山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

220525:内海隆一郎『だれもが子供だったころ』がいい

2022-05-25 | 妙に知(明日)の日記
220525:内海隆一郎『だれもが子供だったころ』がいい
■訪日中のバイデン大統領は、記者の「台湾有事に軍事介入するのか」の質問に「イエス」と断言しました。軍事介入なのか関与なのかのニュアンスはあいまいです。もし介入だったら、アメリカはこれまでの曖昧戦略から一気にハードルをあげたことになります。以下、FNNプライムオンラインの記事からです。――自民党の佐藤正久外交部会長は24日に行われた自民党の会合で、バイデン大統領の発言を「大変良い失言、最高の失言だ」と指摘。「ホワイトハウスは火消しに回ったように、アメリカのこれまでの台湾に対する曖昧戦略から、一線を越えた発言だ。大統領の本音が出た極めて良い失言だ」と評価した。■内海隆一郎『だれもが子供だったころ』(河出文庫)でほっこりとした気持ちになりました。ぜひ読んでもらいたいと思います。アマゾンのガイドを引用しておきます。――子供の目線で世界を描く49の掌編集。「国語教材や入試問題にも長年採用されてきた作家」の名作を新装復刊。祖母から贈られたセーターの長すぎる袖に不満げな男の子。初めて両親と離れ、二人だけで新幹線に乗る兄妹。二度と帰らない父をベランダで待ち続ける女の子……他、子供が出会う日々の出来事をやさしく、あたかかく、ときに切なく描き出す。子供の目線だからこそ見えてくる、日常のささいな出来事の奥深さ――今まさに子供の人、ちょっと前まで子供だった人、かつて子供だったすべての人に贈る珠玉の49編。■内海隆一郎のプロフィールは次のとおりです。――1937-2015。1969年(昭和44年)、処女小説「雪洞にて」が第28回文學界新人賞を受賞した。しかし翌年、受賞第一作である小説「蟹の町」が芥川賞候補となるも落選すると、そのショックから以降15年間に渡って断筆[6]、編集者として務め続けた。1984年、友人の紹介によって、日本ダイナースクラブの月刊会員誌 「シグネチャー」への寄稿を開始。同誌では市井の人びとを描いた一話完結の短編小説を連載し、それらは翌年『人びとの忘れもの』として筑摩書房から出版された。エッセイとも小説ともとれる手法で日常生活のなにげない出来事をおだやかな文章で描いた心あたたまる短編は反響を呼び、後に「人びとシリーズ」と呼ばれる独自の作風として定着した[6]。これらは評論家や編集者からも絶賛され、この後内海は文筆業に専念することとなった。1993年(平成5年)、「鮭を見に」が直木賞、1995年には「百面相」が直木賞の、それぞれ候補作品となった。2008年、「人びとシリーズ」のベストセレクション、「30%の幸せ」が出版された。2015年に白血病のため死去。78歳没。(ウィキペディア)
山本藤光