用者でした。細かな活字が見えにくくなったため、電子辞書も買い求めました。いまでも書棚には第5版と第6版がならんでいます。ところが『新明解国語辞典』の魅力にはまってからは、ほとんど手にしなくなりました。マネージャ研修では、つぎの単語を紹介しています。

【動物園】
広辞苑(第6版):各種の動物を集め飼育し、一般の観覧に供する施設。
新解国語辞典(第6版):生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設。
【恋愛】
広辞苑(第6版):男女間の恋い慕う愛情。
新解国語辞典(第6版):特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。

 これまでに1000人ほどの受講者に「新解国語辞典を知っていますか?」と質問しています。手をあげたのは、わずかに4人でした。いっぽう『広辞苑』はほぼ100パーセントの認知度でした。残念なことに好みの電子辞書には、『新解国語辞典』ははいっていません。1日も早く入れてもらいたいものです。

◎夏石鈴子の企画
 
 赤瀬川原平は当然のことながら、『新解さんの謎』の冒頭部分で「恋愛」をとりあげています。ただし私が引用したものと、少しだけ異なります。赤瀬川原平は、第4版から引用しています。私(赤瀬川原平)と友人の娘(SMというイニシャルです)さんとのやりとりです。笑ってしましました。

(引用はじめP14)
私は変な気がした。読書のような気持になった。辞書なのに。
「何これ、いま見てるけど」
「凄いんですよ。凄いと思いません?」
「いや、たしかにこの通りだよ。この通りだけど、ちょっとこの通りすぎるね」
「そうなんです。その感じなんです。こんな辞書ってほかにあります?」
「うん、合体ね。恋愛の説明に合体まで出るか」
「凄いんです」
「しかも、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、この〈出来るなら〉というのが……」
「そうなんです。真に迫るんです」
「出来るなら、ねえ。辞書ってここまで書くのかな」
「いえ、この辞書が特別なんです」
(引用おわり)

『新解国語辞典』の変遷については、本書のなかで詳しく書かれています。ここではなぜ、赤瀬川原平が本書を書いたのかにふれてみたいと思います。

赤瀬川原平に『新解さんの謎』を書かせたのは、当時文藝春秋に勤務していた、夏石鈴子でした。彼女の企画で本書は、世にでたのです。夏石鈴子は『バイブを買いに』(角川文庫)などで、笑わせてくれる著作を連発している注目の作家です(私だけかもしれませんが)。

『新解国語辞典』が第4版から第5版になってから、『新解さんの謎』の続編の話がでます。しかし赤瀬川原平は多忙で対応できず、白羽の矢がたったのが夏石鈴子だったわけです。「それなら、あんたが続編を書けばいい」といったノリだったようです。詳しくは夏石鈴子『新解さんの読み方』(角川文庫)をお読みください。

ちなみに私が引用した第6版以前の「恋愛」について、夏石鈴子が『新解さんリターンズ』(角川文庫)で紹介してくれています。

(引用はじめP16)
れんあい【恋愛】
初版・2版:一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。
3版・4版:特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、つねにはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

 第6版については、前記引用をごらんください。『新解国語辞典』は第7版がでたようです。まだ買い求めていませんが、「恋愛のところは後退だよ」と、友人がメールを送ってくれました。

7版:特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

 赤瀬川原平が生きていたら、「合体」復活の声をあげていることでしょう。女性の論客の声を紹介して、辞書を閉じさせていただきます。

――恋愛、性交、女といった、いかにもの語句説明がふるっているだけではない。この辞書の白眉は、なにげない語句につけられ用例だ。<すなわち>の用例は、「玄関わきで草をむしっていたのが、すなわち西郷隆盛であった」。<なまじ>は、「なまじ女の子が柔道など習ってもしょうがない」。すかさず田村亮子選手の写真などを挿入してこまめに揚げ足をとる本書も本書だが、たかが<すなわち>や<なまじ>の用例が、なんでこんなにオモシロイわけ?(斎藤美奈子『本の本』ちくま文庫P261)

――新解さんの人間像(?)に、実に絶妙なスタンスで迫っていく赤瀬川氏とSM嬢(註:友人の娘のイニシャル)掛け合いがまた楽しい。観察と事物解釈と面白がりの天才・赤瀬川原平、面目躍如の一冊。この本を愉しめない人はちょっとどうかと思う。それほどまでに愉快な本だ。読もう!(豊﨑由美『そんなに読んでどうするの?』アスベクト)

 赤瀬川純平氏の冥福を祈りつつ、辞書を閉じます。
(山本藤光:2014.11.01初稿、2018.02.13改稿)


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